砂川事件の元被告である土屋源太郎氏と元駐レバノン日本国特命全権大使で作家の天木直人氏による対談が、8月8日、「集団的自衛権と伊達判決を考える市民の集い」の主催で行なわれた。
(IWJ・松井信篤)
特集 日米地位協定
砂川事件の元被告である土屋源太郎氏と元駐レバノン日本国特命全権大使で作家の天木直人氏による対談が、8月8日、「集団的自衛権と伊達判決を考える市民の集い」の主催で行なわれた。
■ハイライト
安保闘争のさきがけといわれる砂川事件は、1955年に始まった米軍立川基地拡張反対闘争で1957年7月8日に地元反対同盟を支援する労働者や学生が基地の中に立ち入り、日米安保条約に基づく刑事特別法違反の容疑で7名が起訴された事件である。
1959年3月30日の第一審で、東京地裁の伊達秋雄裁判長は、「日本政府がアメリカ軍の駐留を許容したのは、指揮権の有無、出動義務の有無に関わらず、日本国憲法第9条2項前段によって禁止される戦力の保持にあたり、違憲である」として、駐留米軍を特別に保護する刑事特別法は憲法違反であり、被告全員に無罪判決を言い渡した。
しかし、日本政府による異例の跳躍上告により、最高裁では当時、最高裁長官を勤めていた田中耕太郎氏が自ら裁判長を務め、一審判決を破棄した。再び東京地裁で行われた差戻し審では、被告全員に有罪判決が下され、1963年12月7日に最高裁が上告を棄却したことから、被告全員の有罪が確定した。
これに対し、2014年6月17日に元被告の土屋氏をはじめ、元被告やその家族が請求人となって、「免訴判決を求める砂川事件再審請求書」を東京地裁に提出している。第一審の伊達判決を破棄した「不公平な最高裁砂川判決は無効」であるとして、再審開始を求める要請署名が現在、約4000筆集められている。「もっと署名運動を広げていく」と土屋氏は言う。
伊達判決が覆った経緯を、土屋氏が詳細に説明した。伊達判決が言い渡された翌朝8時に、当時、外務大臣だった藤山愛一郎氏と田中長官は、アメリカ大使館に出向いている。ダグラス・マッカーサー2世駐日米国大使から跳躍上告を提案されて、藤山外相は承諾したという。さらに、田中長官とマッカーサー氏とで、伊達判決を早期に破棄するための密約・密談をしていた。
こうした事実は、機密指定が解除されたアメリカ側の公文書を、日本側の研究者やジャーナリストらが分析し、2008年から2013年にかけて次々に明らかになった。土屋氏らは、これまで明らかになった事実から、第一審を除く一連の砂川事件をめぐる裁判が公平性を欠くものであるとして、再審請求を決意したという。
これに関連して天木氏は、「この問題こそ、安倍政権が進めているあらゆる外交・政策に共通する深刻な問題が象徴的に現れている」と語った。再審請求の代表弁護人である吉永満夫弁護士は、「アメリカというのは砂川事件の言わば被害者なんです。裁判官が被害者と秘密裏に会うというのは、やってはならない」と述べた。
加えて、今後、特定秘密保護法により日米安保の機密はより閉ざされていくことに、天木氏は懸念を示した。さらに、今年の12月に日米ガイドラインの見直しが行なわれ、防衛白書には集団的自衛権が明記されていることから、国際紛争に自衛隊が派遣されることを実質、日本は拒否できなくなると土屋氏は警鐘を鳴らした。
天木氏・土屋氏は、こうした今後も懸念される危険性について、「砂川事件を通して国民に広く知らせる必要がある」と繰り返し訴えた。そもそも、再審請求の発端はアメリカの公文書簡であることから、天木氏は具体的に、ケネディ駐日米大使へ砂川事件再審請求の見解を聞くなど、圧力をかけるべきだと主張した。
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