「声を上げることを、あきらめない」 ~原発事故子ども・被災者支援法 北海道フォーラム ~北海道が切り開く原発事故後の未来 2013.11.15

記事公開日:2013.11.15取材地: テキスト動画
このエントリーをはてなブックマークに追加

(IWJテキストスタッフ 花山/奥松)

 2013年11月15日(金)、札幌市北区の北海道クリスチャンセンターで「原発事故子ども・被災者支援法 北海道フォーラム ~北海道が切り開く原発事故後の未来」が行われた。

 北海道では、行政と市民、避難者自身もかかわって、息の長い支援のあり方を模索している。避難者からは「北海道は行政と民間が、積極的に避難者支援を行っている」と評価する声が続いた。

■全編動画 1/3

■全編動画 2/3

■全編動画 3/3

  • 13:30~ 現状報告 支援法市民会議より
  • 13:50~ 第1部 北海道避難者報告
    ・札幌 自主避難者住宅自治会の宮城からの避難者
    ・函館 福島からの避難者
    ・旭川 福島からの避難者
    ・長沼 栃木から定住希望の避難者
  • 15:00~ 第2部 北海道支援者報告
    ・行政の立場から 北海道
    ・行政の立場から 札幌市
    ・公的支援の立場から 復興庁委託事業「県外自主避難者等への情報支援事業」
    ・保養から保養施設設立へ 福島の子どもを守る会
    ・複合的な避難者支援 東日本大震災市民支援ネットワーク・札幌(むすびば)
  • 16:00~ 第3部 意見交換会(中継には含まれません)
    ・問題提起 避難者への問題提起 中手聖一氏(市民会議)
    ・問題提起 支援者への問題提起 東田秀美氏(市民会議)
    ・グループ討議 ファシリテーター 市民会議から
  • 16:50~ まとめ・閉会

支援法の基本方針「被災者の声が反映されていない」

 福田健治氏は、原発事故子ども・被災者支援法(以下、支援法)の特徴について、「支援法は、昨年の6月にできた議員立法で、衆参全会一致で採択された法律である。1条の『目的』には、福島原発事故で大量の放射性物質が拡散されたが、その影響は科学的に未解明であることを前提として、国の責任で対策を取ること。住民には被曝線量を下げるための支援をすること。そして、避難を選んだ人には、避難生活を成り立たせるための支援を行う、と明確に記されている」と説明した。

 その上で福田氏は、重要なポイントとして次の2点を挙げた。「2条2項では、被災者がその地域に残るのか、あるいは避難するのか、そして避難先から戻るのか、自らの意思で選ぶことができる。それができるように、国は責任を持って支援し、人々の選択を尊重することが、明確に法律の理念として掲げられている。これを具体化していくことが国に課せられた課題である。もうひとつは、放射線被曝の健康影響には国の責任で対応する、と条文に明確に定められていること。放射線被曝の健康影響は、いつ出るのか、どのように出るのか、まだまだわかっていない。多くの国民が、今後、健康にどんな影響があるのかを不安に感じている。その不安にきちんと対応するために、国の責任で、医療が必要な時には医療費の減免措置を講じていく、ということが法律に定められている」

 満田夏花氏は、支援法基本方針の概要と問題点として、「8月30日に発表された基本方針案の内容では、支援対象地域を福島県浜通り、中通りなど33市町村とし、それ以外に準支援対象地域を設ける、としている。それから、福島県近隣圏における外部被曝の状況把握をするために、個人線量計を配る。また、有識者会議の開催、民間団体を活用した被災者支援の拡充を打ち出している。いくつかの前進はあったが、福島と東京で説明会を開いたにもかかわらず、被災者の声がきちんと反映されなかったことは残念である」と述べた。

「年間1ミリシーベルトを支援の基準に」との声は届かず

 続けて、「被災者から多く寄せられた意見は、公衆の被曝限度である年間1ミリシーベルトを越える地域を支援対象地域に、というものだった。しかし、これは実らなかった。つまり、国は線量の基準を作ることから逃げた、と捉えることができる。また、健康診断の実施や医療費の減免措置なども具体化されなかった。当事者の皆さんが訴えたことが通らずに、基本方針が決まってしまった」と述べ、きちんとした被災者支援ができる方針にしていくためには、「継続して、国に意見を言うことが必要だ」と指摘した。

避難者の思いはさまざま、なおかつ複雑

 宮城からの避難者である小岩井氏は、「原子力に詳しい友人から3号機が爆発したと聞いた時、子どもたちの事を考えてパニック状態に陥った。しかし、ある時に腹が決まって、ここから避難しようと思い、生まれ故郷の北海道に戻ることができた」と震災後の状況を語った。避難後の、札幌での状況にも触れ、「北海道という土地は、最初から福島に限らず関東など広い地域の避難者を受け入れてくれた。そして、どうしたらいいのかを行政、支援者、NPOなど、たくさんの人たちが時間、お金、情を込めて対応してくれた。しかし、これにも限界がある。だから、避難して必死に生きているお母さんたちを、被災者支援法で助けなければならない。そのために、この法律に大人が全員向き合わなければならない」と述べた。

 福島からの避難者である鈴木氏は、避難の状況に関して、「高校生の息子の転校先を苦労してインターネットで探して決めた後、中学生の二男も北海道に転校することになった。妻は仕事の都合で遅れたが、うまく移住することができた。しかし、まだ難民のようで、生活も安定してない。追いつめられている感じで、貯金も目減りしてきて、厳しい状況」と話した。また、北海道で支援法の運動を進めることについて、「法律を確立するには、オール北海道でまとめ上げないとダメ。バラバラでやると必ずあとで内紛が起きて、分断統治が得意な権力に、そこを狙われる」と指摘した。

 栃木県からの避難者の松浦氏は、避難までの状況を、「自然の中で環境になるべく負担をかけない生活をしたいと思い、那須町で暮らしてきた。そういう中で大震災に遭い、次の日に福島第一原発が爆発したことを知り、パニックになった。今までと見た目はまったく変わらない森と土と家と空気は、危険なものに変わったが、なかなか受け入れられず、危機感を持つのが大変だった。それでも、私たちの住む森は、空間で1.3マイクロシーベルト毎時、畑の地表5センチで4マイクロシーベルト毎時を超える所もあった。これは、最終的に避難の決断をするには十分な数字であった」と語った。

北海道と札幌市は、積極的に避難者支援を展開

 行政の立場として、北海道庁からは「3月11日に東日本大震災の発生を受けて、北海道では道外被災県緊急支援対策本部を立ち上げ、被災地に職員が出向いて必要な物資を届けたり、避難者のために医療救護班を派遣した。また、北海道に避難される人のために、公営住宅等の情報を被災地に流す取り組みを行ってきた」と報告があった。

 続けて、現在実施している支援事業に関して、「ひとつは、道内で避難生活を送るために必要な生活情報や支援情報、被災地の復興情報などをまとめた広報誌を発行する事業。2つ目は、避難者、支援団体、一般道民などが参加する絆づくりのフォーラム事業。すでに、8月に恵庭市、10月に北見市で開催し、来年の3月には札幌市内で3回目を開催する予定である。3つ目は、避難者が一時帰郷する際の交通費助成である。被災地の様子をリポートしてもらい、広報誌に掲載して情報を提供する」と説明した。

 広報誌の展開によるメリットとして、「委託先は、避難者の団体『みちのく会』と支援団体『あったかい道』の2つで構成されるコンソーシアム『アシスト協議会』である。アシスト協議会のスタッフと道の担当者で、毎月、編集会議を開催することで、行政が知らせたいことと避難者が知りたいとことの両者の視点が入る。さらに、この編集会議を通してさまざまな意見交換ができることから、避難者の実情やニーズが把握でき、事業に生かすことができている」とし、「これからも、避難者や支援団体と一緒に、支援事業を進めていきたい」とした。

 続いて、札幌市から「市民まちづくり局の支援事業として、財政的支援、活動の場の支援、情報の支援の3つがある」という説明があった。内容に関して、「財政的支援は『さぽーとほっと基金』を立ち上げ、市民、企業から札幌市が寄付を受け入れて、避難者に助成している。情報面の支援では、北海道NPO被災者支援ネットという任意団体を立ち上げている。ここでは、避難者への情報提供、相談支援、避難者同士の交流支援、被災者支援団体同士の情報交換会などを進めている。避難者からの相談件数は、初年度1400件、翌年1200件と減少傾向にあるが、内容については、帰郷の問題、親の介護、子どものことなど、家庭内の複雑な相談が増えてきている。今後も支援を続けたいので、予算を確保したい」と話した。

誰もが使える保養所建設へプロジェクトがスタート

 福島の子どもたちを守る会の副理事長、山口たか氏は、会の活動について、「福島の親子に、空気を吸って、水を飲んで、外でいっぱい遊ぶ、あたり前の夏休みを提供することををやってみようと、2011年6月11日に会を立ち上げた。今日まで7回、夏休みと春休みの長期休暇に保養者を受け入れてきた。また、子どもたちの避難にかかわる交流などで、避難の権利集会を開催した。行政は避難に関して機械的に線引きするのではなく、避難は権利であることを確認しなければいけない。そういう思いから、集会を開いた」と述べた。

 支援法について、山口氏は「支援法ができてよかったと思ったが、中身は全然詰まっていない理念法だった。私自身も含めて運動が弱かった。また、さまざまな情報もいただいているのに、動き切れなかった」と、これまでの活動の反省点を語った。今後については、「福島の原発事故は終わっていない、と言い続けることが役割である。また、1年目は無料で泊まれる施設がたくさんあったが、だんだん減ってきている。私たちは、希望する時に、希望する人が、希望する期間、滞在できる常設の保養所を作りたいので、今年の6月からプロジェクトをスタートさせている」と述べた。

避難者の思いを国に伝えることをあきらめてはいけない

 宍戸隆子氏は、復興庁情報提供相談支援事業に関して、「NPOを活用した情報提供および相談業務を担うことになった。避難者自身が避難者の相談にあたるということで、これが一番大きなことになるのではないか」と期待感を示す一方で、「避難者の気持ちは難しい。『こんなことを行政に言っていいのか、わかってもらえないのではないか』ということもあるし、何もしてくれないのでは、と気後れすることもある。言いたいことを、簡単には言えないのだ」と複雑な避難者の気持ちについて触れた。

 避難者からの情報提供に関して、宍戸氏は「ほしい情報が、ダイレクトにきていないという実感がある。『復興庁に何を言っても変わらない』『国に頼っても変わらない』と口をつぐんでいたら、思いは絶対に届かない。私がこの仕事を受けたことで、避難者のことを、もっと復興庁に届けられる。復興庁の人と直接やりとりできる場所をつかむことができた。だから、国、復興庁、福島県に話をすることをあきらめないでほしい。声を上げ続けることで、着実に前に進むことができる。ぜひ、声を上げてほしい」と訴えた。

IWJの取材活動は、皆さまのご支援により直接支えられています。ぜひ会員にご登録ください。

新規会員登録 カンパでご支援

関連記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です