3月26日、新大久保の「のりこえねっと」事務所で、同団体の共同代表である辛淑玉(シン・スゴ)氏に岩上安身がインタビューを行った。
在日朝鮮人、原発事故避難民、被災地の自治体職員、アジアからのニューカマーの女性など、差別の対象としてされた人々に様々なかたちで寄り添ってきた辛氏。在日朝鮮人に対する排外差別デモやヘイトスピーチの高まりによって、コリアンタウンとして知られる新大久保は、朝鮮半島を南北に切り裂く「38度線になった」と辛氏は語る。
インタビューでは、ヘイトスピーチ参加者と「一緒に生きていこう」とする辛氏の前向きな姿勢が語られ、辛氏から「食事会をしよう」という呼び掛けが行われた。
- 日時 2014年3月26日(水)
- 場所 のりこえねっと事務所(東京都新宿区)
ヤクルト配達の小学生
メディアに登場する辛氏の姿は自信に満ち、力強い。その秘密の一端は、幼少時からの様々な労働体験にあった。
「(在日朝鮮人の)子どもはみんな働きます。ヤクルトの配達とか、消しゴムの糊付けとか」と話す辛氏。小学生の時に経験したヤクルトの配達では、領収書を書く必要があり、そのなかで漢字を覚えていった。現在からみれば、小学生が働くことには違和感を感じる向きもあろうが、当時は「親がやると名乗り出て、子どもにやらせる」ような状況が許されていたという。
高校のときに経験したビルの掃除では、エレベーターの利用が禁じられたため、階段の上り下りに非常に苦労し、「お茶くみのお姉さんに憧れ」たこともあったという。その後、偶然受けた大手広告代理店のオーディションに受かり、地方営業の「どさ回り」も経験した。
子どもの頃から、「いつでもどこでも働けた」と、辛氏は自身が生き抜いてきた過去を明るく笑いながら語る。その姿には、いかなる過酷な状況にも動じることのない、持って生まれた才能を感じさせた。
辛氏自身は「私は恵まれていた」と言い、「在日の先輩世代に属していたら、私の能力では今の位置にこられなかった」と冷静に振り返った。辛氏の自己分析によれば、「私は生まれた時代と社会が壊れた時代に上手く乗ることができた。加えて、女性であることで生き延びられた面もある」のだという。
「日本人の朝鮮人化」と格差社会
辛氏は才能とチャンスを活かし表舞台に立つことができた。一方、「在日の同世代をみるとメンタル不全になる人は多い」と辛氏は証言する。やはり、常に主流社会から差別され排除されてきた在日の人びとの労苦は、並大抵のものではないということだ。「在日は転職しながら生きていく。日本は18歳の勲章で決まる社会。在日にとって貧困から抜け出すのは1世代2世代では難しい」と辛氏は話す。
辛氏によれば、現代の日本社会において「日本人の朝鮮人化」が進行しつつある。現代日本では、親の収入で子どもの入学できる大学が決まり、そのうちの一部が「正規社員」への切符を手にすることができる。スタートラインで大きく遅れをとった者にとって、競争はすでにフェアなものではなくなっている。この状況を指し、辛氏は「今まで在日が強いられたのと同じ状況に、これまでの日本の中流の人が直面している」と指摘した。
安全地帯からの攻撃
日清日露戦争に始まり、朝鮮の植民地化、朝鮮戦争、テポドンの発射、拉致問題、嫌韓、そして現在のヘイトスピーチ。過去から現在に至るまで、攻撃目標として「お墨付き」が公に付与された対象だと、日本人は朝鮮人をみなしてきた。「日本はいわゆる朝鮮を消費しながら生きてきた」と辛氏は指摘し、「日本人は日本人であることを確認するために朝鮮人を必要とするんです」と続けた。
DV被害者、原発事故避難民および被災地の自治体職員へのバッシングとも共通する構造だが、差別に加担する者は、いつも計画的に攻撃目標を選ぶ。ネトウヨのように匿名で弱者を攻撃し、自分は安全地帯に身を置く者たちに対して、辛氏は次のように厳しく批判する。
「自分の名前で堂々と言うならネット上で匿名で言うことはないですよ。逃げられる立場から弾を撃つ。それによってしか自分が確立しないなんて、悲し過ぎると思いませんか、陰で人の悪口を言っているようで」。
「一緒にご飯を食べたい」
すてきなインタビューをありがとうございます。わたしも辛さん岩上さんとほぼ同学年なのですが、小学5年生の時の記憶が残っていて忘れることがありません。朝鮮人(これって差別用語なのですかね、他に言葉がわからないのでとりあえず)と噂れる男の子がいまして、ほぼ1年間一言もしゃべらずにいました。その子はある事件のあと学校に来なくなってしまいました。今、思うと、というか今回のインタビューを聞いて在日という背景があってのことと、もしかしたら、日本語しゃべれたのかな?という思いがわきました。