共謀罪が成立してしまえば、一般市民が監視・処罰の対象になることは、歴史の証明するところではないか――日蓮宗僧侶・小野文珖氏が共謀罪に対する危機感を宗教者の立場から語る 2017.5.23

記事公開日:2017.6.7取材地: テキスト動画独自
このエントリーをはてなブックマークに追加

(取材・文:林俊成)

緊急特集 共謀罪(テロ等準備罪)法案シリーズ

※全編映像は会員登録するとご覧いただけます。 サポート会員の方は無期限で、一般会員の方は記事公開後の1ヶ月間、全編コンテンツがご覧いただけます。
ご登録はこちらから

 2017年6月7日、強権的な態度で法務委員会を運営してきた公明党の秋野公造・参議院法務委員長の解任決議案が自民・公明・維新の反対多数で否決された。翌日には審議を再開する姿勢を示しており、公明党は自民党とともに、共謀罪成立に向けて全力を挙げるようだ。

 この公明党の姿勢が鮮明になったのが、5月23日の衆議院本会議でおこなわれた共謀罪法案採決に際しての討論だ。

 公明党を代表して賛成討論に立った吉田宣弘衆議院議員は、冒頭から異常に興奮した様子で演説し、「法的根拠に基づかないレッテル張りによって国民の不安をあおり、その自由な言動、活動を萎縮させる暴挙をおこなっているのは一体誰なのか。一部の野党諸君には猛省を促すものであります」と絶叫。そして「本法案を治安維持法と同視するような荒唐無稽な主張もありました」「成熟した民主主義と司法手続き、マスコミ等により監視が行き届いている現在、治安維持法と同様の問題が生じる可能性は皆無です。不見識きわまりない主張であると断じざるを得ません」と言い放った。

 この主張が妥当なものとは到底いえない。実際には、安倍総理は自民党総裁として、選挙における党の公認を盾に、党内の異論を封じ込め、内閣人事局を設立して官僚の人事権を手中に収め、さらに政権を監視する役割を担うマスコミの幹部と頻繁に会食するなど、吉田議員の主張する「成熟した民主主義」と「マスコミ等による監視」を破壊しているのが現実である。

 さらに、最高裁判事の指名権も内閣が有している。三権の一角である司法にすら、内閣の意向が反映されるのではないかと懸念が生じている。

 こうした公明党の姿勢を真っ向から批判しているのが日蓮宗僧侶の小野文珖(おの・ぶんこう)氏だ。小野氏は、5月16日に開かれた集会で、「公明党はいま、初代会長を虐殺された治安維持法の復活にも進んで協力する、愚かな行動をとっている。公明党よ、血迷うな!」と批判した。

 IWJは5月23日、小野氏に単独インタビューを行った。

■ハイライト

  • 日時 2017年5月23日(火) 11:20頃~
  • 場所 IWJ事務所(東京都港区)

小野氏が敬愛する人物は、岸信介元総理のライバル・石橋湛山元総理――日本は、石橋元総理が示した国際協調の平和の道を推し進めるべき

 小野文珖氏は日蓮宗僧侶で、元立正大学助教授である。現在は群馬県にある栗須祖師堂で堂守を務めている。

 小野氏は今の政治状況をどのように見るのか。インタビューの冒頭で、小野氏は石橋湛山(たんざん)元総理の名前を挙げ、現在の政治状況の歴史的経緯と、自身が僧侶として歩むことになった経緯を語った。

 小野氏は石橋元総理の思想・行動を敬愛しており、石橋元総理が学長を務めていた立正大学に進学した。そして、「宗教的にも石橋湛山先生のあとをついていきたい」という想いから、日蓮宗の僧侶になることを決意したという。

 石橋元総理は日蓮宗僧侶・杉田湛誓(たんせい)の長男として生まれた。石橋元総理は僧侶としてではなく、社会の中で日蓮の教えを実践しようという志のもと、東洋経済新報社のジャーナリストとして活動し、後に政治家として活躍した。その後1952年から1968年にかけて、立正大学の学長を務めた。

▲石橋湛山元総理(出典:Wikimedia Commons)

 そして石橋元総理の事績を調べていく中で、小野氏は、石橋元総理が戦後の日本の進む道を決める「大きな分岐点に立っていた」ことに気がついたという。小野氏は次のように続けた。

 「石橋湛山先生の最大のライバルは(元総理大臣・安倍総理の祖父である)岸信介氏でした。戦前は、岸さんは植民地主義から日中戦争を進めて行く官僚のトップでした。石橋湛山先生は逆に、東洋経済新報のジャーナリストとして、植民地主義を否定し、批判をして、小日本主義(※)という立場で、対立する極におられた」

小日本主義:植民地を放棄し軍備縮小を進め、人間中心・労働中心の経済政策を主張するもので、資源や領土の拡張に邁進していた当時の政府の帝国主義(軍国主義・専制主義・国家主義からなる大日本主義)の対極に位置する。石橋湛山は東洋経済新報の社説で、「我が国に鉄なく、綿なく、毛なく、穀物なきは少しも憂うるに及ばぬ。ただ最も憂うべきは、人資の良くないことだ」と指摘した。

▲前列右から2番目が岸信介元総理。東條内閣で商工大臣を務めた。写真は東條内閣当時のもの。(出典:Wikimedia Commons)

 しかし戦後、石橋元総理は、反戦・反植民地主義者だったというのに、戦争中に軍部に協力した」という根も葉もない無実の罪で、政治的な思惑から公職追放処分をうけてしまう。石橋元総理は、公職復帰後、岸信介元総理と自民党総裁の座を争うことになる。小野氏は以下のように続けた。

 「岸さんが日米同盟、日米の軍事同盟を中心にして、戦後の日本の歩みを考えておられた。ところが、石橋湛山さんは逆に日中・日ソの友好条約を結び、アメリカとソ連、中国、日本の4カ国で同時に国際協調のその道を歩もうという政策を立てたんですね。

 その政策がぶつかり、結局石橋湛山さんが勝ったのですが、その後体調を崩し、残念ながら2ヵ月で総理の座を去ることになりました。石橋湛山さんのあとを岸信介さんが襲いまして、そこで岸さんが日米安保条約を結んで、戦後の日本の道が決定的になったと。

 ですから今日、安保条約や日米地位協定は当たり前のように日本の国を覆っているのですが、もしかしたら湛山さんが求めたそういう(日米中ロの国際協調の)道もあったのかもしれない」

 「安倍総理がこの頃やっている、武器輸出解禁、原発再稼働、特定秘密保護法、集団的自衛権行使容認、新安保関連法、共謀罪。これらは一連のセットで、戦後の岸さんの目指した『日本の新しい国づくり』(の一環です)。新しい国というのは、『戦争する国』ということですが。

 安倍さんは普通の国になりたいと、どことも戦争する国でありたいと、そういうことも言っておりますが、逆に石橋湛山さんは、『戦争をしない国』で戦後の日本を考えた。不戦の誓いをもって、国際平和路線というものを描いていたのですが、その道ではなくて、日本は戦争する国の道の方を歩み出していますので、私はその是非を問いたい。

 私としては、石橋湛山さんが示した、国際協調の平和の道が、戦後の日本が70年かけて確かめてきた道なので、私はこの道をさらに推し進めるべきだと思いまして、今の政治の問題に関わってきました」

テロ等準備罪の「等」が多すぎる!政府や捜査機関の拡大解釈により、一般市民が監視・処罰の対象となることは歴史の証明するところじゃないか――

 小野氏は共謀罪(テロ等準備罪)に反対する理由について、次のように語った。

 「私が共謀罪に反対しますのは、戦前・戦中に、私たちの先輩が不敬罪で逮捕されて、弾圧をされていたという事実があります。

▲小野文珖氏

 日蓮宗というのは、国体主義者がいて、右(翼)から左(翼)まで、幅広い信徒の層をもっておりますけれども、その中でも特徴的なのは、社会実践といいますか、社会改革といいますか。『社会に出て行って、社会をよくしようという』、その想いから、その情熱が、右と左の方に走ってしまうという部分もあると思います。

 ちょうど、石橋湛山先生が言論界で軍部を批判しているのと同じ時期に、妹尾義郎(せのお・ぎろう)という、日蓮宗の熱心な信徒が『新興仏教青年同盟』(※)というのをつくりまして、仏教による社会改革を目指しました。ところが、それが不敬罪で一網打尽で牢屋にいれられてしまった。

※新興仏教青年同盟:柳条湖事件(満州事変)が起きた1931年に結成された、青年僧侶らによる団体。反ファシズム、反戦平和を主張し、労働農民運動や水平社運動などと連帯した。1936年、指導者の妹尾義郎が治安維持法違反で逮捕され、翌年には幹部が一斉に検挙され、弾圧された。

 日蓮宗は危険思想ということで、官憲とくに特高警察から厳しい監視を受けておりまして、一番大きな弾圧は、『日蓮聖人遺文不敬事件』、もう一つは『日蓮曼荼羅不敬事件』。そういう、教義に対する弾圧がありました。

 さらに右翼が、『日蓮宗抹殺建白書』、『日蓮宗を抹殺すべきだ』という、大きな弾圧運動が起こったこともありますので、宗教の自由、信仰の自由というのは、権力者から監視の目を受けた場合に、権力者の恣意的な判断でいつでも弾圧されてしまう恐れがある。

 今回安倍政権が考えている共謀罪は、『テロ等準備罪』と言いながら、『等』の方が多くて、結局『テロ等』の『等』を、捜査機関や政府がいくらでも解釈できる。拡大解釈をしていけば、必ず一般市民が監視対象・処罰の対象になるだろう。その恐れは、誰が考えても、今までの歴史を振り返ってみますと、そのようなことは歴史の証明するところじゃないかと思います。

 共謀罪、もちろん特定秘密保護法などもありますが、『ものを言わせぬ』、そういう社会は、本当に日本の戦後の歩みに逆行するものだと。やっぱり私は、今の平和憲法にもとづいた、国際社会に、皆さんと協調できるような国づくりに進むべきだと思いますので、共謀罪にはどうしても反対をしていきたいと思います」

僧侶として声を上げていく根拠はなにか?法華経に書かれた常不軽菩薩の在り方

 続いて小野氏は、日蓮宗の僧侶として社会とかかわり、声を上げていく根拠について、次のように語った。

 「日蓮が選ばれた法華経という経典が、大乗仏教(※)の中でも社会に関わる、そういう行動を示しておりまして、(仏教には)色んなお経があるのですが、大乗仏教は、社会生活をしていく人間の宗教ですので、社会の中で、より良い生き方というものを目指します」

※大乗仏教:主に中国、朝鮮半島、日本で信仰されている仏教の一派。上座仏教と対をなす。自己の解脱よりも、衆生全体の救済を優先する。日本で信仰されている伝統仏教はすべて大乗仏教に属する。

▲日蓮聖人(久遠寺にある「波木井の御影」 出典:Wikimedia Commons)

 そして、僧侶の生き方の一つのモデルとして、法華経に出てくる常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)の話を紹介した。

 「普通ならお寺にこもってお寺でお経を読むというのがお坊さんの一つのお勤めだと言われているのですが、その方は、お寺にいてお経を読むのではなくて、外に出ていく。辻や街頭で、通る人達に向かって、『あなたを敬います。あなたは仏様のお子様です、必ず仏様になります』といって手を合わせる。ただそれだけをおこなうという。

 ただ、そのために、逆に石をぶつけられたり、悪口を言われたりして、常不軽菩薩という方は、ひとつの弾圧を受けるわけですが、それでもなおかつ通る人、女の人であろうと子供であろうと病人であろうと、全ての人に向かって合掌礼拝したという、1つの菩薩の行が出ております。

 それは、今までの仏教の中でも珍しいですよね。お寺の中での戒律を守る修行というのが、一番の僧侶の務めだったのですけれども、そうやって社会に出ていく、それを法華経という経典が認めて、それを菩薩の在り方として推奨しておりますので、そうしますと、この法華経という経典を読んだ人は、『外へ出て行って、困った人を助ける、苦しい人のそばによらなくてはいけない。それが大乗仏教の、お釈迦様が示された教えの根本ではないか』ということで、やっぱり、対社会的な活動をする方が次々と出てくる。

 その一人が日蓮聖人で、結局当時の日蓮聖人は北条幕府にさからったという形で、二度も流罪に合うわけですね。

 『大難はしかど小難は数知れず』と言われるくらいに迫害を受けるわけですけれども、それはやっぱり、社会に出て行って、宗教と政治、これは相合わない部分も当然あるわけですから、その厳しい対立の中から、俗世間からの迫害を受けるということを覚悟の上でおこなわれてきました。

 経典で目指している理想の社会、『正法を立てて国を安んずる』(※)という理想の社会をつくるために、色々と迫害を受けることもあるだろうけれども、それを超えて、人々と共に、生きていく。そういうことを法華経の中で示されたということで、妹尾義郎さんや宮沢賢治(※)なんかも出てくるわけです」

※正法を立てて国を安んずる:日蓮の主著『立正安国論』に由来する。
※宮沢賢治:『銀河鉄道の夜』『雨ニモマケズ』などで知られる作家・詩人。日蓮の教えの影響を受けた。田中智学の国柱会に入信する。その後、岩手県で地元の農民に対する教育活動をおこなったが、これが社会主義教育と疑われ、治安維持法違反の疑いで捜索を受けた。宮沢賢治は『農民芸術概論綱要』のなかで、「世界全体が幸福にならなければ、個人の幸福はありえない」と書いている。小野氏はこの例を挙げ、「東北から世界全体の幸福を願っていた。それはやっぱり、法華経の菩薩の一つのあり方だったんじゃないでしょうか」と語った。

▲宮沢賢治(出典:Wikimedia Commons)

創価学会・公明党は、国家神道を拒否し、殉死した牧口常三郎氏の信仰・生き方をもう一度振り返り、自身の在り方を考えるべき

 小野氏は2017年5月16日に日比谷野外音楽堂で開かれた「共謀罪廃案・安倍政権の改憲暴走を止めよう!5・16大集会」で、「公明党を擁する創価学会の牧口常三朗初代会長は、教育勅語の国家体制に反対し、不敬罪、ならびに治安維持法違反容疑で逮捕され、獄死した。創価学会、公明党の原点はここにあるはずだ」と指摘した。インタビューの中で、創価学会の歴史と、弾圧を受けた歴史について、小野氏にさらに詳しくお話をうかがった。小野氏は次のように語った。

 「牧口常三郎という方は、教育者としては大変立派な方で、当時、教育勅語の教育が日本では徹底されていまして、教育勅語的国家体制作りが進められていたのですが、牧口常三郎さんは、『人生地理学』、環境と人間という発想で、教育勅語のような『上から目線の教育』ではなく、『個々人の主体を尊重した生き方を目指す』教育を目指したんですね。

▲創価教育学会創始者・牧口常三郎氏(出典:Wikimedia Commons)

 それに『価値論』という一つの宗教的な思想を持って裏付けをしようとしたのが、創価教育学会で、大石寺(※)というお寺の信徒になったため、その信仰を創価教育学会で柱にされたと。

※大石寺:静岡県富士宮市にある日蓮正宗の総本山。なお、日蓮宗と日蓮正宗は、日蓮の直弟子の段階で分かれており、明治維新後、政府の布告により一時合流したものの、その後分離。1940年に政府に自主的に合流するよう通達を受けた際には、「600年来の伝統と信条を生かす」として拒否した。

 牧口常三郎さんは、そういう国家体制、国体論のようなあり方に批判的だったものですから、当時は国家神道で大麻(神宮大麻=じんぐうおおぬさ)を受けなくちゃいけなかった(※)のですが、それを拒否し、自分は国家神道を認めないという形だった。

※国家神道体制下では、伊勢神宮の「大麻札」をすべての家庭に強制的に配布していた。

 それが不敬罪と治安維持法違反というかたちで逮捕されまして、翌年には獄中で病死をしてしまう。

 牧口氏は、自分の信条、思想、信仰を貫き通して、殉死してしまうわけですけれども、創価教育学会というのは、本来その牧口常三郎さんの獄中死から出発するんだろうと。私はそう思っています。

 戦後、創価学会という名称になりまして、公明党をつくって、今日のような大きな教団になっており、日本の政権に加わっておりますので、日本の政策決定にも影響を及ぼしているような大きな組織になっております。

 しかし本来ならば、信徒団体ですので、日本の憲法で宗教と政治の問題はきちんと分けられておりますから、政治に対して批判をする立場、宗教として、常に正しい道を求めるという意味では、俗世間の政治経済に対して批判を投ずるというのは当然のことなんですけれども、それをしないで逆に、政権の中にいて、政権政党と一緒に行動している、となるとやはり憲法の政治と宗教の問題に齟齬をきたしてくる。『政教分離に反するんじゃないか』という批判が出てくると思うんですよね。

 ですから、今の公明党の在り方ですと、政教分離の問題は必ず指摘をされてくると思います。

 そういう意味で、最初の原点で、当時の権力者に批判を投じて殉死をした牧口常三郎さんのあの信仰、生き方というものをもう一度振り返って、自分たちの在り方を考えなくてはいけないんじゃないかと、私は主張をしているんです」

(…サポート会員ページにつづく)

アーカイブの全編は、下記会員ページまたは単品購入より御覧になれます。

サポート会員 新規会員登録単品購入 550円 (会員以外)単品購入 55円 (一般会員) (一般会員の方は、ページ内「単品購入 55円」をもう一度クリック)

関連記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です