「世界に戦場がなくなったので、アメリカは日本本土を戦場にする気だ」 〜憲法フェスタ2013(第9回)「沖縄と憲法」伊波洋一 元宜野湾市長 講演 2013.11.17

記事公開日:2013.11.17取材地: テキスト動画
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(IWJテキストスタッフ・関根/奥松)

 「沖縄戦の時、すでに前線基地として普天間基地が作られた。1996年、普天間基地の全面返還に合意する。だが、2013年4月5日、安倍政権の日米間合意で、普天間基地は2022年まで返還しないこととなった」──。

 元宜野湾市長の伊波洋一(いは・よういち)氏は、沖縄基地返還をめぐる実態を、さまざまなデータや資料とともに説明した。また、日米合同演習のヤマザクラ作戦や統合エアシーバトルの概要など、アメリカの軍事費削減の肩代わりをしようとする安倍政権の対米追従姿勢を、数々の実証を挙げて批判した。

 2013年11月17日、京都府向日(むこう)市の向日市民会館で、憲法フェスタ2013「沖縄と憲法~憲法の原点を沖縄とともに考える」が開催され、元沖縄県宜野湾市長・伊波洋一氏の講演が行なわれた。伊波氏は、市長在職時から調べ上げた豊富なデータや画像を使いながら、沖縄の米軍基地の歴史と実状、日本の司法と政府の対米追従、オスプレイ、エアシーバトル、ヤマザクラなど、沖縄にまつわるキーワードをわかりやすく解き明かした。講演中、伊波氏は「特定秘密保護法案が施行されたら、こういう情報はいっさい出なくなる」とつぶやいた。

 冒頭、スクリーンには『平和な沖縄を返して-沖縄10・24決起大会』のドキュメンタリー映像が流れ、コンサート、司会の若者2人のスピーチが続いた。同志社大学名誉教授の望田幸男氏は開会の挨拶で、「憲法9条に関して一番やっかいなのは、領土の所有権をめぐる争いが繰り広げられる時だ。ここで、明暗が分かれる」と述べた。

記事目次

■ハイライト

    <内容>

  • コンサート/開会あいさつ 望田幸男氏(同志社大学名誉教授)
  • 講演 伊波洋一氏(元宜野湾市長)
  • 対談 伊波洋一氏・松竹伸幸氏(中継には含まれません)

沖縄米軍基地の今までの流れと普天間基地

 伊波洋一氏が登壇し、「沖縄本島の約2割(18.4%)が米軍基地。これは、日本全体の米軍基地の73.4%を占める。沖縄戦の時に、すでに前線基地として普天間基地が作られた」と経緯を語り始めた。「1952年4月28日が、日本の『主権回復の日』だと言うが、沖縄や小笠原などは『米軍主権になった日』でもあり、そこから基地建設が始まった。そして、米兵による犯罪は、現在までに約6000件起こっている。1995年、少女暴行事件が契機となり、大きな抗議集会に発展した(冒頭のドキュメンタリー映像)。1996年、それを鎮めるために、普天間基地の全面返還などを含めた、11の基地の返還に合意した(モンデール・橋本会談)」。

 「しかし、代替基地の提供が交換条件となっていた。国際法では『占領軍は、住民の財産を取ってはならない』と決められているが、日本政府はいろいろな法律で合法化する。あれから17年経った今でも、普天間基地は返還されていない」と説明した。

 そして、伊波氏は「那覇新都心は、米軍住宅地が返還された跡地を再開発し、70人の雇用が2万人になった。普天間基地の跡地でも同様な計画があるが、ストップしている。さらに、15%あった基地経済は、いまや4.8%まで下がっている。経済的メリットもなく、住民の負担にもなっている」と訴えた。

米軍擁護の立場をとる日本政府

 次に、「安倍政権は、2013年4月5日、日米間合意で『普天間基地は、2022年まで返還しない』ことにした。辺野古の基地建設すら、抱き合わせにされた」と語り、普天間基地における爆音を伴った米軍機訓練の現状を説明した。

 さらに伊波氏は、宜野湾市長として調べた、さまざまな基地の問題点を指摘。「飛行場のクリアゾーンの無視。それを国会で話したら、『アメリカの基準だから関係ない』と一蹴された。米軍も基地の中しか相手にせず、外のことは無視だ」と言い、カリフォルニアにあるミラマー海兵隊基地の飛行規則を示した。

 続けて、沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事故(2004年)について語った。伊波氏は「オートローテンション機能(航空機のエンジン機能が停止しても着陸できる機能)の使える範囲に限定して、普天間飛行場の使用を再開したが、その後、飛行訓練をレーダーで監視させたら、その合意はまったく守られていなかった」と、飛行ルートを見せて米軍の違反行為を指摘した。

司法は基地を裁かない

 「日本政府は、米軍擁護の立場をとる」と憤る伊波氏は、爆音訴訟についても話した。「福岡高裁の判断では、慰謝料は2倍にするが、差し止め請求はできない、との判決だった。その理由は、1959年12月16日、砂川事件の『在日米軍を憲法違反とした伊達判決』を破棄した最高裁判決。司法は基地を裁かない、ということだ」。

 「1957年7月8日、米軍基地に入った学生が逮捕された砂川事件は、一審は無罪となった。ところが、アメリカは最高裁に直接、条約上告した。実は、その4ヶ月前に、田中最高裁判事が『最高裁判事全員一致で判決取り消しをする』とアメリカに示唆していた。そして、判決の翌日、アメリカからは日本政府の対応を賞讃する電文が送られていた」と、その証拠写真を見せた。

アメリカではコウモリのために中止するオスプレイ訓練

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