「捏造記者」という捏造 「不当なバッシングには屈しない 」~ 岩上安身によるインタビュー 第502回 ゲスト 元朝日新聞記者・植村隆氏 2015.1.10

記事公開日:2015.1.20取材地: テキスト動画独自
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(IWJテキストスタッフ・関根かんじ)

 「私は間違った記事も、吉田証言にもとづく記事も書いてない」──。

 一部のメディアやインターネット上で、「韓国の従軍慰安婦について、捏造記事を書いた」と名指しで非難されている元朝日新聞記者の植村隆氏は、さまざまな事実を提示しながら、自分への攻撃の理不尽さを語っていった。

 2015年1月10日、東京都内で、岩上安身による北星学園大学非常勤講師で、元朝日新聞記者の植村隆氏へのインタビューが行なわれた。

 2014年の初頭、週刊文春で『“慰安婦捏造” 朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に』と報じられた植村氏は、就任予定だった大学教授の職を失った。その大学に抗議が殺到したためだ。

 さらに、非常勤講師をしている札幌の北星学園大学が脅迫され、嫌がらせは家族にまで及んでいる。そのため、前日の1月9日、植村氏は週刊文春と当該記事を書いた西岡力氏(東京基督教大教授)を名誉毀損で提訴した。

 植村氏を誹謗中傷する人々の多くが、「朝日の植村記者が、韓国人の従軍慰安婦の存在をスクープし、慰安婦問題の火付け役となった」「信憑性が疑われる吉田清治氏の証言に基づいて、慰安婦の記事を捏造した」などと主張しているが、それらが事実無根であることが、このインタビューの中で次々に示された。

 そもそも発端となった91年の記事は、元従軍慰安婦が見つかり、調査団体の聞き取りが始まった、という第一報を伝えただけのベタ記事である。この元従軍慰安婦・金学順(キム・ハクスン)さんのインタビューに初めて成功したのは、植村氏の第一報の4日後に北海道新聞が出したスクープ記事の方だ。

 また「吉田証言」にいたっては、植村氏は記事を書いた事実はなく、むしろ植村氏は、「吉田証言を裏付ける証拠はない」と朝日新聞本社にメモを送った立場の人間である。

 インタビューでは他にも、「『女子挺身隊』と『従軍慰安婦』を混同していた」という指摘や、「日本軍が強制連行したと誤解させた」などといった批判についても、植村氏は資料や、当時の他紙の新聞記事などを用い、それが的外れであることを説明した。

 岩上安身は「提訴という形で事実を明らかにすることは、とても重要。バッシングで萎縮すれば、ジャーナリズムがジャーナリズムの機能を果たせなくなる」と述べ、植村氏本人への取材や事実確認もせずに、安易な批判記事を流すメディアの姿勢を問題視した。

 さらに、過熱するバッシングについて、「植村さん個人を叩く部分と、植村さんが朝日新聞の記者だったから、つまり、朝日新聞そのものを叩きたい、という両方の側面があると思う」と語った。

 植村氏は今後の見通しについて、「オセロゲームのように、黒が白に一気に裏返るのでは、という期待もある。最後には、不当なバッシングに屈しなかった記者がいた、ということが残るだろう」と力を込めた。

記事目次

■イントロ

  • 植村隆氏(元朝日新聞記者、北星学園大学非常勤講師)
  • 日時 2015年1月10日(土)12:00~
  • 場所 IWJ事務所(東京・六本木)

朝日新聞が攻撃された「2つの吉田問題」

岩上安身(以下、岩上)「元朝日新聞記者で、北星学園大学非常勤講師の植村氏は、昨日、週刊文春と西岡力氏(東京基督教大教授)を名誉毀損で訴え、記者会見を開きました。この提訴に至った理由と、今までの経緯についてお聞きします」

植村隆氏(以下、植村・敬称略)「2014年2月6日号の週刊文春『“慰安婦捏造” 朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に』という記事について、提訴しました」

岩上「この朝日新聞記者というのが植村さんなんですね。去年、朝日新聞は『2つの吉田』に関するバッシングを受けました。ひとつは福島第一原発の吉田所長の調書をスクープした件。記事の書き方や解釈に問題があると批判を浴びた。もうひとつが、慰安婦の強制連行について証言してきた吉田清治氏の件です。

 のちに、吉田清治氏の証言は信用に足るものではなかったと判明しますが、当時は多くのマスコミが吉田証言をベースに慰安婦の記事を書いていた。しかし去年の夏、朝日新聞の過去の慰安婦報道が、吉田調書の問題と同時並行でバッシングされました。

 安倍首相など権力者たちや、同業他社のメディアも、ここぞとばかりに『朝日叩き』を行い、朝日新聞は社長が謝罪した。一般の人には事実がよくわからないまま、『朝日は悪かった』という印象だけが残りました。

 そして、昔、慰安婦報道に関わった植村さんに対する誹謗中傷や脅迫もエスカレートしていった。最近、フランスで新聞社が襲撃されるテロも起こったばかり。言論の自由の危機が迫っていると思います」

別冊宝島「吉田氏の記事を多く書いた植村隆記者」は間違い

植村「朝日新聞は、吉田清治氏の証言に基づいた従軍慰安婦関連の記事を、全部で18本取り消しました。その中に、私の書いた記事はありません。私は吉田清治氏を取材したことはないし、その証言に基づいて記事を書いたこともないのです。

 しかし、別冊宝島『朝日新聞の落日』という本には、『吉田氏の記事を多く書いた植村隆記者』とか『植村記者の妻の母(韓国人)のため個人的動機から虚報を流した』などと書かれて、これがネットで広がっている。朝日の記事は署名入りなので、私が書いたかどうかは調べればすぐにわかることです」

岩上「一次情報を調べもせずに、バッシング記事の二次引用、三次引用がされているんですね。しかも、別冊宝島は『当事者の植村氏は真相を語っていない』などと書いていますよ」

植村「そもそも記事を書いていないのに、(真相を)語ることなどできません。これについては、事実ではない、デマであるということで、反論を『世界』2月号(2015年1月8日発売)に書きました」

岩上「別冊宝島に対して訂正を求めないのですか? ここまで大きな問題になり、この文章を読んだ人が脅迫行動に出る恐れもある。論争レベルではなく、法的手段で訴えるべきではありませんか」

植村「最近は誹謗中傷がひどくなっているので、それは考えています」

「吉田証言は疑わしい」と本社に報告していた

植村「1997年に、朝日新聞は吉田清治氏の証言の信憑性を調査しました。当時、ソウル特派員だった私は、その調査のため済州島に行き、『吉田清治証言のようなものはなかった』と東京本社に報告を上げた。つまり、私は吉田証言を否定した立場です。

 2014年12月22日発表の、朝日新聞の慰安婦報道をめぐる第三者委員会の報告書には、『植村は、本社に、吉田証言を裏付ける証言は出てこなかったとのメモを提出した』と掲載されています。私は、人狩りのようなことはなかった、と報告したのです」

岩上「なぜ、朝日新聞は吉田証言に基づいた記事を、調査をした1997年に、すぐ取り消さなかったのでしょうか。今の状況は、植村さん個人を叩く部分と、植村さんが朝日新聞の記者だから、つまり、朝日新聞そのものを叩きたい、という両方の側面がある。会社としての決断が記者に降りかかってくるのだから、朝日はもっと早めに対処すべきだったのではないか」

植村「私も、(1997年に)もっと本格的な調査をして、結論を出すべきだったと思います。当時、本社がそこまでやらなかったことは残念です」

記事2本だけで23年間、誹謗され続ける

植村「慰安婦報道で、私が攻撃される内容は大別すると3つに分かれます。最初は吉田清治氏の証言のこと。2番目は1992年1月の『慰安所に軍が関与』という記事。3番目が、元慰安婦の金学順(キム・ハクスン)さんへの取材です。

 まず、吉田清治氏には取材していないし、『軍が関与』の記事も私が書いたものではない。だが、池田信夫氏の著書『朝日新聞 世紀の大誤報』の中では、私が書いたことになっているんです。

 同書の中で池田信夫氏は、『しかし植村記者がその解説で 「挺身隊の名で強制連行」と書いたため、強制連行の証拠が出てきたような印象を与え、宮沢首相が謝罪してしまった』と記している。書いたのは私ではなく、東京本社の社会部記者。当時の私は大阪社会部の記者です。調べればわかるはずなのに、植村が『軍が関与』のスクープに関わっている、とされてしまった。

 私が関わったのは3番目の、金学順さんへの取材だけです。韓国で初めて、慰安婦だった過去をカミングアウトした金学順さんの記事を、私は2本だけ書きました。

 にもかかわらず、吉田証言、軍関与の記事、金学順さん、すべてに関わったことにされて、一部のメディアやネットでは、私は『朝日の慰安婦報道の主犯』などと言われている。実際には記事2本、それで23年間バッシングされ続けているのです」

文藝春秋のダブルスタンダード

岩上「植村さんが慰安婦について書いた最初の記事は、1991年8月11日の朝日新聞・大阪朝刊社会面のトップに載った。韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)が、慰安婦にされた女性たちの聞き取り調査を始めて、その録音テープを公開した、という記事ですね」

植村「挺対協の尹貞玉(ユン・ジョンオク)さんという方から、テープを聞かせてもらいました。この時はまだ、金学順さんの名前も教えてもらえなかったし、本人に会うこともできなかった。『慰安婦だったおばあさんたちが、過去を話し始めた』という状況を書いたものです」

岩上「今回、植村さんは月刊文藝春秋(2015年新年特大号)に『慰安婦問題「捏造記者」と呼ばれて』と題した手記を載せています。昨年の週刊文春の記事への反論なのだが、その前段に文藝春秋の編集部が『我々はなぜこの手記を掲載したのか』という文章を載せている。編集部が色を付けているわけですが、なぜ、文藝春秋に?」

植村氏「私への批判の始まりが、文藝春秋1992年4月号の西岡力氏の原稿だったので、反論も文藝春秋で、と考えていたのです。編集部からは『手記は自由に書いていい』と言われました。しかし、私の手記を載せると読者から抗議が来るから、編集部側の意見も載せる、とのことでした。

 その、文藝春秋1992年4月号の西岡氏の原稿ですが、私への取材は何もなかったのです。本人に取材もしないで作った『物語』を、文藝春秋は載せた。このことは編集部にも指摘しました」

岩上「文藝春秋は、取材なしで書いている西岡氏の記事は咎めていない。しかし、植村氏の記事のことは、『(慰安婦だった女性が話している)テープを聞かされただけ』と、直接取材をしていないことを非難している。あきらかにダブルスタンダードだ」

元慰安婦をスクープしたのは北海道新聞

植村氏「私の書いた記事は、慰安婦調査が始まった、という第一報です。そもそも彼女たちは性犯罪の被害者ですから、そういう場合は慎重にならざるを得ない。当事者に会えなかったことを、取材不足とは言えないと思います」

岩上「新聞記事には日付が入っているのだから、その時点で金学順さんにたどり着いていなくても、批判されるものではない。それに、金学順さんの単独インタビューに初めて成功したのは、実は植村さんじゃないんですって?」

植村「はい、残念ながら、そうなんです。でも、私を叩く人たちは、『植村の大スクープによって慰安婦問題がクローズアップされ、韓国の反日感情が高まった』などと思っているんでしょうね。

 1991年8月10日、名前は出せないという元慰安婦(金学順さん)の存在を知り、調査テープを聞いて第一報を書きました。そして、これ以上の取材は無理だと思い、大阪へ帰ったのです。しかし数日後、金学順さんが名前を出すことを決意して、韓国で急に記者会見を開いた。それを北海道新聞(1991年8月15日付)にスクープされてしまったんです」

韓国では「女子挺身隊」と「従軍慰安婦」は同じ意味だった

岩上「その、植村さんの最初の記事について、『女子挺身隊』と『従軍慰安婦』を混同していると問題視する人たちもいる。戦時中、日本では国家総動員態勢の下、男性も女性も、時には少年少女も軍需工場などに駆り出され、その人たちを『挺身隊』と呼んでいた」

植村「90年代の韓国では、『女子挺身隊』という言葉を慰安婦の意味で使っていました。慰安婦の当事者たちも、自らををそう呼んでいた。韓国メディアもそうだったし、当時は日本のメディアも『女子挺身隊』と書いていました」

岩上「最初にスクープした北海道新聞の記事でも、『女子挺身隊の美名のもとに従軍慰安婦として』『強制的に収容された』とある。植村さんが、女子挺身隊と従軍慰安婦を混同したわけではない。当時は、挺身隊=慰安婦、だったのですね。

 それを文藝春秋は、『他誌も間違えたのだから、と釈明するのは許されない』と、植村さんを糾弾している。では当時、文藝春秋はこれを峻別できていたのだろうか。言いがかりのための言いがかり、ではないのか」

植村「私は、『他誌も間違えてるから仕方ない』などと言うつもりはないのです。当時の時代認識、メディア状況を説明しているだけ。だが、私はこれで『捏造記者』というレッテルを貼られてしまった」

朝日新聞を叩くと部数が伸びて儲かる

植村「私の手記と、文藝春秋側の前文については、経緯を明らかにして記録を残しておきます。編集部は、おそらく読者に先入観を植え付けたかったのでしょう。そのわりには文章に説得力がないですが」

岩上「植村さん、怒らないんですか? 文藝春秋は出版界では権威ある雑誌で、世間の信用も高い。しかし、時折ひどいことを平気でする。正直、朝日新聞を叩くと部数が伸びて儲かるんです。だから、北海道新聞ではなく、植村さんを叩く。恥を知れと言いたい」

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