「公害」は死語ではない。昭和40年代に一大社会問題としてピークを迎えた公害問題は、汚染源が特定され、汚染に歯止めがかかってから約半世紀が経過しても、被害者の苦しみは今なお続いている。福島第一原発事故による環境汚染の長期にわたる影響が懸念される今だからこそ、「公害病」の原点、水俣病の被害者の「現在」に目を向ける必要がある。
水俣病は、化学工業企業のチッソがメチル水銀を含む有害な工場廃液を熊本県水俣市周辺の八代海沿岸海域にたれ流して魚を汚染し、その魚を食べた人々に中枢神経疾患を引き起こした公害病である。環境汚染による食物連鎖によって引き起こされた人類史上最初の公害病として世界に知られる。
水俣病の被害は世代を継いで引き継がれる。水俣病公式に確認されたのは1956年。その前後に生まれた世代の被害者を「第2世代」と呼ぶ。その世代の被害者の認定と救済がおぼつかない。
3月31日、水俣病被害者互助会第2世代訴訟の一審判決が下された。熊本地方裁判所は、原告8人のうち3人を水俣病と認定する一方、残り5人の症状について、水銀汚染との関連はないとして、請求を棄却した。
4月3日、熊本県から上京した原告や弁護団らは、参議院議員会館を訪ね、国会議員と面会。判決の結果報告と、今後の協力要請を行なった。
水俣病と認められなかった5人については、家族に認定患者がいるかどうかが重要視された。弁護団事務局長の平郡真也氏はこれを、「納得がいかない。被害の実態を反映していない指針だ」と訴えた。