2023年7月18日、岩上安身は、哲学者で一橋大学名誉教授の鵜飼哲氏にインタビューを行った。
鵜飼氏はフランス文学と哲学が専門。日本のメディアでは、ウクライナ紛争について米国からの情報が主流だが、鵜飼氏は米国ではなく、フランス語圏を中心としたヨーロッパからの視点で、ウクライナ紛争を複眼的に分析している。
「私の基本的な考え方は、二項対立があるところには必ず戦争が潜んでいる。当然、二項対立を声高に言う人は、戦争をしようとしている。それ自体、戦争をしているわけです」。
こう語った鵜飼氏は、「『西側の一員として』という言葉に弱い人が、日本は特に多いのではないか」と述べた。
ウクライナ紛争は、「民主主義対権威主義」という言葉で語られるが、鵜飼氏は「フランスなどを見ていても、民主主義なのか独裁なのかわからなくなってきている。声高に『民主主義対権威主義』を言わなければならない時代になっているということは、『民主主義』だと自称している人たちが、それ以外に正当化できないと思っているから」との考えを示した。
鵜飼氏は、2022年12月13日に「平和と憲法をまもる信州大学人の会」シンポジウムで、『ヨーロッパ問題としてのロシア・ウクライナ戦争』と題して講演を行った。
さらに、同名の論文『ヨーロッパ問題としてのロシア・ウクライナ戦争――戦争の社会化とナショナリズム』を、2023年3月31日刊行の明治学院大学国際平和研究所(PRIME)の学術雑誌(紀要)『PRIME』の第46号の特集「戦争から逃げる、戦争から逃げられない」に、寄稿している。
これらの講演や論文の中で、鵜飼氏は「『戦争のフレーム』を問う」として、「この間私たちが接してきたこの事態(ウクライナ紛争)に関する言説や映像は膨大であると同時に穴だらけ」、「主要メディアからは既成のフレーム(枠組み)に沿って取捨選択された情報が届けられる」「ファクトチェックは大事だが、フレームそのものを問い直し、往々にして問われない等号を不等号に置き換えてみる必要もあるのではないか」と訴えている。
鵜飼氏は、「西側」には日本が含まれているからイコール「欧米」ではなく、「NATO」にはトルコが加盟しているのでイコール「EU」ではないと述べ、そのEUも民主主義や人権が揺らいでいることを指摘した。
さらに、この西側諸国に対する「グローバルサウス」の動向について、鵜飼氏は次のように語った。
「2001年の9.11で記憶から消されてしまっているんですけど、9.11の数日前まで南アフリカのダーバンで、人種差別と植民地主義の問題で、大きな国際会議(※IWJ注)が、確かアイルランドの当時の首相の旗振りで行われ、そこでイスラエル・パレスチナの問題と、奴隷貿易の問題で大決裂した、そこが、今グローバルサウスといわれている国々と、日本を含む西側との断絶の瞬間だったんですね。
それが、もうひとつの21世紀の始まりで、今回の事態を通じて、その亀裂がまたあらわになってきている、というふうにもみれるんじゃないか」。
(※IWJ注)ダーバン会議:
2001年の8月31日から9月7日まで、アパルトヘイト(人種隔離政策)が廃止されたばかりの南アフリカのダーバンで開催された、人種主義、人種差別、排外主義および関連の不寛容に反対する世界会議のことを指す。会議では植民地主義と奴隷制がレイシズムの最大の原因であると確認されたが、パレスチナ問題について名指しで非難されたイスラエルはアメリカとともに途中で議場から退席した。
- ダーバン会議から20年 あらたな取り組みをめざして(国際人権NGO 反差別国際運動)
- 人種主義、人種差別、排外主義および関連の不寛容に反対する世界会議(国際連合広報センター)
これに対し、岩上安身は「民主主義国家の集まりVS専制主義という二項対立は、虚構じゃないかという疑いが、まずひとつあります。それとグローバルサウスとの間にも溝があるけど、この(グローバルサウスの)声に対して(民主主義国家は)応答してないじゃないか、というこのふたつ(の亀裂)は、大きいですよね」と応じた。
また、鵜飼氏は、ウクライナ紛争が始まってから8ヶ月以上経った、2022年11月4日の国連総会で、「ナチズム、ネオナチズムおよびレイシズムの今日的形態を助長する原因となるその他の実践、人種差別、外国人嫌悪、およびそれと結びついた不寛容に反対する闘い」というロシアの提案に対し、日本を含む欧米諸国が反対したものの、賛成105、反対52、棄権15で採択されたことを示し、次のように語った。
「当然ウクライナは、ロシアのプロパガンダであると、国連で強く訴えているんですけど、基本、総会での決議は、この文言についてどう考えるか、ということで(判断するべきで)、提案国が何を考えているかというふうに考えてしまうと、判断する理由がなくなってしまう。文言だけで態度を決めるというのが、当たり前のことなんですよね。この(賛成した)国々は、そういう考え方で賛成したと。
それと、共同提案国が16も、この時点でいたというのがね…。
制裁に加わる国が少なかったっていうのもありますけど、このあたりでグローバルサウスは、今の戦争に関して、完全に外側の立場を取ってるなということを、西側がはっきり認識して、そこから対応を考え始めた時期なんじゃないかと思います」。
次に鵜飼氏は「社会化する戦争」という言葉について、次のように述べた。
「『社会化する戦争』というのは、ひとことで言うと、マックス・ウェーバー的な、国家っていうのは暴力の独占をすることが主要な性格なんだということが、今の時代、崩れてきているわけです。何が暴力かという、それこそハイブリッド戦争とかサイバー戦争ということになると、民間人とか個人でも、戦争の過程に加わることはできますし、アメリカやロシア、ウクライナもそうですけど、私が知っているフランスとかでも、社会の中にものすごくたくさんの武器があるんですね」
岩上安身が、この部分の「武器」とは、比喩としての武器なのか、本物の「銃器」のことなのか、と聞くと、「本物の武器のことです。フランスでは今回の暴動でも使われたとして、問題になっています」と、鵜飼氏は、答えた。
思い出すのは、「ウクライナへの武器支援や、白人至上主義者らが『傭兵』として参戦してしまったことは、欧州全体に武器の拡散と白人の極右テロリストを増やすことになる」と「警告」していた六辻彰二氏の慧眼である。
そして「『戦争』や『勝利』といった基本的概念が深いところで変質してしまった」ということについて、鵜飼氏は、次のように解説した。
「ベルトラン・バディっていう、パリ政治学院のイラン系の研究者なんですけど、まさに9.11の頃からきちんと事態を理解しているなと思ってフォローしてきた人なんです。
その彼が言うには、主権国家があって、暴力を独占して、という時代は意外に早く終わっていて、国民国家ということになると、よく見れば国民であるということは兵士であるということにもなり、その兵士は必ずしも政府に従うわけではないと。常に反乱の危険はあるし、いずれにしても軍事エリートだけが、国家が独占している暴力を自由に行使するという枠組みでは、もうなくなってきている」。
その例として、鵜飼氏は、次のように述べた。
「軍事暴力の民営化もそうだし、ある意味革命もそう。ロシア革命もそうだし。いわゆるカール・シュミットが言うところのパルチザン戦争なんか典型的にそうですけど。それがもう例外じゃなくて、戦争の形がハイブリッドやサイバーになってくると、武器と武器でないものの境界も曖昧になってきます。
そうなってくると、決戦があってそこで雌雄を決するということが、もうなくなってきている」。
インタビューでは、この「社会化する戦争」について、さらに詳しく鵜飼しに解説していただいたところで時間がなくなってしまい、続きは次回ということになった。