森達也氏「邦男さんって絶対に『マウント』取らない人。人を論破しない人なんです」。 雨宮処凛氏「暴走する正義の恐ろしさ、修羅場をすごい知ってたからこその寛容さだとも思ってました」~4.2 鈴木邦男さんを偲び語る会 2023.4.2

記事公開日:2023.4.3取材地: テキスト動画
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(取材、文・浜本信貴)

 2023年1月11日、「一水会」元代表で、評論家の鈴木邦男氏(福島県出身)が、誤嚥性肺炎のため、79歳で亡くなった。

 2023年4月2日、東京都千代田区の如水会館にて、故人の思い出やエピソードについて語り、共有し、継承するために(と記者は理解した)「鈴木邦男さんを偲び語る会」が開催された。

 会は、生前の鈴木さんと関わりのあった出席者のスピーチ(第1部)、そして、簡単な懇親会(第2部)の2部構成で行われた。IWJは第1部の模様を録画収録した。

 生前の鈴木氏がどのような人で、それぞれの出席者の人生に何をもたらしたのか? そのことがよくわかるスピーチを紹介したい。作家・映画監督の森達也氏と作家であり社会活動家の雨宮処凛氏によるトークである。

雨宮氏「私、会ったのは(19)96年で、フリーターの頃です。で、みんな言ってるように、変な人ばっかり、危険人物ばっかり紹介してくれて、塩見孝也(しおみたかや、新左翼活動家、元赤軍派議長)を紹介され、いきなり平壌に連れてかれ、5回北朝鮮行ったらガサ入れが入る、で、見沢知廉(みさわちれん、新右翼活動家、作家、元一水会相談役。元統一戦線義勇軍総裁)を紹介されて…。

 そしたら、うっかり右翼団体に入り、それで、鈴木さんにご紹介された人の人脈で、全部人生がおかしくなって、こういう仕上がりになったっていうのが今に至る、だから、メイド・イン鈴木邦男、みたいな、そんな置土産です。森さんは?」

森氏「僕は、(19)98年ですね。さっきの『憂国のコペルニクス(鈴木氏の著作、扶桑社 [1996/12/1])』の話もありましたけれども、要するに、『A(エー)』(森氏制作のオウム真理教と社会との関わりをとらえたドキュメンタリー映画)の試写に来てくれて、で、鈴木邦男さんが来てるよって言われて、配給の人にね。

 最初は、『憂国のコペルニクス』は知ってましたけど、もちろん右翼ですから、何でよりによって、当時右翼とオウムってのはもう敵対関係ってみんな言ってたから、何でよりによって右翼を呼ぶんだよと思ったけど、終わったら、なんかニコニコしてて、『いやあ、すごいの作りましたね』って。(中略)

 邦男さんが一番最初なんです。『コペルニクス~』に書いてくれてね。『すごい映画を観た』って、あれが本当に一番最初の『A』についてのレビューで、それ以降ですけど、僕もいろんな方を紹介されたけど…。(中略)だから、もう誰でも彼でも紹介するからね」

雨宮氏「だから、よくイベントやってると、みんなが獄中の刑期を合わせたら『百何十年』とか、そんなことよくありましたよね?」

森氏「ありましたね」

雨宮氏「あと、連合赤軍とかも紹介してくるし」

森氏「僕は前科はないし、なんか肩身狭くて、そういう時は(会場笑)」

雨宮氏「そうなんですよ」

森氏「でも、本当に、今日、皆さんの話を聞きながら、思ったんですけど、とにかくね、邦男さんって、今のはやりの言葉で言えば、絶対に『マウント』取らない人なんですよ。人を論破しない人なんです。で、何か今、世の中、『マウント』取ろうとしたり、人を論破しようとしたり、優位に立とうとしたりとか、そういった人ばかりが何か、もてはやされてて、ふざけんなよって思いますよね。本当に、ないよね。邦男さんが人の上に立とうとか」

雨宮氏「寛容だし、一回も押し付けられたことない。(中略)鈴木さんは、もう、一回もそれがなくて、逆に、暴走する正義の恐ろしさをすごい知ってたからこその寛容さっていうか。敢えてのちょっとぼんやりした感じは、修羅場を知ってるからこそだとも思ってました」

 詳細については、ぜひ全編動画を御覧いただきたい。

※主催者 篠田氏の記事:松元ヒロさんの話に笑い、オウム元教祖三女の話に涙…「偲び語る会」で語られた鈴木邦男という存在(月刊『創』編集長 篠田博之)

■全編動画

  • 日時 2023年4月2日(日)14:00~15:30
  • 場所 如水会館(東京都千代田区)
  • 主催 創出版(詳細

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