「安倍元総理銃撃の真犯人は韓国系スナイパーか」との孫崎享元外務省国際情報局長の大胆仮説! 荒唐無稽でない証左が、KCIA(韓国中央情報部)が後の韓国大統領を暗殺目的で東京から拉致した「金大中事件」!! 2023.12.19

記事公開日:2023.12.19 テキスト
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(文・IWJ編集部 文責・岩上安身 2023年10月20日時点で加筆・アップ)

 元外務省国際情報局長・孫崎享氏は、岩上安身によるインタビューの中で、安倍晋三元総理銃撃事件の真相に関する、きわめて大胆な仮説を披露した。「真犯人は山上徹也被告とは別にいる」というのだ。その仮説は、医師の所見等、様々な公開情報から自然に導き出されたものである。

 しかも事件の背景には、ウクライナ紛争に関する安倍元総理の発言が、米国の意向と、それを受けた岸田総理の意向に反したという問題があると孫崎氏は指摘した。この指摘も、大手メディア記者が公表した、安倍氏の発言が「岸田文雄首相に背後から弓を引くに等しい」ため、「安倍元首相に『憤り』を感じている層が存在する」との論評にもとづくものである。

 こうした仮説を踏まえて、改めて実行犯の像を推理する中で、孫崎氏は韓国系スナイパーによる犯行の可能性をあげ、岩上はKCIA(韓国中央情報部)の存在に着目した。それが決して突拍子もない推論でない理由に、岩上は、KCIAが1970年代の東京都心で白昼、後に韓国大統領となる大物政治家を暗殺目的で拉致した「金大中氏事件」をあげた。

 金大中事件は、その詳細を辿り、KCIAによる犯罪の実像に触れれば触れるほど、孫崎氏の仮説が、決して荒唐無稽とは言いきれないことが実感される。

 本記事は、こうした観点から、国家による世紀の暗殺未遂事件である「金大中事件」の詳細を見ていく。詳しくは記事本文を御覧いただきたい!

▲後の第15代大韓民国大統領金大中氏は、1973年日本で韓国中央情報部(KCIA)により拉致された(金大中事件)。(Wikimedia Commons、대한민국 국가기록원

孫崎享氏の大胆な仮説! 安倍元総理殺害犯は別にいる!? 安倍氏は岸田政権にとって邪魔な存在に!?

 元外務省国際情報局長・孫崎享氏は、2023年4月10日、7月6日に行われた岩上安身によるインタビューで、「安倍晋三元総理殺害事件の真犯人は山上徹也被告ではない可能性が高い」という大胆な仮説を展開した。

▲元外務省国際情報局長・孫崎享氏(IWJ撮影、2023年7月6日)

 孫崎氏は、事件直後に救命治療をした奈良県立医大が発表した安倍元総理の銃創の位置と、後に司法解剖した奈良県警の所見が異なること等から、県警の検死報告に疑問を呈し、「山上氏が撃ったということにしたい、という動きを、奈良県警がやってる」と指摘。さらに、安倍氏が山上被告に狙撃された瞬間の画像も検分しながら、前方から別のスナイパーが狙撃した可能性を提示した。

▲番組「安倍晋三元総理と銃撃犯と統一教会」を掲載した韓国MBCテレビ『PDノート』のYoutubeチャンネル。画像は安倍元総理銃撃シーン。(「安倍晋三元総理と銃撃犯と統一教会―PDノート」前半、MBC、2022年8月30日

 仮説の背景として、孫崎氏は、2022年2月のロシアのウクライナ侵攻直後の2月27日のフジTV『日曜報道 THE PRIME』での、安倍元総理の発言に注目した。番組で安倍元総理は、「プーチン大統領が、ウクライナ東部2州に関して、かつてコソボ等の分離を軍事支援した西側の論理を使おうとしている」と指摘。さらに「プーチン氏がNATOの東方拡大への不満から、領土的野心からではなく、ロシアの防衛、安全確保から行動している」との趣旨を論じていた。

 加えて同年5月の英国の『エコノミスト』による取材に対して安倍元総理は、ウクライナがNATO非加盟を約束し、東部2州の高度な自治権を約束していれば、「戦争回避は可能だった」とまで語っていたのである。

▲安倍元総理インタビュー記事を掲載した英『エコノミスト』のホームページ。

 安倍氏の一連の発言は、ウクライナ紛争の背景にある、ウクライナ政府によるロシア語話者の迫害・虐殺など複雑な事情を無視して、単純にロシアを悪者、ウクライナを善玉化、あくまで紛争を継続しようとする米国の意向と真っ向からぶつかる見解である。

 孫崎氏は、こうした安倍元総理の発言に対して、毎日新聞の世論調査室長兼論説委員の平田崇浩記者が、「岸田文雄首相に背後から弓を引くに等しい、極めてロシア寄りの発言」であり、「岸田首相の周辺に、安倍元首相に『憤り』を感じている層が存在していた」と論評した点に着目する。

・勇ましさに潜む「自立」と「反米」 安倍元首相の危うい立ち位置=平田崇浩(エコノミストonline、2022年6月13日)
【URL】https://bit.ly/3YQCWqA

 これは、安倍氏がこの時点で、ロシアを敵視する米国の意向と、それに従属する岸田総政権にとって、邪魔な存在になっていたということを意味する。

 そして、上記フジTVの番組以降、当時まだ最大の政治的実力者だったはずの安倍氏の、こうした意見は、なぜか日本のメディアで全く報じられず、無視されるようになっていた。

 ここから孫崎氏は、「安倍氏を排除していい、という考え方を持ってる人が、岸田首相の周辺(の知米派)にいた」可能性を指摘。米国が真犯人とされるノルドストリーム・パイプライン爆破事件との類似性をも踏まえながら、安倍元総理殺害の真相へと分け入った。

 この時、岩上安身は、岸田内閣で権勢を誇る木原誠二官房副長官の妻が「元夫の不審死で警察の取り調べを受け」しかも「木原氏が捜査を止めた」という大スクープに着目した。

 こうした岸田政権の不可解な人事も踏まえて、孫崎氏は「アメリカが不満を持っていて、行動を起こさなきゃならないという時の、受け皿になり得るんです、この人(木原官房副長官)は。そういう意味合いなんですよ」と、平田記者の記事と木原官房副長官の問題が示唆する、恐るべき意味合いを指摘したのだ。

▲木原誠二元官房副長官。2023年9月13日の岸田内閣改造で自由民主党幹事長代理兼政務調査会長特別補佐に就任。(衆議院ホームページ

実行犯は誰か!? そこに落ちるKCIAの影!?

 以上のような政治的背景を分析した上で、孫崎氏は、改めて銃撃の実行犯像について考察した。

 「あれだけの能力を持つ日本人っての、そんなにいない」「能力を持つっていう者はね、今、ひとつはもちろんアメリカなんだけど、もうひとつの可能性と言われるのは、韓国系」と孫崎氏は指摘した。

 孫崎氏は、いまだ北朝鮮と戦争状態にあり、徴兵制を敷く韓国にはスナイパーの人材が豊富であることや、事件のあった地域に韓国系住民が比較的多いこと等から「目立たない」と分析する。

 この点について、岩上安身は「韓国人だったら完全に日本人と溶け込みますし、そして、韓国の中では非常に訓練された軍人が存在する」と応じた。さらに、KCIA(韓国中央情報部)の存在に触れて、「情報部とか。大変、国家のね、目的にね、危険、あるいは犯罪じみた違法行為もやるっていうね。だからこそ、金大中事件だってあった」と述べた。

 岩上が言うように、KCIAは、後に韓国大統領となる政治家・金大中氏の暗殺未遂事件(金大中事件)を日本で引き起こした実例がある。しかも、そこには日本の自衛隊の秘密情報組織「別班」も関わっていたとされる。

 孫崎氏の仮説は極めて大胆であり、特に真犯人像の可能性に関しては、民族差別と捉えられかねない危険性さえ孕む。

 しかし、改めて「金大中事件」の詳細を辿り、KCIAによる犯罪の実像に触れれば、その仮説が、決して荒唐無稽とは言いきれないことも実感されるはずである。

 本記事では、こうした観点から、国家による世紀の暗殺未遂事件である「金大中事件」の詳細について、見ていくことにする。

「金大中事件」の背景には、独裁者・朴正煕大統領の危機感! すでにKCIAの暗殺工作は実施済みだった!

 大韓民国の民主活動家で政治家(のちの大統領)金大中(キム・デジュン)(※IWJ注1)氏が、日本滞在中の1973年8月8日、韓国中央情報部 (KCIA) によって東京都千代田区のホテルグランドパレスから拉致された。「金大中事件」または「金大中拉致事件」と呼ばれる。

 金大中氏は、船で韓国に連れ去られ、ソウルで軟禁状態に置かれた5日後、ソウル市内の自宅前で発見された。

 事件の2年前の1971年、金大中氏は朴正煕(パク・チョンヒ)(※IWJ注2)大統領の独裁政治に反対し、新民党の正式候補として大統領選挙に立候補した。結果的に現役の朴大統領に敗れたが、票差はわずか97万票。朴大統領は民主主義回復を求める金大中氏に危機感を覚えたとされる。

▲朴正煕大統領(1966年)(Wikipedia、 Frank Wolfe, White House Photo Office

 そして大統領選直後、金大中氏の車に大型トラックが突っ込む事故で3人が死亡。金大中氏は腰と股関節に障害を負った。後に韓国政府は、KCIAによる交通事故を装った暗殺工作であったことを認めている。その際、日本の暴力団への依頼も検討していたことが、国家情報院の過去事件の真相究明委員会で明らかになっている。

拉致事件の裏側に、歴史的「南北共同声明」の立役者の失態!

 朴政権は金大中氏の反政府運動を抑圧するため、彼が海外滞在中の1972年10月に「非常戒厳令」を発令した。このため金大中氏は国外亡命したも同然となり、韓国に戻れなくなった。

 実はこの直前、韓国現代史上における特筆すべき出来事が起こっていた。

 1972年5月に、朴大統領の側近でKCIA=韓国中央情報部長の李厚洛(イ・フラク)氏が、北朝鮮の平壌を極秘訪問し、金日成の実弟である金英柱組織指導部長と会談。同月、逆に金の代理として英柱朴成哲第二副首相がソウルを極秘訪問して李氏と会談した。そして7月4日に、大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が、祖国統一促進のための原則で合意するという「南北共同声明」を発したのである。

▲李厚洛韓国中央情報部長(1973年)。(Wikipedia、경향신문사

 国内外に「画期的出来事」として歓迎されたが、野党が「朴政権の一方的な密談」との非難声明を出すなど、国内に動揺も起こった。朴政権は同7月、全軍主要指揮官会議を開催して軍の引き締めを図るとともに、国民の動揺や行き過ぎた統一論議を抑えるためとして、「流言飛語の徹底的取締り」を実施した。

 さらに同年10月には「祖国の平和統一のための体制強化」を名目として、国会の解散や政党・政治集会の中止などを決定した「十月維新」を開始し、独裁体制を強化した。前記の「非常戒厳令」は、この「十月維新」の時に出されたものである。

 李厚洛中央情報部長は「南北共同声明」の立役者として、韓国での評価は高まり、「ポスト朴正煕」の噂さえ囁かれた。ところが1973年、李と談話中の、首都警備司令官尹必鏞(ユン・ピリョン)将軍の失言(「大統領はもうお年だから、後継者を選ぶべき」)に朴大統領が激怒するという事態が起こる。大統領は両人と関係者を拘束し、徹底的に調べるように命じた。しかし、側近からの造反者は朴政権に痛手となることから、李厚洛部長は釈放される。尹必鏞将軍は失言を口実にクーデターを計画したとの陰謀論も広まり、最終的に汚職容疑で拘束・処罰される。「尹必鏞事件」である。

 こうした経緯で、朴大統領の機嫌を損ねた李厚洛中央情報部長が、名誉挽回のために、朴氏の政敵である金大中氏を拉致する計画を立てるに至ったとされる。

白昼、都心のホテルで拉致! 海に投げ込まれる直前、海保の威嚇で殺害断念!

 1973年7月、民主主義の活動家として国際的に高い名声を得るようになった金大中氏は、日本の自民党左派の宇都宮徳馬氏らに招待され、東京を訪問。東京では「在日韓国朝鮮人のヤクザが金大中を狙っている」との情報があったため、彼は2~3日ごとにホテルを変えて日本人の偽名を使用した。

 同年8月8日、金大中氏はホテルグランドパレス2212号室で、韓国の梁一東(ヤン・イルドン)民主統一党党首と会談。午後1時19分頃、会談を終えて部屋を出たところを6~7人に襲われる。クロロホルムを嗅がされて意識が朦朧となったところを車で神戸に運ばれ、神戸港から工作船で日本を出国した。

▲1972年、東京都千代田区飯田橋で開業したホテルグランドパレス。2021年営業終了。(Wikipedai、あばさー

 その後、金大中氏は体に重りをつけられて海に投げ込まれそうになったと後に語っている。しかし、厚生省高官による事件の通報があり、また米政府も察知していたとされ、海上保安庁のヘリコプターが工作船を追跡。照明弾を投下するなどして威嚇したため、日本政府に拉致が発覚したことを悟った実行犯は殺害を断念したとされる。

 実行犯は金大中氏を釜山まで船で連行すると、拉致から5日後にソウルの自宅近くのガソリンスタンドで解放した。

KCIA関与と警視庁発表! 犯行に協力したのは、韓国系ヤクザと自衛隊の秘密情報機関「別班」だった!

 日本の警視庁は、事件後しばらく経ってから、この事件にKCIAが関与していたと発表。ホテルの現場から金東雲・駐日本国大韓民国大使館一等書記官の指紋を検出したため、営利誘拐容疑で出頭を求めたが、金東雲書記官は外交特権を盾に拒否。日本政府は金東雲書記官に対し、ペルソナ・ノン・グラータ(※IWJ注3)を発動、彼は外交特権に保護されて大韓民国に帰国した。

 また、事件では韓国系ヤクザの町井久之(鄭建永〈チョン・ゴンヨン〉東声会会長)や柳川次郎(梁元錫〈ヤン・ウォンソク〉山口組系柳川組組長)がKCIAに協力したとも報じられた。

 1973年9月、この事件に日本の自衛隊員が関与していたことが判明する。陸上自衛隊東部方面総監部調査隊の二等陸曹は、民間興信所の調査員として7月に金大中氏の動向を監視。事件直前の8月1日付けで退職願を出し、事件の実行者である金東雲書記官と接触した。彼が籍を置いた民間興信所の所長も退職直後の陸上自衛隊員(情報収集担当)であり、自衛隊には「別班」と呼ばれる秘密情報機関が存在することが、この事件で明らかになった。

 日本の警備当局が金大中氏の身辺保護をしなかったばかりか、自衛隊の諜報組織(別班)がKCIAと協力して拉致監禁事件を起こしたことに衝撃が広がった。

田中角栄首相に現金4億円が渡り、政治決着へ!

 事件後、李厚洛中央情報部長は、責任者として解任される。

 一方、日本政府はこの事件について、主権侵害に対する韓国政府の謝罪と日本捜査当局による調査を要求したが、最終的に日韓両政府は、1973年11月の金鍾泌(キム・ジョンピル)首相の訪日と1975年7月の宮澤喜一外相の訪韓で政治決着を図った。

▲金鍾泌大韓民国国務総理(首相)。初代中央情報部(KCIA)長でもある。(Wikipedia1、DoD photo by Helene C. Stikkel. (Released)

 2001年には、事件当時の田中角栄総理が、政治決着での解決を探る朴大統領側から少なくとも現金4億円を受領していたことが、その場に同席した木村博保元新潟県議による証言として報じられた。

▲田中角栄元総理。(内閣官房内閣広報室

 そして2006年7月26日、韓国政府は、金大中事件はKCIAの組織的犯行だったとする結論を出し、国家機関が関与したことを初めて政府として認めた。

KCIAが再組織した統一教会と、金大中氏に金銭的つながり!

 なお金大中氏については、ロバート・パリー氏による旧統一教会追及の調査報道によって、民主派の旗手とされた金大中氏までもが、統一教会教祖の文鮮明氏と金銭的なつながりがあったことが報じられている。

▲統一教会教祖の文鮮明氏(2020年)。(Wikipedia、David Roberts

 同時期に大統領を務めたG・W・ブッシュ米大統領(子)と北朝鮮対応で意見が分かれた(※IWJ注4)とされる金大中氏だが、旧統一教会とのつながりがすでに報じられていたブッシュ氏(※IWJ注5)と、ここで共通点を持っていたとされるのは興味深い。

 また、朴正煕氏の軍事クーデターで発足したKCIAが、旧統一教会を政治目的のために再組織し、KCIA初代部長の金鍾泌氏が勝共連合創設を文鮮明に命じたとされている。そのKCIAが金大中氏の暗殺を企てたという複雑な関係も注目される。

▲G・W・ブッシュ米大統領(子)。(Wikipedia、Eric Draper

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(※IWJ注1)金大中(キム・デジュン):
 韓国の政治家、市民活動家(1925または1924 – 2009)。第15代大韓民国大統領(在任:1998年 – 2003年)。創氏改名による日本名は豊田大中(とよただいちゅう、1924年- 1945年)。カトリック教徒。慶熙大学校大学院修了。エモリー大学・カトリック大学名誉法学博士。モスクワ大学政治学博士。立命館大学名誉博士。
 全羅南道の荷衣島(現在の全羅南道新安郡荷衣面)に生まれ、木浦商業学校卒業後、木浦日報、海運会社の経営を経て、1954年の総選挙で国会議員に初挑戦するも落選。張勉に引き立てられ、民主党スポークスマンを務める。以降も、当時の李承晩政権に反対する姿勢で活動したが、1959年、1960年と落選。1961年に補欠選挙で初当選したが、当選3日目に朴正煕による軍事クーデターが発生、国会が強制解散となり失職した。
 その後、1963年と1967年の国会議員選挙で連続当選、1970年9月に新民党の大統領候補に指名された。翌1971年の大統領選では、現職の朴正煕に97万票差にまで迫る(朴正煕634万票、金大中537万票)が落選。以後、朴正煕の政敵としてつけ狙われ、大統領選直後には交通事故を装った暗殺工作に遭い、股関節の障害を負った。
 朴正煕による1972年の独裁体制強化策「十月維新」での戒厳令発布後は、日米両国に滞在しながら民主化運動に取り組む。1973年8月8日、東京に滞在中、何者か(複数)によって拉致され、行方不明となる「金大中事件」が発生。詳しくは本文参照。
 1976年3月には「民主救国宣言」を発表後に逮捕。懲役判決を受け、1978年3月釈放。1979年10月26日に朴正煕暗殺事件が起きると、民主化の機運が高まり、「ソウルの春」が訪れる。
 1980年2月に公民権を回復。政治活動を再開するが、全斗煥率いる新軍部の戒厳令下、3ヶ月後に再び逮捕。これが大きな要因となって光州で起きた民主化要求のデモを軍部が武力鎮圧、流血の大惨事「光州事件」が発生する。このため、軍法会議で首謀者として、また1977年に発生した学園浸透スパイ団事件での“摘発スパイ”の自白から「韓国民主回復統一促進国民会議」の議長とされ、死刑判決を受けた。
 しかし、次第に民主化弾圧の死刑判決であると国際的な批判が強まり、1982年1月23日の閣議で無期懲役に減刑が決定、12月23日に米国への出国を条件に刑執行を停止された。
 1985年2月8日に亡命先の米国からの帰国を強行し軟禁状態に置かれたが、1ヶ月後に全斗煥大統領により政治活動を解禁された。1987年には再び公民権を回復。16年ぶりに直接選挙制で行われた大統領選挙で平和民主党を結成して、軍人出身の盧泰愚に挑むものの、金泳三と分立したことが文民勢力の分裂を招いて敗北(金泳三と金大中の得票率の合計は55%で、当選した盧泰愚の36・6%をはるかに上回った)。
 1992年にも金泳三・鄭周永らを相手に大統領選を戦うも再び敗北。政界引退を表明、研究生活に入ったが、1995年、新政治国民会議を結成して、総裁に就任。政界復帰した。
 1997年の大統領選挙では、保守派で朴正煕の片腕だった金鍾泌と手を結び、度重なる敗北を逆手に「準備された大統領」をキャッチフレーズに、アジア通貨危機への対応能力をアピール。自らの地盤である全羅道地域で圧倒的支持を得るとともに、金鍾泌の地盤である忠清道地域、浮動票の多い首都圏での支持を得た。また、保守票が候補分立で割れたこともあり、当選する。
 アジア通貨危機直後のため、金大中政権は引き続きIMFの介入を受け入れ、経済改革に着手。IT産業奨励や財閥間の統廃合等で経済建て直しを図った。危機を脱した韓国は内外から「IT先進国」と呼ばれ、サムスン電子や現代自動車の世界市場での地位を高めた。一方、急激な産業構造の転換は格差増大などを招いたため、福祉政策拡充にも重点を置いた(DJノミクス)。
 1998年、小渕恵三首相と日韓共同宣言を発表。それまで禁止されていた日本文化を開放。
 1999年には、国家安全企画部(旧・中央情報部=KCIA)を廃止。権限や機能を大幅縮小した国家情報院を大統領直属機関として新設した。
 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に対しては「太陽政策」と称される緊張緩和政策を志向した。
 2000年6月に朝鮮民主主義人民共和国の首都平壌で金正日国防委員長との南北首脳会談が実現し、「6.15南北共同宣言」を締結。ノーベル平和賞を受賞した。2023年時点で韓国人唯一の受賞者である。
 ただ、太陽政策は、当時北朝鮮にいた脱北者からみても、困窮して崩壊直前とされていた北朝鮮を延命させた上、核実験成功や核兵器保有に繋がったとの批判がある。なお、南北会談実現のために金大中大統領から現代グループを通じて4億から5億ドルを金正日に渡したとされる。
 2002年の任期末に3人の息子による不正蓄財が発覚、国民へ謝罪した。3人はそれぞれ国会議員経験がある。
 退任後は政界を引退。延世大学校付属の金大中図書館設立に携わるなど政治とは距離を置き、研究生活を送った。
 2009年8月18日、多臓器不全により死去。83歳。国葬に処された。
 死去の約2か月前、文在寅らを呼び、「必ず政権交代を」と言い遺す。文在寅は政界入りを決意、8年後の2017年の大統領選挙に当選した。

(※IWJ注2)朴正煕(パク・チョンヒ);
 大韓民国の政治家、軍人(1917 – 1979)。日本名は高木正雄(たかぎまさお)。 1961年5月の軍事クーデターで国家再建最高会議議長に就任し、1963年から1979年まで大統領(第5代から第9代)を務めた。彼の時代から約30年間にわたって「漢江の奇跡」と呼ばれる高度経済成長が実現され、韓国は世界最貧国の層から脱したと評価される。
 一方、1972年の改憲で大統領任期と重任制限を撤廃することで永久執権を図ろうとし、また民主化運動をスパイ操作や司法殺人などで弾圧したとして「独裁者」との批判的評価も受けており、1979年に側近の金載圭に暗殺された。軍部独裁政治は全斗煥が継承した。
朴正煕の2番目の妻・陸英修は、朴を狙った文世光事件で暗殺犯に射殺された。英修との間に、次女で第18代大統領の朴槿恵と、長男でEGテック現会長の朴志晩がある。
 朴正煕は、日韓併合後の朝鮮半島に生まれ、大邱師範学校を卒業して教員を短期間務めた。やがて満洲国軍の軍官(将校)を志し、満洲国陸軍軍官学校(大日本帝国陸軍の陸軍士官学校に相当)予科に1939年入校し、1944年満洲国陸軍軍官学校本科を卒業。大日本帝国陸軍の陸軍士官学校の留学生課程への短期間の派遣を経て、同年に満洲国軍少尉に任官した。八路軍や対日参戦したソ連軍との戦闘に加わり、内モンゴル自治区で終戦を迎えた。そうした中で、日本の青年将校の「昭和維新」の思想に心酔したと言われる。
 第二次世界大戦後、中国の北京に設置されていた大韓民国臨時政府(朝鮮系住民による独立組織)に加わり、朝鮮半島の南北分離時は南部の大韓民国を支持して国防警備隊の大尉となった。国防警備隊が韓国国軍に再編された後も従軍を続け、朝鮮戦争の終結(休戦)時には陸軍大佐にまで昇進、1959年には陸軍少将、第2軍副司令官の重職に就いた。
 一方、内戦を終えた韓国内では議会の混乱によって復興や工業化などが進まず、軍内の腐敗も深刻化していた。こうした状態に対して軍の将官、将校、士官らの改革派を率いてクーデターを決行し、軍事政権(国家再建最高会議)を樹立(5・16軍事クーデター)。
 朴正煕の経歴に危険を感じたアメリカは当初は軍事クーデターを承認しなかったが、日本の池田首相は日韓国交回復には朴正煕の満州国人脈を使えると考え、アメリカに働きかけ、アメリカも朴政権承認に踏み切ったという。
 形式的な民政移行後も実権を握り続け、自身の政党である民主共和党による事実上の独裁体制を形成。第5代から第9代まで大韓民国大統領(在任、1963年 – 1979年)を5期務め、権威主義体制による開発独裁を推し進めた。
 独裁政権下では日本の佐藤栄作内閣総理大臣との間で日韓基本条約を批准して日韓両国の国交を正常化。更にアメリカ合衆国のリンドン・ジョンソン大統領の要請を受けて1964年にベトナム戦争に韓国軍を派兵した。
 日米両国の経済支援を得て「漢江の奇跡」と呼ばれる高度経済成長を達成した。大韓民国は1960年代から1970年代にかけての朴正煕執政下の高度経済成長により、1970年頃まで経済的に劣位であった同じ朝鮮民族の分断国家、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を経済的に追い越し、最貧国グループから脱した。
 一方で統制的な軍事政権下では民主化などの運動は徹底して弾圧され、人権上問題のある拷問や政治犯の投獄なども行われた。
 対外政策ではベトナム戦争に介入するなど一貫して親米政策を取ったが、米中国交正常化以後は独自核武装を推進した。しかし、そのため米国との関係が悪化し、カーター大統領の強い牽制を受けて失敗。また日本との友好姿勢も国内の民族主義(左派ナショナリズム)から敵視される背景となった。政権後半には単独での核武装などの自主国防路線や、日本に滞在中の民主化活動家の金大中を諜報機関(KCIA)により拉致し国家主権を侵害する(金大中拉致事件)など強硬な政策を進めた。
 1979年10月26日、大規模な民主化デモの鎮圧を命じた直後、側近である金載圭KCIA長官により、車智澈大統領府警護室長共々暗殺された。享年61。

(※IWJ注3)ペルソナ・ノン・グラータ:
 外交使節を交換している国家間で、接受国が、派遣国に対し、外交使節団の構成員(外交使節および職員)である特定の者の受け入れ、滞在を拒否する通告。
 ペルソナ・ノン・グラータ(ラテン語: Persona non grata、英語: person not welcome)とは、外交官のうち、接受国からの要求に基づき、その国に駐在する外交官として入国できない者や、外交使節団から離任する義務を負った者、あるいはその通告を指す外交用語である。原義は「好ましからざる人物」「厭わしい人物」「受け入れ難い人物」を意味する。
 外交関係に関するウィーン条約や領事関係に関するウィーン条約で規定されており、稀に「国外退去処分」と表現されることもある。
 外交団員の一員となるには、外交官になる必要があり、外交官になるには派遣国の任命に加え、接受国でも、国元から預かって来た信任状を信任状捧呈式で提出して認めてもらわねばならない。外交使節の長は、外交関係に関するウィーン条約第4条により、接受国から「アグレマン」(仏: agrément=承認)として受け入れの承認が必要となる。アグレマンの拒否により、外交使節の長を拒むことができる。
 接受国が、外交官の受け入れ拒否や外交官待遇の同意の取り消しを行うことが、「ペルソナ・ノン・グラータ」であり、外交関係に関するウィーン条約第9条及び領事関係に関するウィーン条約第23条に規定されている。
 2022年2月に勃発したロシアによるウクライナ侵攻でも、欧米諸国や日本等によるロシアへの制裁とロシアのそれに対する報復の応酬から、両国の外交関係者がペルソナ・ノン・グラータとなる事例が発生している。

(※IWJ注4)G・W・ブッシュ米大統領(子)と北朝鮮対応で意見が分かれた:
 金大中大統領は、2001年3月8日、ワシントンでの米韓首脳会談後の会見で、横に立ったジョージ・W・ブッシュ大統領から「Mr.president」ではなく「this man」と呼ばれた。金大統領がブッシュ大統領に対して、同会談と、その前の電話協議で北朝鮮への融和政策を執拗に説いて不興を買ったためと見られている。
 ブッシュ大統領は、2021年1月20日の就任後、クリントン政権の宥和策に反対してきた共和党の姿勢に沿って、「悪の枢軸」として批判を行うなど強硬姿勢を取っていた。

(※IWJ注5)旧統一教会とのつながりがすでに報じられていたブッシュ氏:
 ロバート・パリー氏やコロンバス現代ジャーナリズム研究所Free Pressの記事によれば、ジョージ・W・ブッシュ(子)大統領と統一教会のつながりは、ジョージ・H・W・ブッシュ(父)の時代にさかのぼる。
 統一教会の教祖・文鮮明氏は、1960年代から米国政界、特に共和党の重鎮に食い込んでいた。アイゼンハワー元大統領やトルーマン元大統領は、文氏が設立した韓国文化自由財団のレターヘッドに名前を連ねていた。
 1980年にロナルド・レーガンが大統領選に勝利した後、文の政治的影響力は飛躍的に増大した。元CIA長官のジョージ・ブッシュ副大統領は、レーガンの就任式に文をゲストとして招いた。ブッシュ副大統領と文は、南米の裏社会と深いつながりがあり、1980年、ボリビアで起きた右翼の軍事クーデターに協力し、同地域で最初の麻薬国家を樹立したとされる。
 文鮮明が設立した『ワシントン・タイムズ』はブッシュ家を一貫して政治的に支えた。
 レーガン-ブッシュ政権の最も議論を呼んだ政策、例えばニカラグアのコントラ戦争を断固として支持した。
 1988年、父ブッシュが大統領選に出馬したときには、『ワシントン・タイムズ』は、民主党候補マイケル・デュカキスの精神状態に関する誤った噂を公表し、彼に対する疑念を高めた。
 文鮮明はブッシュ家に対し、1990年代に講演料として直接資金援助した。
 後に文氏は、ブッシュ氏と提携し「彼を大統領にした」と主張。ブッシュ氏が東京ドームで5万人を前に文師夫妻を称揚した、謝礼1千万ドルともいわれる講演。また、ブッシュ氏はウルグアイの文氏の神学校開設に尽力し、日本人女性4200人を育成したが、彼女たちは8000万ドルの資金洗浄で告発されたことなど、文氏とブッシュ氏との根深い関係の証拠は枚挙にいとまがない。
 こうした密接な関係は、ブッシュ(子)候補の大統領選支援につながる。2000年の初めにジョージ(子)候補がニューハンプシャーで失速した時、サウスカロライナでその救援に来たのは、統一教会の信者たちだったとされる。

参照:
・【IWJ号外】ジャーナリスト、ロバート・パリー氏による旧統一教会追及の調査報道第3回(前編)! 旧統一教会汚染(現・世界平和統一家庭連合)はノーベル平和賞受賞の韓国民主化の旗手、金大中氏にまで広がっていた! 2022.9.9(IWJ)
【URL】https://bit.ly/3ZD4VdB
・【IWJ号外】旧統一教会汚染は、ノーベル平和賞受賞の韓国民主化の旗手、金大中氏にまで広がっていた! ジャーナリスト、ロバート・パリー氏による旧統一教会追及の調査報道第3回(後編)! 2022.9.19(IWJ)
【URL】https://bit.ly/3EVwVj6

・金大中事件(世界史の窓)
【URL】https://bit.ly/46uEU2i
・金大中事件とは何だったのか?「独裁者の心の闇」に戦慄する(現代ビジネス、2018年8月8日)
【URL】https://bit.ly/3PT2tfY
・VIVANTで話題の「別班」 殺人OKって本当?戸籍は消されるの?防衛省出身ジャーナリストが考察(DIAMOND online、2023年9月11日)
【URL】https://bit.ly/3PTXhbt
・金大中事件(ウィキペディア)
【URL】https://bit.ly/3ZxtLvA
・金大中(ウィキペディア)
【URL】https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%A4%A7%E4%B8%AD
・南北共同声明(ウィキペディア)
【URL】https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E5%8C%97%E5%85%B1%E5%90%8C%E5%A3%B0%E6%98%8E
・南北共同声明全文(外務省)
【URL】https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1973/s48-shiryou-5-4.htm
・金大中元大統領拉致事件、沈黙のまま…李厚洛元KCIA部長が死去(中央日報)
【URL】https://s.japanese.joins.com/JArticle/122261?sectcode=200&servcode=200
・朴正煕(ウィキペディア)
【URL】https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B4%E6%AD%A3%E7%85%95
・朴正煕/パクチョンヒ(世界史の窓)
【URL】https://www.y-history.net/appendix/wh1603-084.html
・ペルソナ・ノン・グラータ(ウィキペディア)
【URL】https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%82%BD%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%83%8E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%BF
・ペルソナ・ノン・グラータ(コトバンク、日本大百科全書(ニッポニカ) の解説)
【URL】https://kotobank.jp/word/%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%82%BD%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%83%8E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%BF-130571
・ジョージ・W・ブッシュ(ウィキペディア)
【URL】https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%BBW%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5

※これは、「岩上安身のIWJ特報! 第616~618号 元外務省国際情報局長・孫崎享氏インタビュー(その7~9)」の一部に2023年10月20日時点の情報を加えて加筆・修正したものです。

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