「日本の若者がアメリカの鉄砲玉になるなんて、僕は耐えられません」
『あたらしい戦争ってなんだろう?』(2003年7月、理論社)、『戦争ができなかった日本――総力戦体制の内側』(2009年8月、角川書店)など、膨大な史料にもとづいた戦史研究書を上梓している山中恒氏が、2013年7月31日、岩上安身のインタビューに答えた。
山中氏は安倍政権の政策について、「安倍総理は日本を戦前に戻したいと考えている。そのためには、軍がイニシアチブをとらねばならないと思っているのではないか」と語り、憲法改正や教育改革などを行うことで、国民を洗脳して国家に従わせ、戦争ができる国づくりを目指している」と、痛烈に批判した。また、現在すでに、他国の脅威や資源の枯渇を煽ることで国民をたきつけ、かつての“戦前”と同じような空気がつくられ始めていることを危惧。安倍政権は、“自衛戦争”の名目で、先制攻撃を可能にするよう「防衛大綱」に明記しようとしていると指摘した。
戦争という同じ過ちを犯さないためには、「国家的詐欺にひっかからないようにすること。若者は歴史を学び、新聞などのマスメディアを鵜呑みにしないことが大事だ」と山中氏は助言した。
- 日時 7月31日15時~
- 場所 IWJ事務所(東京都港区)
戦前に戻そうとしている安倍政権
14歳で敗戦を迎え、当時は「軍国少年だった」という山中恒氏は、1974年に刊行された『ボクラ少国民』をはじめ、戦争をテーマとする児童文学を数多く執筆している。
そんな戦争体験者である山中氏は、かつての経験から、憲法改正や教育改革を推し進めようとしている安倍政権について、「戦前に戻したいのではないか」と指摘。日本がアジア太平洋戦争をはじめる前、『軍人勅語』や『教育勅語』などをつくり、天皇を中心とした国体原理主義教育を国民にたたき込んだことを例にあげ、安倍政権が「かつて来た道」を歩もうとしていることに危惧を示した。
また、戦前に起こった“陸軍パンフレット事件”などを例にあげ、天皇を神格化し、『戦いは創造の父、文化の母である』と謳って、「文化、政治、経済、あらゆる面で、軍がイニシアチブをとるような体制をつくろうとした」と述べ、戦争に向かうための準備が着々と進められていった過程を説明。これについて岩上安身も、「とにかく国民は、起きてから寝るまでの全生活を、戦争のためにすべて導入するよう洗脳されたのだ」と、戦争がつくられていく過程のオカルトチックな恐ろしさを指摘した。
さらに山中氏は、「かつての戦争では『国家総動員法』が制定され、国民の私有財産もすべて没収された」ことを強調。ひとたび戦争が起これば、国民は生活のすべてを戦争のために投げ出さないといけない現実があることを訴えた。
洗脳はすでに始まっている
一方で山中氏は、「安倍首相が『戦前に戻す』と言っても、あれだけの国体原理主義の教育を、もう一度しようと思ってできるものではない」と言う。しかし、岩上はこれに対して、「(国同士の)小競り合いが起これば、腹が立つ。『生意気なシナが許せない』というような人も出てきて、頭に血がのぼり自己洗脳が進む。そういうトラブルに乗じて国の喧嘩の準備をエスカレートさせ、最終的には、赤紙1枚で臣皇民になっていくのではないか」と懸念を示した。
山中氏は、「そう簡単にいかない部分があると思うが、近頃の若い人たちは本も新聞も読まないので、簡単に洗脳される危険性もあるかもしれない」と、これに同意した。
岩上安身はさらに、自民党の憲法改正草案や、アベノミクスの問題点等を報道しないマスメディアの姿勢を例にあげ、「戦前、戦中もそうだったのではないか。もう、洗脳は始まっている」と、危機感をあらわにした。
山中氏も、「いずれ、流行歌や子どもの絵本など、あらゆるところにプロパガンダが入ってくる」と指摘。そのうえで、「そうなれば、簡単に洗脳される。アメリカが自分たちの味方だと思っていたら大間違い。もし、実際に日本が中国に手出しをすれば、アメリカはそっぽを向き、日本はすごく具合の悪い立場になる」とし、「かつて日本は『アジアのリーダーである』と言ってきたが、そうではなく『アジアの一員なのだ』という意識にもう一度戻ることが大切だ」と述べた。
先制攻撃を可能にしたい安倍政権
また、山中氏は、かつて安倍首相が、「侵略の定義は国際的に定まっていない」と発言した際に、アメリカが激怒したエピソードを披露。自身の著書『あたらしい戦争ってなんだろう?』でも書かれているように、1974年に、国際連合憲章のもとで侵略戦争の定義が定められたことを示唆。安倍首相の認識不足を批判した。
さらに、国際連合憲章には、『すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全ならびに正義を危うくしないように解決しなければならない』と明記されていることを指摘。アメリカのブッシュ前大統領が起こしたイラク戦争は国連憲章違反であり、これに追随した日本政府の理解不足も問題視した。
岩上安身はこうした指摘について、「侵略戦争の定義はされているが、自衛戦争の定義はまだ示されていない。安倍政権はブッシュ・ドクトリンの焼き直しをねらっているのではないか。『自衛のための戦争なんだ』ということで、敵基地攻撃、先制攻撃を可能にするよう防衛大綱に入れようとしている」と危惧した。
同じ過ちを繰り返さないために
戦争という同じ過ちを繰り返さないためにも、「『戦争とは何か』を知らせることが大事」と述べた岩上安身の指摘を受けて、山中氏は「戦争の悲惨さだけでなく、日本が加害者になって荒れていく部分にまで突っ込む必要がある」と主張。日清戦争後に日本の陸軍軍人・三浦梧楼が朝鮮王妃を殺害した事件等を例にあげ、朝鮮を植民地化していくために手段を選ばなかった日本軍の卑劣な加害性を批判した。また、その背景には、天皇制を中心とした国体原理主義が徹底して染みこんでしまっていたと述べた。
まとめとして山中氏は、次のように訴えた。
「『新聞は信用しないこと』、『マスコミは信用しないこと』。彼らは、いつでも権力と結びついている。そういうものを信じたら足元をすくわれる。『北朝鮮が攻めてくる』、『中国が攻めてくる』と言っているが、攻めてくる理由が全くない。もし、そういう理由付けをしているのならば、それは大概ありもしないつくられた妄想なので、疑ってかかるべき。国家的詐欺にあわないためには、歴史や国際法などを勉強してほしい」
(IWJテキストスタッフ・和田秀子)
―― 以下、全文文字起こし ――
山中恒先生の本は、このインタビューの後半にあるように、大林宣彦監督の映画の原作として、(『転校生』→『おれがあいつで、あいつがおれで』 / 『さびしんぼう』→『なんだかへんて子』) 読みはじめました。
そして、『とべたら本こ』 (いわさきちひろ画 理論社フォア文庫版)と、『ぼくがぼくであること』(角川文庫版)の二冊は、
いまでも私の物語への憧憬と昂奮の火種として、本棚に灯っています。
今回の「現代史」のお話は、ひとつひとつが直接現在につながっていて、例えば、新聞などの報道機関は、既に、『新聞は戦争を美化せよ! 戦時国家情報機構史』 と相似形で走り出している状況です。
このインタビュー中で紹介された数々の本を、私はまだ読んでいないので、岩上氏より提案があった、IWJによる先生の連続講座が実現すれば、どんなにいいだろうと思います。
歴史の事実を深く、深く知る事、これ以外に出発点はない。
山中先生と、ジャーナリストの岩上さん、長時間のインタビューを、どうもありがとうございました!
(附記) 岩上さんがインタビューをする時は、相手の著作をしっかりと読み込み、本がポストイットで、極彩色のムカデの足のようになっているのが観察できます(笑)。
このポストイットですが、最近私はあるきっかけで、寺田寅彦(1878-1935)の文章をまとめて読んでいて、寺田の子供の頃ですから明治中葉にも、これに似たようなものがあり、おもしろかったので、蛇足ながら引用します。
『不審紙』 寺田寅彦
子供の時分に漢籍など読むとき、よく意味のわからない箇所にしるしをつけておくために「不審紙(ふしんがみ)」というものをはり付けて、あとで先生に聞いたり字引で調べたりするときの栞とした。
短冊形に切った朱唐紙の小片の一端から前歯で約数平方ミリメートルぐらいの面積の細片をかみ切り、それを舌の先端に載っけたのを、右の親指の爪の上端に近い部分に移し取っておいて、今度はその爪を書物のページの上に押しつけ、ちょうど蚤をつぶすような具合にこの微細な朱唐紙の切片を紙面にはり付ける。この小紙片がすなわち不審紙である。かみ切る時に赤い紙の表を上にしてかみ切り、それをそのまま舌に移し次に爪に移してはり付けるとちょうど赤い表が本のページで上に向くのである。朱唐紙は色が裏へ抜けていなかったから裏は赤くなかったのである。
そのころでもすでに粗製のうその朱唐紙があって、そういうのは色素が唾液で溶かされて書物の紙をよごすので、子供心にもごまかしの不正商品に対して小さな憤懣を感じるということの入用をしたわけである。
不審が氷解すればそこの不審紙を爪のさきで軽く引っかいてはがしてしまう。本物の朱唐紙だとちっともあとが残らない。
(中略)
それはとにかく、日本紙に大きな文字を木版刷りにした書物のページに、点々と深紅の不審紙をはり付けたものの視像を今でもありありと思い出すことができるが、その追憶の幻像を透して、実にいろいろな旧日本の思想や文化の万華鏡がのぞかれるような気がするのである。