チッソ水俣病関西訴訟集会 チッソ水俣病 なぜ終わっていないのか 2012.10.14

記事公開日:2012.10.14取材地: テキスト動画
このエントリーをはてなブックマークに追加

(IWJテキストスタッフ・関根/奥松)

 2012年10月14日(日)14時より、大阪市生野区のKCC(在日韓国基督教)会館において、「チッソ水俣病関西訴訟集会『チッソ水俣病 なぜ終わっていないのか』」が開催された。チッソ水俣病関西訴訟の最高裁判決8周年の集いとして企画され、冒頭で、水俣問題をテーマにした漫才コンビが登場、場を和ませた。その後、主催者から水俣病訴訟の歴史などが説明された。

■全編動画
※配信状況により一部録画が断続的となっています。ご了承ください。
・1/3

・2/3

・3/3

  • 報告
    • 川上敏行氏(チッソ水俣病関西訴訟原告団長)ほか
  • 日時 2012年10月14日(日)14時
  • 場所 KCC(在日韓国基督教)会館(大阪府大阪市)
  • 主催 水俣「知ろっと」の会

 主催者は「水俣病は1956年、熊本県水俣市のチッソ水俣工場の廃水からひき起こされた、メチル水銀中毒症でもある公害病だ。当初、被災者補償をしてもらう場合、熊本県から病気を認定されなければならなかった。しかし、被災者が増え続け、工場の倒産の可能性が出てきた。熊本県は企業を倒産させないように公金でバックアップ。両者は、患者を増やしたくないという利害の一致から、重症以外は認定しないようになった」と、行政と企業の都合が優先された被災者対応を振り返った。

 そして、「関西訴訟は、熊本県の公金流用をなくす目的もあり、『チッソ生産は国策だ、それゆえ国にも責任がある』ということで起こした行政訴訟だった。そして8年前、最高裁で勝訴し、国家賠償法が被災者に当てはめられた。さらに、認定制度のなかで救われていない患者のため、国に対し、連帯責任をふまえた補償制度の問題点をあらためよ、というメッセージも加えて、訴えは続いている」と話した。

 続けて、「水俣病認定患者は約2300人いた。しかし、特措法などで6万5000人の再認定申請もあり、まだ解決には至っていない」と述べ、「病気の認定基準にはハンター・ラッセル症候群を用いた。感覚障害、運動失調、視野狭窄、聴力障害を考察し、水俣病とメチル水銀中毒症との線引きを疫学的な視点で検証させた。加えて中枢神経傷害説の展開ができたことが、今回の裁判での成果だった」と報告した。

 主催者から、水俣「知ろっと」の会について、2002年に設立され、8年前の最高裁判決を記念して、毎年10月15日前後に会合を開催するようになった、などとプロフィールの紹介があった。そして40年以上、国、行政や水俣病と闘ってきた川上敏行氏(チッソ水俣病関西訴訟原告団長)が登壇した。川上氏は感想を問われると、「行政相手の交渉は個人では相手にされないし、時間がかかった」などと話し、応援に感謝した。

 次に40年ほど前、水俣から大阪に移住した水俣病原告団のひとり、坂本さんから話しを聞いた。坂本さんは、発症した当時の様子や、82年から訴訟に加わり認定にいたるまでの経緯、国や行政に対する憤りを語った。また、父親が原告団だった小笹さんから、チッソ水俣訴訟の感想が語られた。

 後半は、鈴村氏から溝口行政訴訟裁判(水俣病認定棄却に対する不服申し入れ裁判)の経緯と、裁判に対する問題点などの解説があった。鈴村氏は「今回の裁判で怖いと思ったのは、こちらから積極的に聞かないと、最高裁は何も教えてくれないし、とても高圧的だったことだ」と話した。

 最後に、新潟から参加した畑野事務局長が、水俣病訴訟運動についての思いを述べ、主催グループのひとりが相撲甚句を披露して、集会は終わった。

IWJの取材活動は、皆さまのご支援により直接支えられています。ぜひ会員にご登録ください。

新規会員登録 カンパでご支援

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です