放射能賠償巡る「科学立証不可欠論」に反発 ~公害病訴訟から学ぶシンポで弁護士ら国を批判 2014.4.29

記事公開日:2014.4.29取材地: テキスト動画
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(IWJテキストスタッフ・富田/奥松)

 「福島原発事故での国と東京電力の姿勢は、水俣病問題での、国とチッソの対応と重なる。福島の放射能被害の訴えにも、水俣病の時と同様に、一部の専門家たちが、科学的立証主義の立場で妨害を図って来るだろう」──。

 2014年4月29日、京都市下京区のキャンパスプラザ京都で、「今求められる低線量・内部被ばくに対する健康・医療対策とは? 水俣病・原爆病認定訴訟に学ぶつどい」が行われた。

 メインスピーカーを務めた尾藤廣喜氏(弁護士)は、もともとは旧厚生省の官僚だった。だが、水俣病問題への同省の対応に違和感を覚え、1970年代半ばに法曹界入りを果たし、それ以降、厚生省にも戦いを挑む人生を歩んでいる。

 尾藤氏は水俣病について、「当時の通産省が、日本のアセトアルデヒド工場に対し、廃水システムを循環型に変えるよう求めていれば、万単位の人数の水俣病患者は発生しなかった」とし、「今の政府が、国民の生命の安全を本当に大切だと考えているのなら、即刻『原発ゼロ』へとエネルギー政策の軸足をシフトできるはずだ」と強調。水俣病問題への対応で痛感した、人命よりもコストを優先する国の考え方は、今もちっとも変っていないと訴えた。

記事目次

■ハイライト

  • 講演 「原発事故被災者・避難移住者に対する健康・医療対策について」(仮題)
  • 講師 尾藤 廣喜弁護士(水俣病京都訴訟弁護団事務局長・原爆病認定集団訴訟全国弁護団副団長)

 最初に奥森祥陽氏(原発賠償訴訟・京都原告団を支援する会)が登壇。民主党政権下の2012年6月に成立した「原発事故子ども・被災者支援法」を話題にした。

 「(低線量被曝の危険性に目を向けた)この法律自体は、非常にいいもの」と、評価の言葉で始まった。奥森氏は「被災地の外に避難する人、被災地内に留まる人、被災地に帰還する人のいずれにも、国の責務として支援を行うこと。つまり、被災者の自主選択権を尊重することが、法律として明文化されている」と説明。さらに、既存法(災害救助法)が災害発生時の社会混乱の回避に主眼を置いたものであることから、両者の比較論へと発展させた上で、「(支援法の土台にある被災者主義は)画期的とさえ言える」と言葉を重ねた。

 その一方で、「しかしながら、法の施行に不可欠な基本方針(2013年10月閣議決定)には、パブリックコメントで4000件近く集まった、一般市民からの意見がほとんど反映されておらず、実にお粗末な内容だ」とも断じた。奥森氏は「基本方針は、放射能汚染による健康被害を、健康不安という『心の問題』にすり替えている。支援対象のエリアもかなり狭く、示されている支援メニューが、被災地への『帰還』を促す内容になっている」と、国を厳しく批判した。

福島帰還の多くは「消極的理由」による

 基本方針の貧弱ぶりには、福島原発事故の被災者支援にコストをかけたくない国の本音がにじんでいる、とした奥森氏は、国連人権理事会に特別報告者に任命されたアナンド・グローバー氏(弁護士)が、2012年1月の来日で、福島をはじめとする放射能汚染地域を調査した結果を基に、昨年5月、国連人権理事会に提出した報告書を紹介。「グローバー氏の報告書に対し、外務省は反論を発表しているが、その反論は嘘八百の内容だった」。

 グローバー氏も、被災者支援法の「基本方針」の中身を問題視したことを伝えた奥森氏は、「彼もまた、支援対象地域は、年間被曝線量1ミリシーベルを基準にすべきだと訴えていた」などと話した。

 続いては福島敦子氏(原発賠償訴訟・京都原告団を支援する会)による報告。福島県の南相馬市から京都に避難中の福島氏は、「復興庁の直近の調査では、福島県からの避難者数は13万人で減少傾向にあるが、それは消極的選択によるもの」と強調。「原発事故から3年が経過すると、避難者には、借金苦を含む疲労が蓄積されてしまう」とし、しかたなく福島に戻っている例が圧倒的だ、と訴えた。

 「避難先で、新たな仕事が得られず無収入になるケースもさほど珍しくない。避難先での無償入居制度が打ち切られたことで、やむなく福島に戻った家族もあるようだ」。

 自身が京都原告団に加わった、国と東京電力に損害賠償を求める原発賠償訴訟については、「9月に提訴している。第2回裁判期日は4月25日に終わっており、第3回が7月4日に控えている」とし、客席に向かって、「時間がある市民の方は、ぜひ傍聴に来てほしい」と呼びかけた。

十分に防ぐことができた水俣病

 その後、短い休憩を挟み、尾藤廣喜氏(弁護士)が登壇した。水俣病京都訴訟弁護団事務局長で、原爆病認定集団訴訟全国弁護団副団長の尾崎氏は、「水俣病と福島原発事故による放射能汚染の共通点は、被害が広範囲に及んでいること」と指摘し、熊本県水俣湾周辺で1956年に見つかった水俣病は、チッソ水俣工場が廃水を未処理のまま海に流したことで発生した公害病であることを、改めて説明した。

 「不知火海一円に、廃水と一緒に水銀がばらまかれた。当初、劇症患者は数10人と発表されたが、実際の水俣病の被害者の数は、3万人とも5万人とも言われた」。

 尾藤氏は、ここまで被害を拡大させた責任の多くは、当時の通産省にあると断言した。チッソ水俣工場は、廃水の海洋への流出を、循環型処理システムを採用すれば止めることができた、というのである。しかし、それを行うと操業中断を余儀なくされるため、管轄省庁の通産省は、チッソの水俣工場を含む、当時の日本では基幹産業(=アセトアルデヒド工場)への循環処理システムの導入を求めなかった──と、尾藤氏は強調する。

 「通産省のそういった姿勢が、その後の『原発政策』に引き継がれた」と続けた尾藤氏は、今も、国の立ち位置は「産業性善説」依りであると批判。仮に、企業の落ち度で大勢の被害者が生まれる大事故が起こったとしても、「国は、その企業の負担を減らすために、被害規模を可能な限り小さく見積もろうとする」と解説した尾藤氏は、水俣病発生後の、また、福島原発事故発生後の、国の対応ぶりを見ていれば、それは明らかだとした。

 水俣病問題で、国が示した具体的な対策には、サーキュレーターと呼ばれる汚染物質除去装置の導入があったが、目に見える汚れを沈殿させることはできても、溶けている水銀はその限りではなく、問題解消には至らなかった。尾藤氏は「国は住民の安全よりも、ソロバン勘定(コストの抑制)を優先した」と指摘した。

見舞金契約という「策謀」

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