「自由で、平和な美しい日本を守ろう! 抵抗勢力は、知的なものに反発しこれを圧迫し、人の尊厳を冒す言動をし、また幻想を追って自らのそして世界の現実を冷静に見つめることを拒否する人々だ。第二次世界大戦終戦後70年で日本が築き上げてきた自由で豊かな社会、ユニークな国際的信用を大きく傷つけてはならない。この抵抗勢力が辿っている戦前の暗黒の日本への逆コースを阻止しよう!」(濱田邦夫氏マニフェストより)
「抵抗勢力とは、ずばり、安倍さんですか?」。
そう尋ねる岩上安身に元最高裁判事の濱田邦夫氏は、「安倍さんと、彼の独裁を許す自公の政治家、御用学者、『今は亡き』内閣法制局、そして、安倍さんと幻想を共有する人々です」と答えた。
「今の日本は、自分の気に入らない者は『非国民』と罵った戦前と同じ」という79歳の濱田氏は、「私は自分や孫世代のために、市民に広く呼びかけていく」と決意を語った。
2015年10月9日、東京港区のIWJ事務所にて、岩上安身が、弁護士で元最高裁判事の濱田邦夫氏にインタビューを行なった。
安保関連法案の国会審議が大詰めを迎えた9月15日、参議院の中央公聴会に公述人として登壇した濱田氏は、集団的自衛権行使の根拠として政府が「砂川事件最高裁判決」と「昭和47年政府見解」を持ち出したことには問題があると断じた。さらに、法案の合憲性をチェックするべき内閣法制局が黙認したことを「今は亡き内閣法制局」と皮肉に満ちた表現で批判した。
その後、濱田氏は10月2日に自身のマニフェストを発表。冒頭に掲げたように、自由で生き生きとした美しい日本を作ろうと呼びかけている。この日も、「安保法制は強行採決で成立してしまったが、敗北感はまったくない。新しい民主主義を作るための、次のステージの始まりだ」と意気軒昂に語った。
「自由で平和な日本を守るために立ち上がらないといけない。今回、(安倍政権の)クーデターのようなことを見逃したのは、国内的にも国際的にも許されない。安倍さんの視野狭窄と、それを担いだメディアが一緒に突っ走ろうしている。そうはいかないよ、というのが私のマニフェストです」
- 濱田邦夫氏(弁護士、元最高裁判所裁判官、参院平和安全特別委員会中央公聴会公述人)
- タイトル 岩上安身による元最高裁判事・濱田邦夫氏インタビュー
- 日時 2015年10月9日(金)14:00〜16:00
- 場所 IWJ事務所(東京都港区)
敗戦で日本人独自の生き方が必要だと痛感、国際的ビジネスロイヤーの草分けに
岩上安身(以下、岩上)「安保法制の中央公聴会の公述人として、厳しい批判をされた、弁護士で元最高裁判事の濱田邦夫さんをお招きしました。よろしくお願いします。79歳とおっしゃいますが、お元気ですね。1960年に東大を卒業。在学中に司法試験に合格されています。東大法学部出身者は官僚になる人が多い中で、弁護士の道に進むと決めていたのでしょうか」
濱田邦夫氏(以下、濱田・敬称略)「終戦が9歳のときでした。父は東大出のエンジニアで私は3人兄弟の末っ子です。在学中から東大がやっていた法律相談所で活動していて、自分1人でも国際的に勝負できる弁護士に憧れていました」
岩上「妹尾晃法律事務所とアンダーソン・毛利・ラビノウィッツ法律事務所入所。1966年、米国ハーバード・ロー・スクール終了。第二東京法律弁護士会副会長、日弁連の常務理事、環太平洋法曹協会会長(IPBA)、最高裁判事を歴任された」
濱田「欧米中心の法律家団体(IBA)にはアジアからの参加が難しく、扱いも対等ではないので、1991年、日本のビジネスロイヤー中心にIPBAを設立しました。事務局はまだ日本にあり、環太平洋で活躍する個人ベースでのビジネスロイヤーの集まりで、アメリカ人もいます」
岩上「先生は、日米を股にかけて活躍したビジネスロイヤーのフロンティアですね」
濱田「20世紀初頭の日英同盟当時に英国で弁護士資格を取った我々の先輩たちは、戦後の戦犯裁判で活躍されました。私たち戦後世代は、戦争に負けたとたん、大人たちが1日で鬼畜米英から変節した姿を目の当たりにした。それで、日本人独自の生き方が必要だと痛感しました。
最初から、アメリカに指図を受けるのは潔しとしない、との思いがあり、IPBAも英米への対抗意識があった。アジアが成長すると、IBAもわれわれを認めざるを得なくなりました。最初は、米英の資本導入などのビジネスライセンスなどに関わり、その後は日本の技術やライセンスを輸出するなど、面白い体験をしました」
突然、最高裁長官を拝命、小泉政権と並走した日々
岩上「敗戦の復興、途上国、経済成長を経てリーダーへ。日本の経済成長に合わせて法務を手がけられた。その後、最高裁判事に就任された。それは異例のことですよね」
濱田「国際的な企業法務から国際金融を手がけ、法廷事件とは疎遠な自分に、突然、声がかかりました。最高裁判事は総理大臣任命だが、事実上、最高裁長官の推薦で決まるそうです。今までは、弁護士会会長などの大物がなっていました。
私は最高裁でも弁護士会でも異例です。2001年4月に小泉政権発足。直後の5月1日に最高裁長官に任命されて、2006年11月、小泉さんが退陣。自分も合わせるように定年退官しました。
私の任命には、グローバリゼーションや規制緩和などが背景にあったと思います。それまで日本経済を回していた行政官庁の指導が、壁になり始めた時期です。国際的に通用する透明性のあるルールにしようという機運があり、法律を表に据える方向だったのではないでしょうか」
岩上「21世紀の始まりの的確な人事ですね。2001年~2006年にかけては、9.11、対テロ戦争、イラク戦争と続いた。今、アメリカべったりの日本を顧みると、その起点の時に、濱田先生が最高裁判事に推挙されたのは改めて意味深いですね」
次のステージの始まり、そして「濱田邦夫のマニフェスト」発表
岩上「そして10月2日、濱田先生はご自身の『マニフェスト』を発表されました。これは、どういう思いだったのですか」
濱田「マニフェストの内容は、中央公聴会で言わせてもらったものです。主権者国民の6割が反対する中、安保法制は強行採決で成立してしまったが、弁護士会も反対運動の市民たちにも敗北感はまったくない。新しい民主主義を作るための、次のステージの始まりという意識です。外国特派員協会で、小林節先生と長谷部恭男先生が『安倍内閣の倒閣運動を』と言われた。強行採決に対抗し、国民主権の行使で、選挙で意志を反映させるべきだと。
安倍首相は安保法制が成立すると、次は経済政策だと言っています。そもそも、安倍内閣への国民の期待は、民主党政権への経済批判の結果です。いつの間にか戦争ができる動きになったが、それは筋が違う。私のマニフェストは、民主党、維新の会、共産党に提供し、赤旗には掲載されました」
岩上「共産党が呼びかける国民連合政府。野党も個人も諸団体も一緒になっての倒閣運動に、濱田先生も呼応する形ですね」
濱田「そうです。私はインターネットには疎いんですが、テレビ朝日の報道ステーションのインタビューを受けました。日弁連共同記者会見、参議院の公聴会でパブリックな発言もした。安保法制の問題だけでなく、自由で生き生きとした美しい日本を作ろうと。今のままでは、美しくない日本の社会になってしまいます」
岩上「濱田先生のマニフェストを読みます。
『自由で、平和な美しい日本を守ろう! 抵抗勢力は、知的なものに反発しこれを圧迫し、人の尊厳を冒す言動をし、また幻想を追って自らのそして世界の現実を冷静に見つめることを拒否する人々だ。第二次世界大戦終戦後70年で日本が築き上げてきた自由で豊かな社会、ユニークな国際的信用を大きく傷つけてはならない。この抵抗勢力が辿っている戦前の暗黒の日本への逆コースを阻止しよう! そのため、言論の自由、学問の自由そして憲法と法の支配をあくまでも守るために、皆で立ち上がろう!』
……素晴らしいですね」
濱田「日本の政治家へ、知性、品性、理性を持つよう訴えましたが、それは政治家を選ぶ国民にも言えることです」
安倍さんと幻想を共有する人々が「抵抗勢力」
岩上「抵抗勢力とは、ずばり、安倍さんですか。それとも安倍さんを支持する諸勢力ですか」
濱田「安倍さんと、彼の独裁を許す自公の政治家、御用学者、『今は亡き』内閣法制局、そして、安倍さんと幻想を共有する人々です。
今、政府に反対する人間をサヨクだ、非国民だと叩くでしょう。私に対するコメントは『激サヨク』です。自分の気に入らない者は『アカ、非国民』と罵った戦前と同じ。私は自分や孫世代のために、市民に広く呼びかけているんです
公述人の発言も、狙ったのではありません。原稿はなく、レジメだけで発言できました。友人以外にも、たくさんの人から感謝の言葉をもらい、心ある人には届いていると実感しました。そういう人たちへのメッセージです」
岩上「ほとんどの人にとって、最高裁判事は雲の上の人です。そういう人が血の通った言葉を発してくれた。勇気づけられます」
教育環境の崩壊から経済徴兵制も? 日本社会の不気味な動き
濱田「安保法制は憲法問題もあるが、立法事実の説明が納得いかない。抑止力の冷静な分析も必要です。さらには、上野千鶴子教授も言う知的活動の弾圧がある。大学の人文系の廃止など、安保法制以前からうごめいている日本社会の不気味な動きを真正面から捉え、できることをしようと呼びかける活動です。学問・教育の危機もあります」
岩上「おかしな教科書がどんどん採択され、学ぶことにお金がかかり、格差を背景にした教育環境の崩壊があります。その先には、経済徴兵制も見え隠れします」
濱田「ベトナム戦争当時の米国では徴兵制があり、社会の反発も大きかったが、徴兵制がなくなると金持ちには他人事になり、貧困層が戦争に行くようになった。日本も貧困家庭の若者が自衛隊で勉強するようになるかもしれない。
ただし、自衛隊はアメリカ主導の戦争に2軍として使われる。それはおかしい。安倍総理は周辺の安定に繋がると言うが、それなら個別的自衛権で済む。法律は、一度できたら独自に動く。安倍さんが否定したから、で済む話ではありません」
「内閣法制局の死」──文書も残さず、1日で安保法案にOKを出す
岩上「濱田先生は9月15日の参議院の中央公聴会で、『今は亡き内閣法制局』と皮肉を込めて言われた。今回、なぜ、内閣法制局は安保法案の合憲性をチェックできなかったのでしょう。
横畠裕介内閣法制局長官は、集団的自衛権の行使は日本防衛の必要最小限な行使に限定されるとし、『これまでの憲法解釈と整合し、9条の下で許容される。違憲には当たらない』と述べました(6月10日衆議院特別委員会)。
砂川判決に関しては『自国防衛のために武力行使をする個別的自衛権を読むことは容易だ。他国防衛のために武力を行使することが権利として換言される国際法上のいわゆる集団的自衛権全体に及んでいることはなかなか難しい』と。砂川判決を根拠に、集団的自衛権の合憲性を導き出す、安倍首相や高村自民党副総裁の主張は、どうとらえたらいいのでしょうか」
▲岩上安身のインタビューに応える元最高裁判事・濱田邦夫弁護士
濱田「これまでの内閣法制局の憲法解釈は、司法上の補完的な役目を果たしてきました。それが去年の夏から機能しなくなった。『容易だ』とは願望を言っている。山口繁元最高裁長官も、砂川判決は関係ないと言いました。読めないものを、あえて読もうとするのは故意でタチが悪い。
内閣法制局は、三権分立的には異例だが、日本だから機能してきた。裁判は当事者にしか効力が及ばない。米英のように裁判を早いテンポでできればいいが、日本では最初に厳密に精査し、あとの紛糾を避けてきた。現在まで最高裁の違憲判決は20くらいで少ない。つまり、個別的な当事者の負担や裁判所の負担を軽減してきた。
これまで、法制局のマクロなチェック機能が効果を発していた。しかし、安倍首相は自分の都合の良いように法制局長官をすげ替えた。法制局自体のモラルは低下しました。
ちなみに、砂川判決の解釈は昭和47年10月5日起案、決裁は2日後です。今回の場合は文書も残さず、法制局は1日で『違憲ではない』とした。つまり、内閣法制局が亡くなっちゃったんです」
岩上「内閣法制局という名前は残っているが、ファンクション(機能)がなくなったのですね」
濱田「それは、安倍総理の憲法への基本的見解に問題があるからです。そもそも、国家公務員は憲法尊守の義務がある。憲法に不満があるなら国会で発議し、国民投票で変えるしかない。それを裏から操作し、憲法や法律への尊重が皆無だ。北朝鮮や中国とどう違うのか。国際的にも大きなダメージです」
安倍首相は「明文改憲」を宣言、あの自民党改憲草案が現実に!?