12万人の市民が国会周辺を取り囲んだ「8.30国会大行動」から5日後の2015年9月4日、国会前では再び、安保法制反対のコールが鳴り響いた。
「6月頭の金曜日からここ国会前に来て、3ヶ月が経とうとしています。3ヶ月が経った今、私の周りで、この法案、安倍政権、そして政治全体に対する反応は3ヶ月前とは驚くほど大きく変わっています」
この日、SEALDsの紅子さんが久しぶりにマイクを握った。
走り続けてきたこの3ヶ月、紅子さんの周りでは政治に対する反応がこれまでとは大きく変わったという。国会前行動がマスコミなどで大きく報じられるにつれ、それまで政治の話を避けてきた友人や職場の上司が共感を口にするようになったのだ。紅子さんは「民主主義の広がりを実感した」と話す。しかし同時に、一歩外へ飛び出せば、政治に無関心な層が大半だという現実も紅子さんは痛感したという。
「今ここに立っていることには大きな意味がある。私はそう確信しているし、それはこれからも変わりません。だけど、どんなに自分たちに直結する重要な情報でも、ひとりひとり自らがそれに気づき、立ち止まって考え、疑って耳を済ますことをしなければ聞こえていこない事実が、現実が、残念ながら、今、この国にはありすぎます」
紅子さんはスピーチの中で、学び続け、自分の頭で考えることの重要性を強調。自身の学生生活を振り返りながら、学校では「ルールに従順に従う生徒であるかどうかが評価された」と明かし、そうしたお上に従って模範的であれという価値観が、「権力の暴走でさえ正しく思えてしまう鈍感さ」を形成してきたのではないかと指摘した。
紅子さんはゆとり教育を受けてきた、いわゆる「ゆとり世代」の一人である。スピーチの最後を次のように締めくくった。
「ゆとり世代と呼ばれた私たちの、考えないでいられるというゆとりを壊すために、従順さと物分かりの良さがこれ以上ファシズムに加担しないために、母の言葉に感謝しながらこれからも私は学ぶことをやめません」
この日、安倍総理は参議院の審議に出席せず、日本テレビや大阪のテレビ番組に出演したことが話題となった。若者たちはコールで「国会サボる総理はいらない!」と痛烈に批判。安保法案の廃案と安倍総理の退陣を求めた。
以下、紅子さんのスピーチ全文を掲載する。
紅子さんスピーチ全文
紅子さん「こんばんは。6月頭の金曜日からここ国会前に来て3ヶ月が経とうとしています。毎週、毎週、ここに来ることで何が変わるか分からないけれど、今できることを淡々と続けてみよう。正直、最初はそれくらいの気持ちで絶望もしていなければ、とても大きな期待もしていませんでした。
でも3ヶ月が経った今、私の周りでこの法案、安倍政権、そして政治全体に対する反応は、3ヶ月前の頃とは驚くほど大きく変わってきています。
今まで将来の悩み、仕事の悩み、音楽の悩み、出会いの悩み、なんだって相談できる友だちでさえ、政治の話はしてきませんでした。
場の空気が重たくならないよう明るくヘラヘラ話してみても、『真面目かよ』って笑われるか、『がんばってるんだね、偉いね』って完全に他人事みたいにに褒められて、応援されて、ちっとも嬉しくなんかなくて、それ以上は話すのをやめていました。
私は安倍政権はもちろん、それ以上に、そんな友人たちに向けたかった言葉を諦めずに、文章にしたりここで声を上げ続けてきたつもりです。
ある時から『ねぇ、ニュース見たよ』『私もやばい気がしてきた』『来週、私も国会前行きたいんだけど』って連絡が来るようになって、全然繋がりのなかった職場の上司にさえも声をかけられ始め、びっくりしたけどそれらは民主主義が広まっていくのを何よりも実感した瞬間でした。
だけど、あれから職場が変わってそれまでいた環境から一歩離れて再び出会った、毎日完璧なメイクとネイル、ワンピースと10cmヒールを身にまとった子たちに、それとなくニュースの話を振ってみると、返ってきたのは再び『安倍さんて総理大臣だっけ?』『偉い人が言ってるから大丈夫だよ』と言う聞き慣れたフレーズでした。
今ここに立っていることには大きな意味がある。私はそう確信しているし、それはこれからも変わりません。
だけど、どんなに自分たちに直結する重要な情報でも、ひとりひとり自らがそれに気づき、立ち止まって考え、疑って耳を済ますことをしなければ、聞こえていこない事実が、現実が、残念ながら今この国にはありすぎます。
選挙の投票率が70%台に低下したと嘆かれる北欧の国がある一方で、私たちがいるこの国はなぜ、政治参加なんかしないのが普通くらいの認識で、お上のやることがここまで他人事なのか。
難しそうだから?面倒くさそうだから?そう考えていたら、昔、母としていたやりとりを思い出しました。
私には兄がいます。兄は昔から成績優秀で要領が良く、飽きっぽくて集中力のない私と違い、人知れずコツコツ努力して地元のトップの高校へ行き、浪人覚悟で受けた第一志望の大学にすぱっと受かるような人でした。
そんな兄に劣等感こそ感じていなかったけれど、母はよく『あんたもちゃんと勉強しなさいよ』と口を酸っぱくして私に言ってきて、そう言われることにうんざりした中学生のある日、『そんなにエリートになって欲しいかよ』って母に怒鳴った日がありました。
ふてくされて部屋に篭っていたら、しばらくしてリビングの机に長い手紙が置いてあって、なんだなんだと重たい気持ちで開いてみたら、そこにはこう書いてありました。
『お母さんはあなたに、良い大学に行って欲しいとか、良い会社に就いて欲しいとか、エリートになって欲しいなんて全然思っていません。勉強するということは、自分の頭で考え、判断する力を養うことで、本当は学ぶって楽しいことなんだよ。
だけど今、世の中には自分の頭で考えることなんてしないで、上から言われたことにただ黙って従ってくれる人間が沢山いれば都合のいい大人たちがいます。
お母さんは、今、日本の教育がどんどん変わってきていることを懸念していて、教科書もどんどん薄くなり、学ぶための勉強ではなく、テストや受験のための勉強として、短期間でひたすら詰め込ませ、そしてすぐに忘れてしまうような、勉強が嫌になって学ぶことを放棄してしまうような、詰め込むだけで考えることをしないような教育に危機感を覚えています。
本当は世の中に頭の悪い子なんていないんだよ。学ぶことはとても楽しいことで、あなたの人生を豊かにしてくれるよ。いずれお父さんやお母さんがいなくなった時、一人でもあなたが自分の頭で考えて判断できる大人になっているように、悪い人間のまやかしに流されてしまうことのないように、お母さんはあなたに勉強して欲しいのです』
当時、中学生だった私はその手紙の内容にあまりピンと来なくて、反抗期なのもあって、なんかそれを読んで弱った気持ちで再び机に向かったのを覚えています。
そして、大人になった今、当時母が言っていたことを手に取るように実感しています。中学に入るか入らないかくらいの頃から、学校の成績表に、『意欲、関心、態度』という項目が加わったのを覚えています。
『意欲、関心、態度』。これはつまり学校生活において、教師に言われたことに反抗などすることなく、従順に従う生徒であるかどうかが評価されること。学校が決めたルールに正しく従う生徒であるかどうかということ。苦手な教科で点数がいまいちでも、『意欲、関心、態度』をきちっとしていれば点数稼ぎができる。そういって当時、私の周りの友だちはみな、先生に良い印象を持ってもらおうと、学校側や教師の求める優秀な生徒像に進んでなろうと勉めていました。
公立だし、中学だし、そんなものでこれが普通なんだろうなって思っていました。だけどそうやってお上のことにただ従って模範的であるかのような価値観を、今日までしっかり植え付けられたのではないでしょうか。権力の暴走でさえ正しく思えてしまう鈍感さを、自分の生活が困窮しても何一つ疑わない従順さを、しっかり形成されてきたのではないでしょうか。
もう何度も言ってきたことだけど、私は特段政治に関心なんてなかった。難しい名前が飛び交う国会中継なんて見たくもなかったし、スーツを来たおじさんたちの言い合いになんて興味もなかった。
だけど、そのおじさんたちの言い合っている内容は、私たちのまさに生活と命の話そのものだった。それに気づいたから私はこれからも声を上げ続けます。
ゆとり世代と呼ばれた私たちの、考えないでいられるというゆとりを壊すために。従順さと物分かりの良さがこれ以上ファシズムに加担しないために、母の言葉に感謝しながらこれからも私は学ぶことをやめません。
そして、ここまで学んできて現在、欠陥だらけの安保法案の廃案と安倍政権の即刻退陣を求めます」(了)
「『意欲、関心、態度』。これはつまり学校生活において、教師に言われたことに反抗などすることなく、従順に従う生徒であるかどうかが評価されること。学校が決めたルールに正しく従う生徒であるかどうかということ。苦手な教科で点数がいまいちでも、『意欲、関心、態度』をきちっとしていれば点数稼ぎができる。そういって当時、私の周りの友だちはみな、先生に良い印象を持ってもらおうと、学校側や教師の求める優秀な生徒像に進んでなろうと勉めていました。」
ここで勘違いしたのではないですか?
この人の解釈した人物像は、意欲も関心も態度も点数が悪そうですけどね。
「本当は世の中に頭の悪い子なんていないんだよ。学ぶことはとても楽しいことで、あなたの人生を豊かにしてくれるよ。いずれお父さんやお母さんがいなくなった時、一人でもあなたが自分の頭で考えて判断できる大人になっているように、悪い人間のまやかしに流されてしまうことのないように、お母さんはあなたに勉強して欲しいのです』」
ここで教えられたことを、もう一回よく考えてみては如何ですか?
違う答えも見つかることでしょう。