2018年10月23日午前、政府が主催する「明治150年記念式典」が東京都千代田区の憲政記念館で開かれ、与野党から多くの国会議員が出席。安倍晋三総理は、明治時代に行われた近代化の成果を列挙し、「明治の人々が、勇気と英断、たゆまぬ努力、奮闘によって、世界に向けて大きく胸を開き、新しい時代の扉を開けた」と語った。
- 明治150年記念式典 本編(政府インターネットテレビ)
式典では明治維新以降の日本が遂げた飛躍的な経済発展など、近代化の輝かしい部分が強調される一方で、他民族への差別意識の増大や植民地支配と侵略戦争への流れ、「富国強兵」の国策の下で重化学工業の発展に伴う事故や公害を軽視していたことなど、明治期の負の側面を省みる姿勢は見られなかった。
この政府式典に対して、同日午後、市民団体が「『明治150年政府式典』当日・対抗市民アクション」と題した集会を、『九月、東京の路上で』著者・加藤直樹氏、元NHKのディレクターでアクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)館長の池田理恵子氏、化学兵器被害解決ネットワーク・北宏一朗氏の3人のゲストスピーカーを招いて衆議院第二議員会館前で行った。
▲「明治150年政府式典」当日・対抗市民アクション 参加者
「明治に始まる日本の近代化の歴史は、植民地支配と侵略戦争によって、他のアジア太平洋の国々を踏み散らした歴史である」という呼びかけから始まったこの集会では、明治期から太平洋戦争に至るまでの膨張主義的な日本の歴史の歩みが、朝鮮人差別や慰安婦問題を引き起こしたこと、さらには国内各地で化学兵器の製造が行われ、軍だけではなく多くの民間企業が関わっていたことも言及された。この市民アクションの一部始終を、IWJでは以下テキスト記事と共にお届けする。
- スピーチ 加藤直樹氏(ライター、『九月、東京の路上で』著者)、池田恵理子氏 (アクティブ・ミュージアム 女たちの戦争と平和資料館 wam 前館長)、北宏一朗氏(在野の「日本軍の毒ガス戦」研究者)
「私たちの考え方、その枠組みは150年間変わっていない」~加藤直樹氏が語る他民族蔑視の起源とは?
「私たちは、現在でも明治時代に始まったパラダイムの中にいる。右派だけでなく左派・リベラル勢力も、上からの近代化によって生み出されたものだ」
関東大震災(1923年)の直後、各地で起きた朝鮮人虐殺の記録を綴った『九月、東京の路上で』の著書がある加藤直樹氏は、スピーチの中でこのように語った。
▲『九月、東京の路上で』著者・加藤直樹氏
加藤氏は、「今日、ネットを見ていたら、『1945年以前の日本の植民地支配と侵略戦争を無視して、明治150周年を記念するのは、けしからん』という趣旨の文章があった。だが、1945年(敗戦)で変わったわけではなく、われわれは、まだ明治150年の中にいるのではないか」と述べ、明治維新から150年を経て、今なお私たちは同じパラダイムの中にいることを指摘した。
明治時代に興隆した尊王論と進歩主義は、朝鮮民族をはじめとする他民族に対する蔑視やヘイトスピーチの起源となっている。尊王論は、古事記や日本書紀に記された天皇神話をルーツとしているが、これは、日本が唐の冊封体制から自立するにあたって、日本の属国として当時の朝鮮の国々を名指ししたのと時期を同じくしている。明治時代には、この考え方が征韓論につながり、朝鮮の植民地化に結びついた。
進歩主義については、福沢諭吉が明治維新の直後に、未開・半開・文明という三つの段階を設けて、日本が、すでに近代化を遂げていた西欧諸国に追いつくことの必要性を論じている。しかし加藤氏は、「この姿勢は、西欧以外の国々を蔑視する考え方にもつながり、現代にも影響を与えている」と言う。日本が駆け上がった近代化の階段を後から登ってくる(下にいる)近隣諸国への蔑視、上から目線があったという指摘だ。
加藤氏が学生だった1980年代、軍事政権下の韓国でソウルオリンピック(1988年)が開催されることになったが、当時、現地の状況を伝える日本メディアからは、「ソウルは、まるで20年前の日本」という表現が多く聞かれたという。それは「遅れているものへの視線」だが、加藤氏は、「他者として、同じ時代を生きる別の国があることが見えていないのだ」と批判する。
加藤氏は、「日本のナショナリズムにとって、朝鮮民族への差別は大きなガソリンなのだ」と語る。昨年、ケント・ギルバート氏の嫌韓本『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』がベストセラーになったが、これも、日本との対比で他の東アジア諸国が遅れているという趣旨で、目新しい考えを示したものではない。「私たちは、いかに近代150年のパラダイムの中に閉じ込められているか。そこを見なくてはいけない」と加藤氏は強調した。