「3.11以降の人生は、その前より良い人生だと思いたい」 〜山口泉氏 講演会 2014.5.25

記事公開日:2014.5.25取材地: テキスト動画
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(IWJテキストスタッフ・関根/奥松)

 「チェルノブイリ原発事故のあと、日本はバブル景気になり、突然、イタメシ(イタリア料理)ブームがわき起こった。汚染されたヨーロッパの小麦加工品(スパゲッティなど)の消費地として、何にでも飛びつく日本をターゲットにしたのだ、という噂もある。資本主義はしたたかである。疑いをもつことは大切だ」──。

 2014年5月25日、沖縄県沖縄市の博物館カフェ「ウミエラ館」で、作家の山口泉氏の講演会「ポスト・フクシマの世界と、沖縄の現在」が行われた。福島第一原発事故を契機に沖縄へ移住した山口氏が、国内外の報道や資料を参考にしながら、福島と日本の今の状況を論じた。

 山口氏は「政府や利害関係者たちは、お金だけの関係、非人間的な力で結びついている。われわれの結びつきは、ひとり一人はどんなに弱くとも、友情や精神による人間同士の連帯。これは強力だ」と訴えた。

※動画はありません。ご了承ください。

東京は被曝した。沖縄でも2次、3次被曝がある

 はじめに、ウミエラ館館長の屋良氏のあいさつがあり、続けて主催者のオーロラ自由会議代表理事の遠藤京子氏が、同会の発足理由や活動状況などを報告した。

 山口泉氏が登壇し、「福島原発事故は、3年2ヵ月半が過ぎた今も、まったく解決していない」と述べ、自著『原子野のバッハ 被曝地・東京の三三〇日』を示して、「東京も被曝した。沖縄でも2次、3次の被曝が起こっている。この事故は、第3次世界大戦に匹敵し、国連安保理に付託する事項で、全世界で対処しなくてはならない」と語った。

 山口氏は「健康被害を危ぶみ、沖縄に移住した」と、自身の移住の経緯を述べ、さらに、友人に発症した健康被害や、山口氏と本の朗読の活動を行っている医師の長谷川千穂氏が、甲状腺がんを発症したことにも言及した。

 その上で、健康被害について、急性出血性結膜炎、手足口病、マイコプラズマ肺炎、帯状疱疹などが、発災後、急増していることを示す感染症情報センターのデータや、チェルノブイリのセシウム137汚染マップ、福島一帯の汚染シミュレーションマップなどを、スライドで映しながら解説した。

当時、鼻血はみんなが出していた

 「福島第一原発の汚染水漏えいも、今となっては、その危険に慣れてしまった。それが怖い。そして、東京日本橋の放射線量は毎時0.263マイクロシーベルト。目黒では0.239マイクロシーベルトだ」と測定したガイガーカウンターの写真を映し、「毎時0.114マイクロシーベルトで、年間1ミリシーベルトに匹敵する」と話した。

 山口氏は最近の『美味しんぼ』騒動について、「当時、鼻血はみんなが出していた」と言い、米軍の「トモダチ作戦」で被災地に接近した、空母ロナルド・レーガンの乗組員の鼻血の報告、朝日新聞福島版の「鼻血頻発」の記事を紹介。『美味しんぼ』の表現に対して、政府の閣僚らが否定的なコメントを行い、それをメディアが大々的に取り上げたことは、「歴史修正主義に対する動きと同じだ」と喝破して、マスコミや政府を批判した。

 また一方で、『美味しんぼ』では内部被曝への言及が少なく、問題を福島だけに矮小化している、との不満も口にした。

今の甲状腺がんは、福島原発事故のせいではない?!

 「100万人に1人の割合で発症するはずの甲状腺がん。福島では、すでに50人に発見された。政府は、チェルノブイリでの甲状腺がんの発症は4年後からなので、『今の甲状腺がんは、福島原発事故のせいではない』と否定する」。

 このように話す山口氏は、福島県立医大の山下俊一教授について、「チェルノブイリ事故の調査をした当時の見解から、山下教授は180度変節した。ドイツの雑誌のインタビューで、彼は『放射能の影響は、笑っていると少ない。福島の子どもたちは幸せだ。これからはガイガーカウンターも持てるし、科学に強くなる』などと発言している」と憤る。

 また、「4号機の燃料棒が1本でも空気に触れたら、今までの核実験すべてよりも、大量の核物質が拡散する事故につながる。最悪の場合、北半球は全滅だ。東電は、2014年5月19日、1533本のうち840本の移転終了を公表している」(2014年6月9日現在の移転終了数は、使用済燃料1331本中1012体。新燃料202本中22体。キャスク輸送回数は47回。東電ホームページより)。

3号機爆発のキノコ雲で、世界の終わりを覚悟

 山口氏は、発災直後の東電テレビ会議の危機感に満ちた音声を聞かせて、「こういう緊迫したやりとりをしながら、当時、枝野元官房長官は『ただちに危険はない』とアナウンスし続けていた。東電は、この最悪な時に、プレス発表や政府への報告の優先順位をどうするかを会議で話している」と憤りを見せた。

 そして、多ページにわたって東日本大震災を伝えるドイツの雑誌『シュテルン』(2011年3月17日刊)のカラー記事を見せた。「限られた取材状況で、震災、津波、原発事故、避難の様子を使命感をもって伝えている。まさに、メディアのあるべき姿だ」。

 「私は、3号機爆発のキノコ雲を見た時、『世界は終わった。自分も死ぬ』と覚悟した」という山口氏。原発事故に対する日本と海外との報道の違いを語り、日本の食材の海外での輸入規制(農林水産省発表)などを示して、事態の重さを訴えた。

 また、震災がれき広域処理の問題に関しては、「放射能拡散の懸念、遺体混入の危惧、利権疑惑などで反対していた。沖縄へのがれき搬入は、放射能の影響を恐れて沖縄に移住してきた母親たちから大きな反対の声が上がり、阻止することができた。だが、リベラルと言われた東京・世田谷区長の保坂展人氏まで、がれきの受け入れを表明してしまった」と語り、「従来の革新やリベラルという既存の物差しも、3.11で崩壊した」と述べた。

 その上で、「原発事故に対する国民の表面的な無関心さと、自民党が原発を推進してきたことをまったく無視した今の政府を見ると、この件は国連安保理にしか解決させられないと思う」と主張した。

ひとりでは弱くても、人間同士の連帯は強力

 山口氏は「沖縄は大好きだが、住むことはないと思っていた。しかし、3.11をきっかけに移住し、ウチナンチュ(沖縄の人)にはなれないが、沖縄市民にはなれるのではないかと思った」と話す。「沖縄出身で、長いこと東京で暮らしていたが、被曝を避けて沖縄に戻った女性がいる。そんな状況で、彼女は『3.11以降の人生は、3.11の前より良い人生だったと思いたい』と言った。前向きな、その言葉に心を打たれた」。

 「しかし、今、政治は何でもする。戦争を起こして資本主義が生き延びる、という極限の姿が、原発事故によって起こっている。そして、最初に犠牲にされるのは、やはり沖縄ではないか」。

 そのような懸念も示しながら、山口氏は「相手がどんなに強大でも、彼らはお金だけの関係だ。非人間的な力で結びついているのが、政府や利害関係者たち。われわれ一人ひとりはどんなに弱くとも、友情や精神による人間同士の連帯は強力なのだ」と主張して講演を終えた。

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