表現の自由、情報公開、国民主権の促進に生涯を捧げた、故日隅一雄の理念を基に、第1回「日隅一雄・情報流通促進賞」の授賞式が、6月12日、弘済会館で行われた。
大賞には情報公開クリアリングハウス(三木由希子氏)、奨励賞にはCRMS(市民放射能測定所 代表 丸森あや氏)と福島原発告訴団(代表 武藤類子氏)の2団体、特別賞には東京新聞「こちら特報部」(デスク 野呂法夫氏)が選ばれた。また、授賞式では、審査を行った岩崎貞明氏、津田大介氏、落合恵子氏が講演を行なった。
(IWJテキストスタッフ・関根かんじ)
表現の自由、情報公開、国民主権の促進に生涯を捧げた、故日隅一雄の理念を基に、第1回「日隅一雄・情報流通促進賞」の授賞式が、6月12日、弘済会館で行われた。
大賞には情報公開クリアリングハウス(三木由希子氏)、奨励賞にはCRMS(市民放射能測定所 代表 丸森あや氏)と福島原発告訴団(代表 武藤類子氏)の2団体、特別賞には東京新聞「こちら特報部」(デスク 野呂法夫氏)が選ばれた。また、授賞式では、審査を行った岩崎貞明氏、津田大介氏、落合恵子氏が講演を行なった。
■ハイライト
授賞式のはじめに、「日隅一雄・情報流通促進基金」の代表理事で、弁護士の海渡雄一氏が「今日は日隅一雄さんの命日。日隅一雄さんの考え方、生き方は、今回受賞された皆様の活動の中に、脈々と受け継がれていると確信できる」と、日隅氏との思い出を交えながら、開会の挨拶を行なった。
次に、岩崎貞明氏より受賞発表が行われ、「20数件の応募から、最終10件ほどに絞り、情報の流通促進という趣旨と、将来性も考慮して選考を行なった。情報公開条例が制定される前から情報公開に尽力してきた『情報公開クリアリングハウス』が大賞となった」と選考理由を説明した。授賞式に移り、弁護士の梓澤和幸氏が各賞を授与した。
津田大介氏は講演の中で、「情報流通の形態が変わってきた。2011年のアラブの春では、ソーシャルメディアが人々を動かす大きなきっかけを作った。日本では震災後の官邸前デモ、原発再稼働反対行動などに、ネットから情報を得た多くの人々が集まった。アメリカでは、オバマ大統領の再選報道がツイッターから発信され、80万アクセスがあったといい、すでに世論の可視化装置になっている。日本の政治家では、橋下徹大阪市長のツイートがアクセストップを記録したらしいが、テレビがネット情報を後追いするなど、日本でも情報流通の逆転現象が起こっている」と実例を挙げた。
さらに津田氏は「ネットと政治の関わり方を見ると、ビッグデータと政治、リアルタイムでのパブリックコメントの即効性、バーチャルでのロビーイング、資金集めとしてのクラウド・ファンディングなど、いろいろ期待ができる。自分たちも、600万円の取材費をクラウド・ファンディングで集め、4月にチェルノブイリに取材に行くことができた」と述べた。さらに、「現在は『多メディア・間(かん)メディア社会』となり、単独メディアではうねりは起こらない。あらゆるメディアで話題になって、はじめて社会問題化するとも言える。日隅さんが、私たちに残したことは、独立性の高い情報流通システムの確立と、市民メディアの増強に貢献したこと、ではないだろうか」と語った。
落合恵子氏は、最初に日隅氏が亡くなった日の思い出から語った。そして、「自分は子どもが集まる場所を運営している。そこに向けて、ある種の攻撃を受けた時、どうすべきかわからなくなる瞬間がある。そんな時、日隅氏がつらい状況の中で、主権を人々の手に戻すことに必死になっていた姿を思う。それは、幾度となく強い励ましになった。今回、参議院選挙がある。改憲と原発再稼働は、阻止しなければならない。そのために、私たちは過去の分断を超えて、柔らかくまとまることはできないのか。私たちは、いかに日隅氏の残した贈り物を引き継いでいくのか、問われている」と話した。最後に、長田弘氏の詩『花を持って、会いにゆく』を朗読した。
受賞者の挨拶では、まず、特別賞を受賞した東京新聞「こちら特報部」デスクの野呂法夫氏がスピーチをした。「福島は、自分にとって第2のふるさとだった。発災後、すぐに取材に走り出した。子どもたちの健康の影響などに焦点を当て、また読者の疑問や不安に耳を傾けて、特報部全員で報道を始めて700回を越える。そのとき『5W1H am I』というキーワードを掲げた。『am I』とは、自分の立ち位置を指す。それは新聞作りの主導権を官や権威から取り戻し、自分たちで判断し書く、という試行錯誤でもあった。日隅氏とは直接会ったことはないが、東京新聞の記事については、たびたび叱責してもらった。最後に、この特別賞を励みに、皆と一緒になって、原発ゼロ社会に向けて決意を新たにしたい」と話した。
次に、奨励賞を受賞したCRMS代表の丸森あや氏が登壇した。「市民放射能測定所は、素人の市民が集まって始めた活動だ。素人でも何かできないかと避難所を回って聞き取り調査をすると、インターネットの情報や専門家の話を聞いても、何が真実かわからない、と言う。だったら、知る権利は自分たちにある。お役所に頭を下げて教えてもらうのは、もうやめよう、と住民たちが立ち上がった。今では9カ所の測定所を設け、ホールボディカウンターなど20台の測定機材も揃え、測定情報を公開するまでになった。だが、まだまだ知らない人も多いし、足りないことも多い。日隅氏に恥じないように、活動を広げていきたい」と挨拶した。
同じく奨励賞を受賞した、福島原発告訴団の代表、武藤類子氏は「今回の受賞は、告訴団1万4716人の一人ひとりがもらった栄誉だと思っている。日隅氏は、ジャーナリズムの本当のあるべき姿を追い求めていた。亡くなる前日の6月11日は、第一次告訴を福島地検に行なった日だ。原発事故の責任を問い、日本社会のありようを変えようと始まった訴訟。しかし、いまだ正当な賠償交渉も進まず、小児甲状腺がんも増加し、人々の分断はひどくなる一方だ。今日は、真実を伝え続けようとする人たちに出会い、心強く励まされた」と謝辞を述べた。
最後に、大賞を受賞した、情報公開クリアリングハウスの三木由希子氏が挨拶した。「私たちは慎ましく貧乏にやっているので、副賞の30万円は、情報公開請求と運営のため、大事に有意義に使わせてもらう」と話し、会場の笑いを誘った。「1980年、今の私たちの前身『情報公開法を求める市民運動』が発足し、1999年に情報公開法が成立した。30年前に較べると、公開情報は格段に増えた。だが、福島原発事故後、あまり変わっていないことにも気づく。今、私たちが活動しているのが、福島原発事故の情報公開プロジェクトだ。この運動も、いつまで続けられるか不安だったが、今回の受賞で、とても勇気づけられた。情報公開は、それ自身は目的ではなく、あくまでも手段であり、出発点だと思っている」と語った。