「大きな地震がくればまた日本人が殺しに来る」――関東大震災から93年、遺族らが語り継ぐ朝鮮人・中国人虐殺の記憶、歴史を直視しない日本社会の今~西崎雅夫氏、加藤直樹氏らに聞く 2016.9.3

記事公開日:2016.9.3取材地: テキスト動画
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(取材・記事:城石裕幸、記事構成:城石エマ)

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 関東大震災から93年。この震災で7000人近い朝鮮人と数百人の中国人が日本人の手によって理由もなく虐殺され、その遺体にまで残酷な仕打ちがなされた。

 数々の証言や記録で、その犯行には武装した自警団(在郷軍人や青年団)だけでなく、警察や軍も深く関与していたことが明らかにされている。

 しかし、私たちの国・日本は93年間、公式な謝罪はおろか、責任を認める発言も実態の調査も、在日外国人に対する集団虐殺の再発防止措置も、行なってこなかった。そしてそれは今もなお、行われていない。

 2016年9月3日、事件の現場の一つであった東京都墨田区の荒川河川敷で、犠牲者への追悼式が行われた。

▲300人ほどが集まった荒川河川敷での追悼式

▲300人ほどが集まった荒川河川敷での追悼式

 関東大震災時の朝鮮人虐殺問題をめぐっては、11月17日に岩上安身が『関東大震災 朝鮮人大虐殺の記録』の著者・西崎雅夫氏にインタビューを行う。ぜひ、ご視聴いただきたい。

▲西崎雅夫氏著『関東大震災朝鮮人虐殺の記録:東京地区別1100の証言』

★岩上安身による『関東大震災朝鮮人虐殺の記録:東京地区別1100の証言』著者・西崎雅夫氏インタビュー
[日時] 2016年11月17日(木)15:30~17:30

記事目次

■ハイライト

  • 追悼の歌 朴保(パク・ポー)氏/磯部舞子(ベチコ)氏
  • 風物(プンムル
  • タイトル 関東大震災93周年 韓国・朝鮮人犠牲者追悼式
  • 日時 2016年9月3日(土)15:00〜
  • 場所 荒川河川敷 旧四ツ木橋付近(東京都墨田区)
  • 主催 ほうせんか詳細

「1923年9月、関東大震災時に、旧四ツ木橋あたりで犠牲になった方々へ。今年も皆様方を追悼するために私たちは集まりました」~一般社団法人「ほうせんか」代表・西崎雅夫氏が明かす虐殺事件解明まで

 「1923年9月、関東大震災時に、旧四ツ木橋あたりで犠牲になった方々へ。

 今年も皆様方を追悼するために私たちは集まりました。ここでの追悼式も35回目となります」

 そう開会の辞を述べたのは、追悼式の主催者である一般社団法人「ほうせんか」の代表、西崎雅夫氏であった。西崎氏は何年もかけて各地の図書館を回り、朝鮮人虐殺の具体的状況が読み取れる私家版の日記や町会の記録を収集し、『関東大震災朝鮮人虐殺の記録・東京地区別1100の証言』(現代書館)という一冊にまとめ上げた。

 その西崎氏が、事件が明らかになっていった経緯を次のように語った。

 「そもそものきっかけを作ったのは、絹田幸恵さん。この方は足立区の小学校の先生だったんですね。

 ある日、荒川放水路の歴史を教えていた。『この川は人工の川なんだよ』と教えたんだけど、子どもたちは信じなかったんですね。『先生、こんな大きな川が人の手で掘れるわけないよ』と子どもたちが言った。

 絹田さんが偉いのは、『自分の教え方が悪かったんだな』と思って、自分自身で荒川放水路の歴史を調べ始めた。夏休みを使いながら北区の岩淵から東京湾までずっと、お年寄りに昔の話を聞いていた。

 たまたまこのあたりで、『荒川の工事も大変だったけど、ここでは関東大震災の時にもっと大変なことがあったんだ。ここではたくさんの朝鮮人が殺されて、今もその遺体は埋められたままになっている』という話を聞いたんですね。それで絹田さんが呼びかけて追悼する会ができたのが1982年です」

 関東大震災時の朝鮮人・中国人の虐殺は、1人の女性の丁寧な聞き取り調査から、だんだんと明らかにされていった。

「人工河川」荒川の工事に従事した朝鮮人と、震災による猛火から逃れる群衆がぶつかったとき

 しかしなぜ、この地で、朝鮮人の虐殺などという惨事が起きたのだろうか? 西崎氏はこう続けた。

 「なぜここでそういう事件が起きたかというと地理的な理由があるんですね。この荒川放水路は人工の川なので、当然たくさんの労働者がこの開削工事に従事していました。その中に朝鮮人労働者が多かったんですね。街の中にも工場がありましたから、大きな工場の中で、主に力仕事で朝鮮人の労働者がたくさん働いていた。だから関東大震災の時、この地域にはたくさんの朝鮮人労働者が働いて住んでいた。

 そして震災で、今、後ろに見えるスカイツリーのあたりまでずっと火の海になった中、ここは焼け残った地域なんです。ですから焼けた地域からどんどん人が避難してくる。避難してきた人がこの荒川放水路にぶつかって、さらに先に行こうと思った時に人々は旧四ツ木橋を渡っていった。だからここに人が集中した」

 もともと多くの朝鮮人労働者が集中している地域に、震災による火災から逃げてきた多くの人が押し寄せたのだ。

パニックに陥った群衆と軍が生んだデマと虐殺の惨劇

 人工河川・荒川が生んだ地理的条件は、朝鮮人の虐殺という信じがたい事件につながった。西崎氏は次のように語る。

 「9月1日の夜だけでも2万人くらいの人がここに避難していたと言われています。そこに流言蜚語・デマが流れるんですね。今燃えてるのは『あれは朝鮮人が火をつけたんだ』。火事で起きる爆発は、『朝鮮人が爆弾を投げている』。『井戸に毒を入れている』『集団で襲ってくる』とも言われた。

 で、ここでは9月1日の夜から自警団による虐殺事件が始まります。9月1日の夜にそこにあった四ツ木橋の向こう側、葛飾側で自警団に捕まった人がチョ・インスルさん。自警団に連れられてこの橋を渡って寺島警察署に連行されるんですけど、朝、橋を渡ってきたら、もう橋の両側は死体の山だったといいます。橋の下の土手の所にも殺された同胞の死体があった」

 不安とパニックに包まれた群衆が、やり場のない気持ちを朝鮮人に向けた。凄惨な事件現場が、目に浮かぶようである。事件に関与したのは、自警団だけではなかった。

 「9月2日か3日になると軍隊がやってきた。千葉の習志野から騎兵連隊がやってきます。川向こうの四ツ木に住んでいた浅岡重蔵さんは、こんなふうに言っていました。

 『四ツ木橋の下の河原に10人ずつくらい朝鮮人を縛って並べて、軍隊が機関銃で撃ち殺したんです。向こうを向かせておいて背中から撃った

 この他にもこういう証言をしてくれた人がたくさんいます。ですからここではさらに犠牲者が増えてしまった。軍隊が機関銃で撃ち殺したから

 のちの新聞なんかを見ると、殺された朝鮮人の方たちの遺体がこの真後ろの土手の下、河川敷のあたりに埋められていたということが記録に残っています。だいたい100人くらいの人が殺されて埋められていた

▲一般社団法人「ほうせんか」代表・西崎雅夫氏

▲一般社団法人「ほうせんか」代表・西崎雅夫氏

 震災の裏で行われた朝鮮人虐殺には、まぎれもなく軍と国家が関与していたのである

 しかし今、この事実は歴史から消去されようとしている。横浜市の使う中学副読本「横浜の歴史」から「軍隊や警察、自警団による朝鮮人や中国人の虐殺」という記述が消され、その上日本会議系議員の要求で、すべての旧副読本を配布した子どもたちから回収し、溶解処分にしたのだ。詳しくは次の記事をご覧いただきたい。

 軍と国家が朝鮮人を虐殺した文化・歴史的背景を調べるときに特筆すべきは福沢諭吉の存在だ。明治維新後、欧米の帝国主義諸国と列をなす決断をした日本政府にとって、日本列島の目と鼻の先に位置する朝鮮半島をいかにして勢力下におさめるかということが、焦眉の課題となっていたが、朝鮮半島の権益をめぐり、1894年に勃発した日清戦争を前に、福沢諭吉はさかんに朝鮮に対する武力侵略を主張しているのだ。

 福沢諭吉の実像については、『福沢諭吉のアジア認識』『福沢諭吉と丸山眞男』『福沢諭吉の教育論と女性論』など、福沢諭吉に関する数多くの研究書を発表している名古屋大学名誉教授の安川寿之輔氏に岩上安身がインタビューを行っているのでご参照いただきたい。福沢が残した文献をひとつひとつ繙きながら、侵略戦争のイデオローグであり、「ヘイトスピーチ」の元祖としての福沢諭吉の実像に迫ったインタビューである。

 このインタビューはサポート会員限定であるが、それ以外にも見どころのあるインタビュー記事が豊富なため、サポート会員への登録・切り替えを、ぜひともご検討いただきたい。

 また名古屋大学名誉教授の安川寿之輔氏は、2016年12 月 4 日(日)に福沢諭吉についての研究報告を行う予定であるので、そちらもおすすめだ。

遺骨持ち去り、追悼碑建設の拒否――国と墨田区に「反省」はなし?

 さて、国と自警団によって殺された朝鮮人労働者の方々の悲劇は、それだけではなかった。

 「私たちが1982年に会を作った時、当時殺された人の遺骨がまだ埋まったままになっていると聞いた。ですから一度掘ってみた。掘ってみたけど結局遺骨らしいものは何も出なかった。

 この時の発掘の条件が『その日に掘った場所はその日のうちに必ず埋め戻すこと』という厳しいものだったから、時間的制約のために遺骨が出なかったんだろうと思ってその後も調査を続けてきた。

 そうすると、実は関東大震災のあった1923年の11月に、警察が密かに掘り起こして遺骨をどこかに持って行ってしまった、という事実がわかった。

 亀戸事件というのがありました(※)。亀戸警察署の中で、日本人の運動家が10人殺されているんですけど、その人たちの遺体もここに、朝鮮人と一緒に埋められていた。

 その亀戸事件の犠牲者の遺族たちが『肉親の骨を返せ、明日骨を掘りに行くぞ』と言ったので、前の日の夜に警察が密かに遺骨を掘り起こしてどこかに持って行ってしまった。遺族が来た当日は、一切現場に遺族を近寄らせなかったということです。

 よく新聞を見ると、その2日後の11月14日、2回目の発掘が警察によって行われている。2回目もトラック3台分の遺体を発掘して運び去っています。そういうことが、後からわかった。

 その後、私たちは遺骨の発掘はあきらめて、せめて現場に追悼碑を作ろうという運動をやっていきます。ただ本当の事件の現場である、この土手とか河川敷は国有地。当時の建設省に相談しましたが、国の機関である建設省としては一市民団体にそういう許可を出すわけにはいかないと。ただ墨田区みたいな地方公共団体が協力するというのであれば考える、という話だった。

 で、今度は2000年に墨田区議会に陳情を出しました。一度は保留の審査になったんですけどよく2001年にその陳情が否決されてしまいました。

 結局墨田区も国も追悼碑の建立には協力できないという答えになった。それで最終的には、現在追悼碑が立っている、昔は居酒屋さんだった場所、その居酒屋さんのご主人に相談したんです。そのご主人が土地を売ってくれたので、やっと追悼碑ができたのが2009年9月。

▲2009年に「ほうせんかの家」に建てられた追悼碑

▲2009年に「ほうせんかの家」に建てられた追悼碑

 追悼碑を作る前から『チャリティーコンサートほうせんかの夕べ』なんかをやっていました。第一回の『ほうせんかの夕べ』には永六輔さんも駆けつけてくれた」

 国や墨田区が追悼碑の建設を拒む姿は、震災に乗じた外国人や社会主義者の虐殺を認めない反省のなさを、そのまま反映しているのではないか。

「本当の和解とは、加害の歴史に正面から向き合って多民族が幸せに生きていける日本社会の実現を目指す、その中でしか達成されないだろう」

 虐殺の記憶を、過去のものにしてはいけない。西崎氏は、現在の日本の現状について次のように語った。

 「今年の5月、やっとヘイトスピーチ解消法ができた。多くの問題点がある法律ですけど、それでもやっと国が『不当な差別的発言は許さない』という立場に立ってくれた。『ヘイトスピーチは違法だ』という、極々当たり前のことがやっと法律をバックに主張できるようになった。

 一歩前進ではあるが、でも私たちは、93年前に虐殺された犠牲者のみなさんの前で本当に喜べるか。

 いまだに朝鮮高校だけは無償化から外されている。各地方公共団体は朝鮮学校への補助金を減らせと圧力を受けて、そうしようとしています。93年前に朝鮮人というだけで次々と殺されていった犠牲者の皆さんから見れば、日本社会の中で現在もなお、同胞が苦難を強いられている実態は耐え難いことだろうと思います。

 私たちは追悼碑の裏に『この歴史を心に刻み、犠牲者を追悼し、人権の回復と両民族の和解を願ってこの碑を建立する』と刻みました。

 本当の和解とは、加害の歴史に正面から向き合って多民族が幸せに生きていける日本社会の実現を目指す、その中でしか達成されないだろうと思っている。その日を迎えるまで私たちはこれからもこの場で追悼を続けていきます」

 歴史を学ばずして、本当の前進はない――。西崎氏は、そのように訴えているのではないだろうか。

「93年前、私たちの先祖はみなさんのご先祖と同じくここで日本人に殺されました」~江東区の中国人虐殺犠牲者の遺族が語る

 震災当時、江東区大島あたりには中国人労働者が多く集まっていた。ここでも民衆・警察・軍隊による数百人規模の中国人虐殺事件があった。

 追悼式には中国・浙江省からも中国人犠牲者の遺族が訪れ、「93年前、私たちの先祖はみなさんのご先祖と同じくここで日本人に殺されました。私たちは遺族として、日本政府の責任を追及し続けたいと思います。歴史の正義を守りたいと思います」と語り、虐殺事件の真相究明を訴えた。

▲中国人犠牲者の遺族

▲中国人犠牲者の遺族

「気をつけな。明日あたりまた大きな地震がくるよ。そしたら日本人がまた朝鮮人を殺しに来るから」目撃者は忘れない、虐殺の記憶

 2003年、関東大震災から80周年の年、日本弁護士連合会は当時の小泉純一郎総理にあてて勧告書を出した。勧告書には、以下のようにある。

国は関東大震災直後の朝鮮人・中国人に対する虐殺事件に関し軍隊による虐殺の被害者遺族、および虚偽事実の伝達など国の行為に誘発された自警団による虐殺の被害者遺族に対し、その責任を認めて謝罪すべきである。
国は、朝鮮人中国人虐殺の全貌と真相を調査し、その原因を明らかにすべきである。

 IWJ代表・岩上安身と鼎談を行った梓澤弁護士は、「実は、関東大震災では、市民だけではなく、軍が直接7~800名を虐殺したことが、記録から明らかになっている。本来なら軍法会議で裁判があるはずだが、一切、行われなかった。つまり今度、大震災など自然災害があった場合、国防軍が、反政府主義者を虐殺しても記録に残らないということだ」と指摘し、警鐘を鳴らしている。

 さらに、「各資料から総合すると、軍と自警団による虐殺は、数千人規模になると考えられ、日弁連は2003年7月、日本政府に対し、謝罪と再調査の勧告をしました。しかし、現在まで政府は何の反応も、反省もしていません」と梓澤氏は述べている。この発言の詳細は鼎談をまとめた『前夜・増補改訂版』に掲載されているので、ぜひお買い求めいただきたい。

 さて、日弁連の報告書が作成されるにいたった経緯は、事件当時、品川区大井に住んでいて、父親の友人が虐殺されたり、殺害された遺体に残酷な仕打ちをされたりするのを見た、ムン・ムソンさん(当時15歳)という女性が、1999年、日本弁護士連合会に人権救済申し立てを行ったことにより調査が始まり、勧告に至ったというものだ。

 追悼式では、ムンさんの娘ユン・ボンソルさんがスピーチを行った。

(…会員ページにつづく)

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  1. 田中康夫 より:

    西崎さんの活動を今日、テレビで観て初めて知りました。
    私も祖父や祖母から直接にそのことを聞いています。
    小池都知事の今回の対応も含め、当時の事を知らない世代が事実を覆い隠す風潮は同じ日本人としてとても恥ずかしい。
    西崎さんの熱意と愛情ある活動を応援します。

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