国連自由権規約の日本審査を前にNGOが共同会見 「日本政府は開き直っている」 2014.4.22

記事公開日:2014.4.22取材地: テキスト動画
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(IWJ・石川優)

 今年7月に行われる国連の自由権規約委員会の日本審査を前に、4月22日(火)、日本の人権問題に取り組むNGOが共同で、事前の記者向けブリーフィングを行った。

■ハイライト

  • 自由権規約と日本政府の対応/日本審査に向けて:NGOの取り組み/注目される個別テーマ:秘密保護法、ヘイトスピーチ、「慰安婦」問題、袴田事件と日本の刑事司法
  • 日時 2014年4月22日(火)
  • 場所 参議院議員会館(東京都千代田区)

特定秘密保護法、国連人権規約19条に抵触の疑い

 国際人権NGO「ヒューマンライツ・ナウ」事務局長の伊藤和子氏は、ここ何年かの日本政府の特徴について、「開き直って、国連の勧告を実施しなくても良いという態度を鮮明にしている」と指摘。「昨年の拷問禁止委員会では、2008年に出された自由権規約と同じようなものなのに、この勧告には拘束力がないなどと、従う義務は無いという閣議決定をしている。国連の特別報告者が来日しても、個人の見解であり従わないと明確に言っている」と話し、日本政府が人権問題についてお粗末な態度を取り続けていることを紹介した。

 自由人権協会の升味佐江子氏は、昨年12月の臨時国会で可決・成立した特定秘密保護法について、様々な問題点があると指摘する。公安情報の共有という理由で米国に情報が提供できるという条項があったり、戦前戦中の軍機保護法や治安維持法を想起させるような条項も含まれている。また、人権規約19条委員会意見「アクセス権は、市民の権利」に照らしても、特定秘密保護法は問題であると語った。

 政府の持つ情報へのアクセス権の制約についても、「必要最低限でなければいけない。その制限についても法律で決めなければいけない。政府の自由裁量に任せてはいけない」と話し、特定秘密保護法は人権規約19条違反であることを強調した。

 昨年5月21、22日に開かれた国連拷問禁止委員会の場では、日本政府を代表して出席した外務省の上田秀明人権人道大使(当時)が、「シャラップ!(だまれ!)」などと発言したことが波紋を呼んだ。今年7月に開かれる予定の自由権規約委員会は、日本政府が2008年10月以来の報告書審査を受けることになっており、特定秘密保護法やヘイトスピーチ、慰安婦問題、日本の刑事司法問題などに対する政府の見解が注目される。

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「国連自由権規約の日本審査を前にNGOが共同会見 「日本政府は開き直っている」」への2件のフィードバック

  1. @nishidatethuさん(ツイッターのご意見より) より:

    7月15日 国連での 自由権規約日本審査 がある。いい方向願ってやまない

  2. 齋藤元良 より:

    時間軸に並列してきた評価プロセスと、国連人権理事会や和解勧告等、憲章の疑義に関して。
    時代背景に対しての歴史検証と国際脅威に人類が直面してる不安情勢を、公式見解、私見の知見に捕われず御考慮をまず願います。恐らく、このようなコメント欄に一民間人である貧困者が投稿、寄稿する事自体、不躾で不信感情を皆様に招きかねない苦悩です。御事情は周知と存じますが、公共の福祉、自助の精神が全く、現状の認知共有に関しても、危機意識の問題に対しても、その道義的影響度のリスクを個人的ターゲットに非難を繰り返している国際社会との苦痛を私は総て説明しきれません。神の領域なのか、或は聖域に関しての歴史観との標榜、戒めなのか、いずれにせよ人類資金という名の下に、進行形で国際社会が現在という時空間の摂理を侵略的に具現化してる諸悪の源を間違えるのは自明の事と考えます。身体的、精神的、尊厳に対して資本経済、市場主義のメカニズムや権力を為政者達との支配下に世界中をコントロールしてきた方々とのイデオロギーと少し、というよりも大分、私は違うという事。天保の改革も、飢饉も、その歴史認識に対しての制度的、人道的、歴史検証を、ある一部の団体法人、宗教界の存続の為、崇めんとする風潮は何が人々のグローバル潮流と言えよう。私は盲目の信者でもイスラム原理主義でもない。ただ、自分を信じ、不本意ながら正義とは何か、常に自問自答に苦しんでる、自分自身との葛藤。もし共通認識という世界中との方程式が正しい文明観、人類愛、人類学の掟であるならば、それは、金銭的、物理的、法則論との地球上だけの価値観とも考えられる富裕層だけの価値観。維新伝信。付和雷同、スナイパーや聖職の宗教論争、又は装うとする使者、古来生態系の摂理に感謝し物理的法則性、憲法に乗じたこの世の鎮護を崇めようとするならば、神の真、その趣旨も総て根本思想に反する戦争の罪である。労役の奴隷制、人種間との政治逃走。置き去りに苦しんでいる人々の努力、格差、階級的身分の士農工商、この矛盾に対し、政治、国際社会は無力感に苦しんでいる。同じように人としての人間性、不幸の連鎖を何故、認め合いもせず今日までの苦難の道のりに対してグローバル社会と公言できるのか自分には不可思議なのです。皇室のストレス、国際交流との平和維持、とても謙虚になれない、今の自分にも煩悩し日々、生きてる心地がしない自分が悔しい。それは政治不信に対しても同じ。個人情報保護法、微力ながら、国民感情を憂い、今後の不安世論に対し、現代社会の無秩序な価値観に世の鏡、政治の鏡、そして日本のマスコミはどこまで民意を反影してきたのだろう。煩悩。社会は為政文化、善悪に満ちてる権力者達の玉手箱ではない。

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