岩上安身によるマイケル・マドセン監督(映画『100,000年後の安全』)インタビュー「人間が核を克服できる、と過信してきた結果がオンカロにある」 2011.12.20

記事公開日:2011.12.20取材地: テキスト動画独自
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(IWJテキストスタッフ・関根かんじ/奥松)

特集 3.11

 2011年12月20日(火)、東京都渋谷区のアップリンクで「マイケル・マドセン監督(映画『100,000年後の安全』)インタビュー」が行われた。『100,000年後の安全』は、フィンランドの高レベル放射性廃棄物の永久地層処分場(オンカロ)に関するドキュメンタリー映画で、2010年に製作された。

 監督のマイケル・マドセン氏に、岩上安身が、原子力発電や廃棄物処理の問題、フィンランドの原子力行政、核兵器、原子力に対する科学的見地などについて、日本と比較をしながら話を聞いた。

■イントロ

 冒頭、岩上が「今、日本では情報格差がある。政府と大手マスメディアによる、安全プロパガンダが起こっていて、『早く原発事故を忘れよう、危険は去った』と喧伝する。この映画は『記憶すること、忘れること』がテーマだと思うが、日本の現状に似ている。これを作ろうと思ったきっかけは」と尋ねた。

 マドセン氏は「まず、10万年間、耐えうる建造物を作っている事実に興味を持ったこと。人類は未来に対して責任を負ってしまっていること。このフィンランドのオンカロを、ひとつの現象として捉えることで、今が見えてくる。そして、10万年後のコミュニケーションの姿はどうなるのだろう、ということ。また、10万年後に人の介入がなくても、文明社会がなくなったとしても、存続するように作るという建築理念にも、とても興味があった」と答えた。

 岩上が「映画に出てくる、地下に続くトンネルの構造は、エジプトのピラミッドにも似ている。創造力をかりたてる建造物だ」と述べると、マドセン氏は「大聖堂、ピラミッドなどは、死後の世界をイメージして作られている。それはオンカロにもあてはまり、将来、コミュニケーションの断絶が生じた場合、オンカロもひとつの遺跡になる」と答えた。

 その上で「しかし、未来の人間とのコミュニケーション手段を作ったとしたら、オンカロに介入する事態が起きて、核が表出する。人間の好奇心が、自らの生存の脅威も作り出すのだ。自然科学の発展を通して、人間が核を克服できる、と過信してきた結果がここにある」と述べた。

 岩上は、作品の全体的印象と感想を語り、このような構成に至った理由を尋ねた。マドセン氏は「映画は、ジャーナリストではないが、そういう感性を持ち、芸術的手法をとりながら、映像という形で、哲学的な疑問を鑑賞者に投げかけることができる」と答えた。

 岩上は「オンカロに関しては、存在を忘れさせる、という目的と同時に、『忘れるということを、忘れないように言い伝えておく』という矛盾もでてくる。完全な記憶も、完全な忘却もできない危険な場所だ」と話した。それに対してマドセン氏は「まったくメッセージを残さないのは危険。10万年も耐久性があるというのは、今の人間の過信にすぎない」と指摘した。

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