2024年2月10日午後2時より、東京都千代田区のたんぽぽ舎にて、たんぽぽ舎共同代表・山崎久隆氏による講義「『能登半島地震から見える日本の原発の危険・問題点』―能登半島地震と日本の『原発の危険』を検証」が開催された。
山崎氏は講義を次のような言葉で始めた。
「原発は地震に弱いという話は、前からしていたんですけど、たまたま今回(能登半島地震)は、(志賀原発が震源の)真上にいませんでしたからね。大きく破壊されることはなかったですが、何しろマグニチュード7.6という、誰も経験したことがない、そういう地震でした。
したがって、非常に幸運だったと言わざるを得ません。(中略)
日本は、地震断層だらけですね。活断層というよりも、断層だらけということで、ありとあらゆる場所に断層があります。多分、この真下にもあるんでしょうけど、見えないだけ。厚い堆積層(関東ローム層)があるので見えませんが、たぶんあるんだろうなと思っています。
が、それよりも何よりも、東京の街はプレート境界に非常に近いので、それによる地震の方がはるかに巨大な影響を与えるかな、とは思いますけど、一方では江戸川河口断層とか、立川断層とか、知られている断層も結構ありますので、そういった意味で言えば、非常に大きな被害を出す可能性はある地震断層が、たくさんあるということです。
そんなところに原発を50何基も建ててしまいまして、最大で建っていたときは55基あったんですけど、廃炉になりましたので、今動いているのは12基とプラス再稼働申請を出している原発。それからまだ(申請を)出してないけども、動くかもしれない原発。全部で足して30基余りという状況ですね。
そういう原発群が動いたらどうなるのか。福島第一原発事故を経た今の日本でも、まだ再稼働を推進しようとしているこの国は『何を考えているの?』ということになるわけです。
そこで私は、『大地動乱の時代に原発は廃炉に』ということで、『地震と津波は止められないが、原発は止められる』ということをスローガンに、『今すぐ止める、冷やす、閉じ込める』
対策をと(主張しています)。
『止める、冷やす、閉じ込める』というのは、原発推進派が、『地震が起きたときにも、すぐに原子炉を止めて、冷却を継続し、放射性物質を封じ込めるから安全です』という安全神話で使っている言葉ですが、それは成立しない。唯一できることは、地震が来る前に、『止める、冷やす、閉じ込める』ということをしなければならない。
それは、現在再稼働している12基の原発を全部運転停止することでしか成し得ないことです。と、そういう主張です。すなわち、この『今すぐ止める、冷やす、閉じ込める』というのは、『今すぐ、再稼働した12基を止めろ』ということ以上でも、以下でもありません」。
テーマは「能登半島地震の実態」に移り、山崎氏は、「震央の分布」、「断層の位置・動き」、そして「前震と余震」などをキーワードとして、能登半島地震がどんな地震だったのかについて、振り返った。
山崎氏は、また、「志賀原発の実態」として、このたびの能登半島地震において、志賀原発で発生した問題についても指摘し、その中で、志賀原発の歴史、立地条件、施設内の構造・設備、送電系統などについての包括的な解説も行った。
「志賀原発では、実は津波が襲ってきていました。けれども、(1月)1日、2日、報道発表はありませんでした。で、5日になってですね、『実は3メートルぐらいの津波がやってきたことがわかりました』なんてことをですね、しれっと発表しました。
『気がつかなかったのか!』っていう話なのですが、本当に気がつかなかったみたいですね。どういうことなのかというと、そもそも水位の変動を測る場所っていうのは、この物揚場(ものあげば:船舶の係留施設)のそばにある、物揚場っていうのは、要は、港と違って、非常に水面から低いところにあるものを一旦陸揚げする、そういう取っ手のようなところです。
この物揚場というところに、実は通信装置がありまして、さらに波高計がありました。この波高計のところでデータはとっていたんですけれども、通信装置が地震の影響で停電して、遮断されました。データが取れなくなりました。
そうすると、物揚場の水位計のデータが本体に、すなわち原発の制御室に送信されず、水位の変化が見取れなかった。すなわち、上がってんだか下がってんだか、わからなかったということですね。
こういう波高計がちゃんとあったんですね。この波高計によって、水面の移動・変動がわかりましたので、それによって、津波が来たならば、『何メートルの津波襲来』とか、直ちに所内に緊急事態の発令をして、所員は津波に飲まれては困りますから。福島第一の場合は、二人の従業員が死んでいます。
ですので、そういうことを避けるために、『津波襲来』の警報が出たら、すぐに退避するという作業が必要になるんですけども、漫然と時を過ごしたってことになるわけですね。
なぜそうなったのかというと、このデータの送信が止まってしまった。それが(1月)1日、2日、3日まで止まり、3日間止まっていたということになるわけですね。
その結果、データが行かないものですから、津波警報も出せずに、そのまま過ぎてしまったということですから、福島第一の事故の経験が何も生きていない。計測器があったって、データがないんじゃ何の意味もないですね。
これで、もし、本当に15メートル級の津波が襲ってきたとすれば、到達して初めて気が付くわけです」。
山崎氏の講義の内容、および質疑応答の詳細については、全編動画を御覧ください。