年々「規制強化」の進む著作権法! 米国やグローバル企業による圧力のみならず、国内の権利者団体の要請もこの傾向を後押し!
著作権法は、このところ比較的頻繁に改正が繰り返されている法律の1つである。著作権の保護期間も、長らく著作者の死後あるいは公表後「原則50年」とされていたものが、TPP11の発効に伴い、2018年12月30日から「70年」に延長された。
こうした「保護期間の延長」は「権利を有する側」にとっては基本的には歓迎すべきことである。また国家間レベルで見た場合においても、その国の音楽や映画などの文化が他の国でも広く享受されているような場合は、そうした文化的なコンテンツが自動車や農産物並みかそれ以上に外貨をもたらすこともある。
その典型的な国が米国である。米国発の映画や音楽は国内で巨大な産業となっていると共に、海外にも広く流通している。故に、米国内ではディズニーをはじめとする強力なコンテンツの権利者がロビー活動を続けた結果、著作権の保護期間がどんどん長くなり、1998年の「ソニー・ボノ著作権延長法」により、法人が制作した著作物の著作権については発行から95年か、制作から120年のいずれかが経過するまでに延長された。
1928年に初めて映画に登場したディズニーのキャラクター「ミッキーマウス」に関連する著作権について、保護期間の満了が近づいてくるとこうした動きが盛んになることから、著作権法は米国内でも「ミッキーマウス保護法」などと揶揄されることがある。別の言い方をすれば、アニメーションのキャラクターといったコンテンツが巨大な富を生み出すと考えられているからこその法改正でもある。
同じく1998年の米国では、「デジタルミレニアム著作権法(DMCA)」と呼ばれる著作権法の一部改正も行われた。これは、デジタル著作物のコピーコントロール、アクセスコントロールなどの技術的な保護手段を解除して違法に著作物をダウンロードする行為などが違法である旨が明示され、ネット上でコンテンツが盗用されている場合は、一定の条件下でプロバイダーに削除義務が生じるなど、総じて権利者の保護を強化するものであった。
このDMCAも、米国の電子フロンティア財団などから「言論の自由を奪う」といったような批判がされている。それでも大きな流れとしては、「知財黒字国」である米国が国内法において著作権を強化していく方向に動いている中で、他国に対してもこの米国の基準に合わせるように働きかけ、TPP交渉等を通じて強く要求し続けてきた経緯がある。
日本のこれまでの著作権法改正も、こうした米国の要求に従ったものである。他方、日本国内でも作曲家や映画監督などの創作者や歌手・俳優などの実演家による権利者団体が保護強化に向けて要請を続けてきたことも、こうした流れを後押ししてきた面がある。長く景気が低迷する中、少しでも「お金を取るために」保護の強化を訴え続けているところが多い。
保護期間の全面的な延長は既に改正済みであるため、今回は主に違法行為の厳罰化にスポットが当てられた形になっている。これは日本国内で漫画の海賊版サイト「漫画村(2018年に閉鎖)」が大きな問題となり、既に一部で刑事罰が設けられていた音楽や映画などの有料コンテンツに加えて、漫画の違法コンテンツについても罰則化を進めようという動きがあったことも影響している。
しかし、著作権法改正による「保護の強化」というのは、必ずしもあらゆる権利者から無条件に歓迎されるわけではないのが現状である。著作物を視聴し、利用するユーザーだけでなく、クリエイターや表現者の側からも、改正の度に異論が噴出するのが常である。
保護を強化してもらうはずの漫画家サイドが法改正に懸念を示す! 権利行使すれば「絶対得する」とは限らない「著作権」の難しさ!
今回の改正はTPPの発効とは直接関係はないが、音楽や映画のみならず漫画などのコンテンツも海賊版サイト等によりネット上で頻繁に違法な公開等がされている現状に鑑み、規制を強化しようという動きに伴うものである。
より「権利者の保護」を強化する一方で、著作権法を厳格に解釈すると悪意のないコンテンツの視聴や複製までが「違法」となってしまう場合があり、ユーザーの著作物の利用が委縮するのを防ぐため、規制を緩和する法改正も行われてきた。今回も、スマートフォン等で画像保存、いわゆる「スクリーンショット」を撮った際に有料コンテンツの画像が「写り込んだ」場合などについては違法としないなどの規定を、あわせて設けている。
実はこの「ダウンロード違法化」は「ユーザー」の側だけではなく、整備が進むにつれて著作権者である「クリエイター」の側からも懸念が示されるようになり、法案が提示されてから1年以上も紛糾した改正案だった。
「漫画村」のような海賊版サイトなどによる著作権侵害が顕著にみられるようになってきた漫画のコンテンツなどを主眼において、文化庁は改正案を昨年から作成してきたが、当初は上記の画像保存やスクリーンショットも違法とするなど非常に厳しいものだったため、漫画家らが「国民のネット生活に支障が出る」として懸念を示していた。
こうした事態を受け、文化庁も漫画家協会等とより緊密に打ち合わせを重ねることとなり、今回の改正案に至った。今年1月にはパブリックコメントやアンケートの集計結果を踏まえた議論のまとめが提示されたが、法改正にあたり、やはり「規制の行き過ぎ」を懸念する声が根強かったことがうかがえる。
▲日本漫画家協会理事長里中満智子〈左から2人目〉、国際マンガサミット実行委員会委員長水島新司〈左端〉、日本漫画家協会常務理事ちばてつや〈右から2人目〉、デジタルマンガ協会会長モンキー・パンチ〈右端〉、環境大臣(当時)斉藤鉄夫〈中央)(ウィキペディアより)
規制によって保護される側のはずのクリエイターらの間で、保護を強化する法改正に反対する声が少なくないのは、「著作物」には多くの人に知られ、時に編曲やパロディなどの改変を含む「利用」をされながら、その価値を高めていくという側面を持っているからではないだろうか。
「コミケ」と呼ばれる大イベントの中核である「同人誌」は、プロの漫画家等による有名な作品等を、その作品や漫画家をリスペクトするアマチュアが、自由な発想で作品に改変を加えた「二次創作」である。原作者の許諾なしにこうした改変を行うことは、著作権法上は違法行為となりうる。しかし、プロの漫画家等にはこうしたことを容認する者も多い。作品が自身の手を離れ、自分の作品を愛するファンの手で「進化」していく様をむしろ歓迎している原作者さえいる。
そしてこの「コミケ」等に代表される日本の「二次創作」文化は、世界に通用する「クールジャパン」の一翼を担うものとして認識されてきたものでもある。
- コミケからじわり、「オタク文化」の海外波及(オリコンニュース、2017年8月18日)
ユーザーに対し過剰に著作物の利用を規制する法律があると、著作物の利用を委縮させることでコンテンツの流通も少なくなるおそれがあり、結果的に著作物を創作したクリエイターの側にとっても得にならない、という側面も有しているわけである。
音楽業界でも著作権をめぐり、音楽利用を委縮させるような判決が! JASRACの行き過ぎた「取り立て」が、日本の音楽シーンをシュリンクさせる?
今年の2月末、JASRAC(日本音楽著作権協会)が歌や楽器の演奏を指導する音楽教室に対し、著作権者の立場で使用料を請求する訴訟を起こし、地裁で勝訴する判決が出されたが、これについてもユーザーである音楽教室側だけでなく、クリエイターである作曲家側からもJASRACの方針に異を唱える声が以前から存在している。
▲日本音楽著作権協会本部(ウィキペディアより)
また、喫茶店や美容室で市販CDの音楽をBGMで流すのにも著作権法上使用料がかかることから、JASRACが盛んに各地で「潜入調査」をして使用料を請求する事例も相次いでいる。
JASRACが著作権法に則って使用料を請求しているのは間違いのないところである。しかしその反面、喫茶店等でオーナーらの思い思いで好みの曲を流し、大衆が街中で多様な音楽を耳にするという機会が「委縮効果」により激減してしまえば、不景気とも相まって音楽CDなどコンテンツの売り上げのさらなる不振にもつながっていくと考えることもできよう。
また、バリエーション豊富な音楽が市場に出回らなくなることは画一的なコンテンツしか制作されない事態を招き、世界中でヒットしている韓国出身のミュージシャンらとは対照的に、日本で活動するミュージシャンがどんどん世界進出にも遅れを取っていくことにもなりかねないであろう。
作曲家等が自分の作品をJASRACに「信託」すると、演奏や録音にかかる使用料はJASRACにより一律に決められる。最近のクリエイターの中には、例えば学生がブラスバンドでスポーツ部の応援のために楽譜を入手して演奏するといった行為については使用料を徴収しないなど、独自で権利行使の有無を決めたいと考える人もおり、そうしたクリエイターがJASRAC以外の管理団体に自分の楽曲の管理を委託するケースも増えている。
つまり、権利を行使すればするほど権利を有する者が得をする、とはあながち言い切れないのが「著作権」という代物なのである。
「知的財産権」は、将来的には「みんなの財産」! 目先の利益ばかりを追う短絡的発想で、今国会では種苗法の改悪も!
著作権のほか、特許法や商標法などで保護される権利は、「知的財産権」「無体財産権」などと呼ばれる。知的創造によって生みだされた芸術作品に高値がつき、発明品が大ヒット商品となり、あるいは他人にキャラクターやトレードマークの使用をライセンスするなどの「財産的価値」を持つが、所有権のように「形のあるもの」を独占する権利ではない。第三者に無断で使用され、権利侵害を受けやすいことから、法律上様々な形で権利者を手厚く保護する規定が設けられていることが多い。
しかし、こうした権利を特定の者が永久に独占することは社会のために好ましくない場合がある。優れた技術や文化は、既存のものを基にして累積的に進歩・発展していくものであり、創作に時間やコストをかけた権利者に独占権を与えて一定期間保護した後は、いわゆる「パブリック・ドメイン」として「人類共通の財産」とし、自由に利用して技術や文化の発展に役立てるため、独占権を消滅させている。
また、権利が消滅する前の期間中であっても、調査や研究目的での特許技術の利用であったり、家庭内で私的に行う著作物の利用などについては違法とはならないとされている。
今国会では、「種苗法」の改正も議論された。種苗法を管轄するのは農林水産省で特許庁ではないが、優れた植物品種を開発した「育成権者」を保護する知的財産権法であり、法律の構成が特許法等に非常によく似ている。
▲農林水産省(ウィキペディアより)
種苗法で保護される育成者権も、植物の種類により権利の存続期間は品種登録から25年または30年で、そのあとはパブリック・ドメインとなる。また権利の存続期間中であっても一定の例外を除き、農家が登録品種の種や苗を購入して栽培し、収穫した種や苗の一部を翌年の作付けのために回して利用する「自家増殖」が認められてきた。
ところが今国会において提出された種苗法の改正案においては、この「自家増殖」を原則的に禁止しようとするもので、関係者に大きな波紋を呼んでいる。著作権法の場合と同様に、育成権者の保護を強化する方向での改正ではあるが、種苗法の改正においては、育成権者そのものの保護というよりも、遺伝子組み換え作物を製造販売するようなグローバル企業を利するための改正なのではないかと見られていることを、先日IWJでもお伝えしたところである。
種苗法においても、特許法・実用新案権法などで保護される技術や意匠法などで保護されるデザインなどと同じく、優れた品種は将来的には「世界共通の財産」になるべきものと考えられている。同時に、植物を始め「生物の多様性」を維持することも地球上における大きな課題であり、これまではそうしたことを意識した立法がなされてきたものと考えられる。
しかし日本の政府や大企業の多くは、こうした発想が極端に乏しいようである。特に安倍政権は、種苗法にせよ著作権法にせよ経団連企業やグローバル企業、あるいは力のある権利者団体にとにかく「媚びを売る」形で法改正を進め、何らかの見返りを期待していることしか考えていないとすら疑いたくなる。そうだとすれば将来的に日本の農業や国民生活を著しく後退させることにつながる、あまりに短絡的な発想と言わざるを得ない。
また、種苗法改正ではことさらに「開発された品種の海外への流出防止」を謳っているが、これにはまた、日本人の偏狭なナショナリズムが見え隠れする。
一昨年韓国で行われた平昌冬季オリンピックで、カーリングの女子代表選手らが「韓国のイチゴが美味しい」とネットで発信し、「炎上」したことがあった。その韓国のイチゴは、かつて日本から韓国に流出した2つのイチゴの品種を交配したものと言われており、それは「韓国が盗んだイチゴ」という理屈になるからであった。
さらに驚いたことには、当時農林水産大臣であった自民党の齋藤健衆議院議員までがこれに同調し、「カーリング女子の選手には、日本のおいしいイチゴをぜひ食べていただきたい」などとコメントしていたのである。
▲齋藤健/元農林水産大臣(ウィキペディアより)
しかしこれらの主張は全くの筋違いである。日本の種苗法においても韓国の種苗法においても、保護されている品種を交配して「品種改良」を行う行為は権利侵害にならない。さらに言えば、この韓国のイチゴの「親」となる日本の品種については、既に育成者権の存続期間も満了しており、そもそもパブリック・ドメインなのである。
差別意識にまみれたその辺の「ネトウヨ」だけならまだしも、当時の農林水産大臣までが種苗法の何たるかを知らないという、安倍政権下の閣僚の不見識ぶりは何も今に始まった話ではないのである。
種苗法や著作権法といった「知的財産法」に限らないが、自国の法律について条項はおろかその趣旨や目的も理解していない者が閣僚を務めているのでは、諸外国や国内外のグローバル企業に足元を見られ、都合よく条文や解釈を変えられて、国民に損害をもたらす結果を招きかねないのは自明の理であろう。
お手盛りの「クールジャパン」など、あまりに杜撰な知財戦略! インフルエンザ特措法の経緯から、著作権法でも「パロディ潰し」で表現の自由の抑圧を画策中か?
安倍政権の「知的財産法」あるいは「知的財産戦略」に対する姿勢は、総じて「杜撰」かつ「利己的」であると言うこともできよう。
いまではすっかり「カッコ悪い」用語の一例となってしまった「クールジャパン」戦略でも、知的財産分野の活性化を図り、海外に日本の技術や文化を発信する目的で組織を発足させたが、その後の体たらくは既に報道されている通りである。
著作権はじめ「無体物」である知的財産は、その「現在価値」を定量的に測ることが非常に困難である。ましてや、生みだされたコンテンツなどの「将来価値」がいかほどであるかを、一定の数式に当てはめて算出したとしてもそれはあくまで「予想」の域を出ない。
そのために起きる現象として、戦略を実行に移すに当たってかかるコストを「お手盛り」で多めに見積もる。そして予算を取ってきた暁には、関わった企業・官庁・そして政治家で「山分け」する一方、実際の事業内容は内容も貧弱で、各地で変更・撤退を余儀なくされる。結局、成果を殆どあげられずに損失ばかりを生み、壮大な「税金の無駄遣い」となってしまうわけである。
逆に言えば、与党政治家にとって「著作権」「コンテンツ」とは、これを利用して「濡れ手で粟」の如く公金を懐に入れられるシステムとなりうる、ということが言えるであろう。
また、為政者が著作権を利用することによって国民の権利を制限できる場合がある。すなわち、著作権に基づいた「使用の規制」を法律等で強化することが、国家による「表現の自由」の侵害につながるケースが想定できるということである。
今回の著作権法改正では、「パロディ」など「二次著作物」のダウンロードについても規制の対象とする動きがあったものの、反対の声が強く見送られたという経緯がある。
時の政権や権力者を風刺した「パロディ」や「替え歌」は世界各国に存在する。原作者の許可を得て創作するものであれば問題は生じないが、風刺を目的とする作品については、原作者に許可を申請することが現実的でないものもある。パロディ作品が適法と取り扱われる要件を法律に明記している国もあるが、日本においてはまだ明確な規定がなされていない。
差別的な内容である場合は別として、ユーモアを伴うパロディは社会的に存在意義を有するものであるとして、あまり過剰に規制をすることは望ましくないというのが一般的な認識といえる。日本でも昔からある「和歌の本歌取り」から今日の「同人誌」に至るまで、パロディには寛容な文化を形成してきたということも言えよう。
しかし、現政権の批判など自分たちに都合の悪い内容の言論を異様なまでに嫌う総理大臣を擁する安倍政権においては、政府がこうした表現を封じ込めるためにパロディを違法にしたいと考えたとしても、さもありなんと感じこそすれ、もはや驚きもしない。
その意味では、今般野党でも大きく意見が分かれながら結局成立してしまった、「緊急事態宣言」を含む「インフルエンザ特措法」の改正の経緯にもみられるように、ちょっとしたきっかけを利用して著作権法に「パロディ禁止条項」を紛れ込ませることくらいは平気でやりかねない。
また著作権法は、法違反を盾にとり行政機関や大企業が一般市民を攻撃し、公的な論点を覆い隠そうとする「スラップ訴訟」に悪用されるというケースも想定されている。
国などの行政機関が発出する「公文書」も著作物ではあるが、個人が作成する私文書とは異なり、文書を作成した省庁などが著作権を行使して閲覧させないなどということはできない。しかし、検察庁法の件でも見られるように、法律の解釈も自由に捻じ曲げ、また沖縄・辺野古埋め立ての問題でも国が「私人」になりすまして行政法を悪用するという「前科持ち」の現政権が、今後著作権法をどんな形で利用するかは油断のならないところである。
▲埋め立て前の辺野古岬〈中央下〉、(ウィキペディアより)
インターネットの発達などにより、今や「著作権法」はクリエイターや企業だけでなくあらゆる人に関係する法律となっている。それだけに、法改正の動きは決して「他人事」ではなく、現政権による改悪や濫用の可能性には目を配っていく必要がある。