「集団的自衛権行使の容認が、憲法解釈で行なわれる。憲法によってできた内閣が、その憲法を無視する。それは本末転倒だ」──。
かつて、自民党政権で幹事長などの要職を歴任した野中広務氏は、集団的自衛権の行使容認を閣議決定した安倍政権を、このように批判した。
さらに野中氏は「今、大切なのは中国、韓国、北朝鮮。この3つの国と友好親善を図ることが、日本の悠久の平和につながる」と、話し合いの努力をしない安倍総理の外交姿勢について批判した。
2014年7月24日、沖縄県那覇市の沖縄市町村自治会館で、「『これでいいのか日本!』全国縦断シンポジウム 第2回沖縄大会」が開催され、ゲストに大田昌秀氏(元沖縄県知事)、野中広務氏(元自民党幹事長)、鳩山由紀夫氏(元首相)、鈴木宗男氏(元衆議院議員)が招かれた。
主催者代表の村上正邦氏(元労働大臣・元参議院自民党幹事長)は、「今、政治家がだらしないから、外から発信していく」と意気軒昂にシンポジウムの趣旨を語り、4名のゲストは、それぞれ沖縄との関わりを語った上で、現在の安倍政権の危険性に警鐘を鳴らした。会場には、照屋寛徳衆議院議員、川内博史前衆議院議員、喜納昌吉前参議院議員も姿を見せた。
鳩山由紀夫氏が、首相在任時に、普天間基地の県外移設を打ち出した際、抵抗勢力から受けた数々の妨害を明かすと、その事実を知った野中氏が、「沖縄復帰40周年記念式典の席で『鳩山さん、恥を知れ』と叱責したが、取り消したい」と壇上で謝罪する一幕もあった。
沖縄の基地問題は、日本の問題であり、世界の問題
挨拶に立った、主催者の「躍進日本!春風の会」代表の村上正邦氏は、「国民一揆を起こそう!」を合言葉に、平成版「ええじゃないか運動」として、「これでいいのか日本!」全国縦断シンポジウムを開催していると語り、ゲストの4人について、「めったに揃わない方々が、『沖縄で、こういうシンポジウムをしたい』と言ったら二つ返事で来てくれた。沖縄への思いの深い人ばかりだ」と紹介した。
そして、「今は、野中先生のような骨のある議員がいない。皆、安倍さんに尻尾を振っている」と、日本の未来について憂いを示すとともに、「今の政治家には任せることができない。沖縄の基地問題は、沖縄だけではなく、日本の問題であると同時に、世界の問題だ」と語った。
大田昌秀氏は、安倍政権が集団的自衛権の行使容認を閣議決定したことで、「一番悪い影響を受けるのは沖縄」であり、「これまでも、米軍が戦争をするたびに沖縄の基地から出動して、他国の民を傷つけていた」との見解を示した。
大田氏は、大日本帝国憲法、日本国憲法ともに、沖縄は決定に関わっていないことから、「沖縄ほど憲法に縁のないところはない」が、同時に「沖縄ほど平和憲法を大事にするところもない。もし、この先、改憲などされたら、戦後の沖縄の苦労は水の泡だ」と危機感を表した。
野中氏「生きているうちに沖縄の人たちにお詫びを」
「引退して10年たったので、政治に口を挟むようなことは避けたいと思ってきた。だが、現在の日本の政治は、私どもが声に出して言わなければ…」と切り出したのは、野中広務氏である。
国会議員になり、最初に所属したのが、沖縄及び北方問題に関する特別委員会だった野中氏だが、「沖縄をなんとかしたい」という思いがあったという過去のエピソードを振り返った。
野中氏は、京都府船井郡園部町長だった昭和37年、嘉数(かかず)の丘(戦い)で戦死した京都出身兵の慰霊塔建立の下調べに、まだ米国統治下だった沖縄を初めて訪れたという。
「その視察の時に乗ったタクシーの運転手が、宜野湾に差しかかった時、『戦時中、あそこで妹が殺された』と声を上げて泣き出した。その時の印象が強く残った」。
沖縄及び北方問題に関する特別委員会が形ばかりだったことを、当時の大田沖縄県知事に謝罪したことが、「政治家として沖縄に対する初の仕事」と続けた野中氏は、その後、米軍用地の地主の借り替え拒否問題に関して、特別措置法を作って土地収用を行なった際、宜野湾で会った運転手のことが脳裏に浮かんだという。
特措法を作り終えて、委員長報告をしている時、「この法律が、将来、再び沖縄の土地を軍靴で汚すことのないようにお願いしたい」と発言した野中氏だったが、これは大きな問題となったと振り返った。
「不規則発言として削除されたが、当時の新聞に活字で残ったことは、せめてもの勲章だと思う」。
続けて、野中氏は、橋本内閣の時に合意した普天間基地返還にふれ、「嘉数の丘も戻ってきたが、そのために、辺野古での多大な困難を、再び沖縄県民に与えたことに謝罪をしたい」と胸の内を明かした。
「沖縄振興策はできるだけやってきたが、沖縄が戦後の大きな傷を抱えたまま、長い苦労を味わっていることは、心から申し訳なく思っている」と、何度も、沖縄に対する自責の念を表明した。
陸地に滑走路を造る計画だった辺野古基地
次に登壇した鳩山由紀夫氏は、首相時代に普天間基地の県外移転ができなかったことを謝罪した。
「安倍政権の集団的自衛権行使の閣議決定について、「はなはだ遺憾。沖縄の軍事的な重荷を減らし、集団的自衛権の行使や辺野古基地が不要になるような、良いサイクルにしていくことが為政者の仕事」と述べた鳩山氏は、中国と良好な関係をもつことが重要と指摘した。
鈴木宗男氏は、鳩山元首相が打ち出した「県外移設」を、「沖縄の人々の声を代弁した勇気のある」とし、当時の外務委員長として全面的にバックアップしたものの、官僚が「県外移設」を潰したと思っているとの見解を示した。
続けて、米軍基地の代替え滑走路計画について、「1996年4月、橋本龍太郎首相が普天間基地返還を決めた際に、代替地が名護市のキャンプシュワブになったのは、比嘉名護市長が、自分の引退と刺し違えることにしたからだ」と明かした。
極力、自然を破壊しないように、「陸地」に造る計画だったはずの代替え滑走路が、小泉政権の時から、「海(埋め立て)」に移っていったことについて、検証の必要性があるとも言及した。
また、鈴木氏が沖縄北海道開発庁長官だった時に、喜屋武盛榮対馬丸遺族会会長から調査要請を受け、戦時中に撃沈された学童疎開船の対馬丸を探索した際の、官僚の冷淡な対応を振り返った。
「当時の厚生省援護局援護企画課長の松永正史氏は、『(対馬丸を)1隻調査すれば、沈んでいる残り2699隻も探さないといけないから、できない』と断ってきた」。
鈴木氏は「対馬丸は、親元から離された沖縄の子どもたちを大勢乗せていた。科学技術庁の調査船を無理を言って手配し、対馬丸を発見した。すると、慰霊祭には『協力できないから勝手にやれ』と言った、当時の小泉純一郎厚生大臣も参加したいと言い出した」と明かし、「厚生省には遺族会へ詫び状を書かせた」と語った。
総理大臣が「県外移転」と言ったのに、なぜできない?
司会の南丘氏は、「日本の国土の0.6%の沖縄に、在日米軍基地の75%」が集中する実態に対し、「オスプレイ配備や、中国から尖閣を守ることは話題にするが、根幹の議論をしない」と指摘。「どうすれば基地のない国にできるのか」と大田氏へ投げかけた。
大田氏は、アメリカの属国と言われる日本に対し、歴代の総理大臣の中で唯一アメリカで学位を取り、その文化を知る鳩山元総理に期待したが、各大臣が協力をしなかったと振り返った。
大田氏が沖縄県知事だった1996年に策定の「基地返還アクションプログラム」は、2001年に10基地、2010年までに14基地を減らし、2015年には基地のない沖縄にする計画である。
大田氏は、アメリカ公文書館で解禁された秘密文書の独自調査で明らかとなった、基地に関する密約文書の存在にふれた。
「橋本首相の時に、2001年までに11の基地返還を日米は合意。『そのうち7つは県内移設しろ』と要請されたが、断っている」。
密約文書には、「1965年頃、沖縄の本土復帰後は嘉手納基地以南は使えなくなると見越したアメリカは、辺野古に大きな基地建設の計画を立てていた」ことが記されているという。
「普天間では1300メートルの滑走路が、辺野古では1800メートルが2本。日本政府は『建設費5000億円』と言うが、アメリカは『1兆5000億円かかり、運用年数40年、耐用年数は200年』と記している」。
大田氏は「40年後の今、日本国民の税金で作るこんな基地は、絶対に作らせてはいけない」と厳しい口調で断じた。
沖縄サミットが夢だった故小渕恵三総理
再びマイクを握った野中氏は、沖縄に尽くそうとした故小渕恵三総理について語った。
小渕総理が若い頃に、稲嶺恵一元沖縄県知事の父(稲嶺一郎氏)に世話になり、自転車で沖縄を巡り、常々、「沖縄の本当の痛みを知った」と話していたと、野中氏は明かした。
(第一次小渕内閣で)官房長官だった野中氏は、日本での主要国首脳会議(サミット)の開催地に、沖縄を熱望した小渕元総理の思いを果たすべく、斉藤邦彦駐米大使を通じてトーマス・フォーリー駐日大使へクリントン大統領の説得を依頼したことを回想し、「小渕総理の、了解を得た時の感激は忘れられない」と語った。
沖縄サミットの準備を嬉々として進めたという小渕元総理だったが、サミットの成功を見ることもなく、2000年5月14日に、息を引き取っている。
野中氏は、「沖縄の痛みを知っている者として、札束で頬を叩くようなことや、沖縄の人の財布の中身をあてにするようなことは許せない」と続け、「沖縄とは長い縁だが、後援会も作らず、資金集めのパーティも開催しなかった」と明かした。
「官房長官時代、ある建設大臣が沖縄で資金集めパーティーをしようとしたが、絶対に許さなかった。政治家は、自分の信念を貫いてほしい」。
憲法によってできた内閣による「憲法無視」は、本末転倒
自治大臣の時、阪神淡路大震災やオウムの地下鉄サリン事件を経験した野中氏は、19年間、1月17日には神戸で、3月20日には東京の霞ヶ関駅で献花を続けており、明日は、宜野湾の嘉数の丘に花を捧げると明かした。
「政治家は、自分の任期中の実績を誇るのではなく、その時に犠牲になった人たちの気持ちを忘れてはならない」。
続けて、憲法解釈での集団的自衛権行使の容認を閣議決定した安倍政権について、「憲法によってできた内閣が、その憲法を無視するのなら、それは本末転倒だ」と痛烈に批判した。
閣議決定までのプロセスについては、「最初に(憲法改正に必要な)国会議員3分の2の賛成を、2分の1に変えようとしたが叶わず、内閣法制局長官を、集団的自衛権に理解のある、小松一郎氏に替えた。彼も苦しんで、結果的には答えを出さずに末期がんで亡くなってしまった。尊い犠牲者を出した上で、閣議決定という無謀な扱いになったのだ」と憤った。
安倍総理は「中国、韓国、北朝鮮と話し合いの努力をすべき」
野中氏は、『憲法9条は関係ない、武力行使はしない』と言う安倍総理が、内閣支持率が40%台に落ちたことで、危機感を感じていると指摘。あわてて普天間の代替えで、佐賀県知事にオスプレイの基地を頼みに行っていると解説した。
そして、「安倍総理はよく海外へ行き、友好的な人たちとは交流してくるが、大切なのは中国、韓国、北朝鮮」と安倍総理の外交姿勢にも言及した。
「友好親善を図ることが、日本の悠久の平和につながり、沖縄の負担軽減にも役立つ。安倍総理は、なぜ、この3国を自ら訪ねて、話し合いの努力をしないのか。残念だし、悲しく思う」。
さらに、「すべて総理が発想して、総理が決めた形にしようとする」現在の政治のあり方について、野中氏は野党の姿勢にも批判の目を向けた。
「国会が最大の審議機関なのに、あえて無視して進めているが、野党からも反対の声が上がらず、『野党』という名が恥ずかしい野党ぶりだ」。
鳩山氏「数々の妨害に遭い、変節してしまったことに忸怩たる思い」
鳩山氏は、普天間基地の移設問題について、「最低でも県外、できれば国外移転を実現できなかったのは、自分の力量不足」と省みた。
「官僚をコントロールできず、大臣自身を説得できなかった。鈴木宗男外務委員長(当時)からは、1年くらい時間をかけるべきと忠告があったにもかかわらず、5月末と期限を切ってしまった」。
さらに、「ゲイツ国防長官など、アメリカ側は、岡田外相と北沢防衛大臣に対し、かなり強く圧力をかけていたと聞く。防衛省と外務省の役人たちがアメリカ大使館へ、『鳩山政権を批判してくれ』と依頼していた」と、官僚の面従腹背ぶりを明かした。
首相在任時に、「いくら釘を刺しても、官邸での極秘会談がマスコミに漏れた」と、鳩山氏は、抵抗勢力から受けた数々の妨害について明かした。
オバマ大統領に言った「トラスト・ミー」を、「基地を辺野古に移設するから信じてくれ」という内容でマスコミは取り沙汰したが、自分の真意はまったく違うと説明した。
「解決までには時間がかかるが、結論をちゃんと出すから自分を信じてくれ、という意味だった」。
最終的には奄美、徳之島も検討したが、防衛省、外務省は、普天間基地の一部を移設するのだから、一体基地運用ができる65マイル(約110キロ)以内の近接地域でないと不可能だと却下したのだという。
「ところが最近では、この条件は存在せず、誰が言ったかもわからないのだ。とにかく、数々の妨害があり、自分もどんどん変節してしまい、忸怩たる思いだ」と述べて、沖縄への謝罪を口にした。
また、尖閣諸島の問題に関して、「周恩来首相と田中角栄首相が尖閣を棚上げした事実」を、当時の通訳から直接聞いたという鳩山氏は、「文書を交わしたわけではないが、事実上の尖閣領有権の棚上を引きずり下ろした」、石原慎太郎氏と野田前総理の対応を「決して許すことができない」と批判した。
野中氏「恥を知れ」発言を撤回、鳩山氏に謝罪
ここで突然挙手をした野中氏が、沖縄の基地の県外移転に熱心に取り組んだ鳩山氏の報告を聞き、「沖縄復帰40周年記念式典で、『鳩山さん、恥を知れ』と叱責したことを今、取り消して、お詫び申し上げたい」と頭を下げると、会場は盛大な拍手で包まれた。
是非、読んで下さい。このままだと絶対にダメ
野中広務氏、大田昌秀氏、鳩山由紀夫氏、鈴木宗男氏「最大の審議機関、国会を無視」の現政権に危機感 〜「これでいいのか日本!」 https://iwj.co.jp/wj/open/archives/156326 … @iwakamiyasumi
何度も沖縄に対する自責の念を表明し、鳩山氏にも謝罪する野中氏。こういう率直な態度がいまの政治家には足りなすぎる。
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