2014年5月11日、米国の国家安全保障会議(NSC)元高官、モートン・ハルペリン氏は、名古屋市の名古屋学院大学白鳥学舎翼館クラインホールで、「秘密保護法と国際人権基準・ツワネ原則」と題した講演を行った。
昨年末にスピード成立した日本の特定秘密保護法を、「ジャーナリストをはじめとする民間人に刑事罰を問い、しかも、政府の恣意性が入リ込む余地がある」として厳しく批判しているハルペリン氏。各国政府の秘密法の運用に縛りをかける「ツワネ原則」の策定者でもある立場から、日本の秘密保護法の国際基準からの逸脱ぶりと、同法を巡る日本政府の主張の「ウソ」を鋭く指摘した。
ハルペリン氏は来日中、折に触れて「情報は政府のものではなく『市民』のものである」と訴えている。この日も、政府が安全保障に関する情報を秘匿にする権利を持つことを認めつつも、当該する文書については、段落単位で公開の是非を決める細かな限定を行い、秘匿の範囲を極力狭めることが肝要と力説した。
- あいさつ
阿部太郎氏(名古屋学院大学准教授)/新海聡氏(弁護士、愛知県弁護士会秘密保全法制対策本部事務局長)
- 説明 矢崎暁子氏(弁護士、秘密保全法に反対する愛知の会)国際人権基準について
- 講演 モートン・ハルペリン (Morton Halperin) 氏(元アメリカ国務省政策企画本部長、元NSC高官)
ハルペリン氏の登壇に先立ち、同氏のスピーチでもキーワードとなる「自由規約」と「ツワネ原則」について、弁護士の矢崎暁子氏が解説した。
矢崎氏はまず、「秘密保護法を巡る人権侵害の問題は、海外からも批判が出ている」と指摘。具体的には、国連人権理事会の特別報告者や国連人権高等弁務官から、法案の段階で批判が提出されているという。国連人権理事会は国際社会における自由・人権を擁護する機関で、各国の人権を取り巻く状況を審査して、問題点が認められた場合は、その国に改善を勧告する。
矢崎氏は「人権保護を巡っては『国際人権規約』が存在する。日本は、その規約を守らなければならない」と力説しつつも、「秘密保護法が成立したことで、日本はその規約を満たさない国になってしまった恐れがある」とした。
「表現の自由」を支える国際ルール
国際人権規約は1966年の国連総会で採択され、1979年に日本も批准した。2013年4月の時点での締約国数は167に達する。内訳は社会権規約と自由権規約の2種類で、前者は経済的、社会的および文化的権利に関するもの、後者は市民的、政治的権利に関するものだ。
日本の秘密保護法が抵触するのは、このうちの「自由権規約」。同規約の、意見を持つ権利・表現の自由に関する19条の3項には「表現の自由について制限を課すことができる」とあるが、矢崎氏は「何でも制限していいと言っているわけではない」と強調。その点で、秘匿対象のあいまいさが問題視されている、日本の秘密保護法が引っかかるのではないかとの見方を、国連人権理事会が示している、というのである。矢崎氏は「日本に対する審査が、この7月に行われる予定だ」と伝えた。
そして、矢崎氏は「ツワネ原則」を紹介した。「多くの国には、表現の自由が国家安全保障上の理由で制限される事情あるが、制限の範囲には限界があることを示す、国際的な基準を作ろうという着想で生まれたもの」。70ヵ国以上から集まった500人超の専門家による2年以上の協議を経て、2013年6月に発表された。全50の原則からなり、この後に登壇するハルペリン氏は、起草団体のひとつ「オープン・ソサエティ財団」で上級顧問を務める。
矢崎氏は、そのツワネ原則の全50の項目うち、特に重要なものとして、「国民は政府の情報にアクセスする権利を持つ」「国民の知る権利を制限する正当性を説明するのは政府の責務である」「内部告発者は、告発による公益性が秘密保持状態での公益性を上回る場合は、報復措置を受けるべきではない」などを紹介した。最後の「公益性」を象徴する事例に挙げられたのは、1971年のペンタゴン・ペーパーズ事件。米国防省の機密情報が漏えいされたことで、米国市民はベトナム戦争の裏の経緯を知り、反戦の世論が高まったことで米軍のベトナム撤退につながった。
日本はOGPに入っていない
矢崎氏のスピーチが終わると、ハルペリン氏が登壇。最初に、「以前は『言論の自由』というと、自分の意見をはっきり述べることだという通念があった。しかし今では、『政府が持つ情報に、市民がどれだけアクセスできるか』という意味で使われるようになってきている」と話し、「米国の場合、『情報自由法』というものが存在しており、この法律に従って、市民は政府に対し情報の開示を求めることができる」などと説明した。「情報公開による公益性を重視する『自由権規約』は、欧州や中南米の社会で多くの支持を集めている」。
その後、ハルペリン氏は、2011年に設立された「オープン・ガバメント・パートナーシップ(OGP)」に言及した。これは、透明性の高い政府の実現を求める運動を行う、米国、ブラジル、インドネシア、メキシコ、ノルウェーなど約60の民主国が参加する団体だが、日本は参加していない。
日本がOGPに加盟すれば、必然的に秘密保護法の妥当性が国際基準の視点でチェックされることになる、としたハルぺリン氏は、「OGPが定義する『開かれた政府』とは、安全保障上の情報に関する政府の透明性の高さを意味している」と述べた。
ハルペリン氏は、政府による安保がらみのさまざまな決定は、その国の市民に大きな影響を与えるとしつつ、「どの国の政府にも、この安保情報を秘匿する傾向が見られる」と指摘。安保情報の扱いを巡っては、どの情報をどのぐらい秘密にするかという国際基準が必要だと述べ、「ジャーナリストをはじめとする、公務員以外の民間人が安保情報に接する時に、刑事罰を受けることを恐れるような社会になってはいけない。私は、政府の中と外の両方で働いた経験から、この点を強く訴える」とし、米軍占領下の小笠原諸島について話した。
「ツワネ原則を考慮しなかった」は海外では通らず
小笠原諸島は、1968年に日本に返還されるまで、サンフランシスコ講和条約に基づき米海軍の占領下に置かれていた。ハルペリン氏は1966年に、米国防総省で沖縄返還交渉を担当することになり、それと並行して、小笠原諸島の返還交渉も担当した。ハルペリン氏は、その折に「重要な情報」が隠されていることを知ったという。
終戦後、疎開先から小笠原諸島への帰島が許されていたのは、欧米系の島民のみ。日本人の島民には、帰島できない理由は明かされておらず、彼らの帰島を切望する声を耳にしたハルペリン氏は、米国防総省に帰島を認めない理由を訊いた。が、回答は「秘密だから」のひと言のみ。そこで、米海軍の担当官を呼び出して問いただしたところ、小笠原諸島には米軍基地はなく、しかも、その事実は国務省に伝えられていないことが判明した。ハルペリン氏は、国務省にそのことを伝えつつ、日本人島民の帰島(墓参り)を掛け合い、実現させた。島に戻った島民は米軍基地がないことを知り、日本政府に報告。そこに小笠原諸島返還への流れが生まれた──。
当時をこう振り返ったハルペリン氏は、「あの時、米海軍は本当のことを話すべきだった。民主社会において、こうした情報の秘匿は適切な行為ではない」と力を込めた。
話題が日本の秘密保護法に及ぶと、ハルペリン氏は「最終的に作られた秘密保護法は、ツワネ原則から逸脱するものだ」と切り出し、「日本の担当官にその点をぶつけてみたら、『われわれは、ツワネ原則を考慮しなかった。(秘密保護法は)日本の民主政治が作り出した法律だからだ』という言葉が返ってきた」と明かした。
その担当官からは「ツワネ原則は、国家を拘束するものではない」とも言われた、としたハルペリン氏は、「その説明は、日本国内で通用しても、国際的な基準に照らせば外れている」と指摘した。
南アフリカの方が民主的だ
ツワネ原則について、自由権規約19条を高度化させたものと説明したハルペリン氏は、「ツワネ原則という国際基準が存在している以上、日本政府は、日本の秘密保護法がツワネ原則を満たしていない理由を、市民に説明しなければならない」と口調を強めた。
さらには、日本の秘密保護法の成立が「拙速」だった点にも懸念を示し、「日本政府は『民主国家』を標榜するのであれば、もっと時間をかけて、ゆっくりと進むべきだった」と批判。好対照なものとして、南アフリカ共和国の事例を紹介した。
同国では数年前に、秘密保護法を作る動きがあった。南アフリカ政府は、当初、わずか2ヵ月で法案を通そうとした。そして、その法案は日本の秘密保護法よりも悪い中身だったという。「日本では、自民党が国会で圧倒的に優位なのと同様に、南ア政府も議会の中で強い力を持っていた。しかし、南アフリカでは、市民による反対運動が何度も起き、法案には何度も改善が重ねられていった」。
そして、ハルペリン氏はこのように明言した。「南アフリカの最終的な法案は、ツワネ原則を完全には満たしていないが、政府と市民による、公開討論型の法律作りが行われてきた点で、日本の秘密保護法よりも民主的なプロセスを踏んでいる」。
日本の秘密保護法の、どういった部分がツワネ原則から逸脱しているかについては、「一番大きいのは、ツワネ原則が禁止している、ジャーナリストをはじめとする民間人への刑事罰があり、しかも政府の恣意性が入り込みやすいことだ。この法律が実際に施行されたら、ジャーナリストらは委縮することになる」。
「米国への配慮」は口実にすぎない
そして、「日本政府は『日本に秘密保護法がなければ、日米で重要情報を共有できない』と主張してきたが、これは間違っている」とも述べて、米政府当局経験者の立場で、次のように訴えた。
「私は、1960年から政府の仕事に関与してきた。その間、日米関係の問題にコミットしてきたが、私自身が機密情報を日本政府に渡したことがある。日本政府が、その情報を必要としたためだ。つまり、秘密保護法がなければ、日米間の情報共有は成り立たない、という話はあり得ない」。
ハルペリン氏は2000年代のブッシュ政権時代に、米国の核戦略に関する委員会のメンバーだった。委員会では「日本政府と核戦略に関する情報を共有しよう」との提案が行われたが、委員の中には、日本に秘密保護法がないことを問題視するメンバーがいて難色を示し、それに賛同する者もいたという。しかし、その後のオバマ政権では、アジアで米国が核政策を実行するために、日本政府との協力の必要性がぐんと高まり、情報の共有化が進められていった、と振り返った。
ハルペリン氏は、今回の来日中、取材で知り得た機密情報を国会議員に漏らしたことで国家公務員法違反で有罪になった西山太吉氏(元毎日新聞記者)と対談したことに触れ、「秘密保護法がなくても、既存の法律で、機密情報の漏えいを取り締まることができると改めてわかった。日本は、わざわざ新法を作る必要はなかったのだ」と批判を口にした。
そして、「米国にはいくつもの同盟国があり、どの国も、情報秘密に関する法律を持っているが、どれも日本の秘密保護法より緩い内容だ」と言葉を重ね、「米国は、そういった国とも重要情報を共有している」と言明。「ジャーナリストら民間人に刑事罰を問うような秘密保護法がないと、日米間の情報共有が成り立たない、という日本政府の主張は口実に過ぎない」と重ねて強調した。