岩上安身のインタビューにも、ご登壇いただいている、松里公孝東京大学法学部教授が翻訳された、ルガンスク人民共和国とドネツク人民共和国に関するきわめて重要な論文を、前半と後半に分けてお届けします。
前半は、以下でお読みになれます。
論文の著者はドネツク国立大学政治学講座のキリル・ヴァレリエヴィチ・チェルカシン准教授、題名は「ドンバス2共和国の内政とそれらのロシアへの(再)統合の諸方策」です。
松里教授は、チェルカシン准教授について「ドンバスの、ウクライナからの分離運動を、(ドンバスの)内側からずっと見ている」貴重な研究者として、中国で企画された「ウクライナ危機に関する国際プロジェクト」に紹介し、チェルカシン准教授が上記論文を執筆した、とのことです。
「ロシア語では絶対に公表しない」ということが、執筆の条件でした。そして、結局、中国でもデリケートな内容だとして発表されなかったため、英語訳も、中国語訳もウクライナ語訳もありません。現在は、松里教授が翻訳した日本語文でしか読めない、貴重な資料となっています。
チェルカシン准教授による「ドンバス2共和国の内政とそれらのロシアへの(再)統合の諸方策」は、以下の大項目からなります。
・ドンバスの2共和国が生まれた諸前提
・ルガンスクとドネツクの人民共和国の内政の基本原則
・人口と経済
・憲法体制
・ルガンスクとドネツクの人民共和国における政党制と選挙制
・ロシアへの(再)統合のための諸方策
・結論
後半は、「ルガンスクとドネツクの人民共和国における政党制と選挙制」「ロシアへの(再)統合のための諸方策」「結論」をお送りします
ぜひ、IWJ会員登録をして、岩上安身による松里公孝教授のインタビューの全編を、以下より御覧ください。
ドンバス2共和国の内政とそれらのロシアへの(再)統合の諸方策(後半)
キリル・ヴァレリエヴィチ・チェルカシン
ドネツク国立大学政治学講座准教授
【ルガンスクとドネツクの人民共和国における政党制と選挙制】
<社会運動が政党を代行>
両共和国で創出された「政党制」は、すこぶる独特であった。より正確には、普通の意味では政党制は存在していなかった。
ドンバス領域内ではウクライナ民族主義政党(祖国党[26]、自由党[27]、ウクライナ民族会議、右派セクター[28]など)の活動は、禁止されていたということ以外に、ドンバス自身の政党も生まれなかった。
政党が生まれる条件は、十分にあったのだが、政党法そのものが、採択されなかったのである。
2014年の「ロシアの春」[上述、反マイダンの分離運動]には、ウクライナ共産党、進歩的社会党、スラヴ党、ロシア・ブロックなどの党員が活発に参加した。
また、「ロシアの春」の進展の中で、「ドンバス自警団」、「ドネツク共和国」などの組織が生まれたか、活性化した。
これらグループの全ては、十分に明確な優先課題とイデオロギーを持っていた。左翼もいれば、保守主義者やロシア愛国主義者もいた。王党派までいた。
しかしながら、「ロシアの監督者達」(あるいはより上位の指導者)は、政党の代りに、できるだけ曖昧で脱イデオロギー的な、最大限多様なグループを包摂する連合体を作ると決定した。
こうして、ロシア連邦における統一ロシア党と同じ、権力党の役割を果たす「ドネツク共和国」と、ロシア連邦における「統一ロシア党以外の全議会政党」(つまり体制内野党)の役割を果たす「自由ドンバス」が組織された。
後者は、それまで何の相互関係もなかったパヴェル・グバリョフの「ノヴォロシア」と、ドンバス退役軍人団体「ベルクト」が合同して生まれたものだった。総じて、二大政党制に類似したものが生まれた。
できる限り脱イデオロギー的な、二つの「社会運動」(似非政党)によって構成される同様のシステムは、ルガンスク人民共和国でも創出された。ルガンスクの場合、権力党は「ルガンスク世界」、体制内野党は「ルガンスク経済連合」という名称だった。
両共和国の発生当初の混乱のおかげで、2014年末、ドネツク共産党に政党登録証書が発行された(後に、登録は取り消された)。
ドネツク人民共和国首長A.ザハルチェンコの存命中、「防壁」という名の社会運動が作られたが、彼の死後は解散してしまったし、ザハルチェンコ存命中も、選挙参加権は持たなかった。
<候補者名簿を選挙後に発表する比例代表制>
2014年と2018年の議会選挙においては、ドネツク人民共和国、ルガンスク人民共和国双方において、上記2つの公式社会運動のみが投票用紙に表示され、候補者名簿を提出することができた。
しかもその候補者名簿には最上位3位までの候補者しか表示しておらず、選挙後、当該社会運動の得票数が明らかになってから、全候補者名が発表されたのである。
ドンバスの2共和国の「政党制」は、なぜこれほど独特だったのだろうか。
原因は、2つあった。
第一に、ドンバスの政党制が、ロシア連邦を見本にして作られたからであり、第二には、「ミンスク・プロセス」の結果であった。
ドンバスがウクライナに再統合した場合は、これら社会運動は、すぐに解散されるか、再組織されなければならなかった。
統合が実行されない場合、ドンバス独自政党を作ることは、「ミンスク・プロセス」に明白に違反していた[29]。
両共和国の選挙制度も、独特であった。
[ドンバスのウクライナ離脱を問うた]2014年5月の住民投票は、第一義的には人民のイニシアチブで行われたものだった。
自発的活動家の諸グループが、上位と基層の選挙管理委員会を組織し、投票所の設置場所につき交渉し、投票と開票を管理し、投票所を護衛した。
住民投票までに、ドネツク人民共和国の中央選挙管理委員会は組織されていたが、ごく一般的な問題を調整する能力しかなかった。投票用紙を印刷して下位選管に送る、投票所間の管轄区域のおおまかな線引き、投票結果の集計などである。
この住民投票が国家ではなく、社会団体により組織されたこと、ウクライナが、あらゆる方法で投票を妨害したことを考慮に入れれば、住民投票が実施されたということ自体が成功とみなすことができよう。
ウクライナの軍事組織が駐留していた個々の地域では、有権者は投票できなかった。
ドネツク人民共和国西部の行政単位、すなわちアレクサンドロフスキー郡、ドブロポリ市、ドブロポリスキー郡、クラスノアルメイスク[ポクロフスク]市、ヴェリコノヴォセリスキー郡、マリウポリ市、その他がこれに該当する。
これら地域では、一部の人しか投票できなかったか、投票が問題なく行われている地域に行って投票するしかなかった。住民投票を軍事的に阻止しようとする試みは、民間人の犠牲を生んだ[30]。
<ドンバス独立を支持したのは、全有権者の60%>
投票率は実際に高く、投票所前には行列ができた。
ドネツク人民共和国中央選管のデータによれば、2014年5月住民投票の投票率は75%、うち89%が、共和国の国家的自立を支持した。
ルガンスク人民共和国においては、この割合はそれぞれ75%、96%であった。両共和国間で、独立支持率が大きく違っていることが目を引く。我々の観察と特別な評価によれば、ドネツク人民共和国における実際の投票率は約60%、うち独立支持は96―98%であった。
クリミアの先例が示すように、クリミアのロシア編入に反対の人は、そもそも住民投票を認めないし、投票所に来ない。だからクリミアでも、ルガンスク人民共和国でも、住民投票における反対票は少ないのである。
我々が有する資料によれば、ドネツク人民共和国での住民投票結果は、そのころすでに共和国内にいた「ロシアの監督者」によって、「上から与えられた」ものである。
ウクライナで権力掌握を僭称した、新政権の活発なイデオロギー的・軍事的抵抗にもかかわらず、地域の全有権者=成人人口の約60%が、共和国の独立を支持したということは、特筆に値する。
言い換えれば、住民投票結果を脚色する必要などなく、そのまま発表しても、分離派にとって肯定的なものだったのである。
にもかかわらず、投票結果を「上から与えた」という事実は、「監督者勢力」が、人民の意思表示手続きを信用しておらず、その手続きを実行する能力または(および)意欲がなかったということを示している。
もちろん、監督者は「余所者」だった[ドンバス土着ではなかった]ので、確信が持てなかった、持ち時間不足と混乱の中では、投票結果を予想することは困難だったという事情も考えられる。
<虚偽でも、真実でもなく>
後に、ルガンスク、ドネツクの両人民共和国の住民投票において、このようなやり方は定着した。住民は、全体として、現行の親露的な政策と、その政策を、共和国において推進する政治勢力を支持した。しかし、住民投票の組織と票の集計結果については「改善の余地があった」。
「監督者」は、投票結果に悩むことはなかったし、非承認地域なので、その投票結果は、いずれにせよ国際的に承認されなかった。
可能性としては、それら選挙結果は、(ウクライナがミンスク合意を実施して、ドンバスがウクライナに再統合される場合には)いつでも廃棄できるようなものでなければならなかったのである。
それゆえに、たとえば、2014年11月、ドネツク人民共和国の最初の首長と議会の選挙は、非常に活発に行われ、有権者の大半は、実際に勝者(アレクサンドル・ザハルチェンコと社会運動「ドネツク共和国」)を支持した。
にもかかわらず、選挙結果は集計されたものではなく、「描かれた」ものだった[31]。
それは、投票結果が人民の意思を反映していなかっただとか、人民の意思が著しく歪められたとかいうことではない。
それは、選挙の実際の組織者(「ロシアの監督者」)が、人民の意思をあまり信頼しておらず、それを正確に算出・記録しようともしなかったということを意味している。
議会選挙においては、比例代表の投票用紙には、2つの社会運動の上位3位までの候補者名しか表示されておらず、それ以外の当選議員は、両社会運動の得票率が「算出され」てから、氏名が公表された。
2014年の議会選挙も、2018年の第2回目の議会選挙も、完全比例代表制下で行われた。2022年におけるロシア連邦への編入までは、政党の役割は社会運動が担った。
なぜ完全比例代表制が選ばれたかと言えば、コントロールが容易だったからである。候補者を立てる組織者と協同すればよいだけだし、「聞き分けのない」小選挙区議員が生まれる心配もなかった。
<人民共和国に、地方自治はなかった>
郡・市の自治体選挙は[ウクライナ時代に最後に地方選挙が行われた]2010年から[ロシア編入後の]2023年まで行われなかった。
なぜかといえば、「地方選挙はウクライナ法にもとづいて行われるべし」と、ミンスク合意に書いてあったからである。
ロシア連邦による2共和国の国家承認及びその後の連邦編入の結果として、ようやく、この要求を拒否することができるようになった。
それまでは、ロシア指導部にとっても人民共和国にとっても、地方選挙は行わずに、地方指導職に「必要な人物」を任命できる方が都合がよかったのだ。
2016年に両共和国において、党内予備選挙が行われたが、その意義は不明で、いかなる結果も生まなかった[32]。
2018年、A.ザハルチェンコが殺害された後に、首長と議会の繰り上げ選挙が行われたが、総じて2014年とほぼ同じだった反面、傾向はやや変わった。
勝ったと宣言されたのは、実際に最も人気がある人々だったが(デニス・プシリンと社会運動「ドネツク共和国」)、実際の投票率は、公に発表された率よりも、はるかに低かった。
それに先立つ数年間、本当の政治闘争がなかったために、多くの有権者は、投票することを無意味と考えた。そしてまたしても、2社会運動の候補者名簿は投票後に作成された。
2021年秋、2共和国の住民の中で、既にロシア国籍を獲得していた者は、ロシア下院選挙において投票することができた。総じて、ドンバスにおける公式の選挙結果は、住民の実際の投票選好を反映していた(詳細は拙稿参照[33])。
有権者は、親露的で愛国的な路線を支持した。そして、ドンバス住民の大半にとって、この路線の体現者は、「権力党」である統一ロシア党にほかならなかったのである。
<ドンバスの、ロシア編入を問う住民投票>
2022年9月、ドネツクとルガンスクの人民共和国、ザポロジェ州、ヘルソン州のロシア編入を問う住民投票が、複雑な状況下で行われた。
進行中の「特別軍事作戦」、投票所がウクライナによって砲撃される現実と、潜在的可能性が、特別体制下で投票を組織することを不可避にした。
すなわち、投票は数日間に及び、しかも投票所に人が集まることを避けるために、多くの場合、選挙管理委員会が住宅建物を回って投票が行われた。
そのような特殊な条件で行われた投票の正確さを、評価するのは難しい。
しかし、全体としては、住民投票の結果は、疑いなくドンバス住民の多数派の願望を反映していたし、ザポロジェ州、ヘルソン州住民の願望も相当程度、反映していた。
<ロシア編入後の地方選挙>
2023年9月、ロシア連邦の「新参」リージョンで「古参」リージョンの大半と同様、一斉地方選挙が行われた。
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ドンバス2共和国においては、2010年以来の地方選挙だった。リージョンレベルの議会に向けた選挙準備が活発に行われた[34]。
ロシア連邦中央選挙管理委員会は、新参リージョンの特殊性に鑑み、それらの地方選管に特別な権限を与えた。
たとえば、投票所が砲撃される危険性ゆえに、投票のかなりの部分が、選管が各建物を訪問しての投票だった。
投票期間は、ロシアの他のリージョンのように3日間ではなく、ほぼ2週間だった。住民へのロシア国籍・パスポート付与が完了していないため、人民共和国やウクライナのパスポート提示でも投票できた。
社会学調査によれば、ドンバスの地方選挙においては、統一ロシア党が、支持率80%で先頭を切っていた。急進愛国主義的なスローガンを掲げるロシア自由民主党も一定の人気(支持率10=15%)を集めていた。
その他のロシア諸党は、ドンバス住民の間では、知名度でも人気でも劣っていた[35]。このような傾向は、ロシア編入直後のクリミアの投票傾向と共通していた。
この地方選挙における公式の投票率は、ドネツク・ルガンスク人民共和国で、ロシア最高の70%に達した。
ドンバスにおける選挙は、選挙結果の「調整」政策によって規定された。実態においても、統一ロシア党、ロシア自由民主党、ロシア共産党が、ドンバスで人気のある3大政党だった。
しかしながら、これら諸党に投じられた票は「真面目には数えられなかった」。代わりに、様々なロビー集団が、投票結果に影響しようとした。
その結果、統一ロシア党がほとんど80%とったことは、事実の反映であったが、ロシア共産党に、ドンバス支援活動を活発に行っていたことへの報酬として、リージョン第2党の地位(6.4%)を与えることが決められた。
ロシア自民党への「正当化されえない高い支持」(10-15%)は、6.3%にまで刈り込まれた。
人気のない準リベラル政党「新しい人々」には、5.1%が与えられたが、実際には、この党にはほとんど誰も投票していなかった[36]。
この投票結果は「ドンバスのロシアの法空間への統合」などと報じられたが、実際には、2014年以来の諸選挙の最悪の伝統に沿って行われたのである。あるいは、伝統をさらに悪化させるものだった。
<2024年大統領選挙>
現時点で(2024年2月)、2024年大統領選挙の準備が、ロシア連邦「新参リージョン」でも活発に行われている。当地での戦時状況を反映して、選挙が再び特別条件下で行われるということは、ロシア連邦中央選管がすでに決定している[37]。
ルガンスク・ドネツク両人民共和国住民の、政治的活性化の度合いを測ることは難しい。なぜなら当地では、選挙以外の通常の政治活動が盛んではないからである。
議論の余地なく、ドンバスにおけるV.プーチンの支持率は高い。おそらく、ロシア連邦で最高ではないだろうか。
この支持率は、ドンバスの多くの住民が、苦しみの末に実現した親露の選択を、ロシアの現政権と等置するからである。実際、マスコミにおいては、現政権が、ロシアの意思を体現し、表現する者として描かれている。
それと同時に、ドンバス社会においては、近年、選挙結果の深刻な偽造が行われているという意見が広まっている。
しかし、ドンバスにおいて、2024年の選挙結果の歪曲の可能性が、大衆的な抗議行動を生むとは考えられない。なぜなら、V.プーチンの勝利は、住民多数派の選好と一致しているからである。もちろん、戦時下での抗議行動は、いかなるものであれ、実行は難しい。
両共和国における政党制の変容は、半官の「社会運動」からロシアの諸政党のリージョン支部の創出へと性格づけることができる。
社会運動「ドネツク共和国」と「自由ドンバス」の指導者の相当部分が、統一ロシア党に入党した。この党のドネツク地域支部は、現在、ロシア連邦で最も大きい支部のひとつである(12万9千人、つまり250万人と言われる全国総党員数の5%以上)[38]。
選挙制度も、ロシアの法にもとづいた制度に近づく方向で変容した。
【ロシアへの(再)統合のための諸方策】
<過度的措置としての独立>
ルガンスク・ドネツク両共和国の内政の、たとえ大部分でないにせよ、本質的な歩みは、ロシア連邦に統合されるか、統合を近づけることを目指すものだった。両共和国の単一国家への統合の諸問題(イレデンティズム)を本節では論じる。
最初から、ルガンスク・ドネツク人民共和国の創出は、独立宣言に関与した政治活動家によって、ロシアとの完全再統合に向けた過渡的な、余儀なくされた措置とみなされていた。
つまり、もし両共和国を作ることなしに、すぐにロシアと再統合することが可能だったとしたら、両共和国は出現しなかっただろう。
両共和国の独立宣言は、ある意味で妥協であった。一定の勢力は、そこに「クリミアのシナリオ」の繰り返しを見た。これにおいては、顕著な自決権を形式的には有していた領域(ウクライナに属するクリミア自治共和国)が、自決権を行使したのである。
モスクワの特定勢力にとっては、ドンバス両共和国の創出は、ウクライナの連邦化または国家連合化の受け入れ可能なバージョンであった。
つまり、ドンバス領域は、2014年以前よりも、はるかに大きな権限を持ってウクライナに戻り、そのことによってウクライナ全体を変化させるのである。
「クリミアのシナリオ」、ウクライナの連邦化のいずれもうまくいかなかった場合は、2014年から2022年まで維持されていたような中間的な選択肢、すなわち形式的には独立した国家が存続することになるのである。
ドンバスにおいて両共和国の創出と防衛に従事していた「ロシアの春」の政治活動家にとって、ロシアとの再統合のみがあるべき路線であり、「共和国建設」は、強いられた方策以外ではなかった。
まさにこのために、ルガンスク・ドネツク両人民共和国創出の初期においては、現行法規をロシア法規(あるいは、以前存在していたソ連法規)に近づける努力がなされたのである。
再統合のための方策の相当部分は、強いられたものだった。
たとえば、2015年3月、ドネツク人民共和国指導部は、多通貨ゾーンを創出すると宣言した[39]。事実においては、2014年夏からロシア・ルーブリは、両共和国内で広く流通し、ウクライナ・フリヴナと二重通貨制の様相を呈していた。
この状況は、フリヴナがルガンスク・ドネツク両共和国から消失しつつあったことによって生まれた。ウクライナの国家機関や企業は、稀な例外を除いて、両共和国領域で支払いをしなかった。フリヴナの量は減少し、別貨幣で代用することもできなかった。
<初期の法的統合>
早くも、2014年春から夏にかけてのドネツク最高会議の初期の会期において、次の手続きが採択され、公示された。
共和国の領域では、ドネツク人民共和国の諸法が有効である。それらの法は、ロシア法に最大限接近しなければならない。ドネツク人民共和国の法が存在しない場合、ドネツク人民共和国の独立宣言とアクトに矛盾しない限りにおいて、ウクライナ法が有効である。
この法的移行方法は、かつて沿ドニエストル・モルドヴァ共和国がたどった道であった。
ルガンスク人民共和国は、宣言的文書や多くの行政管理問題につき、しばしばドネツク人民共和国の後を追った。
ドネツクとルガンスクの人民共和国の法は、しばしばロシア法をコピーしたものであった。たとえば、2014年以来有効であるドネツク人民共和国憲法の多くの条項は、ロシア憲法やその他のロシア法規から書き写されたものだった[40]。
別例として、2014年8月にドネツク人民共和国刑法典が採択されたが、これは基本的にはロシア刑法典の模倣だった。多くの法学専門家が、ロシア刑法典の不十分な点を指摘していたにもかかわらずである。同様の模倣は、形式的独立時代のルガンスクとドネツクの人民共和国の多くの法規につき見られた。
<義勇兵の国境通過>
2014年春から夏にかけて、ドンバスにおけるロシア・ウクライナ国境管理の問題が先鋭化した。
ウクライナの新政権は、国境管理を手中に収めようとしたが、両共和国にとっては、それは自らの生存と、ロシアとの連絡可能性の問題だった。国境検問所の管理を手中に収めるために、激しい戦闘が交わされた。2014年夏の終わりまでには、国境検問所の大多数は、ウクライナの管理を離れた。
しかし、それ以前でも、露ウ国境の特殊性(その著しい長さ、設備の不備)は、検問所の統制を経ずに通過することを部分的には可能にした。
2014年の春から、ウクライナの親露住民を助けるために、ロシアの義勇兵が個々あるいは集団で、国境を非合法に通過した(最も有名な例が「ストレリコフのグループ」である)。
ロシアの義勇兵は、ドンバス自衛軍内の多数派を構成したわけではなかったが、彼らの助けがなかったとすれば、両共和国にとっての軍事情勢は、より危機的になっていただろう。
ミンスク合意の締結後は、ロシア連邦やその他の旧ソ連諸国から駆け付けた人々の一部は、ルガンスク・ドネツクの人民共和国の人民警察[軍を指す]に流入した。
<ロシアからの応援団>
ルガンスクとドネツクの人民共和国の「最初の波」においては、上級指導者の少なくない部分がロシア市民であり、彼らはロシア指導部内の一定の勢力との調整の上で、ドンバスに派遣された。
最も代表的な例は、2014年5月から8月までドネツク人民共和国の閣僚会議議長を務めたアレクサンドル・ボロダイ、同じく国防大臣だったイゴリ・ストレリコフ(ただしこれは名目上の役職だった)である。
これは、沿ドニエストルにおいて、ウラジミル・アンチュフェエフが安全保障担当第1副首相、アレクサンドル・カラマンが社会問題担当副首相、アンドレイ・ピンチュクが国家安全保障大臣、オレグ・ベリョザが内務大臣、ミハイル・クシャコフが教育省次官(のち大臣)だったことと類似している。
ドネツク人民共和国の指導者内にロシア人が多かった第1の理由は、ドンバスにおける「幹部飢餓」であった。
地元の政治・行政エリートは、ロシアが然るべき軍事面での保証をしてくれないという当時の状況下で、共和国指導部に参加することに不安を感じた。
第2の理由は、ロシア指導部が、ルガンスク、ドネツク人民共和国での出来事を、自らの統制下に置きたいと考えたことである。
2014年10月以降、両人民共和国は、モスクワ時間に移行した[41]。ウクライナには夏時間[モスクワ時間と同じ]と冬時間[1時間遅い]があったのだが、これを拒否したのである。
2015年から、両人民共和国支配領域においては、賃金、社会保障支給などにおいて、ロシア・ルーブリが使われるようになった。
個々の企業、特にウクライナ・オリガークのリナト・アフメトフに帰属する企業においては、フリヴナによる支払いが、少なくとも2017年まで続いた。
<教育の統合>
教育分野では、両人民共和国機構が、支配領域の教育機関の大半を自らの管理下に推した2014年秋には、教育のロシア標準への移行が始まった。授業や事務書類は、みるみるロシア語使用に変更されていった。
ドンバス住民の圧倒的多数は、意思疎通にロシア語を用い、またそれを選好していたにもかかわらず[42]、ウクライナ時代には、ドンバスの教育機関の大半では、教育は(少なくとも公式には)ウクライナ語で行われていた。
2014年以降、両人民共和国は、ロシア連邦と一緒に教育カリキュラムを練り上げ、両人民共和国の大学卒業者が、ロシアの提携大学との二重学位をとれるようにする制度を導入した。
2014年から2022年にかけて、ロシア大学との二重学位をとって卒業する両人民共和国の大学卒業生の数は、コンスタントに伸び、「特別軍事作戦」の開始までには、おそらく過半数に達していた。
教育分野では、ロシア標準への移行は間断なく、数段階を経て進んだ。事務書類のロシア語への移行、授業カリキュラムの作り直し、ロシア標準にあわせた教育機関の資格認証などである。
2014年のルガンスク・ドネツク両人民共和国の憲法のいずれにおいても、ロシア語とウクライナ語という二つの国家語が定められた。この条項は、「モスクワの影響」下で採用されたものである。
「ロシアの春」の活動家の大半は、2014年時点ですでに、共和国には国家語としてはロシア語だけでよいと考えていたが、モスクワはそれを許さなかった。
後になってようやく、ウクライナにおいてロシア語が迫害されていることへの報復として、2020年に共和国憲法が改正され、ロシア語のみが国家語と宣言された。
<統合のための諸大統領令>
上記以外にも、両共和国が公式にロシア連邦に編入される以前の重要な再統合措置として、下記があげられる。
1.2017年2月18日付ロシア連邦大統領令第74号「ロシア連邦におけるウクライナのドネツク・ルガンスク州特殊郡領域で発行された書類と交通手段登録票の有効性の承認について」[43]。
この大統領令は、両共和国で発行された、事実上すべての公式書類を認めた。出生・死亡証明、パスポート(外国市民証明として認めた)、教育の修了や学位の証明、自動車ナンバーなどである。
この大統領令は、ウクライナ側が「ミンスクの合意事項」を守らないことに対する対応であり、ロシア側からも承認されていない領域に住んでいるドンバス住民の生活を少しでも楽にする必要から出された。
2.ドンバス住民がロシア国籍を取得する手続き簡素化に関する大統領令。正確な名称は、「人道的な目的のため、ロシア連邦国籍の取得を簡素手続きにより申請する権利を持つ人々の範疇確定についての」ロシア連邦大統領令、2019年4月24日付、第183号[44]。
この大統領令の結果、ルガンスク・ドネツク両人民共和国のパスポートを持つ住民は、簡素化された手続によってロシア国籍を申請することができるようになった。
2019年から2022年2月にかけて、ルガンスク・ドネツク両共和国の約370万人の住民のうち、86万人がこの権利を行使した[45]。もしロシア・パスポートの取得が、官僚主義的な障害や面倒なしに可能であったとしたら、この数はもっと大きかっただろう。
3. ロシアによる両人民共和国の公式の承認。2022年2月21日、「特別軍事作戦」開始前夜、両共和国は独立国家としてロシアに承認された。
間もなく、ドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国の大使館が、モスクワに開かれた。数ヶ月間、両共和国は、公式に承認された独立国家として存在していた。ロシア連邦に友好的ないくつかの国が、両共和国の独立を承認した。シリア、北朝鮮、南オセチア、アブハジアである。
まがりなりにも一定期間、その独立をモスクワが承認したロシア人系共和国の例は、ルガンスクとドネツクの両人民共和国以外にはない。
4. 両共和国をロシア連邦に編入するための住民投票。2022年9月23日から27日、4つの新しいリージョンをロシア連邦に編入するための住民投票が行われた。住民投票の準備は、ウクライナ指導部とはいかなる原則問題についても合意することは無理と明らかになった2022年初夏から行われていた[46]。もちろん、住民投票は、ロシア連邦指導部との合意のもとに行われた。
<連邦憲法的法と移行期間>
ドンバスは、公式には、州よりも高いステータスである共和国として、ロシア連邦の構成主体になった。
2022年9月30日の連邦加入条約によれば、統合過程は、2026年1月1日までに完了する。この規定は、多くの文書・法規に含まれた。
それらの中で最も重要なのは、2022年10月4日付の連邦憲法的法、ドネツク人民共和国との関係では「ドネツク人民共和国のロシア連邦への受け入れとロシア連邦における新しい構成主体としてのドネツク人民共和国の創設に関する」連邦憲法的法であった[47]。
他の3つの新リージョンについても、類似法、あるいはほぼ同一内容の法が採択された。それらには、統合のための 手続きの順序が詳細に示してある。
ロシアに共通の法規の大部分は、ロシア連邦への編入時から有効とされたが、部分的には2023年から、2026年1月1日から、あるいは例外的ではあるが、2028年までに導入というものもあった。
4リージョンについての、これらの連邦憲法的法によれば、「2026年1月1日までは移行期であり、この期間中にロシア連邦の新構成主体の経済、財政、金融、法律上のロシア連邦のシステムへの、またロシア連邦の国家権力のシステムへの統合の諸問題が解決される」。
ロシア連邦の新リージョンは、2022年9月30日、その行政境界線をもってロシア連邦に加入したとみなされている。
つまり、ロシアがまだ支配していなかったし、本稿執筆時でも支配していない領域[2州・2共和国内のウクライナ支配地域]も、ロシア連邦に加入したとみなされているのである。
ロシア連邦の法規やその他の規範は、連邦憲法的に特別の規定がない限り、これらリージョンがロシア連邦に加入した2022年9月30日から、当該リージョンで実効力を持つ。
両人民共和国の法規は、移行期間の終了まで、あるいはロシア連邦または両人民共和国の、対応する新法が採択されるまでは、両共和国領域内で有効である。ロシア連邦憲法に反する両人民共和国の法規は、実効力を失う。
新参構成主体に常住する者全員が、ロシア国籍を取得することができる。両人民共和国の国籍は、これらがロシア連邦に編入された時点で失効する。ウクライナ国籍を放棄する手続き規程も、定められている。この規程によれば、国家公務員は多重国籍者であることはできず、ロシア国籍のみ持たなければならない。
両共和国の軍は、両共和国がロシアに編入されると同時にロシア軍に編入される。2023年には、新リージョンに徴兵制が導入された。
<リージョン以下の、国家機構の創出>
ルガンスクとドネツクの人民共和国議会の選挙は、2023年9月の第2日曜日に行うとされた[これは実行された。既述]。
それまでは、独立時代の共和国議会(人民会議)が存続するとされた。この人民会議が、ロシア連邦憲法に矛盾しないような共和国新憲法を採択する、新憲法採択から10日以内に、ロシア連邦大統領が新参リージョンの知事代行を任命するとされた。
2023年6月1日までに、連邦執行権力の地方機関を創出するとされた。連邦レベルの司法に関する法に従って、移行期間の終わりまでかけて連邦裁判所を創出するとされた。それまでは、ロシア編入時に機能していた裁判所が機能し続ける。
両人民共和国における地方自治は、ロシア連邦地方自治法にもとづいて実現される。
同時に、連邦憲法的諸法が定めた特殊性を考慮し、また人民共和国時代の諸法規と調和するように地方自治を行うとされた。新たな地方自治体の議会は、2023年9月の第2日曜日に選挙されるとされた[これは実行された]。
新しく導入された自治体の首長は、自治体の議会により、リージョン首長によって推薦された複数の候補の中から選ばれ、地方行政府を指導するとされた。
ロシア連邦においては、両人民共和国やウクライナが、新参リージョンの住民にかつて発行した書類の大半は有効、と認められている。書類に有効期限があれば、それが切れるまでは有効である。一連の書類については、有効期限は2026年1月1日であり、別のいくつかについては2028年1月1日である。
2023年3月1日までに、新参リージョンの領域内にロシア連邦年金・社会保障基金の支所、義務的医療保険の地方基金が開設されるとされた。
ロシア連邦の税と料金に関する法令は、2023年1月1日から適用されるとされた。
他方、新参リージョンでは、自動車所有者の民事責任を負うための義務的保険に関するロシア連邦の法は、2024年1月1日まで導入されない。この免除措置は、後に2024年12月31日まで延長された。
連邦憲法的法第31条は、全般的な社会生活に関するロシア連邦法と、両人民共和国法を適用するにあたっての一連の特別措置を規定している。
公共料金の支払いについて、建築、根本的修築、印紙、道路管理、動物愛護、環境保全などである。社会生活については、法的移行期は、通常移行期よりも長く設定されている。すなわち、一連の条項については、移行期は2028年1月1日までとされている[48]。
両人民共和国がロシア連邦に編入されて以降、ロシア標準にあわせて、動員されていた兵員の動員解除がなされた。
すなわち、昼間教育の大学生、動員限度年齢(兵士・下士官は50歳、将校は55歳)以上で動員されていた者は、市民生活に帰ってきた。新参リージョンにおける戦時事態法は、継続している。
<叢生(そうせい)する連邦諸組織>
公式の編入以来、再獲得された地域におけるロシア連邦の諸組織(政党、国家機構など)が、活発に導入され始めた。
ロシア大統領府においてドンバス問題を担当したのは、以前は、ウラジスラフ・スルコフとドミトリー・コザク、外務局であったが、編入後は、ドンバス問題は、内務局管轄に完全に移され、大統領府第1副長官セルゲイ・キリエンコが責任者になった。
以上のような指揮系統の変更は、新しい権力機構内(リージョンレベルの大臣、次官など)にいる「自分の手下達」の頻繁な更迭を伴った。
とは言っても、最高指導者[49]はそのままだった。
2023年にもこのプロセスは進み、個々の部局の解体や統合を伴った。変更を被ったのは、リージョンレベルの外務省、広報、社会連携部局、果てはリージョンレベルの国家放送局などである。
2022年後半から2023年にかけて、新規獲得領域において、活発な建設・復興事業が始まった。特に目立ったのは、道路網建設、銃後郡(マリウポリ、ヴォルノヴァハ、ルガンスクなど)における破壊された建物の修復などである。
【結 論】
ドンバスの2共和国の創立は、2014年のウクライナにおける武装クーデタに対する対抗措置であった。
このクーデタの結果として、急進的反露・親西側勢力がキエフで権力を握った。彼らには、ウクライナの南東リージョンに主に集住していた、ロシアに友好的または中立的な、国のほぼ半数の住民の政治的志向を考慮する気はなかった。
両共和国は、広範な人民運動により創出された。
この運動は、最初から、単一のロシア国家の枠内で、ロシア民族(大ロシア人、ベラルーシ人、ウクライナ人/マロルーシ人)の統一という自然な状態を回復しようとする、イレデンティスト(民族統一主義、失地回復主義)的なプロジェクトの一例であった。このイレデンティズムは、ウクライナ/マロルーシをロシアに対置しようとするウクライナ分離主義のプロジェクトに対抗した。
キエフにおける国家クーデタに反対して、蜂起したノヴォロシアの活動家は、広範な人民大衆の利益を反映し、(単一の国家または親露的なウクライナ/ノヴォロシアの存在の下で)ロシアとの統一を保つことを目標にしていた。
ドンバスの2共和国の創出は、それが実現されるまでの余儀なくされた一歩であった。両共和国の内政は、最初からロシアとの可能な限り緊密な統合、理想としては、単一の国家を再建することを目標にしていた。
しかし、モスクワは、対ウクライナ政策において動揺していた。
一部の指導者は、ウクライナ自体を変容させることを目標の一つに掲げつつ、両共和国をウクライナに戻そうとした。「ミンスク合意」により、西側と妥協しようとしたのである。
およそ2014年夏から、両共和国は、形式的には独立していたが、相当程度、「ロシアの監督者達」によって管理された。彼らはクレムリン[ロシア大統領府]の意を受けていたか、しばしばプーチンのあれこれの部下の意を受けていた。
ウクライナ側からの軍事攻撃という条件下で、これ[ロシアの監督]は不可避のシナリオだった。
にもかかわらず、キエフの親ナチ・反ロシア体制に従属したくないという大半のドンバス住民の意思は、あまり民主的ではなく、ときにはほぼ軍事的な政治実態と体制の下でも、実現された。
内政においては、ロシア標準との統一が進んだ。
しかし、統一政策は、ドンバスでも、モスクワでも、一定の人々の私的利益や権限濫用と結びついた。
非承認の「グレーゾーン」としてのステータスは、ウクライナからの部分的封鎖、2015年2月から2022年2月まで続いた低水準武力紛争は、ドンバス住民の数多くの苦しみを生んだ。
西側が、自らの統制下にあるウクライナに、妥協としての「ミンスク合意」を実行させる意欲がなく、反対に武器を与え続けたこと、ウクライナの領域からドンバスとクリミアを攻撃する脅迫を常に続けたことが、2022年2月に「特別軍事作戦」を開始することを、ロシアに強いたのである。
この作戦と同時にロシアが両共和国の独立を認めたことは、統合過程に新たなインパルスを与え、それはロシアとの再統合をめぐる住民投票と両人民共和国のロシア編入によって実現された。
現時点[2024年2月]では、統合過程は、第一義的には、2022年10月4日付連邦憲法的諸法によって規制されている。この法によれば、ロシア連邦の法規範の大半は、それらのロシア編入の日(2022年9月30日)から両共和国で有効である。
しかし、統合政策の実現のために、2026年1月1日までの移行期間が設定されている。
再統合過程は、ウクライナ支配領域からの砲撃と脅威によって、部分的には滞った。しかし、事実上の統合は力強く進んでいる。
ルガンスクとドネツクの両人民共和国において、ロシア連邦の国家権力の諸機関や社会組織が創出され、巨大な建設事業が進み、社会的プログラムが推進されている。
ロシアの4つの新リージョンは、クリミアへの「陸上回廊」を構成している。
現在の諸条件では、ロシアがこの陸上回廊を失うことは、黒海沿岸全体のコントロールを失うことにつながるかもしれない。それは、潜在的には、ロシアの没落を意味している。
悲観的シナリオによれば、陸上回廊の喪失は、クリミアとクリミア橋への砲撃を可能にし、クリミアの封鎖と喪失につながり、ロシア連邦の黒海艦隊を、クリミアからより脆弱な基地(ノヴォロッシースクなど)に移すことを余儀なくさせ、北コーカサスへの影響力を失わせ、さらにはロシアの崩壊につながるのである。
この状況ゆえに、ルガンスクとドネツクの人民共和国ほか、2つの新州をウクライナに戻すことは、ロシアにとって受け容れ難いだろう。
西側と、西側にコントロールされたウクライナが、ロシアに軍事的敗北を被らせる努力を今後も続けるとしたら、最終的には、ロシアとウクライナのいずれかのみが国家として残るということになろう。
(了)
【原注・訳注】
[26]<訳注>ユリヤ・ティモシェンコをリーダーとする右派政党で、1999年立党。
[27]<訳注>オレフ・チャフニボクをリーダーとする右派政党で、2012年のウクライナ議会選挙で急成長し、ユーロマイダン革命中活躍したが、その後、衰退した。
[28]<訳注>ユーロマイダン革命中に活躍した極右政党。2013―2015年、ドミトリー・ヤロシュがリーダーだったが、彼が離党して以降衰退した。
[29]<訳注>ミンスク合意自体は、ドンバスに地方政党を作ることを禁止していなかったが、将来的にドンバスをウクライナの政治空間に再統合することを想定していたため、作るとすればウクライナの政党法に沿ったものを作るしかなかった(既述の通り、人民共和国には政党法はなかった)。
地域分離主義を極度に恐れるウクライナの政党法は、地方政党は事実上結成できない内容になっていた。
すなわち、政党を結成するためには、相当数の党員を有する支部を、ウクライナ全リージョンの3分の2以上に持つことが要求されていたのである。
なお、ドンバスの政治用語では「ミンスク合意」と「ミンスク・プロセス」は使い分けられており、前者は曲がりなりにも停戦協定だが、後者には「ミンスクで続けられている実効性のないおしゃべり」というニュアンスがある。
[30]Разгон 《референдума》 в Покровске (Красноармейск, 11.05.2014) //
https://youtu.be/l9aEfzTx4tU
[31]Киреев А. О нарисованных результатах выборов в ДНР // https://kireev.livejournal.com/1094430.html
[32]<訳注>おそらくこれは、同年のロシアの下院選挙に向けて、統一ロシア党内で候補者選びをするための予備選挙が行われたのに歩調を合わせたものである。
[33]ЧеркашинК.В. Политические предпочтения жителей республик Донбасса (в контексте выборов в Государственную Думу Российской Федерации 2021 года) // Вестник Московского университета. Серия12. Политические науки. 2023. No.1. С.50-65.
[34]<訳注>2022年9月における両共和国のロシア編入後、約1年間、独立国家時代の議会(人民会議)が存続し、リージョン議会の役割を果たしていた。
[35]ЧеркашинК.В. Политические предпочтения жителей республик Донбасса (в контексте выборов в Государственную Думу Российской Федерации 2021 года) // Вестник Московского университета. Серия12. Политические науки. 2023. No.1. С.50-65.
[36]<訳注>獲得議席数でいえば、90議席中、統一ロシア党74議席、共産党6議席、自民党6議席、「新しい人々」4議席であった。
[37]Корня А. Особые выборы. Новые регионы будут голосовать за президента по своим правилам // Коммерсантъ. – No.233. – 14.12.2023. – https://www.kommersant.ru/doc/6397007
[38]Денис Пушилин на конференции регионального отделения ЕР заявил, что 《весь Донбасс как один человек》 сплотился вокруг Президента // Общественное движение “Донецкая республика”. – 06.12.23 //
https://oddr.info/denis-pushilin-na-konferencii-regionalnogo-otdelenija-er-zajavil-chto-ves-donbass-kak-odin-chelovek-splotilsja-vokrug-prezidenta/?ysclid=ls9j9x3ryl518675502
[39]ДНР вслед за ЛНР готова перейти в мультивалютную зону. ―ИА Регнум. (16 марта, 2015)
https://regnum.ru/news/1905608
[40]ЧеркашинК.В. Донецкая Народная Республика // Правовое положение соотечественников, проживающих в странах постсовесткого пространства: сравнительный анализ / К.Ф.Затулин, В.Г.Егоров, А.В.Докучаева и др.; Институт диаспоры и интеграции (Институт стран СНГ). – М.: Прометей, 2022. – С.393-408.
[41]ЛНР с 26 октября, как и ДНР, переходит на московское время // Московский комсомолец. (22.10.2014) – URL: https://www.mk.ru/politics/2014/10/22/lnr-s-26-oktyabrya-kak-i-dnr-perekhodit-na-moskovskoe-vremya.html
[42]ЧеркашинК.В. Донецкая Народная Республика // Правовое положение соотечественников, проживающих в странах постсовесткого пространства: сравнительный анализ / К.Ф.Затулин, В.Г.Егоров, А.В.Докучаева и др.; Институт диаспоры и интеграции (Институт стран СНГ). – М.: Прометей, 2022. – С. 403-404.
[43]https://base.garant.ru/71613814/
[44]http://pravo.gov.ru/proxy/ips/?docbody=&firstDoc=1&lastDoc=1&nd=102544718
[45]В Госдуме назвали количество жителей ДНР и ЛНР с российскими паспортами. – РИА Новости (15 февраля 2022). – URL: https://crimea.ria.ru/20220215/v-gosdume-nazvali-kolichestvo-zhiteley-dnr-i-lnr-s-rossiyskimi-pasportami-1122372251.html
[46]<訳注>ここはさらりと書いてあるが、4州併合の住民投票の準備が、ロシア軍が優勢にあった2022年初夏に始まったということは、4州の併合を、9月6日に始まるウクライナ反転攻勢を凌ぐための苦肉の策と推定する立場(訳者もその一人)からは意外である。
[47]Федеральный конституционный закон от 04.10.2022 No. 5-ФКЗ “О принятии в Российскую Федерацию Донецкой Народной Республики и образовании в составе Российской Федерации нового субъекта – Донецкой Народной Республики”. – URL: http://publication.pravo.gov.ru/Document/View/0001202210050005
[48]Федеральный конституционный закон от 04.10.2022 No. 5-ФКЗ “О принятии в Российскую Федерацию Донецкой Народной Республики и образовании в составе Российской Федерации нового субъекта – Донецкой Народной Республики”. – URL: https://donbassla.ru/sites/default/files/documents/osnovy_fkz-opt.pdf
[49]<訳注>ドネツク人民共和国のデニス・プシリン、ルガンスク人民共和国のレオニード・パセチュニク、ロシア支配ザポロジェ州のエヴゲーニー・バリツキー、ロシア支配ヘルソン州のウラジミル・サリド。