「今回、これだけの人が動いた。私は勝てると思っている。勝たなければならない」――。
中学1年生のとき、ひとりで反・イラク戦争運動に参加して以来、「許すな! 憲法改悪・市民連絡会」の高田健さんらとともに市民運動に取り組んできた菱山南帆子さん。現在、特に安保関連法案に反対するデモや集会で大きな存在感を発揮し、キーマンのひとりとして市民運動をリードしている。
2015年9月10日、IWJ代表・岩上安身のインタビューに答えた菱山さんは、今回の安保法案反対運動に手応えを示し、「安保法案はもしかしたら、廃案になるかもしれない」と思いを口にした。
▲岩上安身のインタビューに答える菱山奈南帆子さん(2015年9月10日IWJ事務所で)
しかし、安倍総理は安保法案を成立させ、さらに来年の参院選後には憲法改正に着手すると明言している。戦力の不保持を定めた憲法が改正されれば、ほとんどの憲法学者が「違憲」と断じる安保法案も「合憲」となる可能性がある。
「明文改憲が行われれば、抵抗の拠点、自分たちの足場がなくなるのではないか」。岩上安身の質問に、菱山さんは「そんなことはない」と断言する。
「憲法を明文改憲されようが、自分の権利を主張し続けていくことは絶対に変わらない。改憲は全力で叩き潰そうと思っているし、もし通されたとしても、戦いは続ける」
菱山さんは、もし憲法が改正されても、再び憲法を変えてみせるとの決意を表明。「1億人に1人になっても戦う」と宣言した。
- 日時 2015年9月10日(木) 10:00~
- 場所 IWJ事務所(東京・六本木)
市民運動のはじまりは中学1年生の「反・イラク戦争」運動
▲コールする菱山南帆子さん(2015年1月17日 国会前で)
岩上「菱山さんといえば、『戦争させない・9条壊すな!総がかり行動』でいつも前面に立ってマイクを握っている姿が皆さんの目に留まっています」
菱山「自然にそういう役割になりました。『許すな! 憲法改悪・市民連絡会』でも、よくコールしたりしていました。もともと、私がアメリカ大使館前に中学校1年生の時に座り込みをしていて…」
岩上「中1の時? それはイラク戦争のときですか?」
菱山「そうですね。その時に、高田健さんに声をかけられて、『スピーチしてくれ』って言われたんですけど、スピーチはできないのでコールをしました。それが私の初めてのシュプレヒコールだったんですけど、それからずっとコールを担当してきました」
岩上「菱山さんは声がとってもハスキーなので、ずいぶん大人の人なのかなと思ったら、お若い。イラク戦争の時に中学生であれば、今、25歳ぐらいだなって計算がついちゃうんですが」
菱山「26歳になりました」
岩上「お若いですね。ということは、その声はどうしちゃったんですか?」
菱山「もうイラク戦争のときに、何度も声を張り上げて喉をつぶしちゃって。半年ぐらい声が出なかったんですよ。それで、ボイストレーニングに行って、声を直して、でも何度もつぶして。ちょっと『欧陽菲菲』みたいな感じで、ハスキーな声になっちゃって」
岩上「中学生のときにひとりで座り込みをやるってすごい大胆ですけど、どうしてそういうことをしようと思ったんですか?」
菱山「まず、湾岸戦争のときは私、1歳半とか2歳ぐらいだったんですけど、その時に母が私のことをおぶって、横田基地かなんかの包囲に行ったそうなんです。それで、イラク戦争の時に、『湾岸戦争の時に生き延びた私と同じぐらいの子たちが、今回、もしかしたら殺されちゃうかもしれない』って思ったんです。それと、私が小学校6年生のときに、『9.11(アメリカ同時多発テロ事件)』があったんですね。
その時に、貿易センタービルの映像をずっと見ていたら、お父さんに、『これが全てじゃないんだよ』って言われました。なんでこうなってしまったのか、どうしてテロが起きてしまうのか考えなきゃいけない。加害者と被害者、どちらの心境も考えなきゃいけないって思いました」
「戦禍に怯えるイラクの子たちがいるのに、どっちが危ないの?」
岩上「あの時は、加害者側は『悪』で、それはイスラム教徒の『過激派』であり、こういった人たち全体に対する悪魔化のプロパガンダがあった。だから、ついついそれに飲み込まれてしまう。でもちょっと待て、ということをお父さんが諭してくれたんですね」
菱山「その時に、私的には『ええっ!?』って思ったんですけど、確かに何も知らなかったんですよね。アフガンのことや、アメリカに踏みつけられた人たちの痛みを私は知らなかった。そういう踏みつけられたものの上に、自分の生活が成り立っているということを、そのとき初めて知ったんですよ。
あの時、ブッシュ米大統領(当時)は『正義の戦い』って言ったんですけど、アフガンの人から見たらブッシュは悪で、でもアメリカの被害者の人から見たらブッシュは正義で。正義っていうのは果たして、これは悪と表裏一体なんじゃないかって思ったんです。
小学校のときに、日の丸・君が代とかも拒否しちゃって、座ったりしていたんですよ。それで、そのまま中学校に上がって、イラク戦争が起きるかもしれないってなったときに、『これで黙っていたら、私は戦争の加担者になるかもしれない』って思って、声をあげ始めました。
母と一緒にデモに行ったのがきっかけだったんですけど。その時に何万人も参加者がいて、びっくりしました。それから一人で、23区マップ片手に運動にのめり込んでいって。学校で、自分で作ったチラシを撒いたりしていたんですけど、そうしているうちに、アメリカ大使館前に、毎日座り込みするようになっていました。
うちの母に『危ないからやめろ』と言われて。でも『戦禍に怯えるイラクの子たちがいるのに、どっちが危ないの?』とか言い返して…そんなこと言われたら何にも言えないですよね。で、そのまま今まできてしまった、という感じです」
「私は市民運動家。国会で頑張るみなさんを支える役目でありたい」
岩上「すごいですね。筋金入りだってことがよくわかりました」
菱山「そうなんですよ。レントゲン撮ったら筋金が写るかもしれないですね」
岩上「例えば、どこかの党派に属そうとか、何か大きな団体に加わっていこうということはなかったんですか?」
菱山「私はやっぱり市民運動家なんですよね。私は運動をやっていきたいと思っているので、本当にいろんな党の人もいますけど、できたら、私は一緒に手を繋いでやっていきたい。
いろんなイデオロギー、いろんな考え方があっていいんです。でも、今回の戦争法案とか、決定的に譲れないようなものができた時に、手を繋げる。その接着剤みたいな役目に市民がなっていかなきゃいけない。
よく、『若いんだから選挙に出なさい』とか、『国会議員になってくれ』とか言われるんですけど、そんなことしたら市民運動を頑張る人がいなくなっちゃいますから。私は縁の下の力持ちだったり、国会で頑張るみなさんをしっかり支えたりする役目でありたい。そして、次の世代に渡していきたいと思っています」
岩上「国会の中で頑張っている人を、国会の外から『頑張れ!』と応援するような役割で徹底してこうと思っているんですね?」
菱山「思っています。外で応援する人がいないと、やりがいのないでしょうし、プレッシャーにもなりますしね。やはり国会議員さんとか、市議会議員さんだけが、この国を動かしているわけじゃなく、主権者の私たちがこの国を動かしているので。
選挙したから終わりなんじゃないんです。私たちも日々頑張るということで、国会内外、議会内外で連帯する。そうやって、しっかりと正していこう、変な道に行かないようにしようという、両方の動きが必要だと思っています」
「政治に無関心でいられても、無関係ではいられない」
やめなよ
日本国が平和に成りますように。
安保法制反対は戦争放棄です。
日本は侵略される。
菱山南帆子さんがいつものデモでシュピレヒコールを言っていた人と初めて知りました。あなたの行動力は日本のジャンヌダルクです。そして貴方の人間性は田中正造です。貴方こそ政治家になってほしい人です。高田さんがいれば大丈夫ですね。
私の子供より若いのに本当に頭の下がる思いです。私があなたの頃にベトナム戦争があり、べ平連の反戦運動がありました。私はいなかにいたので直接は参加できませんでしたが、沖縄から爆撃機が飛んでいるのだから、ベトナム戦争に反対しないものは『共犯者』という言葉を思い出しました。
戦争は決して人間を幸せにしません。ベトナムのソンミ村人の虐殺はイラク戦争での山本議員が国会で質問したように同じ事が起きているのだと初めて知りました。ベトナムの枯葉剤、イラクの劣化ウラン弾を使用した戦争がどこが正義の戦いなのか。私も戦争法を進める安倍を支える自公の議員を次の選挙でただの人にしなければと少しでも多くの人に広げてていきます。
菱山さんも八王子なんですね。佐藤さんもそうだけど会ったことまだないです。
こういう人こそTVでもっと紹介して、日本人を啓蒙すべきだと思いますね。すばらしい発言です。感動しました。