日本学術会議の会員6人を菅義偉(すが よしひで)総理が任命から除外したことについて、立憲デモクラシーの会が記者会見を開いた。この記者会見は10月6日15時より衆議院第1議員会館で行われた。
登壇したのは、立憲デモクラシーの会の共同代表である法政大学教授の山口二郎氏、東京大学教授の石川健治氏、早稲田大学教授の長谷部恭男氏、法政大学教授の杉田敦氏、同会の事務局長で早稲田大学教授の小原隆治氏の5人である。
まず、山口氏が声明文を読み上げた。
声明では、総理の日本学術会議会員の任命権の法解釈についての考え方が述べられている。そこでは、日本学術会議法17条2項にある「推薦に基づいて」の「基づいて」という文言が、「行政機関の権限行使を強く拘束するもの」と考えるべきだと論じられた。
また、問題となっている学問の自由については、以下のように説明されている。
「研究の内容および手続につき、研究者間での相互批判と検証を可能とするべく研究の内容および手続について厳しく規律が課される点で、表現の自由や思想・良心の自由などの他の精神的自由権とは大きく異なる」
さらに、加藤勝信官房長官が「会員の人事などを通じて、一定の監督権を行使することは法律上可能になっている。直ちに学問の自由の侵害にはつながらないと考えている」と述べたことに関して、以下のように意見を表明している。
「各専門領域での研究者による評価を政府が『広い視野』という名目に基づいて覆すことは、学問の自由の侵害そのものである。」
声明の全文は以下のリンクよりお読みいただける。
- 「菅義偉首相による日本学術会議会員の任命に関する声明(2020.10.6)」(立憲デモクラシーの会、2020年10月6日)
山口氏が声明を読み上げた後、登壇者がそれぞれ意見表明をした。
石川氏は「学問の自由」について深く掘り下げた。
「学問の自由は勉強する自由とは違います。学問には専門分野の自律性というものがあります。自由ではなく自律性を議論すべきです。大学において専門家は一人しかいないため、同僚でも何をしているかわからないことがあります。
だからこそ日本学術会議は『学者の国会』として機能しています。俯瞰的とか広い視野とか言っていますが、これは素人の観点から判断しようということであります。学問に関しては、専門の先生を信用するしかないのです」
長谷部氏は、日本学術会議の実態に関して、以下のように述べた。
「6年ほど前まで会員でした。その時は変わった組織だと思っていました。『学者どもが特権や既得権益を守ろうとしている』と言われますが、会員であることは研究者本人にとってそれほど利益になりません。給料が出るわけでもありません」
杉田氏は、2011年から2017年の間、日本学術会議の会員であった体験から意見を述べた。
「会員になる前に長谷部さん(長谷部恭男氏)から、日本学術会議は『学者を集めて研究を妨げるところだ』と言われました。
たしかに、(日本学術会議の会員になると)自分の研究をしにくくなる面があります。手当ては非常勤の扱いで、一回の会議になるといくら、といった形で支払われます。
旅費は出ますが、秋になるとお金がなくなってきて『自腹で』、と言われることもありました。メディアでいわれたような経済的な利益があるわけではありません。」
また、日本学術会議の意義について、杉田氏はこう述べた。
「文系と理系が集まって、難しい問題、倫理や環境などについて様々な観点から議論します。他では得られないような知見が得られます。そういう場は学会では得られません。そういう機能を弱めかねない事態に対して抗議していく必要があります」
小原氏は、当初、この問題について鈍感であったという。
「菅総理は『ふるさと納税』という筋の通らない税制を作ったので、『またやったな』と思いました。しかし、その後の菅総理や加藤官房長官の対応を見ておかしいと思いました。前例踏襲は当然。なのに説明をきちんとしない。官房長官の時は『ご指摘は当たらない』で済んだかもしれないが、総理になってもこれでは、とカチンときています」
山口氏は、日本学術会議の成り立ちの観点から意見を述べた。
「学者は政府の政策に関して提言か批判を行うものです。(今回の菅総理による任命除外は)日本学術会議が研究者の自律性や異論を唱えることの制度化であるという成り立ちそのものを否定するものです」
長谷部氏から法律論観点で補足がなされた。
「本日になって、政府の説明に憲法15条1項の『公務員を選定し、罷免すること』というのが付け加えられました。これは、一般的、抽象的な理念です。公務員と言っても様々あります。それについて選定とか罷免とか一律に言えるかというと言えないのです。それぞれに個別の制度ができあがっています。
学術会議に関しては学術会議法があるので、法律の具体的な条文でどういう言葉遣いが使われているのかを見ていかないと、任命権の行使のあり方について言えるわけがないのです。
どう考えても憲法論として乱暴な議論。丁寧な説明とは言えない」
また、石川氏からも法律的解釈について補足があった。
「検察庁法の一件もそうですが、一般法が特別法を破るという不可思議な現象が起きています。特別法が一般法を破らないと、矛盾するのです。法秩序の統一性、特別性が保たれません」
登壇者が意見を述べた後は、質疑応答の時間が設けられた。
IWJ記者は以下の質問をした。
「これまで日本学術会議では大学が軍事研究について反対のメンバーが多数派を占めていましたが、今回推薦された研究者のうち、賛成派と反対の数のバランスが同じくらいになりました。そこで、菅総理がこの6人を任命しないことで、軍事研究解禁賛成派が反対派を上回ることを狙った可能性についてはどうお考えでしょうか」
杉田氏が、以下のように質問に答えた。
「現在会員ではないので、数のことがわらないのですが、確かに私が会員のときに(日本学術会議が)軍事研究に関する声明を出しまして、私もそのとき日本学術会議におりました。
今回の処分については、何分理由が示されてないもので、それがいまおっしゃたような文脈で、つまり、軍事研究に関する日本学術会議の声明に関して(今回の任命拒否を)やったのかどうか確証がありません。確かにメディアなどでそのように推測はされています。選考過程に関する介入の動きが、報道されておりますように、2016年頃からおこなわれています。
軍事研究に関する声明が出る前から、その動きがでているのです。ですから、直接的な因果関係ではないかもしれません。声明に関しては拙速に出されたものではなくて、文系から理系にわたる幅広い会員のなかで審議を重ねて合意が得られたものです。これができたあと、かなり多くの大学が共鳴して、軍事研究に関して慎重になっていることは事実です。
現在の日本の研究費の配分態勢が、政府主導の方向に流れるようになったので、そういう形で日本の研究環境、研究資金の面で政府の方針で統制しようという動きが、もう少し長いスパンで起こっていて、そういう流れのなかで、たとえば防衛相の軍事研究の制度もできたでしょうし、それから、もしかするといろんな動きもあるのかなと言う風に考えてます」
IWJ記者が別の質問をした。
「法律に関する議論は大事ですが、そもそも学問や化学は、一国民国家や法律上の制度を超えて、普遍的で客観的な真理を求めるということがあって日本学術会議が構成されています。その人事に対して、内閣や官邸が科学的、学問的な反論を持ちうるのでしょうか」
この質問に対して、長谷部氏はこう答えた。
「法律上の仕組みにおいてできないと考えます。きわめて例外的で根拠も明確だとなれば推薦された人を任命しないということも、ありえるでしょうけれども。そうではない場合はそのまま任命をする、ということでないとお話が通らない、ということになります」
IWJ記者が最後にもう一つ質問をした。
「一般的に手続きで考えれば、推薦したものに対して意義があれば、付帯意見をつけて推薦したところに差し戻すのが筋ではないでしょうか」
長谷部氏は以下のように答えた。
「学問の自律性、真理を決めるのは学者同士の検証、議論、批判を経て共同体としてやるものです。大学を英語いうと「ユニバーシティ(University)」ですが、これはラテン語の『ウニベルシタス・スコラリウム(Universitas Scholarium)』が語源です。学者の共同体という意味です。
自律的に自分たちの判断で人を入れ替えながら共同体を継続して、永遠に心理を追求していくんだというのが大学であり、大学を典型とする高等研究教育機関でありますから、そこでの自律性をなによりも尊重してもらわないと困るということになります」