「協定にサインすれば台湾は永遠に属国になる」中国とアメリカ、2つの「帝国」の狭間で生きる台湾 ~岩上安身による呉叡人政治学博士インタビュー 2014.4.11

記事公開日:2014.4.18取材地: | テキスト動画独自
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(IWJテキストスタッフ・久保元)

 「協定にサインをすれば、台湾は永遠に属国になる」―。2014年4月11日(金)11時(現地時間)、台湾・台北市内において行われたインタビュー取材で、台湾中央研究院で台湾史研究所副研究員を務める呉叡人政治学博士は、岩上安身にこのように語り、協定への危機感をあらわにした。

 台湾では、3月18日以降、台湾と中国との間の「サービス貿易協定(※1)」の審議をめぐり、協定に反対する学生らが立法院(日本の国会議事堂に相当)の議場を占拠する異例の事態が続いた。呉博士は、協定に反対する理由として、「自由貿易に対する疑念と、中国に対する疑念がある。とりわけ、新自由主義的なグローバリゼーションの流れの中で、台湾の未来が見えなくなることを懸念している」とした上で、3週間・584時間にわたって学生らが立法院を占拠したことについて、「協定阻止のためには、やむを得ない。緊急避難だ」との見解を示した。

 日本の早稲田大学で教鞭を執った経歴のある呉博士。4時間に及んだ今回のインタビューでは、学生が立法院を占拠するに至った様々な経緯や背景について、流暢な日本語で詳細に解説した。

■イントロ

  • 収録日時 2014年4月11日(金) 12:00頃~(日本時間)
  • 配信日時 2014年4月12日(土) 20:00~(日本時間)

台湾民主化の歴史

 呉博士は、台湾における民主化の歴史について詳しく述べた。これによると、蒋介石の率いる国民党が、毛沢東の率いる中国共産党との闘争に敗れて台湾に逃れたあと、38年間にも及ぶ戒厳令の施行など、国民党による事実上の独裁状態が続いた。これに対し70年代頃から民主化運動が顕在化するようになり、1988年に蒋経国総統の死去に伴い、総統の座に着いた李登輝が、民主化を推し進めた。

 これについて、呉博士は李総統が民主化を進めた点は評価しつつも、「重要な課題が残ったままだ。国民党独裁政権時代の、国家による人権侵害や、赤狩り、2・28事件、白色テロ、戒厳令などの歴史について、清算ができていない」と指摘した。また、「中国との関係をどうするかというコンセンサスが国内になく、憲法的レベルで台中関係をどうするかという課題は解決されずにきたし、暫定的に、台湾は中国に対する統治権を自ら放棄した」とした。

 さらに、「国民党は、独裁体制を敷いたとはいえ、外来政権だったので、権力的基盤を作るために、党への支持と引き換えに地方に利権を認める『交換関係』を構築したが、その清算もなされていない」「民主主義で重要な直接民権、国民投票制度も備わっていない」などと不備を列挙した上で、これまで、民主化運動の『チャプター1』(第1章)が『完成』されてこなかったことによって、『代議制民主主義における不満』という『チャプター2』が起きた」と解説した。

 この「チャプター2」における大きな問題点として、呉博士は、台湾の選挙制度の問題を挙げた。1票の格差が最大で100倍にも及ぶことや、「得票率5%の敷居」によって、環境政党などの小規模政党から国会議員が誕生しないことに触れ、「今の台湾の国会は、人民の意志が反映されていない」と批判した。また、「民主化の後にも、財閥が社会を支配し、投資や再開発の名目で土地や農地を奪うなどの問題が顕在化していることが、台湾国民の不満が高まる要因となっている」とした。

※注1:台湾をめぐっては、対岸の中国との間で交渉が続いていた「サービス貿易協定」が施行された場合、「台湾側にとって不利な状況(中国企業による台湾市場の席巻など)がもたらされるのではないか」と危惧する野党勢力と、協定の早期批准を目指す馬英久総統率いる与党国民党が激しく対立し、3月17日の立法院での審議を、議場の混乱を理由に短時間で一方的に打ち切った。これに対し、強行採決に持ち込まれることを危惧した学生らが翌18日に議場を占拠し、協定の白紙撤回や立法院の透明化などを要求し抗議した。学生らによる激しい抗議を受け、立法院が「協議を監視するための条例ができるまで、審議を再開しない」方針を示したことにより、4月10日に学生らは議場から撤収した。

2つの「帝国」の狭間で生きる台湾

 呉博士は、「国家」としての台湾について、「もはや、台湾は国家足りえる存在だ。しかし、国連による『国家免許制度』のシステムによって、台湾は国として承認されなくなった。このシステムに、『台湾は中国の一部』と主張する中国がいるからだ」との見解を述べた。また、「米国は、台湾を中国に対する『駒』として使ってきた。米国は台湾の本気の民主主義とか、台湾の運命を決める本気の判断を認めているわけではない」とし、これを「台湾の悲劇」と形容した。

 これに対し、岩上は、「『帝国』である米国は、台湾の独立を認めず、中国という『帝国』と結びつくほうが得策だと考え、台湾の承認もしなくなった。国としては認めないのに、保護国のように扱ってきた」とし、さらに、「日本も、独立が認められてはいるが、実質的には保護国。保護国の国民は統治者によって洗脳されており、自分たちが保護国の国民であるとすら認識していないばかりか、自国の政治だけでなく、世界における自国の立ち位置も理解していない。これは、統治する側からみれば好都合なことだ」と応じた。

 一方、呉博士は、かつての琉球王国の事例を引き合いに出し、「琉球王国は薩摩藩と清朝に両属していた。今の台湾は『アメリカ専属』だったが、6年間の馬英九の統治によって、中国と米国の両属構造になりつつある」と述べた。これに関する岩上の「馬英九によって米中両属構造になっていることについて、米国の強い反対はあるのか?」との問いに対し、呉博士は「もちろんある。一方で、現在の中国は爆弾みたいなものだ。国の内部の安定を保つための警察・公安の予算が軍事費を超えている。いかに中国社会が歪んでいるかを物語っている。馬英九は中国とも米国とも等距離を取って、自主外交をしようという野望があるかもしれない」と推し量った。

中国側による台湾への揺さぶり

 1996年、台湾総統選の直前に、中国が台湾近海に向けてミサイルを発射し、軍事力による「脅し」によって李登輝優勢の世論に横槍を入れた。ただ、結果的に李登輝優勢は揺るがず、台湾で最初の「選挙で選ばれた総統」に就任した。この中国の行為について、呉博士は「逆効果だった。それ以降、中国は、軍事力ではなく経済力で台湾を侵略しようとしている」とし、「以商囲政」(商業をもって政治を包囲する)や「以経促統」(経済をもって中国統一を促進する)という作戦に転換したことを説明した。

 これに関連し、呉博士は、中国側によるメディア戦略の例を紹介した。これによると、中国の旺旺集団の蔡衍明氏が、台湾の大手新聞である「中国時報」およびテレビ局「中国電視」「中天電視」を買収したのを契機に、これらのメディアが中国(共産党)びいきの論調に一変した。これに反発し、2012年には、「反メディア独占運動」も起きた。また、蘋果日報オーナーの黎智英氏についても言及し、蘋果日報が造ったテレビ局の放送認可がなかなか下りず、売却を検討したところ、蔡氏がこのテレビ局を買収しようとしたことを紹介。香港出身の黎氏が馬英久政権を厳しく批判する論陣を張っていたことが、認可に影響を及ぼしたとする見方を示した。

 特に、蔡氏による中国びいきの発言として、「ワシントン・ポスト紙での、『天安門事件では、あまり人は死んでいない』『今の中国共産党は相当民主的じゃないか』との発言が台湾社会からの激しい反発を招き、ボイコット運動も起きた」と紹介。さらに、これに対して、「中国時報が、ボイコット運動を支持した学生リーダーらを誹謗中傷したが、その学生こそが、今回の運動の2人の学生リーダーの1人、陳為廷氏であり、当時、彼を支援したのが、もう1人のリーダーである林飛帆氏である」と紹介した。

台湾における学生運動の継承

 台湾では、民主化運動の過程で、学生らによる大規模な抗議行動がたびたび行われてきた。その都度、花の名前がつけられ、例えば、1990年は「野百合(のゆり)運動」、2008年は「野苺(のいちご)運動」、今回の2014年の運動には、「向日葵(ひまわり・太陽花とも書く)運動」と命名されてきた。これらの学生運動について、呉博士は、「参加する学生の大半は、これまで運動参加経験がない人ばかりだ」とし、2008年の「野苺運動」を例に挙げ、「参加した学生らを見守ったのは、1990年の野百合運動に参加した世代。大学の先生は教え子たちの自主性を尊重しつつ、民主主義についての青空講義をするなど、脇役を務めた」と解説した。

 一方で、「結果的に野苺運動は失敗した。デモ行進禁止の撤廃や、総統、行政院長、警察トップらの謝罪などの要求は、何ひとつ実現しなかった。とはいえ、その運動から200~300名の学生活動家が生まれ、NPOなどで活躍した」とし、「台湾の学生の後ろには、国民がついている。台湾の非常に難しい経歴を共有している人権NGO、環境保護団体、農民戦線、女性団体などが、30年間の民主化運動で生まれた宝物だ」と述べ、学生運動の継承が、民主化の進展に大きな役割を果たしたことを評価した。

ウクライナと台湾の違い

 インタビューの中盤、岩上が、ウクライナ情勢について言及した。この中で、「台湾は国会を占拠したが、非暴力で平和的に撤退した。しかし、ウクライナは国がバラバラになってしまった。大きく明暗が分かれている」と率直に述べ、両国の相違点について疑問を投げかけた。

 これに対し、呉博士は、「あくまで私見だが」と前置きした上で、「台湾とウクライナは共同体としての体質が違うのではないか。ウクライナは地政学的な要素で形成された国家だ。ウクライナはソ連崩壊後、当時の境界線によって独立したが、民族的な境界線ではなく、行政的な境界線で分けられた国家だ」と分析した。そして、「ウクライナは、有機的な共同体ではなかった可能性がある。地政学的な要素で形成された国家は、地政学的要素が変わると、解体する可能性が高まると思う」との見解を述べた。

 一方、台湾については、「台湾も地政学的要素は強いものの、スペインやオランダ、鄭成功、清朝、日本、国民党など、いろいろな外来政権がやってきて、政治的には不連続だが、社会的には、ひとつの共同体として在り続けた。社会史的な連続性があり、台湾は『ひとつのピープル(民)』が形成された」と述べた。これに対し、岩上が、「ひとつのピープル」の形成を仲介した『絆』は何だったのか?」と尋ねたのに対し、呉博士は「それは、『経済の共同体』だ」と答えた。

「経済の共同体」という絆

 呉博士は、「台湾が経済的に統一されたのは日本統治時代。日本は全島の鉄道、秤量単位、貨幣を制定した。ただ、それは独立したものではなく、日本の一部だった。日本統治時代、台湾原住民は日本に同化され文化的共通性も持っていた。50年代以降は独立経済になり、原住民は漢民族との結婚なども通じ、経済的文化的に編入されていった」と解説した。

 続いて、「台湾ではかつて、水や土地などを巡って武装闘争が活発だった。特に清朝統治の211年の間は活発で、福建からの移民は平地、広東からの移民は山地に定着し、互いに対立した。しかし、1860年代以降は、樟脳の輸出が勃興し、共通の利益のために協力した」と語った。一方で、清朝の北京政府は、「台湾は、鄭成功時代のように、反乱者の基地になるのでは」と危惧し、清朝統治の211年間のうち170年で大陸からの台湾移民を禁じていたが、多くが無許可で台湾に移住していたことを説明した。

 また、1874年に起きた「牡丹社事件」についても触れ、「遭難し台湾南部に漂着した沖縄の漁師が、原住民に殺されたことで、日本政府は清朝に交渉しようとしたが、清朝は『台湾のその地域は、我々の管轄ではない』と主張したため、日本が台湾に興味を示すきっかけになった」と説明した。

台湾の「寛容」

 呉博士は、台湾の「寛容」についても、言及した。この中で、呉博士は、「台湾の原住民は、山地と平地の間の隘勇線(あいゆうせん)と呼ばれるラインで隔離された。日本統治時代は、武力による山地征伐も行われ、『高砂族』を征服した」と述べた。また、「台湾は、本省人(台湾人)が外省人(大陸側の人)にいじめられて憎んでも、それと同時に、外省人からいじめられながら、自分たちも原住民をいじめた、という認識を持っている」と続け、「被害者は加害者としての重層構造も持つのだと台湾人は認識している。台湾のそういうところを理解してほしい」と訴えた。

 その上で、占拠した立法院の議場に「台湾魂」という文字が張られたことについて、「さまざまな事情でこの島に集まり、齟齬や対立を経て、最後は、ひとつの運命共同体になったという共通認識を大切に思うものだ。これは純化ナショナリズムではない」と力を込めた。これに対し、岩上は、「内部で対立し、血を流し、和解しあったことを記憶するものだ。何の対立もない無垢なものではなく、傷をたくさん負った挙句に、『寛容』を覚えたのだと思う」との主旨で感想を述べた。

俺たちは「台湾人」

 呉博士は、「台湾は、中国との関係を清算したいと考え、もう20年以上も、国民は曖昧な身分を我慢し、『俺たちは誰だ?』とお互いに話し合ってきた結果、『俺たちは台湾人だ』との国民のコンセンサスが出てきた」とした上で、「日本では、右翼は台湾寄り、左翼は中国寄りとされるが、台湾におけるナショナリズムとは、右翼だとか左翼だとかは関係なく、自分の『身分』を決めることだ」と述べた。

 これに関連し、今回の学生運動が平和的に収束できたことについて、「今の学生運動は、大雑把に言えば左寄りだが、それほど『教条主義的』ではなく、考え方が柔軟だ」と評した。一方で、日本の60年代の学生運動については、「『学生VS権力』だけでなく、学生の中での派閥(セクト)による内ゲバがあり、そして連合赤軍事件につながった。あの時代ならではの悲劇だ」とした上で、「今は、『ポスト・イデオロギー』(主義主張を乗り越える)の時代だ」と持論を述べた。

なぜ日本はあきらめ、台湾はあきらめないのか

 呉博士は、現在の日本の若者について、「さとり世代」(あきらめの世代)と形容した上で、「台湾の若者は『悟らない』で、自分の力で反発しようとする。今の状況を打開しようとして学生運動が爆発したのだと思う」とした。さらに、「なぜ日本はあきらめ、なぜ台湾はあきらめないのか?」との岩上の問いに、呉博士は「国民国家の形成のタイミングの違いだろう」との見解を述べ、「日本では、明治期にすでに国民国家ができ、国家に対する反発は60年代までに発散し、今は規律の時代となった。しかし、台湾は、国民国家としての歴史が始まったばかりだ。いわば、今の台湾は日本の明治時代だ」と続けた。

 一方で、岩上は、日本における若者の政治離れについて、「若者たちは『非政治化』され、60~70年代の経験や理解は、今の若い世代には継続していない」としながらも、「むしろ、インターネットの広まりによって、『世の中には、政治というものがあるのだ』と初めて気付き、行動を起こす人が出始めた」との見方を示した。

日本メディアの報道姿勢とTPP

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「「協定にサインすれば台湾は永遠に属国になる」中国とアメリカ、2つの「帝国」の狭間で生きる台湾 ~岩上安身による呉叡人政治学博士インタビュー」への2件のフィードバック

  1. 匿名希望 より:

    先日、ネット掲示板2ch.netが2ch.scからサーバーを攻撃された問題で、
    情報が錯綜しながらもnet側では自民党の関与が指摘されています。
    広範な世論統制が疑われている現状は、台湾の事案との共時性を感じさせます。
    IWJによって状況が精査されることを希望します。

  2. rannseki より:

    “属国”と言った言葉は適切ではない。

    実は、一国両政府は事実で、
    両側とも、中国と主張している。

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