先月1月30日、日比国交正常化60周年の友好親善を目的として、フィリピンを訪問していた天皇、皇后両陛下が日本へ帰国されました。両陛下は、29日には戦没者の慰霊のためルソン島のカリラヤを訪れ、日本人戦没者を悼む「比島戦没者の碑」に供花されました。27日には、フィリピン側の「無名戦士の墓」にも訪れて拝礼したと伝えられています。
フィリピン・ルソン島はアジア・太平洋戦争中、日米両軍による戦闘が凄惨を極めた場所として知られています。日本軍は補給が完全に途絶えて餓死者が続出したといいます。部隊としての統制はもはやとれず、飢餓状態の日本兵は食料を求め、現地の人々への襲撃を繰り返しました。
ちなみに、作家・大岡昇平の『野火』では、戦時中のフィリピンを舞台に、こうした末期状態の日本兵がお互いを殺し合い、食い合うという「共食い」をテーマに、戦争の悲惨な現実が描かれています。ちょうど昨年7月には塚本晋也監督がこの作品を映画化して話題になりました。
ルソン島では敗戦の4日後、8月19日に「マレーの虎」の異名をとった山下奉文大将がようやく停戦命令を受容しましたが、全軍が降伏するのに半年かかりました。日本軍戦死者はフィリピン全体で52万人とされていますが、現地のフィリピン人の犠牲者はこの倍の111万人とされています。
日本軍と米軍が戦ったのであって、フィリピンは戦場にさせられたのに、その戦場にさせられた国の国民の方が犠牲者が多い。これは戦争の常であり、心痛む事実です。日本人は本当にアジアの諸国民を苦しめ、犠牲にしました。代がかわっても忘れるべきではないと思います。
天皇・皇后両陛下による今回の慰霊は、平和への強い願いと、悲惨な戦争の記憶の継承への強い思いが込められていると考えられます。また日本人戦没者への追悼だけでなく、日本がフィリピンに与えた被害についても、日本人の代表として自戒を込め、常に心を寄せておられたことがよく伝わってきました。
「保守」を自認する方は、両陛下の姿勢を「自虐的」だと批判するでしょうか?
天皇陛下は、今度の訪比に際し、戦争の被害を受けた相手国側の心情に、常に配慮されていました。例えばそれは、出発前に語られた挨拶の言葉によくあらわれています。以下、全文を引用します。
「膨大な数に及ぶ無辜のフィリピン市民が犠牲になりました。私どもはこのことを常に心に置き、この度の訪問を果たしていきたい」
「この度、フィリピン国大統領閣下からの御招待により、皇后と共に、同国を訪問いたします。
私どもは、ガルシア大統領が国賓として日本を御訪問になったことに対する答訪として、昭和三十七年、昭和天皇の名代として、フィリピンを訪問いたしました。それから五十四年、日・フィリピン国交正常化六十周年に当たり、皇后と共に再び同国を訪れることをうれしく、感慨深く思っております。
フィリピンでは、先の戦争において、フィリピン人、米国人、日本人の多くの命が失われました。中でもマニラの市街戦においては、膨大な数に及ぶ無辜のフィリピン市民が犠牲になりました。私どもはこのことを常に心に置き、この度の訪問を果たしていきたいと思っています。
旅の終わりには、ルソン島東部のカリラヤの地で、フィリピン各地で戦没した私どもの同胞の霊を弔う碑に詣でます。
この度の訪問が、両国の相互理解と友好関係の更なる増進に資するよう深く願っております。
終わりに内閣総理大臣始め、この訪問に心を寄せられた多くの人々に深く感謝いたします」
- 天皇陛下 出発前のお言葉 全文(中日新聞 2016年1月26日付)
「貴国の国内において日米両国間の熾烈な戦闘が行われ、このことにより貴国の多くの人が命を失い、傷つきました。このことは、私ども日本人が決して忘れてはならない」
また1月27日にアキノ大統領主催で行われた晩餐会でも、次のような挨拶をされています。以下、これも全文引用します。
「貴国と我が国との国交正常化60周年に当たり、大統領閣下の御招待によりここフィリピンの地を再び踏みますことは、皇后と私にとり、深い喜びと感慨を覚えるものであります。今夕は私どものために晩餐会を催され、大統領閣下から丁重な歓迎の言葉をいただき、心より感謝いたします。
私どもが初めて貴国を訪問いたしましたのは、1958年12月、ガルシア大統領御夫妻が国賓として我が国を御訪問になったことに対する、昭和天皇の名代としての答訪であり、今から54年前のことであります。
1962年11月、マニラ空港に着陸した飛行機の機側に立ち、温顔で迎えて下さったマカパガル大統領御夫妻を始め、多くの貴国民から温かく迎えられたことは、私どもの心に今も深く残っております。この時、カヴィテにアギナルド将軍御夫妻をお訪ねし、将軍が1898年、フィリピンの独立を宣言されたバルコニーに将軍御夫妻と共に立ったことも、私どもの忘れ得ぬ思い出であります。
貴国と我が国の人々の間には、16世紀中頃から交易を通じて交流が行われ、マニラには日本町もつくられました。しかし17世紀に入り、時の日本の政治を行っていた徳川幕府が鎖国令を出し、日本人の外国への渡航と、外国人の日本への入国を禁じたことから、両国の人々の交流はなくなりました。その後再び交流が行われるようになったのは、19世紀半ば、我が国が鎖国政策を改め、諸外国との間に国交を開くことになってからのことです。
当時貴国はスペインの支配下に置かれていましたが、その支配から脱するため、人々は身にかかる危険をも顧みず、独立を目指して活動していました。ホセ・リサールがその一人であり、武力でなく、文筆により独立への機運を盛り上げた人でありました。若き日に彼は日本に1カ月半滞在し、日本への理解を培い、来たる将来、両国が様々な交流や関係を持つであろうと書き残しています。リサールは、フィリピンの国民的英雄であるとともに、日比両国の友好関係の先駆けとなった人物でもありました。
昨年私どもは、先の大戦が終わって70年の年を迎えました。この戦争においては、貴国の国内において日米両国間の熾烈(しれつ)な戦闘が行われ、このことにより貴国の多くの人が命を失い、傷つきました。このことは、私ども日本人が決して忘れてはならないことであり、この度の訪問においても、私どもはこのことを深く心に置き、旅の日々を過ごすつもりでいます。
貴国は今、閣下の英邁(えいまい)な御指導のもと、アジアの重要な核を成す一国として、堅実な発展を続けています。過ぐる年の初夏、閣下を国賓として我が国にお迎えできたことは、今も皇后と私の、うれしく楽しい思い出になっています。
この度の私どもの訪問が、両国国民の相互理解と友好の絆を一層強めることに資することを深く願い、ここに大統領閣下並びに御姉上の御健勝と、フィリピン国民の幸せを祈り、杯を挙げたいと思います」
「加害の事実」に言及した天皇陛下と歴史に不誠実な安倍政権
このように、天皇、皇后両陛下による太平洋の島々での戦没者の慰霊では、戦時中に日本が相手国に犯した「加害の事実」について率直に言及し、相手国の心情に配慮された姿勢や言葉で貫かれています。
「保守」を自認する方は、このような両陛下の姿勢を「自虐的」だと批判するでしょうか? 平和を求める上で、両陛下が示しておられるこうした姿勢について、日本のメディアはもっと注目すべきだと思います。
それに対し、安倍政権の歴史に対する向き合い方は、コントラストが明確なまでに不誠実です。昨年8月15日に出された「安倍談話」では、安倍首相自身の肉声が乏しく、傍観者的な印象に終止しました。
「侵略」については、中国などに対する日本の行為を「侵略」とは言い切っておらず、その後「具体的にどのような行為が侵略に当たるか否かについては、歴史家の議論に委ねるべきだ」と発言しているので、なおさら不信感が残ります。
「植民地支配」についても「植民地支配の波は、19世紀、アジアにも押し寄せてきた」「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけた」などと使用し、あたかも自分たちの侵略を解放戦争であるかのように位置づけ、「白人支配から解放すべきアジア」に対して、白人にとってかわって支配しようともくろんだ、加害者としての立場を意図的にごまかしています。自己美化、粉飾、歴史の捏造です。
また特定秘密保護法や武器輸出三原則の緩和につづき、昨年9月には安全保障関連法案を強行採決し、「米国とともに、戦争のできる国」づくりを急ピッチで進めてきました。今夏の参院選後には、いよいよ「明文改憲」を打ち出しています。その改憲によって、緊急事態条項が憲法に書き込まれてしまい、実際に発令されたら、時の内閣総理大臣が万能の独裁者となります。
過去を直視し、他の国家や民族と信頼関係を築き、平和を大切にしよう、と呼びかけ続ける天皇・皇后両陛下と、現在の政権・与党の突き進む方向との間には、とてつもない距離が生まれてしまっています。
日本の歴史を大事に思い、皇室を大切にするのが「保守」のはずです。「保守」を自認する者であれば、天皇陛下による平和への願いに、今こそ耳を傾けるべきではないでしょうか?
また国民は、天皇の示す日本国民と他国民との分け隔てのない心のつくした慰霊のあり方や、侵略戦争への謝罪、反省、そして歴史に学ぶ謙虚な姿勢、何よりも平和と友好を望む願いを支持するのか、安倍政権の野卑で無様な「軍国主義」化に、付き従っていくのか、そろそろこの両者の違いをはっきり対比し、意識して、それぞれが考えるべき時にさしかかっていると思われます。
このまま日本がアメリカによる戦争の「下請け」国家になることが果たして「日本のため」なのか。「保守」を自称する者は、対米従属にいかに抵抗するべきなのか。改めて考えるべきではありませんか?
IWJでは、これまで、岩上さんが聞き手となって旧日本軍による戦争の歴史について検証するインタビューシリーズを配信してきました。ぜひ、IWJの動画アーカイブをご覧ください。
日本のマスコミの報じない事実!天皇陛下の訪比にあわせ、マニラで元慰安婦のフィリピン人女性たちが抗議集会
ところで、今回の両陛下によるフィリピン訪問については、日本のメディアは主に両陛下の現地の動向に焦点を当てるのみで、フィリピンの市民たちが実際どのようにお二人の訪問を受け止めたのかについては、具体的な報道が乏しかったように思います。
「欧米の帝国主義からのアジア解放」を謳いながら、実際には「帝国主義」の当事者としてアジアを侵略した日本の当時の最高責任者は、昭和天皇でした。戦後70年が経つとはいえ、被害者がまだ生存し、侵略の記憶が根強く残っている被害国で、その昭和天皇の息子の今上天皇自身が実際に姿を現すとあっては、現地の市民から長年くすぶっていた葛藤の入り混じった複雑な感情で表にあらわれたとしても、不思議なことではありません。
実際、今回も両陛下のフィリピン訪問に合わせて、マニラの大統領府近くでは「元慰安婦の女性たちによる抗議集会」が開かれていました。日本のメディアがほとんと報じなかった出来事です。
被害者の一人は「日本が韓国の元従軍慰安婦問題の支援に合意したのなら、フィリピンの元慰安婦はどうするのですか? 我々も犠牲者であるので、日本は我々にも対応しなければなりません」と語っていたとのことです。日本と韓国の間の外交決着は大きなニュースとして、他のアジア諸国でも流れます。被害者の立場に立てば、これは当然の主張ではないでしょうか。
1941年12月、日本軍はフィリピン・ルソン島へ上陸し、すぐにマニラを陥落させたあと、1942年1月3日から軍政を実施しました。フィリピンでは、マニラをはじめとして、各都市に軍慰安所がつくられました。日本人、朝鮮人、中国人の慰安婦が送り込まれましたが、現地のフィリピン人女性も本人の意志に反して強引に慰安婦にされたことは、今の日本でどれくらい知られているでしょうか?
元慰安婦とされたフィリピン人女性、エステリータ・デイさんに、岩上さんが直接インタビュー
IWJでは、支援団体「リラ・ピリピーナ」の協力を得て、フィリピン人の元慰安婦エステリータ・デイさんに、岩上さんが直接お話しをうかがったことがあります。
エステリータさんは、インタビューの中で、次のように語っておられます。
「10月か11月のある日、ライフル銃を携えた日本兵が、ゲリラ容疑で捕まえたフィリピン男性たちを市場の近くにある広場に連行してきた。日本兵は、捕まえた人たちの首をはねたり、ライフルで撃ったりした。居合わせた市民は一斉に逃げたが、私は足をすべらせ逃げ遅れてしまった。そして、1人の日本兵に腕をつかまれた。彼らが駆ってきたトラックに強引に乗せられ、連れて行かれた」
エステリータさんが連れて行かれたのは、タリサイにある、もとは砂糖工場だった日本軍の駐屯地だったといいます。エステリータさんは「すぐに一角にある小屋に押し込められ、1人の日本兵が入ってきて私を押さえつけてレイプした。そのあと2人の日本兵、その後も数人にレイプされた。さらに別の日本兵がレイプしようとしたので抵抗すると、壁に頭を打ちつけられ意識を失った」と証言。目が覚めると、そばにいたリンダという名の女性に「抵抗するな」と忠告されたといいます。
岩上さんが「無理に連行されたフィリピン人女性は、あなた以外にもいたのか」と尋ねると、「トラックには、ほかにも女性が乗せられていたが、彼女たちは別の場所に連れて行かれた。翌日も日本兵が小屋にやってきたが、日本語がわかるリンダさんが『この子は体が弱っている』と説明してくれたため、無事だった。が、3日後から、またレイプが始まった。3週間後にアメリカ軍が来て、解放された」と、その辛い過去について証言して下さいました。
支援団体「リラ・ピリピーナ」が確認しただけでも、こうしたフィリピン人女性の被害者は174名。スタッフのレチルダさんは「お金を稼ぐために慰安婦になったケース」は「われわれが知る限りない。174人全員が強制連行され、レイプされた」と述べておられます。
稲田朋美氏、日本軍による韓国従軍慰安婦「戦時中合法であったことは事実」
2013年には、当時、内閣府の特命担当大臣(規制改革担当)だった稲田朋美氏が、IWJ記者の質問に答えて、日本軍による韓国従軍慰安婦について「戦時中合法であったことは事実」と発言しています。このように、政府・与党内の議員からは歴史的事実をはなから無視し、踏みにじり、事実を認めようとしない心ない発言がずっと繰り返されてきました。
IWJでは、こういった状況に憂慮し、岩上さんが従軍慰安婦問題に詳しい専門家にインタビューするなどして、歴史的事実に基づいた記事を配信してきました。
慰安婦問題は、決して「日韓」だけの問題ではありません。両陛下のフィリピン訪問でも見えてきたように、日本軍が侵攻したアジア諸国の至るところで起こした問題であり、その苦しみ、痛みの記憶は、被害を受けた現地の人々に深く刷り込まれています。
IWJでは引き続き、この問題と日本政府の挙動に注視し続けたいと思います。どうぞご注目ください。アーカイブの動画やテキストも、ぜひこの機会に、会員登録をしてご覧になってください。
また、天皇陛下については、IWJの原佑介記者が、非常に読み応えのあるルポを発表しています。どうぞこちらもご一読いただければと思います。
「足尾銅山鉱毒事件」で直訴状を出したことで知られる、田中正造ゆかりの地を巡った、その名も「【IWJ検証レポート(その1)】113年の時を超えて届いた田中正造の『直訴状』~『足尾鉱毒事件』の跡をたどった天皇陛下の胸中を探る旅」です。群馬県、栃木県を訪れた天皇、皇后両陛下の胸中に迫る、迫真のルポになっています。ぜひ、会員にご登録いただき、全編をお読みください!
稲田朋美は弁護士なので、いくらなんでも売春防止法立法の経緯は知っている。1958年(昭和33年)4月1日から施行された売春防止法立法の最大の理由は人身売買の禁止で、簡単に言うと性奴隷の売り買いの禁止である。それ以前の戦前戦中に性奴隷の売り買いが無かったと本気で言っている人は無知か、何らかの集団の利益を代表して論陣を張っている可能性が高い(橋下徹なんかそうなんだが)。
首相の周辺の主要な国会議員の発言は主要な言語に翻訳される。つまり稲田朋美の発言は対外的には、屁理屈を並べ人身売買集団の弁護をしているとみなされると云うことだ。別の言い方をすると首相自身がそういう集団の一員だとみなされる発言を稲田はしているのだ。こんな稲田を見方だと理解しているとしたら安倍はただのアホである。
現在の従軍慰安婦論議をするほとんどの人の問題点は、従軍慰安婦時代の売買春が管理売春であり人身売買だという観点が抜けているということだ。昔からそうなんだが、女性は騙したり、さらったりして連れてくる場合が多いんです。映画の『おりん』とか『鬼龍院花子の生涯』にその辺りがよく描かれていると思う。