1873年に大久保利通が設立、「官庁の中の官庁」と呼ばれ、内政全般を所管し、国民生活統制の中核となった「内務省」は、1947年GHQの指令で廃止された。この内務省に焦点をあてた、中野晃一上智大学国際教養学部教授による講演が、2023年7月20日、東京都千代田区のスペースたんぽぽで開催された。主催はたんぽぽ舎。
講演は、内務省と後継官庁の自治省等の官僚のキャリアパスから、官僚制を読み解いた、中野氏の著書『日本の国家保守主義 内務・自治官僚の軌跡』(2013年、岩波書店)を踏まえて話が進められた。
中野氏はまず、日本の保守主義とは「国家の価値秩序のもとに国民を統合しようとする」「国家保守主義」であり、米国の保守主義が「反国家」であるのとまったく異なると述べた。
明治維新で、近代的官僚制国家をつくるが、制度を支える価値観は、天皇を頂点とする復古的序列だという。「国家保守主義」を「究極的には社会や政治のなかの多元主義・自由主義を拒絶し、国家が価値や知識の独占的源泉として存立することに依拠する保守支配の形態」と規定。「建前」が議会制の明治憲法であるのに対し、「裏憲法」としての「教育勅語」がその「本音」だという。
この「国家保守主義」において、大きな役割を果たしたのが、内務省だったという。この観点から、戦前の内務省の位置づけや、宗教や学校を含む幅広い所掌範囲、GHQによる内務省解体やパージ後も官僚達が比較的早く復帰した経緯などが解説された。
そして、1929年内務省入省の官僚・林敬三氏が戦後、鳥取県知事から宮内庁次長、警察予備隊総隊総監、自衛隊統合幕僚長などを歴任し、退官後は日本住宅公団総裁、自治医科大学理事長、日本赤十字総裁などに天下ったキャリアを辿る。内務官僚が、関連する幅広い分野を渡り歩いた実態を指摘した。
さらに、宮内府・宮内庁長官や同次長、内閣法制局長官、内閣官房副長官(事務担当)などのポストが、戦後長らく、多くの内務省出身者や後継の自治官僚、警察官僚、厚生官僚等で占められた様子を辿った。これらの官僚人事によって、「戦後における国家保守主義の再構築」が進められた実例が、様々な興味深い観点から語られた。それは、安倍政権、岸田政権にまで至るものである。
講演後の質疑応答でも、様々な興味深いやり取りが行われた。
例えば「日本の国家保守主義はなぜ長く続いたのか?」との問いには、「日本は長州藩や陸軍はじめ元々エリートだった連中による『上からのファシズム』だった。一方、ナチスドイツは伝統的保守エリートではなく、外から、絵描きになろうとして失敗したヒットラーが、ならず者軍団を率いて政権を掌握した。戦後、米国側は、ナチスを除去し、伝統的保守政治家のアデナウアーに国政を担わせることができた。しかし日本で軍国主義者を除くと、統治経験者は皆無だった」等と回答。
「官僚に対する政治主導の今後は?」との問いには、「政治主導には、小沢一郎氏の流れの『政治家主導』と、新党さきがけの流れの『民主的な統制』(官治から民治へ)の2種がある」「しかし、菅直人氏が厚生大臣の時、薬害エイズ事件で厚生官僚に指示して成果をあげたことから、民主党も政治家主導に変わっていった」と指摘。「政治家と草の根の両輪で支えることが大切だ」と訴えた。
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