「私達も、多くの国民の皆さんと同じく、法で守られ、平和で、自由で、家族と共に暮らしたいという素朴な願いがいつまでも、曖昧にされて、元通りの安定した生活の実現が危うくなってきたからです」
福島第一原発事故での政府の避難指示の遅れが、住民らに初期被曝を強いたとして、国と東京電力を相手に約1億5千万円の損害賠償を求める「福島被ばく訴訟」が2015年5月20日、東京地方裁判所に提訴された。原告は、前双葉町長の井戸川克隆氏。避難指示区域の解除や、賠償・支援の打ち切りを急ぐ国や東電に対し、訴訟が相次いでいる中、住民への「被曝」の責任を初めて問う裁判に注目が集まっている。
- 原告 井戸川克隆氏(前双葉町長)/弁護団団長 宇都宮健児氏(弁護士)
- 被告 国、東京電力
- 収録日時 2015年5月20日(水) 14:00~
- 配信日時 2015年5月20日(水) 18:30~
- 場所 東京地方裁判所、弁護士会館(東京都千代田区)
「止める・冷やす・閉じ込めるを完全にできます」と豪語していた東電と国
冒頭の言葉は、井戸川氏が「訴訟の理由」として、提訴後の記者会見で配布した資料に記したもの。訴訟に踏み切った思いが綴られている。
「町民に放射能の被ばくをさせないように、事故前から、国と東電にはきつく要求していました。彼らは決まったように『大丈夫です。止める・冷やす・閉じ込めるを完全にできます』と豪語していました」
何かあっても国と東電は、住民の後ろ盾になってくれると信じていたという井戸川氏だが、その思いは裏切られた。事故が起きた場合、国と東電と福島県で、受認する放射能のレベルも協議することになっていたが、その計画は事故とともに「溶けてなくなった」と話す。また、緊急事態応急対策を推進するため設置された原子力災害対策本部に、町長である井戸川氏が招集されることも一度もなかった。
「いつでも、遠いところで勝手に決められてきた」
双葉町上羽鳥(かみはとり)に設置されたモニタリングポストには、最高値で毎時4613マイクロシーベルトを記録したという。事故前の公衆被曝限度と比較すると9万倍以上の線量を、井戸川氏はじめ双葉町の町民は直接かぶったことになる。放射性物質がどう拡散するかを予測するSPEEDIの公開も、政府は怠った。さらに、井戸川氏は内部被曝線量を測定するホールボディカウンター検査を国や県に再三要求してきたというが、誠意をもって被曝検査が実施されたことは一度もないと憤る。
事故後、加害者に都合のいい法律ばかりが作られてきた
「棄民のような扱いをされていることに、町民らの我慢は限界に来ている」
2011年3月19日、井戸川氏は川俣町の小学校など10数カ所に分かれて避難をしていた町民約1200人を連れて、さいたまスーパーアリーナに避難。その後、埼玉県加須市にある廃校、旧騎西高校で避難生活を開始した。当時、双葉町に避難指示を出したのは菅直人元首相だったが、どこにどのように避難するかといった指示は出ていない。避難に関わるすべての決定とそれによる責任を一任された形の井戸川氏は、「自己責任のような避難生活が始まった」と当時を振り返った。
事故前に実施されてきた避難訓練は、事故は起こらないという大前提の元に作られたもの。長期化する避難生活を想定したイロハは一切存在しなかった。そして、実際に事故が起きた後、国や東電に都合のいい法律ばかりが作られてきたと、井戸川氏は怒りを隠さない。
「放射能を心配しないで、毎日平和に、希望に満ちた日々を送りたい。なぜ、4年も経ったのに可能にならないのか。顧みずに、一方的に欠席裁判のように決められていることに対して、残念でなりません。
後ろにいる同じような思いをしている人のためにも立ち上がった。裁判所はこの思いを汲んで、いい判決をしていただけるよう希望します」
元日弁連会長、宇都宮弁護士が弁護団長
日本弁護士連合会の元会長、宇都宮健児弁護士が本訴訟の弁護団長を務める。井戸川氏から弁護人の依頼を受けた時の思いを話した。
「福島原発事故の初期被曝の責任を問う初めての裁判」〜「棄民のような扱いをされた町民の我慢は限界」原告、井戸川克隆前双葉町長の提訴に踏み切った想い http://iwj.co.jp/wj/open/archives/246405 … @iwakamiyasumi
弁護団長は宇都宮健児さん。この戦い、司法が試されている。
https://twitter.com/55kurosuke/status/604914547275669504