「今、起きているヘイトスピーチの原点は関東大震災だ」ーー。
1923年9月に起きた関東大震災の混乱の中で、「朝鮮人が放火している」「井戸に毒を投げている」という流言蜚語を信じた人々が、数千人の朝鮮人や中国人を無差別に虐殺した。あれからちょうど91年が経った9月6日、虐殺現場の一つ、墨田区八広の荒川河川敷で、33回目となる犠牲者追悼会が行なわれた。
追悼歌を歌うため、ミュージシャンの趙博(チョウ・パギ)氏が大阪から駆けつけた。趙氏は挨拶の中で、「本当にめげてしまいそうなのですが、ヘイトスピーチが今、関西では酷いことになっている。関東大震災はまだ終わってない」とため息を漏らしながら訴えた。
趙氏の友人であり、街宣やネット上でのヘイトスピーチと闘っているライターの李信恵(リ・シネ)氏のほか、「九月、東京の路上で」の著者、加藤直樹氏、虐殺の犠牲となった中国人労働者の遺族18人も参加。日本人、在日朝鮮・韓国人、中国人からなる約200人が虐殺の現場に一斉に集い、犠牲者に追悼の意を捧げた。
- (13時から行われた映画「隠された爪跡」「追悼碑誕生」は録画に含まれません)
- 追悼の花束作り(荒川河川敷)
- 追悼式 追悼の歌 趙博(パギやん)氏(吾嬬の里)
虐殺の事実を直視して欲しい
無差別に虐殺されたのは朝鮮人だけではない。数百人の中国人労働者や留学生も狙われ、殺されている。今年の追悼会には、中国・浙江省(せっこうしょう)の温州市(おんしゅうし)や麗水市(れいすいし)からひ孫にあたる世代の18人が、遺族代表として来日。都内の虐殺現場を訪れた足で、追悼会に参加した。
「700人近い人がいなくなって、村では長い間、苦しみに耐えた。殺された遺族はその後も悲惨な生活を強いられた。この歴史的な事実を公にするのと同時に、日本政府にその責任を認めさせ、謝罪させ、この歴史を直視するよう求めたい」
当時の中国人労働者たちは、同じ村々からまとまって日本に出稼ぎに来ていた為、故郷の村は一気に働き手を失い、村の存続が危ぶまれるほど困窮したという。遺族の一人である周氏は、追悼会の開催に感謝の意を示すと共に、虐殺した歴史から目を逸らさないで欲しいと呼びかけた。
「徹底的二隠蔽スルノ外ナシ」ーー。1923年、当時の日本政府は、中国人労働者虐殺事件の隠蔽を閣議決定したまま、今日に至る。
中国に戻った生存者、黄子蓮氏
遺体の下に身を隠し、生き延びた人物がいた。中国人労働者として日本で暮らしていた、黄子蓮(オウ・シレン)氏である。ひどい怪我を負いながらも上海に辿り着いた黄氏によって、中国人労働者虐殺のニュースはまたたく間に中国国内に広がった。当時、中国は関東大震災で苦しんでいた日本に対し、経済・食料支援を行なっていたが、支援の手を弱めたという話もある。
追悼会終了後、黄子蓮氏のひ孫にあたる黄健豊氏にインタビューすると、黄氏は、曽祖父の身に降りかかった悪夢について詳細に語ることができた。忘れ去られないよう、代々、語り継がれているのだという。他方、日本人のほとんどは、虐殺の歴史について知る由もない。それについて黄氏は、「事実は抹消しようがない。マスコミを通して広く国民に知らせて欲しい」とカメラに向かってメッセージを寄せた。
黄子蓮氏は中国に帰国後、襲撃された時に負った傷が癒えることなく、病状は悪化。働くこともできず、亡くなっている。
「『しっかりがんばれ』と言われているような気がする」
在特会やまとめサイト「保守速報」の提訴について記者会見を開くために上京していた李信恵氏は、「この場所に呼ばれたような気がする」とスピーチした。追悼会終了後、李氏に胸の内を聞いた。
「91年前に起こった悲しい出来事を二度と起こしてはいけないという気持ちを新たにした。ヘイトデモと(それに伴う)デマは、91年前に起こったことを繰り返しているよう。私の先祖、私と同じルーツを持つ人たちが、私に『しっかりがんばれ』と言ってくれているような気持ちです」
「九月、東京の路上で」加藤直樹氏