[スタッフの寸評紹介]平山茂樹の「ニュース下から目線」~歴史認識における政治家の「本音」と「建前」(IWJウィークリー8号より) 2013.6.26

記事公開日:2013.6.26 テキスト動画
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(IWJ 平山茂樹)

<IWJの視点>平山茂樹の「ニュース下から目線」 ~6月18日(火)

 ソウル。季節はたしか春だったと思う。2005年であったことは間違いない。

 一部政治家による歴史修正主義的な発言や、閣僚の靖国参拝などで、日韓の歴史認識が政治問題化されるだび、私はいつも、あるひとつの光景を思い出す。

 「2005年」という年をはっきりと記憶しているのは、その年が「日韓友情の年」だったからだ。これは、当時の盧武鉉大統領と小泉純一郎総理により2003年に採択された「日韓共同首脳宣言」にもとづき、1965年の日韓基本条約による日韓国交正常化から40年、太平洋戦争終結から60年を記念して制定されたものだ。ソウルで大規模な式典やコンサートが行われ、当時日本でもブームだった「冬のソナタ」の主演女優チェ・ジウが参加したことも話題を呼んだ。

 しかし、当時大学生だった私の記憶に残っているのは、この式典の模様ではない。

 式典会場の外では、小泉総理や駐韓日本大使の肖像に火をつけている韓国人の姿があった。日の丸にバツ印をつけてデモ行進をする若者たちもいた。日本大使館の塀を乗り越えようとし、阻止され、焼身自殺をはかろうとする者もいた。

 ソウルでは、未来に目を向けようという「友情」のための式典が行われていた裏で、過去に対する「謝罪」をうながす大規模な抗議行動が繰り広げられていたのである。

 韓流ドラマが流行し、K-POPがチャートに次々とランクインしていた2005年当時、この模様を自宅のテレビで見ていた私は、韓国に足を踏み入れて、依然として存在する日韓の歴史認識の溝の深さに、あらためて驚きを禁じえなかった。

 なぜ、韓国には、これほどまでに根深く反日感情が存在するのか。そして、今後、日韓が歴史認識について和解することは、未来永劫にわたって不可能なのだろうか。

 目を直近の日本に転じてみる。

 「精神的に高ぶっている(旧日本軍の)猛者集団に(従軍慰安婦が)必要だったのは誰だって分かる」。

 5月13日に飛び出した橋下徹大阪市長によるこの発言以降、日本の政治家による歴史認識、とりわけ従軍慰安婦に関する発言が波紋を呼んだ。

 日本維新の会の西村眞悟衆議院議員は、5月17日の党代議士会で、わざわざ発言を求めて、「日本には韓国人の売春婦がうようよいる」と発言。あまりの暴言に、維新の会ですら除名になった。閣僚からも、稲田朋美行政改革担当相が5月24日の閣議後の定例会見で、「戦時中、慰安婦制度が合法であったことは事実だ」と発言した。

 稲田大臣は発言の翌日、韓国外交部から抗議を受けたが、「慰安婦は合法だった」という自らの発言を撤回しなかった。

 慰安婦が当時の法律にそっても、違法に監禁されていたケースが本当は多いこと、そして軍と官憲はそれらを見て見ぬふりをしてきた「不作為の罪」をまぬがれないことを、岩上さんが「IWJウィークリー」第5号で詳細に論じている。

 稲田大臣の「慰安婦は合法論」は、政治家としても、弁護士としても失格の間違いである。

 このような一連の発言に対し、国連の拷問禁止委員会は5月31日、「日本の政治家や地方の高官が事実を否定し、被害者を傷つけている」とする勧告を発表した。(慰安婦問題、国連委が勧告~日本の政治家が事実否定 朝日新聞6月1日 ※記事リンク切れ )

 ここであらためて、歴史認識、特に従軍慰安婦に関する日本政府の公式な立場を整理しておこう。

 日本政府はまず、日韓基本条約により韓国との国交を正常化するとともに、韓国から日本に対する請求権の一切が解決された、としている。

 その後、1991年12月6日に、元慰安婦の韓国人女性が日本政府の謝罪と補償を求めて東京地裁に提訴したことをきっかけに、慰安婦問題が政治問題化。

 1993年8月4日、河野洋平官房長官が慰安婦の存在を認め、「お詫び」を表明するとの談話を発表。

 その後、1995年8月15日の村山談話をうけるかたちで、「道義的な責任を果たすという観点」から、元慰安婦への補償を行うために「女性のためのアジア平和国民基金」が設立された。運営経費48億円の全額は政府が負担した。

 この「女性のためのアジア平和国民基金」の内実をより詳しく見てみたい。

 外務省の発表によれば、民間から約6億円の募金を集め、韓国、フィリピン、台湾における慰安婦の方々に、一人あたり200万円の「償い金」を渡した。また、元慰安婦の方々に対し、医療・福祉支援事業に対して、5年間で総額7億円の財政支出を行なった(外務省HP)。

 この基金の初代理事長は原文兵衛前参議院議長であり、2000年に就任した第2代理事長は村山富市元総理だった。このことは、この基金が表面的には「民間基金」の形をとってはいても、日本政府と密接な関係をもっていたことを示している。運営経費48億円の全額を日本政府が負担したこともその証拠だろう。

 いわばこの基金は、国家による補償が、日韓基本条約によりいったんなされた以上、国家賠償は不可能であるとする政府を、運営の主体を民間に移し、そこに政府を参加させることで、実質的に政府による補償を実現させようとするという、日本側の苦肉の策だったのである。

 しかしこの「女性のためのアジア平和国民基金」に対する韓国側の対応は極めて冷淡であった。韓国メディアは「奇襲支給」「挑発行為」「卑しい解決策」と報じた。つまり、「女性のためのアジア平和国民基金」は、韓国人には、「日本政府が慰安婦に対して国家賠償を行わないために思いついた手段」として受け取られたのである。

 「謝罪とお詫び」を述べた河野談話と村山談話、そして日韓基本条約との関係上、苦肉の策として当時の政府が発案した「女性のためのアジア平和国民基金」は、当時の日本政府としてはギリギリの妥協ラインだったのだろう。しかし、それでも、あくまで日韓基本条約とは別の国家賠償を求める韓国との溝は埋まらなかった。

 このような両国間の溝の深まりが、日本側にも不満を生み出し、日本の閣僚による「失言」として噴出し、それに対して韓国が抗議し、さらに日本側が反発する。この不毛と不信の連鎖は、今や政治家だけではなく、一般市民にも波及し、新大久保などでのヘイトスピーチというかたちで街頭にあふれだしている。冒頭、私が述べた韓国での反日デモも、この不審の連鎖のなかで生まれたものだろう。

 では、日韓の歴史認識をめぐる「和解」は、どのようにして可能なのか。ここで、日本と同じ、第2次世界対戦の敗戦国である、ドイツに目を転じてみたい。

 日本ではしばしば、歴史認識に関して、「ドイツを見習え」ということが言われる。その際、必ず引き合いにだされるのが、1970年、西ドイツのブラント首相が、ポーランドの首都ワルシャワを訪れた折、ユダヤ人ゲットー記念碑に献花する際、ひざまずいたというエピソードだ。

 このブラント首相の姿は世界中に感銘を与え、「謝罪」と「和解」の象徴的なイメージとして、広く伝播した。

 他方、急いで付け加えておかなくてはならないことがある。それは、ドイツは戦争にともなう国家賠償は一切行っていない、ということだ。フランスにもロシアにも賠償はしていない。サンフランシスコ講和条約で連合国に対し国家賠償を行なった日本とは対照的である。

 これは、ドイツが、第2次世界対戦とはナチスという極めて特殊な集団により例外的に起こされたものだと認識しているからである。そのため、ドイツは戦後、謝罪と賠償の問題を、戦争犯罪一般ではなく、「ホロコーストという、ナチスによる人道に対する罪」に限定してきた。

 1985年、戦後40周年にあたり、ドイツのヴァイツゼッカー大統領は、演説のなかで次のように述べている。

 「一民族に罪があるというようなことはありません。罪は、集団的ではなく、個人的なものであります」――

 明らかに、ドイツの戦争犯罪を、ナチスのホロコーストに限定していることが分かる言葉である。

 1999年、コソボ紛争において、ドイツ連邦軍はNATOとともにユーゴスラビアの空爆に参加した。その際のドイツ側のロジックは、ミロシェビッチ大統領によるホロコーストを防ぐためには、戦争も辞さない、というものであった。事実、ドイツは現在も、「国防軍」という名の軍隊を保持している。

 したがって、ドイツが第2次世界大戦の敗戦から得た教訓は、「ノーモア・ウォーズ」ではなく「ノーモア・アウシュビッツ」だったのである。

 ブラント首相の、ユダヤ人ゲットー記念碑前における「ひざまずき」は、ドイツのこのような歴史認識にもとづいたものだったのである。

 国家間賠償を行わず、戦争責任をナチスのホロコーストに限定しているという点で、ドイツの歴史認識は、日本と比べて、実は不十分なのではないだろうか、
そういう意見が歴史学者や知識人からしばしば上がる。しかし、そうであっても、ドイツが周辺国と歴史認識をめぐって争いを起こしたという事例は、日本と比べて極端に少ない。

 その理由の一つとして、ナチスこそが「絶対悪」であるという共通認識を世界中に広めることにより、それを通じて、周辺諸国との「和解」を構築してきたという、ドイツの外交手腕の巧みさがあげられるだろう。

 そしてもう一点、重要なのは、ブラント首相の例が示すように、公式の場では、「建前」を演じてみせるという、政治家として最低限の資質を、ドイツの政治
家が心得ているということではないだろうか。

 政治家の役割とは、対立する意見を調整し、落とし所を見つけ、平和裏に解決することである、と私は思っている。

 従軍慰安婦の強制連行があったのかなかったのか、それがはたして「合法」だったのか否か、それを検証するのは学者やジャーナリストの仕事である。慰安婦問題については、調査はまだ不十分である。

 慰安婦だけでなく、日本が韓国を併合してゆく過程そのものも、まだまだ明らかになっていないことがある。岩上さんによる中塚明奈良女子大学名誉教授のインタビューは、これまでほとんどの日本人が知らずに過ごしてきた歴史の真実を掘りこす、必見のインタビューである。日本人としては、つらく、切ない真実が含まれているが、目をそらしてはならない内容であると思う。

 他方、政治家に求められるのは、そのような検証の結果を参考にしつつ、外交ルートを通じ、認識をすり合わせるという「建前」の作法ではないだろうか。

 尖閣諸島の領有権をめぐる日中間の対立を例にとろう。元外務省国際情報局長の孫崎享氏は、岩上さんのインタビューのなかで、「尖閣を棚上げすることが、最も平和的な解決方法なのです」と語った。

 尖閣をめぐる日本側と中国側の意見が対立していることは事実だ。だが、過去の文献をひもとき、歴史的事実を中国側に突きつけることは政治家の仕事ではない。尖閣を実効支配している日本側が取るべきは、「尖閣は日本固有の領土」という主張で中国側を突っぱねることではなく、「棚上げ」という落とし所を提示し、戦争を回避することではないだろうか。

 その際、政治家に求められるのは、「本音」で突き通すことではなく、公式の場では「建前」を演じてみせることである。しかし、日本の政治家には、この資質が決定的に欠けているように思われる。

 会見や党大会、式典などの公式の場で、自民党や維新の会の政治家から「失言」が頻出していまうという現状。それは、彼らに、公共の空間と、私的な空間との区別がついていないということである。彼らの「失言」は、公共の空間である街頭で、「殺せ」「射殺しろ」といったヘイトスピーチを繰り返す「排外デモ」と、寸分の違いもない。

 日本の政治家が、「本音」をつき通すのではなく、「建前」の作法をわきまえたうえで外交に臨むこと。そのうえで、あくまで外交ルートを通じ、互いにの認識を丁寧にすり合わせること。日韓の「和解」は、ここから始まるように私には思われる。

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