【IWJ検証レポート(その1)】113年の時を超えて届いた田中正造の「直訴状」 〜「足尾鉱毒事件」の跡をたどった天皇陛下の胸中を探る旅 2014.6.3

記事公開日:2014.9.26取材地: テキスト動画独自
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(記者:原佑介)

★ 全編動画をアップしました(9月27日)

 憲法や民意を露骨に蔑ろにする安倍政権下で、我々の依って立つ足場がひどくグラついている。そう感じる人も多のではないか。僕はそうだ。そしてそのことにえらく焦っているし、腹が立っている。毎日のようにだ。

 この夏、辺野古沖では、米軍の基地建設に反対する市民に対し、海上保安庁が強引な排除を連日、行っている。沖縄県民は「普天間飛行場の県外移設」を掲げた仲井真弘多氏を県知事に選び、「辺野古新基地建設反対」を掲げた稲嶺進氏を名護市長に選出し、民意を示した。

■全編動画

 ところがその仲井真知事が手のひらを返して、辺野古新基地建設のための埋め立て許可申請を承認し、沖縄の8割の県民が反対しているというのに工事は強行されようとしている。仲井真知事の決定は、公約破り、有権者に対する裏切りである。さらに安倍総理に至っては、思うように作業が進まない現状にキレて、防衛官僚を「なぜ作業が遅れている。さっさとやれ!」と怒鳴りつけたという。

 集団的自衛権行使を容認する解釈改憲の閣議決定が行われたのは、7月1日。先々月のことである。安倍政権は国民の多くの反対を押し切り、改憲手続きを踏まず、平和憲法の骨格を壊す第一歩を踏み出した。

 安倍政権が壊そうとしているのは、戦争放棄をうたった「憲法9条」だけでない。改憲手続きを定めた憲法96条も踏みにじったし、憲法の尊重義務を定めた憲法99条にも堂々と違反したのだ。

 憲法99条「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」――。

 憲法とはそもそも、国民が権力者にあてて、この権力を制約するためのものだ。ということは、権力者に憲法の尊重、擁護を義務づけたこの憲法99条こそ、憲法の精髄なのではないのか。

 安倍総理以下、「権力者」がろくろくこの憲法99条を守ろうとしないなか、率先して守っている人がいる。天皇皇后両陛下である。

田中正造の足跡を追った天皇皇后両陛下の足跡

 天皇、皇后両陛下が2014年5月21、22日の二日間にわたって、私的旅行で群馬県、栃木県を訪れ、田中正造ゆかりの地を見て回った。両陛下は佐野市郷土博物館で田中正造の「直訴状」を閲覧し、多くのメディアが「113年の時を経て、田中正造の直訴状が天皇陛下に届いた」として感動的に取り上げた。

 さらに両陛下は「公害の原点」の舞台となった足尾銅山、渡良瀬遊水地にも足を運び、現在にも残る被害の爪痕を見て回った。

 このニュースをまだ記憶している人もいるだろう。しかし、両陛下の私的旅行から垣間見える、両陛下の「思い」にまで言及したメディアは少なかったのではないか。

 環境問題に多大な関心を示し、最近では平和憲法の尊さをしきりに訴える天皇陛下が、今回の私的旅行で、何に対して関心を示されたのかが、大手メディアの報道からは伝わってこない。

 両陛下は、なぜ、今、足尾鉱毒事件のゆかりの地を旅行してまわったのか。そこにはどのような意味が、あるいはメッセージが込められていたのだろうか。ご本人にお聞きする手だてがない以上、答えはわからない。

 それでも、その答えの一端には触れることができるだろう。足尾鉱毒事件とは何か、田中正造とは何者か、改めて理解を深め、天皇、皇后両陛下が2日間の旅で何を見て、何に触れたのかを知ることである。

 「両陛下の足跡を追え」

 IWJ・岩上安身代表から僕に指示がくだったのは、5月末のことだった。

初夏の北関東に惹かれて

 集団的自衛権をめぐる国会情勢も慌ただしい中、思いがけないテーマを与えられて少し困惑した。企画の意図もすぐには飲み込めなかった。けれども、岩上さんの続けた言葉につられた。

 「こんな初夏の最高の季節に北関東の高原を歩けるなんて羨ましいぞ」

 (うむ、確かにこれは仕事にしてはおいしい話かもしれない)と、くすぐられた。

 実は正直に言えば、僕は、足尾鉱毒事件も田中正造も、よく理解していなかった。足尾鉱毒事件といえば教科書でチラッと出てくる、過去の公害事件だろう、という程度の知識しかなかった。

 さらに白状すれば、天皇、皇后両陛下についても、特別な知識や感情を持ち合わせているわけでもない。平和に言及するお言葉を書いた記事に目を通す程度である。天皇制についても、賛成でも反対でもない。それを論じるほど真剣に考えたこともなかったし、知識の持ち合わせも、今までのところ十分ではない。何よりも、遠い。僕らの生活や人生からは遠すぎる存在である。そう思ってきた。

 しかし、そうであるからこそ、岩上さんのオーダーは自分が知らなかったことを学ぶいい機会だと思った。

 さっそくその日から「足尾鉱毒事件」のリサーチを開始し、いくつかの本を手に取り、資料を読み始めた。

静まり返った足尾の町

 僕は6月3、4日に田中正造のゆかりの地を見て回った天皇皇后両陛下の足跡を追った。

 群馬県桐生市から、渡良瀬川に沿うようにして伸びる国道122号線を北上する。122号線はかなりうねうねした山道で、カーブの連続である。車酔いしそうになりながら、IWJの社用車である中古のエルグランドの中でも資料を読み込んだ。

 ハンドルを握るのは、IWJ動画班のチーフ、古田晃司。今回は動画の撮影も行うため、彼がディレクター兼ムービーカメラマンとして同行した。ロケのスケジュールも、彼が分担してくれた。

 岩上さんから受けた指示は、情景を伝えるためにも「電車で取材に行け」というものだった。事前に取材のスケジュールを組み立てたが、途中まで電車で行き、現地でレンタカーを借りようとしたが、うまい具合に借りられる店が見つからなかった。取材スケジュールを優先して仕方なく予定を変更し、社用車で現場に向かうことにした。

 今回の取材を前に、岩上さんから受けたもうひとつの指示は、これまでのようなルポではなく、紀行文のスタイルで書くように、というものだった。しかし、紀行文をほとんど読んだことのない僕は、その書き方がいまいち掴めなかった。何度か原稿の書き直しを指示され、初夏の取材を秋口にようやく出す、という運びになった。ここまで遅れに遅れ、読者の皆さん、そして特に現場で取材に応えてくれた方々に、とても申し訳なく思う。

「非戦」「武力解除」を訴えた田中正造

 行きかけの車中の中までにわか勉強で詰め込んだことを書く――。

 田中正造が、「公害の原点」と呼ばれる「足尾鉱毒事件」と半生をかけて戦った政治家であること、その思い余って明治天皇へ「直訴状」を渡そうとして騒ぎになったこと、この2点くらいは僕も知ってはいた。IWJで働いてから、京都大学原子炉実験所助教の小出裕章さんが田中正造をリスペクトしているらしいこと、岩上さんがインタビューにいくと、研究室の机周りに「正造グッズ」がちりばめられていることを知った。けれども――。

 「富国強兵」「領土拡大」が声高に叫ばれる時代にあって「非戦」「武力解除」を訴え、憲法を何よりも愛した人物だったということはほとんど知られていない。かくいう僕も、その事実は、今回の取材の下準備で、初めて知ったことだ。

 田中正造の生涯は、今の時代を生きる我々にとっても、リンクする部分が多く、とても示唆に富んでいる。

 福島第一原発事故では、福島県の広大な土地が汚染され、いまだに13万人の避難者が故郷に帰れず、避難者は、今も十分な補償を受けていない。メルトダウンして溶け落ちた核燃料はどこにあるかさえわからず、海には毎日、汚染水が流れ出ている。

 足尾銅山から鉱毒がたれ流された時代と、ぴったり重なりあう。

 さらに今、安倍政権が何よりも力を入れているのは集団的自衛権の行使と、行使に向けた法整備である。安倍政権は国会での議論を軽んじ、与党だけで話し合い、最終的には閣議決定で憲法解釈を変えるという強硬手段に出た。こうした姿勢は、民主主義、立憲主義を否定することに他ならない。

 再び日本は戦争する国になり、戦後69年の日本の秩序そのものが崩壊してしまうかもしれない。ろくでもない時代だ、と思う。そんなろくでもない時代と、どう向き合っていけばいいのか。その手がかりが田中正造の足跡を辿ることで見つかる気がした。

「銅」の産出で栄華を誇った足尾銅山の今

 桐生市から山道を40キロほど行ったところに、「公害の原点」を生み出した足尾銅山がある。渡良瀬川上流、日光の山々に囲まれた栃木県日光市、足尾町。1973年に閉山し、銅の製錬所も1989年から休止している。以降、足尾町の人口は減少の一途をたどった。

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