「少しだも人のいのちに 害ありて 少しくらいはよいと云ふなよ」――
足尾銅山鉱毒事件を告発し、明治天皇への直訴を行ったことで知られる田中正造。彼が残したこの言葉、現代語に訳すと「少しでも人の命に害のあることに良いと言ってはならない」となる。
田中正造の思想の中核には「いのち」という概念があるのではないか。であるならば、現代を生きる私たちは、田中正造の「いのち」から、何を受け継ぐことができるか。
このような問題意識のもと、田中正造の生誕の地である栃木県佐野市で、「第41回渡良瀬川鉱害シンポジウム『田中正造の実像を知り、今何を受け継ぐか』」が開催された。
- 講演 加藤陽子氏(東京大学教授)「近代の戦争と田中正造」
- 報告 菅井益郎氏(国学院大学教授)「原発事故をめぐる現状と問題」
- 講演 小松裕氏(熊本大学教授)「3・11 正造ならどうするか」
- 日時 2013年8月25日(日)9:30~17:00
- 場所 佐野市中央公民館(栃木県佐野市)
- 主催 渡良瀬川研究会、田中正造没後100年記念事業を進める会、ほか
シンポジウムには、「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」の著者である加藤陽子氏(東京大学教授)と、「田中正造未来を紡ぐ思想人」の著者である小松裕氏(熊本大学教授)の2名が登壇し、講演した。
小松氏は、福島第一原子力発電所の事故時に、総理であった菅直人氏が「ただちに健康に影響はない」と指示を出したことと、田中正造が残した、人々の命の大切さに重きを置いた言葉を比較し、「反対のことを言っている」と指摘。また、小松氏は、足尾銅山の鉱毒が人々の健康にもたらす危険性を政府に訴え続けてきた田中氏の、当時国会で行ったエピソードなどを紹介し、「なぜ現代の政治家は田中正造のように、人々の命を大切にしないのか」と訴えた。