2015年のドンバスで何が起こっていたのか? 貴重な証言の記録、2016年ドキュメンタリー映画「ドンバス」アンヌ-ロール・ボネル監督 仮訳出! 2022.4.15

記事公開日:2022.4.15 テキスト
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(文・IWJ編集部)

 2022年2月24日に始まった、ロシアによるウクライナ侵攻について、プーチン大統領は4月12日、侵攻後初めての記者会見で、「ウクライナとベラルーシとロシアはひとつの民族だ。ウクライナで起きていることは間違いなく悲劇だが、他に選択肢はなかった」と主張し、侵攻を正当化した。

 プーチン大統領は以下のように述べている。

 「主な目的は、ドンバスの人々、ドンバスの国民を支援することだ。ドンバスを我われは承認した。それをする必要があった。なぜなら、西側に促されたウクライナ当局は、ドンバス問題の平和的解決を目的としたミンスク合意の履行を拒否したからだ」

 IWJは、「ドンバスの人々」を口実に、ウクライナ侵攻することは許されるとは考えていない。しかし、ドンバスの状況を伝える情報はあまりにも少ない。

 2014年のユーロマイダンに始まり、8年間継続してきたウクライナ紛争では、ウクライナ東部のドンバス地域で、多くのロシア語話者が迫害を受け、殺害されたとされる。犠牲者の数は1万6000人とも言われている。

 数少ない証言のひとつが、2016年に公開された、アンヌ-ロール・ボネル(Anne -Laure Bonnel)監督(注1)によるドキュメンタリー映画『ドンバス』である。フランス語字幕のついたオリジナルは、以下で見ることができる。

※「ドンバス、忘れられた戦争」(アンヌ-ロール・ボネル監督、2016) https://vimeo.com/202792798?fbclid=IwA

 IWJはボネル監督にコンタクトを取るべく、SNSなどからアプローチしたが、4月14日現在、コンタクトは取れていない。ウクライナ侵攻の状況は悪化する一方だが、日本の中ではドンバス問題について知り得る媒体がほとんどない。『ドンバス』のフランス語字幕から和文仮訳を起こし、以下にご紹介する。

(注1)アンヌ-ロール・ボネル(Anne -Laure Bonnel)監督:フランスの従軍記者兼ドキュメンタリー映画監督。主な作品に2016年のドキュメンタリー『Donbass』、2020年のドキュメンタリー『Silence dansleHaut-Karabagh』。
https://en.everybodywiki.com/Anne-Laure_Bonnel

記事目次

  • ドキュメンタリー映画『ドンバス』とは?
  • 場面01:2014年、ポロシェンコ大統領の演説
  • 場面02:砲撃音の鳴り響くドネツクの街
  • 場面03 ドネツクの病院
  • 場面04:ペルヴォマイスク (Pervomaisk)
  • 場面05:コムナルスク村の地下壕で暮らす人々(Kommunar)
  • 場面06:コムナルスクの死体捨て場(Les charniers de Kommunar)
  • 場面07:オデッサの虐殺について話す元ウクライナ兵
  • 場面08:ペルヴォマイスク区(Zone de Pervomaisk)
  • 場面09:ある一軒家
  • 場面10:教会「埋葬している最中に銃撃戦が起こり、儀式の中断を余儀なくされることもしばしば」
  • 場面11:ソリで水を運ぶ母娘「だってもう水がないもの」「給水ポンプが壊されたの」
  • 場面12:厨房(ボランティアで働き、地域の人々に食事を提供する)
  • 場面13:人々が並ぶ食堂
  • 場面14:ロシアの人道支援物資輸送トラックの列
  • 場面15:デバルツェヴォの街(Debaltsevo)
  • 場面16:鉱山(MINES)ミサイルの残骸と不発弾
  • 場面17:昔ながらの方法で採掘されるシャフチョルスクの炭鉱(Mine artisanale de Chakhtiorsk)
  • 場面18:オクチャブリスキー村(Village Oktiabrskii)
  • 場面19:破壊された家の屋内
  • 場面20:炎上する車
  • 場面21:ヤシノヴァターヤの墓地。献花でいっぱいの墓の前に佇む男女(Iassinovataïa)
  • 最終幕

(…会員ページにつづく)

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