関東大震災時に「横浜で虐殺された3000人以上の朝鮮人」を追悼する催しが、2023年9月2日、横浜市西区の久保山墓地で行われ、330人(主催者発表)が参加した。今年は関東大震災から100年目にあたる。
主催は「関東大震災時朝鮮人虐殺の事実を知り追悼する神奈川実行委員会」。
関東各地で官憲や自警団が引き起こした6000人以上に上るとされる朝鮮人等の虐殺は、「朝鮮人や共産主義者が井戸に毒を入れた」という民衆間の流言飛語だけでなく、内務省が各地方長官宛電報で「朝鮮人は各地に放火」「爆弾を所持」と明記するなど、当局がデマを主導し、虐殺にお墨付きを与えたことが大きな要因であった。
こうした背景として、日本が朝鮮半島を植民地化し、暴力的・強権的に統治したことに対し、震災の4年前の1919年に三・一独立運動が起きるなど、朝鮮の民衆の蜂起・抵抗が各地で続いていたことがあげられる。
日本の支配に抵抗する朝鮮人を「不定鮮人」と決めつけ、蔑視感情と恐怖心とを抱いた当時の日本人が、集団でジェノサイドを行ったことは、決して大震災という自然災害による混乱だけが原因ではない。
追悼会は、参加者による慰霊碑への献花後、黙祷で始められた。
実行委員会代表の山本すみ子氏は、主催者あいさつで「100年を機に、横浜、神奈川の皆さんに虐殺の実態を知ってもらいたい」と語り始めた。
同会は虐殺の現地でのフィールドワークで、その実態を学んできた。
山本すみ子氏「横浜は、公式発表では虐殺はゼロ、神奈川県は2人だが、まったく違うことは誰しもご存じだ」。
山本氏によれば、現在の横浜市神奈川区、すなわち神奈川警察署管内での虐殺が一番多かったという。
警察が「今夜、この地方に朝鮮人が攻めてくる」「途中、強盗強姦、井戸に毒を入れ、やってくる」「男子16歳以上、60歳未満は武器を持ってここに集まれ」と避難民に指示をした。
虐殺の準備をさせ、「朝鮮人ならば殺していい」と言う。在郷軍人たちは、日清日露の戦役で朝鮮人と対峙、虐殺していた。それが伝わり、青年団は意気揚々と武器を持ち、朝鮮人を追いつめて虐殺。それが2日、3日と続く。
神奈川警察署での刺殺や、内務省に雇われて船のドックを作っていた朝鮮人多数の虐殺と遺体放置等、様々な虐殺現場の様子も、山本氏は語った。
「警察が民衆を率いて虐殺をしたのは事実。これをジェノサイドと言わないで、何というのか」。
さらに山本氏は、「同じようなことが、今、現実にある」として、川崎市の桜本に住む在日韓国・朝鮮人たちへの差別を指摘。「関東大震災の虐殺がきちんと処理されていれば、(ヘイトは)起こらなかったかもしれない」と訴えた。
また、山本氏は、小池百合子東京都知事が、関東大震災の朝鮮人犠牲者追悼式典に、7年連続で追悼文を送らなかったことを、震災と虐殺の被害者を一緒にする虐殺隠蔽だと批判した。
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