7月17日、乗員・乗客298人を乗せたマレーシア航空機が、内戦が続くウクライナ東部で墜落するという大惨事が発生した。事故ではなく、何者かによって撃墜されたと見られている。
この一報を受けてウクライナ政府は、ウクライナ東部の親ロシア派武装勢力が、ロシアの支援を受けて地対空ミサイルによって撃墜したとする声明を発表した。
これに対し、ロシアのプーチン大統領は、真っ向から反論。「明らかに、この事故の起こった国(ウクライナ)の政権にこそ、このひどい悲劇についての責任がある」と述べ、「もしこの土地が平和であり、ウクライナ南東部で戦闘行為が始まっていなければ、この悲劇は起こらなかっただろう」と、内戦を停止しないウクライナ政府に墜落の責任があると主張した。
しかし、こうしたプーチン大統領の言い分に、米国政府を筆頭とする国際社会は、まったく耳を貸さない。西側のメディア、とりわけ日本の主要メディアは、米国の主張をなぞる報道に終始している。
この事件については、「ブラックボックス」を精査するなど、原因の究明をすることが最優先されるべきはずである。まだ事故原因の解明作業も着手されていないし、何が原因で墜落したのか、誰にもわかっていないのが実際のところである。
米国の「前科」
にもかかわらず、オバマ大統領は、事件翌日の18日、早々に、「ウクライナの親ロシア派が支配する地域から発射された地対空ミサイルが、マレーシア航空機を撃墜した」と、撃墜が親ロシア派によるものであるとの一方的な認識を示した。
さらに同日、国防総省のカービー報道官は、「親ロシア派がブーク(地対空ミサイル)を発射してマレーシア機を撃墜した、強力な証拠がある」と、断定的な発言を行った。ところが、その「決定的な証拠」なるものはこの稿を書いている7月29日時点に至っても、何も示されていない。何も、である。
米国には、証拠を示すことなく、他国に濡れ衣を着せ、戦争まで仕掛けて、粉々にした「前科」がある。イラクは「大量破壊兵器を保有している」として、証拠もないままに始めたイラク戦争は、さんざん破壊し尽くしたあとに、フタを開けてみれば、実はサダム・フセインは大量破壊兵器を保有していなかったことが明らかになった。さかのぼればベトナム戦争も、トンキン湾事件がきっかけに米国は北ベトナムへの爆撃を開始したが、この事件が米軍の自作自演による言いがかりで、ベトナム側に落ち度がなかったことも明らかになっている。
昨年夏、シリアのアサド政権が化学兵器を使用したとされる事件についても、決定的な証拠は見つからなかった。にもかかわらず、米国は英仏を伴ってシリアへ武力攻撃を行おうとし、寸前のところでロシアの外交努力によってはばまれた。
驚くべきことに、オバマ大統領は21日、ホワイトハウスでの演説で、「ロシアが親ロシア派武装勢力を訓練し、対空ミサイルを供給していた」と非難した。マレーシア機を「撃墜した犯人」は親ロシア派であり、「撃墜させた共犯」はロシア政府であると決めつけたのである。問題は証拠がないだけではない。ロシア政府が、親ロシア派に、民間航空機を撃墜させることで、いったいどんな利益を得られるというのか、「犯行動機」の説明がまったくなされていないのである。
誤射ならば、親ロシア派がしでかした可能性もありえるだろう。しかし、それならば、ウクライナ軍が誤射した可能性も同時にありえる。
実際、ウクライナ軍は、2001年10月、地対空ミサイルの演習中に、シベリア航空1812便を誤って撃ち落とす事故を引き起こしている。
アメリカ自身も誤射事件の「前科」がある。1988年7月、イラン航空のエアバスA300を、米国軍のイージス艦が戦闘機と誤認して、ミサイルで撃墜してしまったのだ。当時はイラン・イラク戦争のただ中だった。
マレーシア機墜落の背景
ウクライナもまた、不幸なことに、内戦のただ中にある。
もとはといえば、2月26日、ウクライナで「クーデター」の末、ヤヌコヴィッチ政権が倒され、暫定政権が誕生してから以降、「ロシア語の公用語禁止」を打ち出すなど、ウクライナの半数近くを占めるロシア系住民、ロシア語話者にとって圧倒的に不利になる政策を強行したことにある。
ウクライナは、ソ連から独立した時点で、ウクライナ系住民と、ロシア系住民とが共存する多民族・多言語国家としてスタートを切った。
ところがウクライナ語だけを公用語とする、ということは、ロシア語は操れるが、ウクライナ語の読み・書きが十分にできないロシア系住民が、公職や社会的に重要なポストから排除されることを意味する。ウクライナ東部でのロシア語放送も打ち切られた。これは、言語・文化上の「民族浄化」ではないか。
春先、私はキエフの暫定政権のウクライナ民族主義的性質を急進的に強調するような政策に懸念を表明し、まだ砲声も爆撃の音も響いていない段階で、「冬が終わり、春が訪れると、戦争の季節が始まる」と警告してきた。
※【IWJブログ】ウクライナ政変~第3幕の始まり 2014.4.4
私の悪い予感は、ことごとく的中してしまった。
ウクライナ東部のロシア系住民は、キエフのウクライナ民族主義的政権の横暴な要求を受け入れられず、反発し、「ドネツク人民共和国」「ルガンスク人民共和国」と、各地方単位で分離独立の声を上げ、住民投票まで行って、ロシア系住民が不利益を被ることのない自治を始めた。
住民投票にいくつかの瑕疵はあるだろう。しかし、ウクライナ共和国内では、マイノリティーであるとはいえ、ウクライナ“国民”であるロシア系住民に対し、一方的に不利になる政策を押しつけ、ロシア系住民が自治を求めなければ立ちゆかないところまで追いつめたのはウクライナ政府のほうである。実際に自治の要求が出てくると、これを力づくでねじ伏せるために、軍まで投入した。事態をここまで悪化させた責任がウクライナ政府にない、とはとても言えない。
さらにキエフ政権は、「右派セクター」のような極右暴力集団を動員した。5月2日の「オデッサの虐殺」は、かつてこの国で多発したユダヤ人虐殺のポグロムの悪夢をいやおうなく彷彿とさせるものだった。女性を含め40人以上の市民が焼き殺されたのに、地元警察は公正な捜索を行わず、逆にロシア系住民に暴力をふるい続けていた「右派セクター」らを、「治安協力者」として位置づけた。
これではまるでナチスではないか、という声もあがる中、キエフ政権の任命した知事の中には「ヒトラーは解放者だった」と演説する者すらあらわれた。ウクライナ民族主義者は、かつてナチスと同盟し、ソ連と戦い、ユダヤ人らを虐殺してきた、その地金をむき出しにしている。
ロシア系住民たちは、難を逃れるため、命からがらに国境を越えてロシアへ逃げ出してゆく。キエフ政権はウクライナ“国民”であるはずの彼らが飛散するにまかせているのである。その数すでに14万人にものぼる。これこそは、「民族浄化」そのものである。
東ウクライナの市民の犠牲者は千人を超えた。マレーシア航空機墜落事件が起きた7月17日、同じ日にイスラエルでは地上軍がガザ地区への侵攻を開始した。ガザでのパレスチナ人の死者もすでに千人を超えている。同時並行して進んでいる2つの悲劇は、犠牲者の規模が似通っているだけでなく、米国が一方に肩入れしている点も共通している。
イスラエルが建国した1948年の第一次中東戦争では、開戦に先立ち、イスラエルの武装組織が国内のパレスチナ人たちを襲撃し、住んでいた土地から追放する民族浄化を行なった。この民族浄化は「ナクバ(大災厄)」と呼ばれるが、今、東ウクライナで起きていることは「2014年のナクバ」と呼ぶべき事態である。
イスラエル政府がそうであるように、今やキエフ政権は、「何をしても許される」と言わんばかりだ。言うまでもなく、この「何でも許されている」状態は、世界唯一の超大国・米国が「許している」からこそもたらされている。米国は資金と人員(戦闘員まで)を提供した上で、ウクライナ政府をけしかけ、そそのかしてきた。消極的に承認してきたというよりも、積極的に関与してきたのが実情である。
米国はこの半年あまり、日に日に緊迫の度を増すウクライナにおいて、CIAやPMC(民間傭兵会社)を使って、現地の過激派ナショナリストである右派セクターの活動を活発化させ、混乱を煽り続けてきた「実情」がある。
今回のウクライナ危機の背後には、常に「右派セクター」の存在があった。
今年2月、ウクライナで、ヤヌコヴィッチ大統領が解任され、旧野党勢力による新政権が樹立された。このきっかけとなったのは、2013年11月末から始まったウクライナの首都キエフでの反政府デモだった。
この政権転覆劇は、表向きは、民衆デモによって引き起こされた政権打倒に見える。しかし、当初は一般市民の抗議行動だったデモは、過激派ナショナリストの右派セクターの登場によって急激に過激化し、銃撃戦にまで発展していったのである。
「右派セクター」は、反ロシア、そして反ユダヤを露骨に標榜する極右連合である。2月にキエフで起こっていた事態は、決して「民衆デモ」と呼べるようなものではなく、ナチスのシンボルの腕章をつけた人々やプロのスナイパーまでもが登場する「クーデター」だったのである。
そして、右派セクターの一翼を担っていたスヴォボダ党は、暫定政権に4人を入閣させるという躍進を果たした。さらに、暫定政権樹立後も、ウクライナ東部で親ロシア派がデモ活動を始めると、正規のウクライナ軍とともにその鎮圧に乗り出したのである。
ウクライナ国内で、ロシア系住民をさんざん痛めつけたら、いたたまれなくなってロシアが軍を率いてウクライナ国境を侵犯してくる、そう読んでの挑発だった可能性が高い。もしロシアが侵攻したら、その時は、先に手を出した「侵略者」として、米軍とNATOは黙っていなかったことだろう。
挑発は執拗に続いた。しかし、はやるロシア議会すらおさえこんで、プーチン大統領は、挑発に乗らず、自制を続けた。こうして東ウクライナでの内戦が膠着状態に陥ったその矢先に、マレーシア航空機墜落事件は起きたのだ。
どんな文脈であの墜落事故が起こったか、そしてその事故がどのように政治利用されつつあるか、おわかりいただけただろうか。
ウクライナが国家として成立したのは、ソ連が崩壊した1991年だが、この地域におけるナショナリズムの運動には、約100年の歴史がある。その一方で、反ユダヤ主義の歴史は、紀元前にまでさかのぼる。それは、さまざまにかたちを変えながら、何度も何度も登場してきた。それが、今、ウクライナが新たな政治的選択をするなかで、もういちど表面に浮き上がろうとしている。
また、ウクライナ西部から、ポーランド、ドイツにかけての一帯は、長い間、東欧ユダヤ人=アシュケナジーの故地であった。この地で迫害されたユダヤ人たちは、19世紀末にシオニズムの思想を掲げて、中東に植民を開始し、イスラエルを建国するに至った。
大英帝国のバックアップを受けたユダヤ人のシオニストたちは、今、大英帝国の覇権の「後継者」ともいうべき米国という帝国の庇護を受け、その米国は、反ユダヤ主義を掲げるウクライナ民族主義たちをそそのかして、ロシアに対し、危険なゲームを挑んでいる。ねじれた、不可解な構図である。
非常に暴力的で残虐で差別主義的でありながら、ウクライナ政治の中心に乗り込んできた「右派セクター」のようなナショナリスト集団は、ウクライナの将来にどのような影響を与えるのだろうか。そして、彼らはなぜ米国と通じているのか。
おそらく、それを考えるためには、ウクライナにおけるナショナリズムがこれまでどのように発展してきたのか、そして反ユダヤ主義とはどこから生じてきたものなのかを歴史的にさかのぼって検証してみる必要がある。
大阪大学助教の赤尾光春氏に話をうかがい、ディアスポラしたユダヤ民族の歴史と、ロシア、ウクライナの歴史、そして反ユダヤ主義の歴史について、語って頂いた。今号から5回にわけて、お伝えする。
【インタビューのポイント】
1.ユダヤ人迫害の長い歴史
・ユダヤ人のディアスポラ(離散)は紀元前から始まった。
・中世には、ナチスによるユダヤ人迫害のプロトタイプができた。
・中世ポーランドにおけるユダヤ人の立場はどのようなものだったのか。招聘され特権を与えられたユダヤ人とポーランド貴族は持ちつ持たれつの関係を育む。
・16世紀から17世紀、離散したユダヤ人は安らげる場所として「シュテットル」という村落を作った。
・ユダヤ人にとって第4番目の破局「フメリニツキーの乱」はユダヤ人の意識に刻まれている。
・19世紀のロシアのニコライ一世の圧政はユダヤ人にとって「暗黒の時代」だった。徴兵制や教育によって一部がロシアに統合されていきつつ、大多数のユダヤ人は伝統を守り抜いた。
・19世紀末はロシアユダヤ史の分水嶺。ロシアで反ユダヤ主義が出てきて、ポグロムが起こる。産業資本の発達や社会的矛盾に対する不満が、ユダヤ人に向けられていった。
・現代のプーチン体制のもとで、ユダヤ人はどのような役割を果たしているのか。
2.ウクライナのナショナリズム
・1920年代にウクライナ・ナショナリスト組織が作られる。
・ウクライナ・ナショナリズムのなかで「民族の悲劇」として記憶される、1932年から33年の大飢饉は、人為的に発生した。
・独ソ戦は、ウクライナ・ナショナリストやユダヤ人にとってどのような意味を持っていたのか。
・ウクライナは1991年にソ連から独立するまで、国家を形成しなかった。
・ウクライナのナショナリズムの象徴ステパン・バンデラとは何者か。現在のウクライナ政権は「バンデラ主義」か。
ウクライナ政変は第三幕へ~反ユダヤ主義を標榜する極右の存在
▲赤尾光春氏
岩上安身(以下、岩上)「ジャーナリストの岩上安身です。
ウクライナの首都キエフの独立広場で、昨年11月から抗議行動が始まり、それが過激化して、鎮圧に銃が使われる騒ぎに発展し、政権が倒れるという、3カ月にわたる大変大きな事件が起こりました。
これが政変の第一幕とすると、その直後から始まったクリミアの問題が第二幕といえます。クリミアは、ウクライナの南部にある半島です。ロシア系住民が多数を占めています。ウクライナから独立するための住民投票が行われ、独立およびロシアへの編入が早急に進んでいきました。
これらの第一幕、第二幕の政変は、ウクライナ国内だけの騒ぎにとどまらず、ロシアや欧州各国にも影響し、そしてアメリカが非常に深くコミットしています。そして今、第三幕に入ろうとしているところなのではないかと思います。このあと、ウクライナはどうなるのか。
また、ウクライナでは、歴史的な出来事がからみ合い、民族もモザイクのようになっているので、いろいろな問題が重なり合っています。
さらに重要な要素が、この地にかつてユダヤ人が住んでいて、反ユダヤ主義が勃興した時期があることです。そしてまた、この政変に深くコミットしている勢力の中に、反ユダヤ主義を標榜する極右がいます。
今日は、このような点にフォーカスして、大阪大学文学研究科助教の赤尾光春さんにお話をうかがいたいと思います。
赤尾さんのご専門はユダヤ学ですが、ロシアやウクライナにも、ずいぶん長期間滞在して、研究をされたと聞いています」
赤尾光春氏(以下、敬称略)「はい。もともと私の研究は、ロシア文学から入りまして、大阪外国語大学で、学部、修士とロシア文学を修めました。
最初はドフトエスキーなどから入ったんですけれども、東ヨーロッパやロシアのことを研究していくうちに、ユダヤ人が圧倒的な存在感を見せていることに気づきまして、ユダヤのことを本格的に研究しようということになりました。
修士課程の時、1997年ぐらいだったと思いますが、モスクワに留学しました。モスクワでは、昼間はモスクワ民族友好大学で、ロシア語、ロシア文学を勉強し、夜間はモスクワのユダヤ大学というところに通いました。
そこで、ヘブライ語やロシアのユダヤ史などを聴講したのがきっかけで、イディッシュやもっとディープなユダヤ世界を研究し始めて、かれこれ15年以上になります」
岩上「なるほど。イディッシュというのは、東欧のユダヤ人が使っていた言葉で、どちらかというとドイツ語に近いと聞いています」
赤尾「そうですね」
紀元前から始まるユダヤ人のディアスポラ(離散)
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