「米国に強いられた歴史解釈を一掃、9条改正を」 国際地政学研究所シンポで近代史「重鎮」が持論──自衛隊「PTSD増大懸念」も話題に 2015.3.7

記事公開日:2015.3.17取材地: テキスト動画
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(IWJテキストスタッフ・富田)

 「東京裁判史観の一掃と憲法9条の改正が、今の日本を『敗戦のトラウマ』から解放する最大の施策である」――。歴史学者で東京大学名誉教授の伊藤隆氏は、このように強調した。

 国際地政学研究所は2015年3月7日、「戦争と日本人の感性―歴史認識・PTSD―」と題したミニシンポジウムを東京都内で開いた。

 基調講演を担当した歴史学が専門で東京大学名誉教授・新しい歴史教科書をつくる会元理事の伊藤隆氏は、戦後の日本が抱えることとなった「敗戦トラウマ」の根源にあるのは、GHQ(連合軍総司令部)の長期占領だとし、東京裁判や米国によって強いられた歴史解釈、憲法9条の呪縛から、今の日本人を解放することが急務だと訴えた。

 具体的には、「日本が侵略戦争を行った、という間違った解釈との決別や、れっきとした軍隊を持つこと」という提言であり、伊藤氏は「日本は『普通の国』にならねばいけない」と力を込めた。

 もっとも、憲法制定を含む、日本の戦後改革については、米国の対日戦略が大成功を収めた点を拾い上げ、戦前の日本に潜在していたある種のニーズと上手く合致した、と見る有識者も多い。

 また、戦後憲法にしても、旧憲法の非民主性に抑圧されてきた当時の日本人の多くは、新憲法の誕生を支持したと言われる。GHQによる押しつけ、と評される憲法の草案も、日本人の憲法学者・鈴木安蔵氏がまとめた私案が下敷きになっている、と主張する学者らは現にいる。

 だが、伊藤氏の講演からは、そういった点を合理的にまとめあげた上で、戦後改革を肯定するような言葉は、一切聞かれなかった。

 国際地政学研究所理事長の栁澤協二氏は、「戦後の日本には、米国主導の改革を受け入れて、急ピッチの経済発展を遂げたという打算的な面もある」と感想を述べた。

 シンポジウムには、ほかに3人が登壇した。そのうちの1人、毎日新聞論説委員の佐藤千矢子氏は、「国際貢献で自衛官に犠牲が発生したら」とのテーマでスピーチを行った。佐藤氏は、自衛隊の海外活動枠が、十分な国民的議論が行われないまま拡大されそうな現状に強い懸念を示した。また、自衛隊員にPTSD(心的外傷後ストレス障害)リスクが増大する可能性が高いことへの言及もあった。

記事目次

  • 日露戦争や第一次世界大戦とは違う「終わり方」
  • 「日本人は感化されやすい民族だ」と米女性学者
  • フーバー元大統領の回想「米国が日本を戦争に引きずり込んだ」
  • 「自国の歴史は、自分らで描かねばならない」
  • 新渡戸稲造『武士道』の無茶
  • カンボジア派遣部隊の内実
  • PKOで自衛隊員が抱えた葛藤──「遺書はどうする?」
  • 国民と国の間に「絆」はあるか
  • 集団的自衛権の問題は「スピード審議」で幕引きに?

■ハイライト

  • 基調講演 伊藤隆氏(東京大学名誉教授)
  • パネル・プレゼンテーション
    林吉永氏(防衛研究所元戦史部長)「錯覚の武士道―時代精神の作為―」
    渡邊隆氏(カンボジアPKO派遣隊長、元陸将)「戦後50年目のカンボジアPKO自衛隊派遣の示唆」
    柳澤恵美子氏(メンタルヘルスマネージメントスクール主宰)「戦争がもたらすPTSD―人の場合・国家の場合―」
    佐藤千矢子氏(毎日新聞論説委員)「集団安全保障・集団的自衛権行使の国民的覚悟―国際貢献おいて自衛官に一人の犠牲が発生したら―」
  • パネル討議 コーディネーター 柳澤協二氏(元内閣官房副長官補、国際地政学研究所理事長)
  • 日時 2015年3月7日(土)13:00~16:30
  • 場所 アルカディア市ヶ谷(東京都千代田区)
  • 主催 国際地政学研究所

日露戦争や第一次世界大戦とは違う「終わり方」

 シンポジウムの冒頭であいさつに立った栁澤氏は、まず、「当研究所が定期的に開いている勉強会は、今年、『戦後70年』を統一のテーマにし、夏頃には何かメッセージを発信したいと考えている」と話した。

 勉強会とは別に開いた、この日のミニシンポジウムの位置づけについては、「第二次世界大戦中や大戦後を議論しようにも、今の日本人の大半は『戦争』を体験していない。つまり、議論する際に向き合うべき記憶がない。よって、個々人の間で、大戦をめぐる歴史認識に差が生じるのは当然のことで、今年(2015年)の第1回目の勉強会では、歴史学者の石津朋之氏が、『国家間でも戦争の歴史認識は一致しない』と指摘している。とはいえ、同じ日本人が集まって大戦を議論する際には、共通の切り口が、ある程度は必要になる」と述べ、戦争を知らない世代が第二次大戦とその前後を語り合う上で、意識と理解の面で共有すべきものは共有していこうとの思いから、この集会を開くことに決めた、と説明した。

 柳澤氏のあいさつが終わると、伊藤氏が登壇。国際地政学研究所から「今後、日本は先の敗戦で負ったトラウマと、どう付き合っていけばいいのか」について話してほしい、と依頼されたことを明かすと、「日本が第二次大戦で負け、米国に国土が占領される中で起こったことが、敗戦トラウマの根本的原因になっている」と切り出した。

 第二次大戦の終わり方は、日露戦争や第一次大戦のそれとは明らかに違う、と指摘する伊藤氏は、「第二次大戦終結後は長きにわたって、日本領土を米国が軍事的に支配するわけだが、敗戦国がそういう事態に見舞われたのは、同大戦後が初めてと言えよう」と語った。

 第二次大戦終盤で、旧ソ連の仲介による和平樹立が無理となった日本には、ポツダム宣言受諾による降伏と、史上初の「被占領」というシナリオが用意される。1945年8月末のマッカーサーによる占領開始から、1952年4月にサンフランシスコ講和条約が発効されるまでの約7年間が日本の占領期であり、この時期に日本では、GHQの占領政策(=事実上は米国単独型の占領政策)を受け、政治・経済や社会をめぐる大改革が推し進められた。

 「(敗戦直後の日本人には)自分たちの国は侵略国家だった、という認識は皆無に近かったと思う」と指摘した伊藤氏は、次のように語る。

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