どの世論調査を見ても、日本国民の約8割が「愛子天皇」を望んでいるにもかかわらず、その期待を高市政権が阻んだ。
女性皇族が結婚後も皇族に残ることを可能にすることと、1947年(昭和22年)10月に皇籍を離脱した11の旧宮家の男系男子を、天皇・皇后両陛下、上皇ご夫妻、秋篠宮ご夫妻以外が養子に迎えられるようにした、改正皇室典範が、国会で可決・成立した。
女性天皇と女系天皇の皇位継承、および女性宮家の創設については、またも見送られた。
それどころか、皇位継承資格の「男系男子」に固執する高市政権は、「立法府の総意」にはなかった、養子の子孫に関する記述を、勝手に法案に書き加えた。これは「改正」というより、「改悪」というべきものである。
その一文とは、「養子皇族男子及び養子皇族男子の子孫の皇族としての地位は、実方の系統によるものとする」というものである。
「実方の系統」とは、「養子の実家(旧宮家)の血統」という意味である。これにより、養子本人には皇位継承権はないが、養子の子孫に男子が生まれた場合、現在の皇室典範で皇位継承を定めた「皇統に属する男系の男子」にあたるため、皇位継承権を持つことになる。
しかも、この皇室典範改正案への、養子の子孫への皇位継承資格の付与など、具体的な記述内容については、政府から宮内庁への事前相談や調整は行われていなかった。
閣議決定当日の報道で、初めて条文の細部を知った天皇の側近らは、「寝耳に水の事項もある」「わからないことが多すぎる」と、表明した。
宮内庁が「知らなかった」ということは、当事者である皇室の方々にも事前に伝えられなかったことになる。これは騙し討ちのようなやり方ではないだろうか!?
そもそも、今回、事前に与野党が合意した「立法府の総意」における皇室典範改正の主目的は、あくまで「喫緊の課題である皇族数の減少を食い止めること(皇族数の確保)」であり、「皇位継承問題」の議論は棚上げされていた。
皇室典範の「改正」は、日本国憲法が「主権の存する日本国民の総意にもとづく」と定める象徴天皇制の根幹に関わる議論であるにもかかわらず、政府・与党は、衆参両院の委員会審議をわずか計6時間あまりで打ち切り、スピード成立を強行した。
こうした強引で強硬な国会運営、野党からの厳しい質問に正面から答えない高市総理らの答弁姿勢は、改正皇室典範だけでなく、国家情報会議設置法、改正刑事訴訟法、改正国民投票法、副首都関連法でも同様だった。
その結果、政権発足以来60%台の高い支持率を維持してきた高市内閣は、国会終盤の2026年7月、報道各社の世論調査で、一斉に10ポイント前後急落した。
2026年7月27日、ヘルニアを抱える岩上安身は、鎮痛剤を服用した上で、神道学者で歴史家、天皇・皇室研究者である高森明勅(たかもり あきのり)氏に、連続インタビューの1回目となるインタビューを行った。
岩上安身は最初に、「皇統は『古事記』『日本書紀』以来、男系男子」だという「男系男子論者」の言説は「本当なのか?」という問いを、高森氏に投げかけた。
さらに、「神道の最高神にして皇祖神は女神の天照大神なのに、なぜ5代下の神武天皇から数え出すのか?」「『女性天皇はギリ認めても中継ぎ』というのは、日本という国家を『創業』した女性天皇に失礼ではないか?」と、疑問を重ねた。
これに対して、高森氏は、以下のように答えた。
「そもそも、『男系男子に皇位継承資格を限定する』というのは、明治22年に制定された明治の皇室典範が最初です。古代から江戸時代まで、男子には限定していません。
飛鳥奈良時代に至っては、天皇の半数が女性ですので、これだけ大きな比率を占めているということは、『中継ぎ』という説明はとても無理。
歴史学では、男性の天皇でも、中継ぎ的な天皇はいました。
江戸時代になると、女性天皇は中継ぎ的性格が強いんですけど、江戸時代の2代の女性天皇と、飛鳥奈良時代の8代・6人の女性天皇の位置づけは、全然違います。
江戸時代の、言ってみれば少しスケールが小さくなった女性天皇のイメージで、女性天皇全般を語るというのは、間違った議論の仕方です。
そうではなくて、飛鳥奈良時代、古代における女性天皇の存在感は、ものすごく大きなものがあります。
特に『天皇』という称号が生まれた時代については、第40代の天武天皇、第33代推古天皇(女性天皇)からという2つの学説がありますけども、私なりに学問的に検討した結果を申し上げると、第33代推古天皇こそ、(史上初めて)『天皇』という称号を名乗った。
ということは、私の学問的見通しが正しければ、『天皇は女性から始まった』ということも言えます。
また、ここに『日本という国家』という言葉が出ていますけど、『倭国』と名乗っていた国の名前が、『日本国』に変わっていく。これを学問的に追求すると、第41代持統天皇(女性天皇)が初めて『日本』という国号を採用した。
そうすると、『日本国の最初の君主・天皇は女性だった』ということになります。
さらに、ここに『古事記』『日本書紀』と出ていますけども、『古事記』を完成させたのは、元明天皇という女性天皇ですし、『日本書紀』は元正天皇という、やはり女性天皇。元明・元正という、女性天皇が2代、母親から娘に継承されたその時代に『古事記』が完成し、『日本書紀』が完成したということです。
そして、皇祖神の話をしますと、比較神話学の立場から言うと、最高神が女性であるというのが、世界の中で極めて日本のユニークな特徴です。
神話というのは、歴史上の事実ではないんですけれど、しかし古代の日本人の価値観・世界観というものがそこに反映されているわけです。その価値観・世界観が反映されている神話の中の、最高神が女性、しかもその神様が皇室のルーツであるという世界観・価値観を、古代の日本人が持っていた。
これはやはり、世界に類のない、特に東アジアは、中国の価値観の影響があって、男尊女卑の傾向が非常に強い文化圏だったわけですけれども、その中で、言ってみれば外来の文化に対する防波堤となった一つが、天照大神を女性神として、最高神であり、皇室のルーツであるという信仰を、ずっと手放さなかった。
中国の文化・文明の影響力がどんどん強くなるんだけれども、しかしそこは手放さないよと言って、現代まで来ている。
これを軽視するということは、日本のアイデンティティーを軽視することになると考えています」。
■【1】エッセンス版

































