2011年12月21日にオーディトリウム渋谷で行われた、『100,000年後の安全』マドセン監督×西尾漠トークショーの模様です。
2011年12月21日にオーディトリウム渋谷で行われた、『100,000年後の安全』マドセン監督×西尾漠トークショーの模様です。
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【以下、全文書き起こし】
司会「監督にはずっと前からオファーしていたんですが、監督と西尾さんを招いております。監督の希望で、日本のこの映画の観客と会うのは今日が初めてで最後なので、できればお客さんの質問の時間を後半十分に取りたいと思います。皆さん、監督と、あと西尾さんにも質問があれば、ぜひ準備しておいてください。
まずゲストの西尾さんから、大きなスクリーンで初めて映画をご覧になった、率直なご感想をお聞かせいただけますでしょうか」
西尾「大きな画面で初めてみましたが、よくこれだけのものが撮れたな、ということと、非常に重要な人たちにインタビューができているというのはかなり驚いています。多分日本では非常に難しいんだろうなというのが率直な感想です。日本の場合は自分の都合のいい話なら出てくるだろうけど、そうでなければ多分出てこないということで。ただ、ひょっとしたら福島の原発事故の後だったら嫌がられたかもしれないという気がするのは、なかで話しをされていた方たちの話が、今見ると福島の事故の前に日本の原子力の関係者の人たちが話をしていたのと非常によく似てるなという感じがしたところです。例えば事故の後だと見方も変わってきてるのかなっていう気もしました」
司会「どういうところが似ているところでしょうか」
西尾「日本の場合、いわゆる安全神話のようなことが言われていて、それに比べるともう少し率直なところもあるかもしれないですが、やはり基本的には同じようなところがあるんじゃないかという気がします。その意味ではこの映画は、多分事故の後のほうが分かりやすくなってしまっているっていう気は……」
司会「ではマドセン監督に、この3日間の取材でいくつか同じ質問をされたかと思いますが、監督自身、オンカロという存在をいつ知って、映画にしようと思ったのはどういうきっかけだったんでしょうか」
マドセン監督「まず最初に今日はお越しいただきまして本当にありがとうございます。そして今回この上映を可能にしてくれたアップリンクにも心からお礼を申し上げたいと思います。特に日本では福島の発電所の事故があった中での上映ということです。
私がこの映画を作るきっかけは、家でお皿を洗っていたときでした。核廃棄物じゃないですが、汚れたお皿を洗いながら退屈しのぎにラジオを付けたところ、たまたまラジオから聞こえてきたのが、曰くフィンランドで最終解決策として核廃棄物を捨てるための方策ができたというものです。それがこの10万年に及ぶ年月の間に維持される建造物であるということを聞いたわけです。このとき、この恐ろしく長い時間、それも、ずっと人が関わっていくはずなのに、というふうに非常に疑問を感じたわけです。10万年という年月の中、そして10万年という年月を耐えるものを作っていくものに関わっていく人たちっていうのはどんな人たちなのだろう、この施設自体どんな施設なのだろう、さらにはこういった施設を通して、今私が生きているこの時代とは一体なんなのか。つまり、単なる核廃棄物だけではなく、その向こうに見える今という時代というものを見てみたいと思ったんです」
司会「すみません、前後しましたが、今日のゲストの西尾さんになぜ来ていただいたかというと、映画ができたあと、かんき出版というところからフィルムブックを出版して、映画を解体して2次元の紙にした部分と、ただそれだけではなかなか日本の状況がどうなのか分からないっていうので、西尾先生と澤井さんおふたりに解説・補足を、日本の読者に向けてのテキストが加わった本が発売されたので、西尾さんに今日来ていただきました。
最初に言ったように、この映画は(2011年)4月2日に上映を始めたんですが、当然、監督に5月に来てください、って言ったんですが、僕らはそのとき、後で知ることになったメルトダウン、メルトスルーという存在を全く知らず、僕自身もそういう知識がなかったので、もちろん政府の言っていることは100%事実じゃないということは思っていたけれども、そんなに危険なの?っていう自覚がなかったんです。監督はその時点では来られないということだったんですが、当時311、4月、5月というあたりではヨーロッパでどのような状況で、報道され、監督自身どういう判断をされたのでしょうか」
(…会員ページにつづく)