2020年8月15日、敗戦から75年目となるこの日、東京・千鳥ヶ淵国立戦没者墓苑にて、「戦争犠牲者追悼 平和を誓う8・15集会」が開催された。当日、都内の最高気温は35度を超え、集会は、強烈な日差しと、激しく鳴き盛る蝉の声の中で厳かに執り行われた。
集会は、参加者全員による黙祷で始まり、次いで、主催者を代表して、平和フォーラムの藤本泰成・共同代表が「誓いの言葉」を読み上げた。
「1945年の8月15日の終戦から、75年が過ぎました。長い長い月日が経ちました。日本の今を生きる人々の8割以上が『戦争を知らない世代』なのです。戦争の時代とは何だったのか? 戦争とは何だったのか? その時代の青春とはどうだったのか? 今や想像の世界でしかありません。
私たちは忘れてはなりません。1945年8月15日の前に何があったか、そしてその後どうであったかを。
敵基地攻撃が議論され、専守防衛の枠組みが崩され、航空母艦や巡航ミサイル配備が現実化する中にあって、私たちは、今日この日を忘れてはならないのです」
続いて、立憲民主党の近藤昭一・衆議院議員、社会民主党党首の福島瑞穂・参議院議員、立憲フォーラム副代表の阿部知子・衆議院議員、そして戦争をさせない1000人委員会の内田雅敏・事務局長がそれぞれ哀悼の言葉を述べた。その後、すべての参加者が戦没者の墓前にそれぞれ献花を行った。
IWJは集会終了後の千鳥ヶ淵で、献花に訪れた一般の方々にインタビューを行った。
目黒区在住の男性に、IWJ記者が、献花に来るようになったきっかけをたずねると、「海外で仕事をすることが多く、元戦場だったところもある。そこで亡くなった方々に思いを馳せたのがきっかけだった」と答えた。
さらに、「『戦争』と聞いてどんなことを考えるか?」と質問すると、男性は「私の先祖にも戦争に行った人間がいて、話を聞くことがあった。想像を超えた世界だった」と言い、次のように続けた。
「ただ、あったことを正確に伝えるということは大事だと思うし、各個人がそれを実感する機会を持つべきだと思う。
こういったところ(千鳥ヶ淵)にお参りするだとか、靖国神社に足を運ぶだとか、そうすることで、自分の戦争との向き合いかたを作っていって、初めて、議論に参加できるのだと思う」
真摯で柔和な眼差しがとても印象的な方だった。
その後、IWJ取材班は、場所を千鳥ヶ淵から靖国神社に移し、インタビューを続けた。
東京と神奈川から来たという23歳の青年二人組に、靖国神社に参拝に来た「思い」についてたずねると、東京在住の青年は「僕の祖父も軍におりましたし、今僕らがのうのうと生きていられるのも、ここに眠る英霊の方たちが命を賭して戦ってくれたから。年に数度しか来られないが、今日という日に、『暑い』とか『コロナが』とかいうのは関係なく、うかがうのが筋かなあと思いまして」と答えた。
他方、神奈川在住の青年は、「僕は広島が出身で、おばあちゃんが被爆者で、ひいおじいちゃんは原爆で亡くなっている。毎年広島の護国神社にはあいさつ回りはしているんですが、はじめて東京でお盆を過ごすということで、これは挨拶回りをしなければならない思い、来ました」と語った。
最後にインタビューをした、大田区在住の女性は、「今の社会、というか日常生活の中で、『戦争』というようなことを考えることがありますか?」という質問に次のように答えた。
「日常生活の中で、最近思うのは、コロナがあって、いろいろ不便な生活をしている中で、戦争中はもっと大変だったんだろうなあ、とか。これぐらいのことは、もっと我慢しないといけない、昔ならもっと大変だったんだろうな、と思うことがたくさんあった。だから、コロナの時に、戦争のときはどうだったんだろうなあと考えました」
敗戦後75年。日本人の平均寿命が84歳であることを考えると、日本が戦争に負けてから、いかに長い年月が過ぎたかがわかる。先の戦争中の日本、または敗戦直後の日本について、自分の経験として語ることの出来る人々がどんどんいなくなる。戦争について、実感を持って語ることが出来る人がいなくなるということ。それは、とても心細く、不安なことだ。インタビューを行いながら、そう考えた。
一方で、すぐにこうも思った。インタビューに応じてくれた6人の参拝者は皆一様に「今の自分の生活があるのも、命を賭して戦ってくれた人々がいたからだ」という意味のことを語った。そのように自分の「現在の生活」を過去の人々からの「贈与」だとみなすことで、過去と自分を結びつける。歴史という紐帯により過去の人々と連帯することで、頼るもののない現代社会の「不安」や「心細さ」にも耐えることが出来るかもしれない、と。
「戦争は外交の失敗」とは、よく引用される箴言だ。「外交」という言葉は「政治」と言い換えてもいい。政治の失敗が戦争を生み、その戦争が多くの悲しみをもたらす。右翼だ左翼だと、一般人の間で争うのは簡単だ。だが、右であろうが左であろうが、「政府」が行う「政治」を常に監視し、批判することは、共通の義務であるだろう。蝉の声を聴き、流れる汗を拭いながら、そう考えた。