集団的自衛権を考える超党派の議員と市民の勉強会の第6回が4月16日に開催された。この日、講師として招かれたのは、元共同通信記者で「戦後政治にゆれた憲法九条―内閣法制局の自信と強さ/『武力行使と一体化論』の総仕上げ」の著者でもある中村明氏。30年間政治記者として取材を続けてきたという中村氏は、集団的自衛権行使の原則に関する経過を解説しながら、事実に基づき検証した。
冒頭、集団的自衛権行使容認の準備を進めている最近の安倍政権に対して、「国家の重要な進路を私的な諮問機関で決めるということは、法治国家ではあってはならないこと」だと、中村氏は懸念を示した。
その安倍政権が、集団的自衛権の行使容認の根拠としているのは、1959年12月16日の砂川事件における最高裁判決である。
「憲法に関わる規定について、それが一見極めて明白に違憲だと認められない事件については、司法の判断は控える」と、高度な政治学は裁判権の範囲外であり、最終的には国民自身が判断すべきとの見解を、最高裁は示した。
「元内閣法制局長官で現最高裁判事の山本庸幸氏が、『集団的自衛権行使の容認はできない』と、はっきりおっしゃられていたが、それがどれだけ安倍政権の歯止めになるのか」
勉強会参加者から出たこの質問に、中村氏は次のように答えた。
「安倍首相が内閣法制局を無視することがあれば、戦後、最高裁と内閣法制局がコラボレーションしてやってきたものが破壊されてしまう。
自衛隊を動かすということは、統治行為、つまり高度な政治行為そのもの。それを法制面から裏付ける役割を担っているのが内閣法制局の核心。最高裁の判断からは、内閣法制局に『任せる』という、両者の信頼関係がみてとれる。統治行為論というのは、内閣に自立性がなくなったら成立しないものであり、それを担保するものとして、内閣法制局が存在している」
中村氏によると、内閣法制局が戦後行った最大の仕事というのは、「憲法9条のもとでも個別的自衛権の行使は容認されるという解釈を導き出して、国民に定着させたこと」だという。
- 講演 「内閣法制局の集団的自衛権不行使の原則について」 中村明氏(元共同通信編集員)
内閣法制局の役割
では「内閣法制局」とは何か。
内閣法制局の性格について、中村氏は元内閣法制局長官である高辻正己氏の言葉を紹介した。
「内閣法制局の法律上の意見の開陳は、法律的良心に従うものであって、その時の内閣の政策的意図に往生し、利害の見地からその場を凌ぐような無節操な態度ですべきではない。そうであってこそ、内閣法制局に対する内閣の信任が維持される」
高辻氏の主張には、「内閣の立場を離れて客観的な考えを持つ役所は必要なんだ」と、当時の吉田茂首相を頂点とする保守本流派が考えていたことが背景にあるという。
安倍首相が指名した小松一郎氏が内閣法制局長官に就任した現在、「内閣の動きに同調してしまうのではないか」という懸念について、参加者が指摘すると、中村氏は次の考えを示した。
「これまで内閣法制局が積み重ねてきた憲法解釈を、一内閣で変えるというような、愚かなことをするとは思っていない」
9条解釈の歩み
政府の憲法9条対策のスタートとなった憲法制定国会において、吉田内閣は、「武力侵略があれば自衛権が発生し、これに実力組織で対応するのは当然の権利だ」という考えを否定し、憲法9条のもとでの自衛権の発動は、警察力か軍民蜂起の形しかない、との考えを示していた。
憲法9条第1項は自衛権を認めているが、第2項により自衛権の発動を遂行する手段がない。それ故、武力侵略に対し、自衛権行使もできない。また、交戦権についても第2項により、一切の軍備と交戦権を認めないという解釈の結果、自衛権の発動と交戦権を放棄したという見解であった。
その後、吉田政権は、国会論戦を通じて、「自衛の行動だけは容認されるんだ」という考えに変えていったと、中村氏は解説した。
まず、政府解釈に変化をもたらしたのは、マッカーサー連合国最高司令官による「この憲法の規定は、相手側から仕掛けてきた攻撃に対する、自己防衛の侵し難い権利を否定したとは絶対解釈できない」という、1950年元旦の年頭声明での発言である。
同年6月25日には、朝鮮戦争が勃発。平和憲法に揺さぶりをかけるような情勢のなか、国会では憲法9条をめぐる解釈論争が始まり、自由党・改進党・社会党の左右両派が吉田内閣と激しい論戦を繰り広げた。
1954年7月には、自衛隊がスタートしたことで、防衛二法をめぐり第90回国会における憲法9条解釈論争は揺れに揺れたが、この国会論議において、現在までに続く解釈の基本が形成された。