人権に対する意識が欠けている日本
戸塚氏「私は弁護士時代から『世界人権宣言』と、それを具体化した『国際人権条約』を何とか日本にとり入れたい、日本を人権先進国にしたいと思って努力してきたがうまくいかなかった。日本は人権先進国ではない。人権途上国です。人権というと『過激派』のように思う人もいますが、アメリカなどに行くと全然違う。人権と言うのは『保守』。人権先進国に行ったら、人権とは当たり前のこと。日本もそうなってほしいと思っています。
憲法98条2項に非常にいい条文があります。これは『国際法を守りなさい』と規定。98条2項を通じて、国連が作った人権法を投入すれば、日本は人権先進国になれる。ところが、それをやろうとして結局うまくいっていない。
本岡昭次さん(元参議院議員)にお願いして国際人権法政策研究所をつくってもらいました。民主党の国会議員にメンバーになってもらい、国際人権法がどんなものなのかを研究会で伝え、やがて政権をとった時に実現してほしいと思ってました。民主党が2009年に政権をとったが、3年間でほぼ何も実現せず。唯一実現したのが高校授業料無償化。それと、大学の学費を段々に無償化していく条約を日本政府が留保していたが、それを撤回すると決めたこと。これは成果」
岩上「高校無償化等の政策は民主党が考えた政策だと思っていたが国際条約がある?」
戸塚氏「あります。国際人権条約を守らないのは、日本とマダガスカルとルワンダだけ。先進国で守らないと言ったのは日本だけ。鳩山総理(当時)は2010年1月に国会で子どもの命を守ると言って、この国際人権条約の留保を撤回すると言ったが、新聞はどこも報道せず。ある大臣は『情緒的だ』とさえ言いました。
慰安婦問題などを国連に訴えた日本融和会は、国連の会議に参加できるNGO。私はそのNGOのジュネーブ代表。学生を国連に連れて行ったり慰安婦問題のことを勉強したりしています。私は国連の専門家でもないし、普通の弁護士。ただ、スモン訴訟という薬害訴訟の原告代理人をしたほか、精神病院に大勢が拘禁され、人権擁護のシステムがないという問題にぶつかり、弁護士の活動として取り組んだ。日本で人権擁護関連の法律を改正しようと思っても全然支援がない。やむなく国連に訴えようと考えました。
1982年位から考え、実際84年の8月に国連に行って訴えた。社会党や医師らの頑張りによって87年に法改正ができました。私はイギリスに留学し、そこで国際人権法にぶつかりました。国際人権法というのがどんなものかよく知らないまま始めたものだから、これも勉強しなきゃいけない。実際にどう使うかを勉強しなきゃと始めました。
日本の被害者が最高裁で敗訴した時に、国連に訴えていくことができる『個人通報権条約』に日本が批准すれば、個人通報ができます。そうすれば、長い間には日本の人権状態が良くなっていくと考えました。個人通報権条約。通報後は、国連の人権規約委員会が審査し、条約違反があれば判決のような決定をくれる。市民的政治的権利に関する国際規約(自由権規約)に違反するかどうかを審査してくれます。個人通報権条約を導入する運動をしました。政府にも要請したし、弁護士会でも努力しました。
ところが、政府の役人達は『それだけは勘弁してくれ』と。被害者が最高裁判決が不服だと国連に訴えていくのは『四審制になるから嫌だ』と言います。ドイツはヨーロッパ人権条約に入っていて、ヨーロッパ人権裁判所まであります。ヨーロッパはどんどん人権が進んでいます。しかし、日本は最高裁が間違えると、そのあと是正がされない。どんどん遅れていってしまう。日本は国際的な判断を嫌がります。昔、日本軍が満州事変を起こした時に、国際連盟のリットン調査団が調査し、『認められない。日本は撤兵を』と連盟の総会で決めました。これを受け入れたくなくて国際連盟を脱退し、戦争をやってしまいました」
戸塚氏「日本は国際的な違法行為をやった場合に国際勧告が出てきても、それに従うということが、戦前から慣行として存在していません。その時に止めていれば、第2次世界大戦を起こさなくて済んだのに。98条2項の条約遵守義務。戦前憲法にはなかった内容です。戦後憲法を作るときに、戦前は国際法違反をやりすぎた。だからそれを入れてほしいと、マッカーサーではなく外務省側が提案し、98条2項ができたんです。日本は戦前に国際法を守らなかったことを反省し、守らなければいけないと戦後憲法に書き、条約を全部守るんだと言っていたのに、学者も庶民も98条2項を読む人なんていない。9条も大事だが98条2項も大事。車の両輪」
岩上「98条2項は、日本で物凄く有効に機能している部分がある。日米安保に関しては絶対服従し遵守。憲法よりも上位にあり、アメリカの言うことは全部聞かなきゃいけないと、日本の政治システムの中で自動化されてしまっています」
岩上「安保は不平等条約で日本の主体性がなくなってしまう。その根っこにあるのが98条2項で、改正すべきではとすら思っていました。しかし、先生の国際人権条約の話を聞くと、考えを改めなくては」
戸塚氏「人権はフランス人権宣言でできたとみんな思っています。が、それは男の権利。アメリカ独立宣言の当時の人権規定も男の権利と書いてあります。ヒューマンライツ、男と女の権利と初めて言ったのは1942年の1月1日の連合国宣言。日本やドイツ、イタリアなどに『人権を確立するために』という目的で連合国宣言ができ、新たに発足した国際連合が、連合国宣言をもとに1948年に世界人権宣言を作りました。人権確立のために条約も多数作りました。日本は人権に関する条約に批准をしても、それを守らない。守らせるためには98条2項だけでなく個人通報権条約の批准が必要です。民主党のマニフェストに入っていたができなかった。官僚が抵抗するから」
シャラップ発言からみる日本の刑事司法
岩上「個人通報権に官僚が抵抗すること、悪名高き代用監獄、取り調べの可視化を拒み弁護士の立ち会いを認めないことには繋がりが。日本の刑事司法は非人道的と世界中から批判。『日本の刑事司法は中世』と言われ、人権大使が『シャラップ』と」
岩上「文句を言われたら『黙れ』というぐらい、日本の官僚たちはふんぞり返り、傲慢であると世界に示してしまった。容疑者に強く当たり、自白を取らないと治安は守れないと勘違いをしている司法官僚。個人通報権を認めないことと繋がり合う」
戸塚氏「精神病患者の問題、スモン病患者の健康の問題、慰安婦問題、これまで別個に取り組んできたが、実は根っこでみんな繋がっています。時間はかかるが全体が一体の構造的な問題と認識し、根っこに対応しない限り変えられない。代用監獄接見交通権を国連で訴えました。日本で年間1万人も亡くなっている過労死問題も訴えました。これまで日本政府は必ず『戸塚が間違っている』と言ってきた。だが過労死では何も言ってこず。役人も『私達も過労死しそうだ』との理由です」
慰安婦問題
戸塚氏「慰安婦問題。本岡昭次先生が90年に国会でとり上げた。私達は91年に国連に訴えました。あとで松井やよりさん(故人)という、慰安婦問題に取り組む朝日新聞の女性記者に勉強が足りないと怒られました。確かに勉強不足でした。92年に国連人権委員会に行き発言しました。物凄い反響だった。ただ、その前に日本が個人通報権条約に批准してくれれば国連に行かない、と外務省や法務省の官僚に伝えたら、『きっと損するよ、大ごとになって』と言われました。
国連での慰安婦問題の発言の際、日本の新聞各社に連絡しました。毎日新聞はきちんと報道してくれたが、他社は報道してくれない。ある社からは『こんな終わった問題をなぜ今頃持ってくるのか』と非難されました」
戸塚氏「日本人は男性社会。普通の人権問題なら受け付けるが、慰安婦やセックスの問題で『日本がこんなこと』をしたと言われると、それ自体で受け付けられないのではないか。知人の弁護士も『考えるのも嫌だ』と言っていました。ある新聞記者からは『あんた、それでも法律家か』と非難された。『性の問題を国連で日本人が持ち出すのはけしからん』と思ったのだろう。私はカチンときた、法律家として国連で『勝訴判決』を勝ち取ろうと猛勉強した。国連で性奴隷(セックススレイブ)という言葉を使ったのは間違いではなかった。他に表現方法が思いつかない。国際法違反を言わなければいけないので。奴隷禁止は、国際慣習法として世界中が認めています。日本政府以外は」
岩上「奴隷制禁止を日本は認めていない?」
戸塚氏「1920年代にできた奴隷禁止条約に日本は批准していない。しかも、憲法98条2項で、確立された国際法規は守らなければならないと書いてあります。国際慣習法は確立された国際法規。もし自分が女性で、1日に10人も20人も日本兵のセックスの相手をしなければならないという状態を考えたら、たまらないと思いました。とても生きていられないと。体験談を読んで、これは『奴隷だ』としか思えなかった」
岩上「自由もなく、意に反して、強要されて、だまされて連れてこられた人達がいる。それらをトータルで見ると、望まぬことを強要される奴隷状態に置かれた人という定義になるのでしょう」
戸塚氏「奴隷は『所有物』。だから、『所有者』が『所有物』に対して人権を認めていないということ。そういう関係について、他の言い回しがちょっと考えられないので『性奴隷』という言葉を使いました」
岩上「西岡力さんと面識は?」
戸塚氏「ありません」
岩上「会ってみると、温厚な感じの人。文章だけ読んでいると物凄く攻撃的で、西岡さんが戸塚さんのことをあしざまに書いているのを見ると胸が痛む」
戸塚氏「(西岡さんには)誤解があるのでしょう」
岩上「反日の人だと書いています」
戸塚氏「反日というが、日本は一種の病気だと思う。病気なら病気を認識しないと。診断を受けて治療しないと日本はもっと病気が酷くなる。今、私達は、(慰安婦問題の)当時の人間ではありません。昔の人達がしたことですが、日本国家として責任が続いているから、現在の私達も日本人としてどう取り組むのか考える義務があります。それをしない限り、日本は立ち直れない」
岩上「日本は何の病だと思いますか?」
戸塚氏「命を一番大事なものと思うことができない病気。国家や企業が大事。極端に言えば、国家が残れば1億人全員死んでもいいと。神国が残り国体が残り、英霊が残っていればいいと」
岩上「日本の軍国主義は、昨日今日生まれたわけではなく、近代以前の武家政権の時代から『武士道とは死ぬことと見つけたり』などと言ってきました。死を美徳化する伝統があったと」
戸塚氏「いじめ問題。いじめと遊びの区別がついていません。いじめられた人の感性がないから。いじめる側の天下。体罰もそう。殴られる人の感性があればわかるのに、オリンピックで勝てばいいと殴る。そういう精神主義が日本に残っています。いじめる側や体罰する側は、『遊んでるんだ』『教育してるんだ』『訓練してるんだ』『だからいいじゃないか』と言います。暴力は犯罪なのに。しかもそれを処罰しない。慰安婦の問題で処罰しないのと同じ。
精神病院の問題。なぜ、こんな酷いことをするのかと思いました。虐待や不法監禁が横行しているのに処罰されない。いじめも体罰も家庭内DVも恋人への強姦も同様。日本には処罰すべき者を処罰しないという慣行がずっとあります」
岩上「ヘイトスピーチも処罰されません」
戸塚氏「会社もそう。インサイダー取引なども同様」
戸塚氏「兵舎でも刑務所でも虐待がいっぱいあるが、全然処罰しない。慰安所についても『あれは娼妓(しょうぎ)だ、商売だ』とか言うが、実際の公娼制度の中では、本当に『奴隷』。物凄く被害を受けている。だが、処罰しない」
岩上「公娼制度を一応外形的に成り立たせていた『娼妓取締規則』。決まった場所、指定された場所、指定された業者が、登録した女性に限り娼妓行為、つまり売春を行うと規定。18歳未満を使ってはいけないとか、本人が廃業したいと言えば認めないといけないとか、外部との連絡や通交ができなければいけないとか、要するに奴隷化してはいけないとの一応の形はあり、この範囲の中で『合法』とされた。実際は、酷い状態にあったと思います。戦地や外地を転々とし、戦い続ける軍隊に業者がついてゆき、そこへ毎日兵士が通いつめて女性とセックスをする。『娼妓取締規則』で、その戦地を指定したり、業者を警察が監督するなど、できるわけがない。完全に違法」
戸塚氏「慰安所は、内務省の規則によってできたものではありません。軍が作ったもの。軍はきちんとした軍事法規を作ることはできました。ですが、慰安所はそれでできたかというとそうではない。やはり極秘制度。法規も何もない」
岩上「橋下氏の発言が国内外から叩かれると、自民党は態度を豹変させた。橋下氏と同じ歴史観を抱いているのに、『女性の人権を何だと思っているのか』と批判しつつ、稲田行革大臣などは会見で『当時、慰安婦制度は合法だった』と発言しました」
戸塚氏「当時は『合法だった』などとと言うが、国連では『奴隷だ』という報告書が出ました。ILOも強制労働条約違反だという報告を出しました。つまり犯罪です。この条約は日本も1932年に批准しています。違反者は処罰しなくてはいけない」
岩上「日本はなぜ奴隷禁止条約に入っていないのか」
戸塚氏「入る入ると言って、結局入りませんでした。むしろ、強制労働条約に何で入ったのかということが不思議。(当時の日本の官僚にも)良心的な人たちがいたのでしょう。奴隷を禁止する条約に「醜業3条約」があります。奴隷条約より前にできました。日本は1927年に批准。違反者は処罰。1,21歳未満女性を醜業(売春)目的で使ってはダメ。2,青年の場合も暴力による醜業はダメ。3,騙して醜業させてはダメ。奴隷制度を禁止する条約にはいくつかあります。奴隷禁止条約はあらゆる奴隷制度をカバーするもの。強制労働条約は強制労働だけに絞った条約。醜業3条約は女性と性的サービス(売春)にターゲットを絞った条約。醜業3条約は、植民地除外規定がありますが、内地で許可して制度を作り、内地の軍が業者に依頼して女性を集め、日本の船で内地に寄り、外地に行きます。全部日本に関係があります。日本軍がやっている以上、植民地除外規定は適用されない。奴隷禁止に関して、日本が批准した条約の条文を探し出し、92年5月に国連の奴隷制部会で発表して認められ、『ファン・ボーベン国連最終報告書』が決議されました。日本が人権問題で公に国連から批判をされた最初の事例」
戸塚氏「国際法律家委員会(ICJ)が94年に日本を訪問しました。また、『コンフォート・ウーマン(慰安婦)』という本(報告書)を全世界に1万部ほど配布し、国連にも提出しました。発表前にICJが秘密裏に日本政府にも送っていました。ICJが日本政府に94年9月2日に送りました。当時、村山首相が民間基金での解決方針を8月末に打ち出しました。その直後、この原案が原稿の段階で、ジュネーブの代表部に送られました。村山首相は民間基金による解決方針を打ち出したが、ICJが日本政府に送付した原稿には『奴隷じゃないか。きちんと補償しなきゃいけない。処罰もしなきゃいけない』そういうことが書いてありました。ICJが送付した原稿は、通常2日で届くはずなのに、官邸に届かず。後で調べると、外務省の担当課長が引き出しにしまったのを忘れていたと弁明しました。その時に民間基金を作る相談を与党3党(自・社・さ)でやっていました。その人達は『なぜ俺たちに見せないんだ』と怒った。外務省は『この団体は物凄くいい加減で、外務省にも訪問しないで報告書を出しました。だから信用しないで』などと言うもんだから、騙されて、見なかった」
岩上「ICJという団体はいい加減な団体なのですか?」
戸塚氏「いえ、アムネスティインターナショナルと並んで、世界的に信頼されている著名な人権団体。ICJから外務省に抗議団が来ました。『以前に、きちんと訪問しているじゃないか』と。ICJが送付した原稿は、総理大臣も官房長官も見ていない、国会議員も誰も見ていないし、『見たい』と言っても見せない。結局、何も見ないで民間基金を決めてしまいました。民間基金設立にはそういうプロセスがあります」
戸塚氏「当時、社会党は村山首相も含め、『慰安婦問題は立法により解決する』と言っていました。ところが『自・社・さ』になってから、自民党がなかなか賛成してくれない。ネックになったのは『国家が被害者に補償する』という考え方。あとでわかったのは、戦後補償は一切しないことを政府が決めていたということ。どんなことでも個人補償はしないと。ただ、社会党は、『慰安婦問題は例外。国連からも言われているのだから国家補償したらいい』と言っていました」
岩上「ICJの本(報告書)には何と書いてあるのですか?」
戸塚氏「慰安婦は奴隷だ、個人補償しなさいと」
岩上「戦後賠償は解決済みという理屈がありますが?」
戸塚「戦後賠償ではなく、重大人権侵害の被害者にはきちんと補償しなさいという趣旨」
岩上「日韓では国家賠償に関して『終わった』との意見がありますが?」
戸塚氏「日本は(日韓基本)条約で『終わった』と国連で言いますが、その話とは違います。国家補償という話。阪神淡路大震災でも(国は)抵抗しました。原爆(の補償)は例外。仮に、(日韓基本)条約で全て『終わった』にしても、(賠償を)払っても全然問題ない。私達は日弁連で研究しました。ただ、条約を一つずつ全部検討していったら、『終わっていない』という結論になりました。クマラスワミ報告やマクドゥーガル報告など、国連から様々な報告書が出てくる。それで条約を一つずつ検討していったら、『やはり終わっていない』という結論になりました。日韓の場合、要するに65年の請求権協定で『全て終わった』と条文に書いてあるというが、それは経済協力の問題。犯罪の問題ではない。犯罪問題については何も終わっていません。犯罪問題に関しては不処罰が問題。処罰義務が今でもある。醜業条約もILO条約も、処罰義務があります。その処罰義務について、国際法の条約には時効がない。65年の日韓協定で処罰問題も解決したとも書いていません。実際、国際法上、それは許されないが、処罰問題が解決したと書いてもいません。ずっと処罰義務違反があります。実際に処罰しなければいけない。処罰が遅れても軽くても。被害者補償もしなければいけない。それが国際法上の原則」
戸塚氏「日韓が協定を結ぶ65年までの間、交渉過程で久保田日本首席代表が『犯罪問題、不法行為が明らかになったら補償する』とその時点で言っています。議事録に書いてあると韓国元外相が新聞に語り、のちに盧武鉉政権が公開。韓国側は盧武鉉政権になってから議事録を開示しましたが、日本政府はオープンにしていない。『終わった』と言うならオープンにすればいいのに。野党が7~8回出している『戦時性的被害者問題解決促進に関する法律』も毎回廃案に」
戸塚氏「本岡昭次先生は、よくやって下さった。本岡先生が慰安婦問題をやりださなければ私もやらなかった。本岡先生に啓発されて、新聞記者に『激励』され、結局続けました。西岡さんが言っていること(戸塚は反日)は全然違う。誤解。私は反日じゃない。私なりの愛国心と、それから、自負心を傷付けられた反動で続けてきました」
岩上「ネットではカウンター情報もすごく多い。『反日の、とんでもないのが「国の恥」をわざわざ晒している』みたいな」
戸塚氏「私は、日本の犯した間違いをきちんと調査し、法的にどうだったかを研究し、それを日本が認めて人権先進国になっていくことを目指しています。そうすれば日本が救われる。それをせずに否定し続けると、日本は滅びるでしょう」
岩上「本岡先生が国会で最初に質問した際、国は『そんなことはやってない』と言った。それが破れて河野談話に至った。どうしても国が認めないのは、『これは犯罪である』ということ。合法・違法の問題ではなく、犯罪であると」
戸塚氏「インドネシアで日本軍がオランダの一般人を収容。女性を慰安所に連行。被害者のラフ・オヘルネさんの来日時に話を聞いたが酷い話でした。これが強制でなくて何が強制なのか。オランダ軍事裁判では日本人が死刑を含め有罪に」
戸塚氏「朝鮮人慰安婦の人達の証言。ほとんどが騙されて連れて行かれています。半分以上が20歳以下」
岩上「保守派や現在の大臣の言い分は『公娼制度があったから、慰安婦は合法だった』と。とんでもない詭弁です」
戸塚氏「慰安所は『公娼制度』ではない。登録も指定もされていない。それに国内法だけの問題ではない。仮に国内法で合法であっても、国際法上は違法。さらに、慰安婦制度は奴隷制度であり、醜業条約違反であり、強制労働条約違反。慰安婦制度は日本の国内法では合法だったという意見があるので、違法だったという証拠を一生懸命探したら見つかりました。
昭和11年2月14日宣告(判決)。第1審の長崎地裁刑事部。さらに、これの控訴審判決。これは長崎控訴院(高裁)の昭和11年9月28日宣告(判決)。この上の大審院(最高裁)の判決も、判例集に出ていたが具体的な事実がわからない。しかし、こちら(地裁、控訴院)には全部、具体的な事実が書いてあります。発見の一つは、この証言(書籍「証言・強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち」に記載)とそっくり。被害者は日本人。1932年の事件。普通の長崎の女性が騙されています。いい仕事がある、上海に行けばいい仕事がある、高給が稼げるといって連れて行かれている。いわゆる『醜業詐欺』。行ってみたら海軍の指定慰安所だった。さらに控訴院判決には海軍の『指定娯楽所』という言葉が。他の今までの歴史の研究にもなかった言葉。当初は指定娯楽所というのがありました。地裁では指定慰安所になっていますが。長崎の警察がこれを探知して一網打尽にしました。10人の業者等を逮捕して起訴しました。それは検察庁もしっかりやって、全員有罪になりました。
大事なことは『海軍』ということがしっかり書いてあること。別に上海の『公娼』に連れて行ったとは書いていません。『軍の指定慰安所』というところに連れて行かれて性的サービスをさせられたと。どこで何日に何を言われて連れて行かれたと、一人ずつについて全部事実が書いてあります。これはすごく大事。どうしてかというと、指定慰安所に騙して連れて行くと、刑法上の誘拐罪なんだと認定。しかも国境を越えた誘拐罪。海外移送。これは当時の刑法に違反。奴隷狩りのように縛って船に連れて行くようなことをせずとも犯罪。略取あるいは拐去(かいきょ)、そういう暴行脅迫による連行と、騙して連れて行った誘拐による連行とは刑法では同じ条文。刑も同じ。条文も同じ、刑も同じ。方法が違うだけ。なぜなら本人の真意ではないからです。騙されてるか暴行脅迫か、手段は違うが真意じゃなく連れて行かれたわけ。安倍さんや橋下さんは強制の証拠がないと言うが、事実を認めた公文書があります」
岩上「国や安倍政権の言い分は『狭義の強制性はなかった。でも慰安婦の人たちには大変苦しい思いをさせてしまった。そこはお詫びする』というもの。ところが実際に『狭義での強制』すらも存在したということなんですね。
韓国朝鮮人あるいは日本人の慰安婦の人たちにも、騙されて連れて行かれたという略取誘拐罪、特に、騙して連れて行くということが日常的にあり、かつそれは処罰もされ立件もされていたという事例があります。つまり、合法ではなく違法だったと」
戸塚氏「慰安婦制度が犯罪だったのは間違いない。日本は大審院(最高裁)も認めたのだから、慰安婦制度をこの事件を機にやめればよかった。外務省や内務省は初めはやめると言いました。しかし、軍がどうしても必要だと言っている、だからやむを得ないと。内務省の文書を見ると『どうしても軍が必要だ』と言っていると。橋下さんの言い分とぴったり一致。『軍人が戦場で走り回っていたら必要』と。違法でも『必要なら』と認めちゃうわけ。本来は、軍が何と言おうと違法ならやめなければ。違法になるのでどうしたか。『21歳以上でなければいけない』『本人が希望しないといけない』『家族がOKしないといけない』そういう条件を満たした場合に、本人が警察署に出頭して調べて、中国行きを許可するとしました。
ところが抜け穴がありました。事実上ルールを守っていない。日本人でも連れて行かれた子どもがいます。それに、満州などは許可がいらなかった。中国は必要だったようですが」
戸塚氏「なぜ慰安婦制度を隠したか。兵士の家族にばれたら『銃後の守り』がおかしくなってしまうので困ると。絶対に秘密にしなければならないと。口が腐っても『軍が許している』とか『軍がやる性的サービス』と言っちゃいけないと書いてあります。(募集により女性が)軍に行く際は『軍の売店』や『食堂』で働くと言えと。もしくは『軍』と言わないか。要するに『慰安所』も『そこで遊ぶだけ』と」
岩上「中曽根さんは慰安所を作ったと本で書き、問題になると『碁を打っていた』と。信用できる業者を選定し、性的サービスをするとは言ってはいけないと。言ったら厳罰にすると。ばれた時に困らないように憲兵や警察に連絡して逮捕されないようにせよと、内務省と軍が打ち合わせて通達を出しています。絶対に禁止しないといけないものを、どうやって法をかいくぐって行うか、結局、実際上、全部騙すしかなくなる。なぜなら兵士の家族にばれたら困るから」
岩上「日本国民をまるごと騙す必要がある、と」
戸塚氏「被害者も軍人の家族も」
岩上「兵士には奥さんもいたり母親もいたり。だから、兵士は純潔でなければいけない。ところが戦地に行ったら強制された女性相手にHをしています。息子や夫は何をしているのか。とてもじゃないけど奥さんや恋人にも言えない」
戸塚氏「言えないことだから全部騙すと。結局みんな騙されてるのだから『誘拐』。だが、事前に打ち合わせて処罰しないことにしてあり、起訴されない。日本では、いじめも、体罰も、精神病院等での虐待もまず起訴しません。軍が頼んだと決して言ってはいけないと書いてあるなら、軍自身も慰安婦制度が合法だとは思っていないことになります。やっていることが違法だとわかっていて、その違法行為をどうやって起訴しないように持っていくか考えています」
戸塚氏「慰安婦に朝鮮人女性が多かった理由。朝鮮の総督は海軍と陸軍。軍人がトップをやり、憲兵も警察も日本が全部握っていたため、違法の黙認が容易。それと、朝鮮の女性が一番性病が少なかった。シベリア出兵の頃から軍は研究していました。慰安婦として連れて行かれた朝鮮女性に性病が少なかったのは、性道徳の厳しさと、『子ども』だったから。だが、子どもだったら仮に『同意』していても違法になります。日本の司法制度がもっとしっかりしていたらできなかったはず」
岩上「慰安婦制度を実際にやり、『軍はどうしてもそれが必要なんだ』『それがなくては作戦遂行もうまくいかないんだ』などと言うんだったら、早い話が、そんな作戦遂行もできないような戦争はやめればいいと」
戸塚氏「その通り。橋下さんは、『(慰安婦制度は)どうしても必要だった』と言うが、当時の軍と同じ論理。当時の軍がやっていることを全部認めてしまっているという、そこが一番の問題なのではないか」
戸塚氏「国際連盟時代の資料が見つかりました。1924年1月9日付。国際連盟事務総長から加盟国へ送付された文書。当時、国際連盟では公娼制度を廃止すべきだと勧告。各国政府は廃止したり厳しくしたりしました。日本でも廃止しなければということは外務省の中では言われていました。各県でも廃止するところが出てきましたが結局、戦争で雲散霧消。しかし、奴隷(人身売買)の温床になるからやめようと戦前から言われていました。日本にも国際連盟から調査団が来ました。日本の植民地なども回った。当時から日本政府はいろんな嘘をついて防御。そういう記録が出てきています。その時代と、慰安婦問題を否定し、違法ではないと言い張る今とは非常に似ています。性の問題、しかも国際条約に違反している問題について無視するというのは、戦前から戦後の今まで連続しています。国際的な勧告を尊重あるいは従う、国際条約を守っていく、そこがしっかりしない限り、変わりません」
戸塚氏「橋下さんは法律家。もう少し開明的かと思ったが、アメリカに行って話ができない。日本でしか通用しない。すごく才能があると思います。ワンフレーズでパッと大衆の心を掴むとか。掴まれてしまう大衆の方も問題なんですけど」
岩上「売春防止法があるのに、現在も違法な本番行為が黙認されている飛田新地。橋下氏は飛田新地料理組合の顧問弁護士をしていた。『どういうことか』と聞くと、はぐらかしました。これも行政の不作為、不処罰の問題。放置されていること自体が社会病理」
戸塚氏「橋下さんは弁護士なら違法行為に対しもっと感受性を持ってほしい。知事の頃『体罰容認発言」をしました。文科省も体罰を禁止しています。実際に子どもが亡くなってから『体罰はやめろ』と言い出しました。違法なことを知事が推奨したのは問題」
岩上「橋下氏の発言は詭弁。米軍に対し『日本には合法的な風俗がある』と。一歩手前で本番行為を行わないものがあるから活用してくれと。一方自分自身は、違法な本番行為が行われている飛田新地から違法収益を得ている。彼はダブルスタンダードの確信犯」
戸塚氏「橋下さんのは『合法じゃない。違法だけど、処罰はされない』という趣旨。慰安所も『違法だけど、処罰はされていない』というもの。同じこと。なぜ日本で処罰がされないのか。私は原因をたずねていった。なぜ日本が朝鮮で慰安婦を簡単に集めることができたのか。やはり『植民地だから』でしょう。そもそも植民地での法律は一体何なのかと考えると、最初にどうやって朝鮮を植民地化したかがすごく重要だと考えた」
韓国の併合は「不当」の上にかつ「無効」の疑い
戸塚氏「1910年の韓国併合。日本の常識では、韓国側が希望したので、韓国を日本の一部にしてあげようということで併合したと。条約によって韓国が日本の一部になったと」
岩上「教科書にもそう書いてあります」
戸塚氏「韓国併合条約とはどんな条約だったのかを調べました。1992年、ロンドン大学の図書館で、国際法委員会(インターナショナル・ロー・コミッション)という、国連総会の下部組織の非常に権威のあるレポートを調べました。1963年の国連総会に提出されたレポートから、日本も批准している『条約法』という条約の起草段階のものが出てきました。その中では、どのように条約を締結するのか、締結した条約が無効になる場合などが決まっています。そのレポートでは、国家の代表に対する強制があった場合は、その締結した条約は絶対的無効だと。絶対的無効という意味は、あとで有効だと追認することができないというもの。国家に対する強制や、戦争の結果結ばれた条約の場合は有効。だが、条約を結ぶ際の代表個人に対する強制があった場合は無効だと。それは『意思』がないから。その現実の事例が四つ書いてありました。
その一つが、1905年の韓国保護条約。韓国併合条約の5年前の保護条約。韓国が外交権を日本に譲るという内容。韓国には統監府を作りました。初代統監は伊藤博文公爵。保護条約が「無効」という理由は、韓国の閣僚や皇帝が、日本軍の強制を受けたからだと。韓国併合条約は統監が結びました。天皇に任命された日本の統監が韓国の政府との間で結んだと。1905年の保護条約が違法になると、統監の存在そのものも違法になります。違法な人が合法な行為はできないというわけ。外交については統監が全て指導しました。法律上、両方の代理をやることはできないが、韓国政府の代表者も全て統監によって命令され併合条約を結びました。保護条約が違法である以上、韓国併合は無効だと結論付けた。
私は『韓国併合は無効』という論文を書き、本岡昭次先生に送りました。すると、『これを今すぐ発表すると、誰もそんなこと知らないから、あなた殺されるよ』と言われたんです。親しい某大新聞の記者にも同様のことを言われました。私は『韓国併合は無効』という論文を英語で書き、1993年の1月か2月に、国際融和会を通じて国連人権委員会に提出してもらいました。毎日新聞で報道され、韓国でも英字新聞が報道し、世界に知られることになりました。韓国の学者と交流を開始しました。ソウル大学で韓国史を研究する李泰鎭(イ・テジン)教授が条約問題に一番詳しかった。『あなたの言ってることはまだ不足だ』と、李教授はびっくりすることを言いました。1905年の保護条約の原本がソウル大学にあります。李教授は『タイトルがない』と言いました。日本政府の英訳には『コンベンション』という英語のタイトルがついています。ところが韓国語の原本にはタイトルがない。実は、同じ物の日本語版が日本政府にあるので、日本の外務省の外交史料館に行って見てみました。そしたら、やはり日本語版にもタイトルがない。
結局、韓国版にも日本語版にもタイトルがない。条約の原本にタイトルがない。しかし、なぜ英語版にはついているのか。日本の外務省が出した条約集にはタイトルがついています。外に出すものには、原本にないはずのタイトルがついている。これは偽造・捏造ではないのか。原本は完成する条約の『原案』だった可能性もありますが、これに日本側も韓国側も外相が署名し印鑑を押している。ところが、実際は、日本の憲兵が印鑑を持ってきて、本来ではないものをここに押したんだという。無理やり署名をさせたと。この時は韓国総理大臣が卒倒するほど反対しています。これらの理由から、条約として成立せず、捏造と言われても仕方がない。さらに、一番問題なのは、皇帝が反対していること。高宗(コジョン)皇帝が最初から反対し続けました。韓国代表の外相が署名し、印鑑を押した後、もう1段階、批准の手続きがあります。批准は皇帝がサインし印鑑を押さねばならないと韓国憲法で規定。その批准書が見つからない。批准書が見つからない。韓国側だけでなく日本側の批准書も見つかっていません」
岩上「日本側ということは天皇の?」
戸塚氏「そうです。要するに批准書はないとみるべき。批准書がないというのは一体どういうことか。NHKが韓国併合問題を放送した時に、李教授が『韓国の皇帝が批准していない』と言いました。これに対し『韓国併合』という本を書いた海野福寿先生が、『当時は「略式」があり、批准はいらなかった』と言っています。海野先生は、韓国併合は無効という主張に当初賛成していたと思います。そのため、『批准がいらない』という海野先生の意見は本当なのかと疑いました。一方、ソウル大学の国際法の先生(ペク教授)は批准が必要と言っていました。批准が必要か不要かを調べてみました。
1905年当時、国際的に権威のあるホールというイギリスの学者の学術書に『批准が必要』と書いてありました。さらに、当時出版されていた、日本人が書いた国際法の本を全部調べました。結論から言うと、当時の、日本人学者が書いた非常に立派な国際法の本に全部、『批准が必要』と書いてあります。さらに、外務省の倉知鉄吉という高官が書いている本。この人が『批准は必要』と書いています。倉知鉄吉は、韓国『併合』という言葉を発明した人。総督府にいて、伊藤博文の統監時代に、事実上の秘書官でした。韓国の保護条約を作るときも関与。併合の当事者のこの人が『批准は必要』と書いています。倉知鉄吉は、批准が必要だと知っていたし、外務省は批准必要説でした。
海野先生が言う『略式』を調べてみたら1930年代の資料。外務省が作った極秘資料。しかも日本側の手続き。1905年の当時の資料ではなかった。1905年当時の日本の学者の認識というのは、全てまともな人は『批准必要説』でした。不要説は一人もいなかった。国内外の国際法の権威者が全て「批准が必要」と言い、『批准がないと効力がない』と言っています。海野先生はこういうことを調べていません。国際法条約の専門家ではないから無理もないが。NHKは海野先生を唯一の権威だとして番組に出しました。僕はNHKが悪いと思う。日本の国際法の先生方も、この問題では黙っています」
岩上「以前取材させて頂いた中塚明・奈良女子大名誉教授の話も驚きで、景福宮という王宮を日本軍が秘密裏に占領したり、閔妃(ミンピ)という王妃の殺害を日本公使の三浦梧楼(ごろう)の指揮下のもとに行わせたりしました。三浦梧楼は長州の人で、伊藤博文直下のような人。長州閥の非常に強い結びつきの下、大胆なオペレーション、いわば『国家テロ』によって、日清・日露戦争が行われ、王妃が殺され、王宮は日本から圧力を受けながら韓国併合が合法と称して行われていきました」
戸塚氏「結局、1905年の保護条約を基に作られた1910年の併合条約は無効。さらに、併合条約自体にも批准書がない。批准がなければ条約は効力がない。やはりどうしても無効だということを認めないといけない。1906年の第2回平和会議(オランダ)の招待状が韓国に来ました。当時、日本も韓国も中国も独立国として欧米に認められていました。会議は1907年の開催になり、コジョン皇帝は3人の外交官を秘密裏にハーグに送りました。3人はオランダの外相(平和会議の副議長)に会い、出席させてほしいと皇帝の全権委任状を出しました。これは『私(皇帝)が同意していないのに、伊藤博文が一方的な(不正)行為をし、「1905年の保護条約が成立した」。と言い張っている。
だが、私は同意していないから無効だ。だから私が韓国の代表を送れるんだ』と韓国皇帝が主張する内容。韓国側は、平和会議に正式に出席し、発言したかった。国際社会で韓国の独立と外交権の存在を認めてもらうために。日本側は保護条約が無効になると困るので暗躍した。結局、韓国側は会議に出られませんでした。さらに、3人のうちの1人、李儁(イジュン)がハーグで亡くなりました。韓国側が会議に参加できなかった原因を調べました。レンドルフというオランダの外交官がホテルで3人の言い分を聞いた結果、『皇帝は同意していないと言っているが、皇帝が条約に署名したと思われる』と結論付けました。オランダ政府は結局、誤認したんです。しかし、逆に言うと『皇帝が署名していなければ無効だ』と言うこと。当時の国際的実務から、皇帝が署名していれば有効だし、署名してなければ有効ではないということがわかります」
岩上「オランダは日本側の説明を信じたということですね。ですが1905年のものを見ると署名がない」
戸塚氏「皇帝の署名がどこにもない。日本側がそれを出せない。さらに、逆のものが出てきました。何かというと、伊藤博文の復命書。伊藤博文が日本に帰ってきてから、天皇に復命書(報告書)を出しました。その中には『皇帝がぐずっていたが、最後は理解し同意した』などと書いてあります。ところがその復命書の原案を作った人、枢密院事務局長の都筑馨六が。都筑馨六が筆で書いた復命書の原案を、朝鮮大学の先生が国会図書館の憲政資料室で見つけました。『高宗皇帝が同意しなかった』と書いて、消した跡がちゃんと読めます。『同意した』と書き換えて復命書になっているんです。都筑馨六は伊藤博文にくっついて行っており、高宗皇帝が同意しなかったのを知っています。だからそう書いてあったのです」
岩上「天皇への報告すらも偽造するとは…」
戸塚氏「天皇が嘘を聞かされていたのが真相だと思います」
岩上「先生のお書きになったブックレットに純宗(スンジョン・最後の皇帝)の遺言が載っています」
戸塚氏「併合条約に批准しなかったと言っています。高宗もしなかったし、純宗もしなかった。せめてもの抵抗だったのでしょう。日本の外交は、最初の段階から嘘で固められてきました。一番大事な、『同意したか・しないか』のところでさえも嘘。しかも『批准がなかったら無効』とわかっていたはずなのに、立派な国際法の先生方が沈黙していたんです。
日本は百年間、日韓の併合条約が無効だったということを隠し続けてきたということ。これを一般の人々が知らない。日本がこれを認めるようになるには、百年かかるかもしれません。これは氷山の一角。日本は、不当性を認めなければいけません。旧条約(韓国併合・保護条約)は不法・無効だったと認めなければならない。不法な占領下で起こした慰安婦問題も国際条約や国内法において犯罪だったと認めなければならない。かつて私達の国は、命を物凄く膨大に奪った。それを認め、これからは命を大事にする、被害者にしっかりと謝る、国際条約を全部守る、個人通報権条約も批准する、これが、日本が『病気』から立ち直るプロセスです」
岩上「かつて、豊臣秀吉が朝鮮を侵略しました。その際、神功皇后の三韓征伐という神話を持ち出し、『朝鮮全体を征伐したことがある』『朝鮮には日本の植民地があった』『失地を回復する』などと正当化して侵略を行いました。明治維新の志士たちの共通項は征韓論。維新=革命のイデオロギーを持っている人たちは復古主義でもありました。非常に強い意志をもって『かつて日本の植民地があった』と信じられている朝鮮に進出する気満々でした。1905年11月18日、駐韓日本公使館において、伊藤博文主催で開かれた、韓国保護条約成立時の祝宴における伊藤の乾杯の辞は、『豊臣秀吉、あなたが果たせなかった宿願を我々が成し遂げた』というものでした」
戸塚氏「日本だけが優れた単一民族で、『朝鮮人は帰れ』だとか『皆殺しにしろ』とか、そういうことを言う人たちが今もいる。それをやめていくにはどうしたらいいか、考えなければいけません」
岩上「1905年11月18日、駐韓日本公使館において、伊藤博文主催で開かれた、韓国保護条約成立時の祝宴における伊藤の乾杯の辞は、『豊臣秀吉、あなたが果たせなかった宿願を我々が成し遂げた』というものでした」
戸塚氏「日本だけが優れた単一民族で、『朝鮮人は帰れ』だとか『皆殺しにしろ』とか、そういうことを言う人たちが今もいる。それをやめていくにはどうしたらいいか、考えなければいけません。日本は長い歴史を一回見直し、これから先の百年、どうしていくのかを考える必要があります。これから百年先の日本は小国になっていくと思う。小国は小国なりにどうやって生きていくのか、今から準備しないといけません。
日本は、過去にしたことを反省することから始めなければなりません。過去のことを『自虐史観だ』などと言い、自分が『病気』であることを認めようとしないのは、自分の『健康』を冒すということに気がつかないといけない。『朝鮮人は皆殺しにしろ』と言う人達は、『日本人も皆殺しにしろ』と言うようになるのではないか」
岩上「一億玉砕みたいなことを言い出しかねない、ということですか。自分は逃げ、国民は戦え、死ねと命じるような」
戸塚氏「一億玉砕とか特攻とか、日本人の中に草の根まで含め、自虐的・自滅的なメンタリティが残っていて、戦争中から今まで続いています。本当に愛国心があるなら、みんな幸せに生きていくにはどうすべきか考えないと。私は左翼じゃありません。むしろ保守、ナショナリスト。日本は良くなってほしいと思うから、『ここを直したらいいのにな』と思います。そうすれば世界から受け入れてもらえるし、日本はいい国になって生き残っていけます。『幻なければ民滅ぶ』という言葉が旧約聖書にあると、ICU(国際基督教大学)初代学長の湯浅先生という人が言っておられます。『幻なければ』というのはビジョン。ビジョンがないと民が滅びるということが書いてあります」
岩上「TPP等によって日本の外交や司法国家主権が奪われていき、日本がゆるやかに併呑過程を見ているような気がする。そういうものを考えていくと、韓国が日本に主権を奪われた過程と二重写しになります。他人事ではない気がしてなりません。出征経験のある、私の父親が口ずさんでいた軍歌『海行かば』。後年、元歌は万葉集だということを知りました。『我々は喜んで天皇のために死ぬんだ。かえりみはせじ』という趣旨の歌詞と知り、万葉の時代から続いていたのかと愕然しました」
戸塚氏「国のビジョンについて、私はフィンランドを参考にしたらいいと思います。教育水は準が非常に高く、人権、特に女性の人権は世界一。大臣も半数が女性。アメリカのような国を作るのかフィンランドのような国を作るのかで全然違う」