「集団的自衛権の容認は、地獄への片道切符」 〜ワイマール期のドイツ政治思想研究者 遠藤泰弘氏 講演 2014.6.8

記事公開日:2014.6.8取材地: テキスト動画
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(IWJテキストスタッフ・花山/奥松)

 「ヒトラーでさえ、憲法改正の手続きを踏んだ。わが国は手続きを踏まずに、解釈だけで改憲をやろうとしている。これはヒトラー以上の暴挙である」──。

 2014年6月8日、愛媛県松山市の東京第一ホテル松山で、民主党愛媛県連主催のシンポジウム「みんなで話そう!日本の選択『知らんとえらいこっちゃ! 集団的自衛権ってどういうこと?』」が開催された。ワイマール期のドイツ政治思想史などを専門とする遠藤泰弘氏(松山大学法学部教授)が演壇に立ち、ナチス台頭期のドイツと比較しながら、現在の解釈改憲による集団的自衛権の行使容認の流れに警鐘を鳴らした。

 「日本が『普通じゃない』ことが特徴となり、それを生かせば外交上有利になる。それをなぜ、『普通の国に』と言うのかわからない。普通の国になって、国防軍を持って、集団的自衛権を行使できるようになって…。それはつまり、アメリカの手先になることだ」。

 このように語る遠藤氏は、「そうなると、国内テロの可能性も格段に高まってくる。日本国内でテロが起これば、あとは無限地獄。それに対する報復、さらにそれに対する報復、ということになる。これは、地獄への片道切符である。自分の子どもや親、兄弟、恋人を失うことを、集団的自衛権行使のコストだと割り切れるのか。他人や自衛隊が困るだけという話ではなく、自分の身近な人が犠牲になるのだ」と危険性を指摘した。

■全編動画 1/2

4分~ 開会/5分~ 松井氏あいさつ/10分~ 遠藤氏講演

■全編動画 2/2

冒頭~ 遠藤氏講演〔続き〕/21分~ 第二部
  • 第一部
    主催あいさつ 松井宏治氏(民主党愛媛県連幹事長、松山市議会議員)
    基調講演 遠藤泰弘氏(松山大学法学部教授)「集団的自衛権の解釈改憲~何が問題なのか?」
  • 第二部 質疑応答・会場との議論 「みんなで話そう!」

米国から「自衛隊を出せ」と言われて断れるのか?

 遠藤氏は「アメリカという超大国と、集団的自衛権の取り決めをすることは、通常の国家間においての集団的自衛権とはまったく意味合いが違う」と話す。

 「通常の国同士の関係であれば、相手の国が戦争を起こした時、あるいは攻撃を受けた時に、それに参加する。普段は平和だけれど、戦争が起こった時だけ参加することになるが、アメリカは常にどこかで戦争をしている国。そういう国と集団的自衛権の関係を結ぶことは、未来永劫ずっと戦時体制に置かれることと同義である」。

 また、戦争被害についてのアメリカの考え方を、このように指摘した。「アメリカは、正規軍に被害が出ると政権のダメージになる。そこでどうするかというと、戦争も民営化してしまうのだ。軍事会社が一番危険なところに行く。民間会社の人間が死んでも、正規軍の戦死者にはカウントされない。正規軍の戦死者の数をお金で減らそうというのが、アメリカの基本的なスタンス。日本の自衛隊であれば、お金もかからないし、一番危険なところで死傷者が出ても、アメリカには関係ないのでありがたいのだ」。

 続けて、「戦争参加の要請があった場合に、日本は断れるのか。現在は、憲法9条があるから断れる。集団的自衛権の行使はできない。しかも、この憲法を作ったのは、アメリカ。その憲法で禁止されているのだから、現在はアメリカに対して『ゼロ回答』ができるのだ。集団的自衛権行使の要請を断るための最後の砦は、憲法9条による『集団的自衛権の行使はできない』という解釈。これを外して、集団的自衛権を行使できるとした時に、アメリカから『自衛隊を出せ』と言われて断れるのか、ということ。言われるままに、自衛隊を出すことになりかねない」と危惧した。

解釈改憲は、ヒトラー以上の暴挙

 集団的自衛権の行使容認への手法に関して、遠藤氏は「解釈改憲は、まったくのデタラメである。言葉自体が矛盾している。憲法は簡単に変えられないから、憲法なのである。法律ですら解釈で変えることは無理なのに、法律より強い拘束力がある憲法を、解釈で変えることがまかり通ること自体、大問題」と批判する。

 「特に、遵守義務を課されている側が解釈を変更してしまえば、憲法の意味がまったくなくなる。その時点で、言葉自体がナンセンス。この話で真っ先に思い浮かぶことが、麻生太郎副総理の『ナチの手口に学んではどうか』という発言。彼の発言と、現在の状況はつながっている」。

 遠藤氏は、ヒトラーの時代と今の日本の状況を比較して、「全権委任法を制定したヒトラーでさえ、正当な形ではないけれども、憲法改正の手続きを踏んでいる。議員の3分の2を確保するためにあの手この手を使い、許されないこともやったが、手続きは踏んでいる。しかし、わが国の現在の状況は、それ以上だ。手続きを踏まずに解釈だけでやろうとしている。これは、ヒトラー以上の暴挙である」と断じた。

 続けて、「平和主義は、憲法の学説や通説において、憲法改正の手続きを踏んでも変えられない、という基幹的なものである。その平和主義にかかわる重大な転換を、憲法改正の手続きを踏まずに解釈変更で押し通すのは、もはやヒトラーどころの騒ぎではない。『集団的自衛権の行使を慎重にやりましょう。限定的に行使します』という安倍首相の約束は、何の意味もない。万一、こうした暴挙がまかり通ってしまえば、話は憲法9条に留まらない。解釈の変更で基本的人権も侵害できる。一度、憲法解釈の変更を許せば、どんどん拡大されていく」と指摘した。

日中衝突は「政権浮揚策」として使われる

 遠藤氏は、集団的自衛権の行使が適切かについて、北朝鮮脅威論を例に挙げて、このように語った。「危険を煽って人々を不安に陥れて、思考停止にする。これが、独裁者のお決まりのパターン。北朝鮮は本当に危険なのか。自国民を食わせていけない国が、何万もの軍隊を外国に向けて戦争をするのか。さらに、燃料がない。したがって、北朝鮮が韓国を軍事侵略したり、海を越えて日本に来るなど、絶対に考えられない。また、核ミサイルを日本に対して打ち込んで、メリットがあるのか。北朝鮮が日本に全面戦争を仕掛けて、得られるものは何もない。日本から奪いたいとすれば、経済力、優秀な労働力だが、こうした魅力は日本にミサイルを打ち込んだ時点でなくなる」。

 さらに、「北朝鮮が何をするのかわからない国であれば、集団的自衛権は軍事力抑止の役に立たない。軍事力抑止とは『もし、攻め込んで来るなら、えらい目に遭わせるよ』ということ。そういう損得勘定ができることを前提にしないと、抑止は成立しない。軍事力抑止は、相手の合理的な計算能力を信頼しなければ成立しないのだ。その前提が成り立たないのであれば、何をしても意味がない。唯一あり得るのは、追い込まれて自暴自棄になって、死なばもろとも状態でミサイルを発射してくること。だから、北朝鮮を追い込むことは、誰も望まない結末に近づくことになる」と述べた。

 一方、中国との軍事衝突に関しては、「尖閣周辺で限定的な軍事衝突を起こすことは、日中両国の指導者の観点から見ると、選択肢としてあり得る。安倍政権は今後、支持率が下がることがあっても、上がることはない。じり貧になっていく場合の起死回生の手段が、中国との限定戦争。国内の矛盾や不満を、海外戦争で解消するというのは常套手段である。一時的な支持率回復の手段として、中国との限定的な戦争は大いにあり得る」と指摘した。

 軍事衝突の中国側のメリットについて、遠藤氏は「中国も、これまでは高い経済成長率を背景に政権を維持してきたが、共産党は、これ以上もたない。今後、かつてのような経済成長を維持し続けることは不可能だ。中国共産党の支配は、いったん坂道を転げ始めると、あっという間に崩壊するだろう。その時に国民を一致団結させ、人民解放軍への支持を高め、共産党への支持をつなげて延命させる手段は『反日』だけである。これは、国民が団結できる。だから、尖閣で限定的な軍事衝突を起こすことは、中国共産党指導部にとって魅力的なのだ。ただし、アメリカは困るが」と述べた。

平和外交による緊張緩和が政治家の仕事

 「日本の周囲が、きな臭くなってきていることは事実だとしても、その解決法は、軍事的なプレッシャーを高めることではなく、外交努力しかない。外交の前提は、未来永劫、隣国とうまくやっていく、ということ。嫌な相手と戦闘にならないように、なんとか協働していくための手段が外交である。この観点から考えると、実際の外交では勝ってはいけない。勝ってしまうと、相手に遺恨を残す。そうすると、必ずやり返される。結局、国家間協働が図れない。外交というのはフィフティ・フィフティがベース。長い目で見て恨みを持たせないというのが、外交の基本だ」。

 このように外交について語った遠藤氏は、「北朝鮮や中国の危険性を必要以上に煽って、国民を疑心暗鬼にさせるような政治家は、外交面からすると完全に失格である。むしろ、国民に冷静な対応を求めることが、本来の政治家の役割だ。残念ながら、現在の日本の状況を見ると、一番やってはいけないことをしている。そもそも、現在の国際情勢の認識自体が、極めて一方的かつ恣意的だ。また、それに対する対処法として、なぜ、集団的自衛権の行使が必要なのか、この説明にまったく説得力がない。集団的自衛権で、相手の神経を逆なでして対立を煽るよりは、むしろ平和外交によって緊張を緩和し、いかに戦争を抑止するか。その努力に命を懸けることが、本来の政治家の仕事である」と説いた。

 最後に遠藤氏は、「国土の保全が大切で、国土国土と言うならば、尖閣諸島という誰も住んでいない島のために、国民の命を危険にさらす前に、まず、福島の除染を真面目にやったらどうか。一度事故が起これば、広範囲に国土を汚染してダメにしてしまう原発をなくす、減らすという努力が、喫緊の課題ではないか」と指摘した。

 その上で、「目の前の課題に手をつけず、一見派手な集団的自衛権の問題に執着して、しかも、解釈改憲という言語道断な手法で押し通そうとする政府。国民は、これを全力で倒さなければならない。自民党の中のリベラルな人たちまで一緒に行動できる勢力であれば、政党レベルでも市民レベルでも、小異を捨てて大同について、なんとしても阻止する覚悟を固めなければいけない」と訴えた。

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「「集団的自衛権の容認は、地獄への片道切符」 〜ワイマール期のドイツ政治思想研究者 遠藤泰弘氏 講演」への2件のフィードバック

  1. @55kurosukeさん(ツイッターのご意見より) より:

    悲しい過去から学ぼう。一部の人達に翻弄されて、殺し殺され、憎み憎まれる世の中なんて、冗談じゃないよ。
    【愛媛】みんなで話そう!日本の選択「知らんとえらいこっちゃ!集団的自衛権ってどういうこと?」(動画) http://iwj.co.jp/wj/open/archives/145752

  2. @55kurosukeさん(ツイッターのご意見より) より:

    「集団的自衛権の容認は、地獄への片道切符だ。自分の子どもや親、兄弟、恋人を失うことを、集団的自衛権行使のコストだと割り切れるのか。」

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