「この映画は、被災者が笑うことも泣くことも許してくれた」 〜第37回 ロックの会 映画『ガレキとラジオ2014』上映会&トーク 2014.11.9

記事公開日:2014.11.25取材地: テキスト動画独自
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(IWJテキストスタッフ・関根)

※2014年11月25日テキストを加筆しました!

 『ガレキとラジオ』は、2013年4月に公開されたドキュメンタリー映画である。東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県南三陸町の住民による災害ラジオ局「FMみなさん」の活動を題材に、復興への道のりを描いており、ナレーターには俳優の役所広司氏がボランティアで参加している。

 しかし、2014年3月、映画に登場する被災者の女性に制作側が「やらせ」を依頼していた、と朝日新聞が報道。役所広司氏は「ドキュメンタリー映画でやってはならないこと」と批判し、『ガレキとラジオ』は上映中止となった。一方で、当該女性が弁護士を通じて、「朝日新聞の報道は事実ではない」と抗議し、その取材方法が問題視されるなど、異例の展開を見せている。

 その後、映画の舞台となった南三陸町の被災者からの激励の声に後押しされ、同作は本編を修正、新たに町民のインタビューを追加した上で、『ガレキとラジオ2014』と改題し、再上映する運びとなった。その最初の上映が、2014年11月9日、東京都千代田区のアキバシアターで「第37回 ロックの会 映画『ガレキとラジオ』上映会&トーク」として開催された。

 上映後は、俳優の東ちづる氏をオーガナイザーに迎え、映画監督の岩井俊二氏、演出家の宮本亜門氏、映画出演者で元FMみなさんアナウンサーの平形有子氏、『ガレキとラジオ』監督の塚原一成氏によるトークショーが行なわれた。また、映画出演者で被災地への支援活動を続けているタレントのはるな愛氏や、元宝塚女優で南三陸町復興応援大使の妃乃あんじ氏、南三陸町の住民からのメッセージなども紹介された。

 岩井氏は「3.11以前と、そのあとでは、日本は大きく変わった。3.11後のほうが悪くなった。白いカオス状態。すべてが既視感に見舞われてしまう」とコメントし、10年後は災害体験者が日本のリーダーになっているのではないか、と期待を寄せた。

※映像はトークショー部分のみとなります。
■ハイライト

  • 映画『ガレキとラジオ』上映
  • トークショー
    ゲスト 塚原一成氏(『ガレキとラジオ』監督)/平形有子氏(映画出演者、元FMみなさんアナウンサー)/宮本亜門氏(演出家)/はるな愛氏(映画出演者、VTRコメント)
    聞き手 岩井俊二氏(映画監督)/進行 東ちづる氏(俳優)
  • 日時 2014年11月9日(日)18:30〜21:30
  • 場所 アキバシアター(東京都千代田区)

「最初、ファンタジー映画かと思った」と宮本亜門氏

 上映終了後、東ちづる氏、塚原一成氏、平形有子氏、宮本亜門氏、ロックの会の発起人である岩井俊二氏が登壇した。宮本氏が映画の冒頭部分(死者が語る形式)について、「最初、ファンタジー映画かと思った。観ながら思考する映画だ」と印象を語ると、東氏も「亡くなった人の視点で描かれているのが、とても不思議な感じだ」と応じた。撮影当時、FMみなさんで奮闘していた平形氏は、「ドタバタの毎日を映画に撮ってもらい、出演者のほうが逆に勇気をもらった」と話した。

 続いて、はるな愛氏、妃乃あんじ氏からの再上映を祝うビデオメッセージが上映された。はるな氏は「FMみなさんのメンバーの思いに共感した。震災からの再生には時間がかかると思うが、少しでも復興の力になりたい」と語り、妃乃氏は「ひとりでも多くの子どもたちの笑顔を見られるように、支えるご縁と書く『支縁』を続けたい」とスクリーンから語りかけた。

 次に、南三陸町の住民たちの声を紹介。3年たった現在でも、まだ先が見えないこと、高台移転はうまくいかず、オリンピックの影響で建設費が急騰して復興も遅れていることなど、不安がなくならない状況を伝えた。

極限状態で、人は冗談に救われることを知る

 この映画を作るきっかけを尋ねられた塚原氏は、「震災10日後、共同監督を務めた友人(梅村太郎氏)と被災地にカメラを持って入ると、報道陣が被災者より多かった。しかし、テレビではすぐに風化すると思い、映画という形を選んだ」と語った。

 仙台市出身の岩井氏も共感し、自身も被災地を見て大きなショックを受けて、友人たちからの聞き伝えで、映画『friends after 3.11』(2011年10月発表)を作ったことを話した。

 『ガレキとラジオ』の中の笑わせるシーンについて、アメリカ同時多発テロ事件(2001年9月11日)をニューヨークで体験した宮本氏は、自分の心境と照らし合わせて、「人間は究極の状態になると、悲劇に勝るがごとく、エネルギーが出るのではないか」と発言。東氏も、テレビの取材で戦場に行った際に同様の体験をしたと述べた。

 平形氏は、発災から4日後、避難所が冗談で満たされていた光景を振り返って、「そうでもしなければ、気が狂ってしまう」と語り、塚原氏もまた、「避難施設で、子どもたちが異様に元気な様子が印象深かった」と話した。

アドレナリンも底を尽き、これからが試練の被災地

 塚原氏は南三陸町の現在の状態を、「街自体はかなり復興したが、職がないのがネックだ。被災直後の人々のアドレナリンも底を尽き、これからが試練なのだ」と述べ、地域が再生する難しさを示唆した。

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  1. あのねあのね より:

     災害時用にコミュニティAMの許可を考える段階に来ているとおもう。当然ながら出力の上限は低くして、むしろ最大出力が制限されることから来る機器の小型化と移動の可能性を高めるべきだと思う。アンテナはフルサイズは考慮に入れず、送信機とセットでの販売を考えるべきです。最大でも家庭で使う乗用自動車に積載できる大きさで、女性が一人でも運搬できる大きさと重さにすべきです。家がこわれても軽トラックや営業用のライトバン、2tトラックのAMラジオなら受信ができます。

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