「タウ族は4200人くらい。台湾の東南にある45平方キロメートルの島で、われわれは1年を3シーズンに分けて暮らす。12~1月トビウオが現れるのを待つ季節。2~6月は、トビウオ漁の季節。7~11月は、トビウオを獲る季節が終わった(テテカ)と呼ぶ」──。
2014年4月11日、台北市内にて、台湾の先住民族のひとつ、タウ族の作家、シャマン・ラポガン氏に、岩上安身がインタビューを行なった。通訳は、淡江大学東方語文學系助理教授の李文茹氏が務めた。シャマン氏は漁民作家として活躍中で、日本語訳では『故郷に生きる』『海人、猟人』が出版されている。
李氏はシャマン氏について、「タウ族は、台湾が憲法で認めている14種族中、島に住む唯一の先住民。シャマン氏は反核、反原発の活動家でもあり、海を舞台に人を描く民族運動家だ」と紹介した。
- 収録日時 2014年4月11日(金)12:30頃~(日本時間)
- 配信日時 2014年4月16日(水)20:00~(日本時間)
故郷の島で家族と生活することが正しい道
まず、岩上は、シャマン氏のプロフィールから訊ねた。シャマン氏は「台湾の先住民族は14種族あり、13種族は台湾本島に住む。それぞれ独自の文化と風習を持ち、自分はランユイ(蘭嶼)に住むタオ族だ。1897年、日本の文化人類学者の鳥居龍蔵氏は、われわれをヤミ族と言ったが、それは違う」と話した。
「16歳の時、大学進学を夢見て台湾本島に来たが、師範大学への推薦入学は拒否した。もし、教師になったら昼間は教えなくてはならない。生徒たちの思想を殺す人になりたくなかった。それは、望む仕事ではない。子どもたちを中国人として育てることと、タウ族のように育てることは違う」と述べ、次のように続けた。
「1980年に大学に入学(淡江大学フランス語科)。1999年に大学院(清華大学)で人類学を、その後、博士課程で文学を学んだ。自分は漁師であり、作家だ。中国語(北京語)で書き、考えるのは中国語とタオ族の言葉。創作は1996年から始め、著作は日本語、イタリア語、韓国語でも出版されている」。
30代半ばで島に戻ったことについて、シャマン氏は「故郷の島で家族と生活することが正しい道と信じて、民族の伝統を守る方を選んだ。妻は、農業を通して人間の価値を見つけ、自分は海と山の生活から自分らしさを見つけた。自然と共に生きることに、価値を見出した」と話した。
タオ族には差別的な言葉はない
岩上が、タウ族の言語について訊ねた。シャマン氏は「家庭ではタオ族の言葉を使ったが、学校では禁止された。両方の言葉をうまく話せるのは、自分だけではないだろうか」と答えた。さらに、少数民族として差別を経験したかを問われると、「他の先住民より、差別はたくさんあった。本省人には差別や罵倒、侮辱する言葉があるが、自分たちの民族には、そういう表現はない」とした。
シャマン氏自身のルーツについては、「われわれには、フィリピン、マレーシア、フィジーなど、南方の国と共通する言葉が多い。中国大陸とは違う。沖縄、鹿児島にも似ている言葉がある」と語った。
自分は反核運動者ではなく生態環境保護者
岩上が、反核運動について尋ねると、シャマン氏は、1997年にタヒチのモーレアでの反核会議で、第三世界への核兵器輸出禁止を訴えたことを挙げて、「問題は、第三世界の中で起こる。つまり、大国の勢力争いで問題が起こり、被害はマイノリティが蒙る」と話した。
さらに、「台湾の第4原発建設は止められなかった。私がいくら反対しても、止めることはできない。私は自分を『反核運動者』とは呼ばない。『生態環境保護者』と自称する。『反核運動』は少数の人たちの政治的欲望を満たす行為に過ぎないと思う」と手厳しい意見を述べ、「生態環境を守る方が、価値がある」と主張した。
李氏が「台湾には3基、原発がある。北部の台北に近いところに2基、もう1基は南部。そして、第4原発が建設中だ。これはGEを中心に、日本企業も加わっていて、『日の丸原発』とも言われている」と補足した。
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