【IWJブログ】ウクライナ政変~揺らぐ権力の正当性――西部の首都キエフを支配した反政権派には米国政府とネオナチの影、プーチンに支援を求める東部の親露派住民 2014.3.6

記事公開日:2014.3.6 テキスト
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(取材・文・翻訳:ゆさこうこ、文責:岩上安身)

 約3ヶ月のデモと戦闘を経て、ウクライナでは新内閣が発足した。しかし、南部のクリミアでは武装勢力が空港を掌握しており、ウクライナはまだ例外状態に置かれている。力を誇示するかのようにウクライナとの国境付近で軍事演習したりクリミアで装甲車を走らせたりするロシアに対して、アメリカが牽制するなど、ウクライナ外部での駆け引きも続いている。

 そもそも今回のウクライナの混乱の直接的な原因は、経済危機だった。ウクライナは今後2年間で350億ドルの財政支援が必要としており、現在、国際通貨基金(IMF)、EU、アメリカが経済支援を検討している。ロシアはヤヌコビッチ元大統領に対して150億ドルの支援を約束していたが、撤回される可能性もある。どこから経済支援を受けるのかが、ウクライナの今後のあり方を決めることになるだろう。

新内閣の発足

 2月27日、旧野党勢力による新内閣が誕生した。26日、最高議会による正式承認に先だって、新内閣メンバーは、この3ヶ月間のあいだデモの舞台となっていた独立広場に立ち、集まった市民から拍手による「承認」を得た。

 もちろんこれは議会での正式な手続きを経た「承認」とは言い難い。大統領職を追われたヤヌコビッチ氏が、この「政権交代」を「クーデター」とみなして非難するのも、それなりに言い分はあるだろう。単なる「負け惜しみ」として片付けるわけにもいかない。ともあれ、反政権側は民衆の「喝采」を、議会での「承認」に代わる「同意」の証明であるとして、新内閣の正統性を確保してみせたのである。

 これが「民衆革命」なのか、「クーデター」なのか、その内実はこれから問われなくてはならないだろう。

▲独立広場のステージで新内閣の顔ぶれを発表する様子


 新首相となったのは、アルセニー・ヤツェニュク氏。ユーリヤ・ティモシェンコ元首相が総裁を務める政党「祖国」の幹部だ。副首相は、同じく「祖国」党のボリス・タラシュク氏で、欧州統合を担当する。

 内務大臣となるアルセン・アヴァコフ氏、国家安保・国防協議会のトップに就くアンドリー・パルビー氏も「祖国」党に属している。パルビー氏は、今回のデモを積極的に率いていた人物だ。ティモシェンコ政権時にエネルギー相を務めたユーリ・プロダン氏は、燃料・エネルギー相に返り咲く。

 新内閣は、ティモシェンコ氏の影響力の強い人物で固められているが、「祖国」党とともにデモを主導した極右政党「スヴォボダ(自由)」の4人のメンバーも入閣し、副首相・環境相・農相・防衛相のポストを得た。オレクサンドル・シク氏が副首相、アンドリー・モクニク氏が環境相、イゴール・シュヴァイカ氏が農相、イゴール・テニュク氏が防衛大臣となった。

 新内閣は、5月25日に実施される大統領選までのあいだの暫定内閣となる見込みだ。

 一方で、5月の大統領選への出馬を表明したビタリ・クリチコ氏が率いる「改革を目指すウクライナ民主連合」(ウダル党)のメンバーは、一人も新閣僚の候補に入らなかった。クリチコ氏は元プロボクサーで、2006年にキエフ市議会議員に当選し、2010年にウダル党を結成した。2012年のウクライナ最高議会選挙で、ウダル党は40席を獲得して第三の政党に躍進した。

 今回の親欧米派のデモ参加者のことを「ユーロマイダン」と呼ぶ。欧州をあらわすユーロと、広場を意味するマイダンという言葉で造られた造語である。昨年12月から始まった「ユーロマイダン」のデモでは、新首相となったヤツェニュク氏と、「スヴォボダ」のチャフニボク氏とウダル党のクリチコ氏の三名は共に行動してきた。

 この3名が「ユーロマイダン」の一翼を担ってきたのに、なぜ組閣で明暗が分かれたのか。

▲アメリカのヌーランド国務長官補(中央)、ヤツェニュク氏(右)、チャフニボク氏(左)、クリチコ氏(奥)


 謎の答えは早々に明らかになっている。米国が人事に介入したのである。

 2月上旬に、アメリカのヌーランド国務長官補とパイエト駐ウクライナ大使とが、ウクライナ野党勢力の今後の人事について画策している電話の会話がYoutubeに流出している。この中で、ヌーランド氏が「クリチコが政権に入るのはよい考えではない」と発言している。経済に関する経験や政治の経験があるヤツェニュク氏が首相になるのがよいと言い、チャフニボク氏とクリチコ氏は「外」にいればよいと言っている。

 結局、ウクライナではヌーランド氏の言っていたとおりの内閣ができたわけだ。ここで明らかになったことは、ウクライナの民衆の自発的なデモに見えた「ユーロマイダン」の抗議行動には、米国が背後で関与していたという事実である。

 また、過激派「右派セクター」のリーダーであるディミトリ・ヤロシュ氏が協議会代表に任命されると言われていたが、辞退したとみられる。

 1月下旬から台頭しデモを「戦闘」へと転じさせた「右派セクター」は、「スヴォボダ」をはじめ、いくつかのナショナリスト団体で構成されており、「反ロシア」とともに「反ユダヤ主義」を標榜している。

 必ずしも一致団結しているわけではなく、内部に多少の温度差があり、「右派セクター」のリーダーの一人であるディミトリ・ヤロシュ氏は、「スヴォボダ」を「リベラルすぎる」と評しているという。ヤロシュ氏が入閣を辞退した理由は判然としないが、前出の新首相となったヤツェニュク氏のように、米国と深い関わりを持つことを潔しとせず距離をおいていたのかもしれないし、より急進的な姿勢を維持していたためかもしれない。

 26日の独立広場での新内閣発表の際、「ヤロシュ! ヤロシュ!」と、ヤロシュ氏の入閣を求める声があがったという。「ユーロマイダン」に参加した民衆の間では、彼の人気が高いことは確かだ。

スヴォボダの躍進

 「スヴォボダ」を率いるオレフ・チャフニボク氏は、デモの際は主に、ウダル党のクリチコ氏やヤツェニュク新首相と共に行動していた。彼は、2004年に「モスクワのユダヤ人マフィアがこの国を支配している」と主張したことで議会から追放された経歴を持つ。彼が筋金入りの反ユダヤ主義者であることは、明らかである。

 議会から追放されたあとも、チャフニボク氏は主張を曲げることなく、2005年には、「組織化されたユダヤ人たち」の「犯罪活動」を止めさせるよう求める公開文書を出している。

 もともと「スヴォボダ」は、1995年に「ウクライナ社会国家党」として設立された。この名前は、ナチスの正式名称「国家社会主義ドイツ労働者党」を参照しており、当時のロゴもナチスのかぎ十字にそっくりだった。

▲スヴォボダ前身の「ウクライナ社会国家党」のロゴ

▲スヴォボダ前身の「ウクライナ社会国家党」のロゴ

 今回の「ユーロマイダン」のデモの際、このナチス風のシンボルが多く見られた。オンラインメディアの「サロン」は次のように報じている。

 「デモ参加者は、レーニン記念碑を倒して、ナチ親衛隊(SS)と白人至上主義の旗を掲げた。ヤヌコビッチがヘリコプターで宮殿のような屋敷から逃げ出した後、ユーロマイダンの抗議の人々は、第二次世界大戦中にドイツ占領軍と闘って死んだウクライナ人たちの記念碑を壊した。ナチス式敬礼とかぎ十字のシンボルは独立広場で次第に多く見られるようになり、ネオ・ナチ勢力はキエフとその周辺で”自治区”を作り出した」。

▲デモの人々。腕章にはスヴォボダ前身の「ウクライナ社会国家党」のロゴ


 アメリカがこの「スヴォボダ」を支援しているという話もある。チャフニボク氏は、2013年12月にキエフを訪れたアメリカのジョン・マケイン上院議員や、ヌーランド国務次官補と面会している。

▲中央がジョン・マケイン上院議員、右側がチャフニボク氏


 ヌーランド国務次官補は、先に記した通り、「ユーロマイダン」の勝利が確定する前から、野党側の組閣について「助言」していた現役の米政府高官であり、ジョン・マケイン上院議員は、米大統領選の候補にもなった大物上院議員で、海軍出身のゴリゴリのタカ派として知られ、ソ連共産党が崩壊したあとのロシアに対しても厳しい姿勢を崩さない。プーチン率いるロシアをG8から外し、インドとブラジルを入れるべきだと主張している。また、ウクライナの「オレンジ革命」を積極的に支援し、同名のNGO幹部でもある。

 また、真偽のほどは確かではないが、アメリカ人専門家がシリアの民衆抗議行動向けに作ったマニュアルと、キエフのデモ隊向けにつくったマニュアルがそっくりだという指摘もあり、今回のキエフのデモにシリアと同様、アメリカが絡んでいたのではないかという「仮説」も示されている。

▲左がアラビア語で書かれたマニュアル、右がウクライナ語で書かれたマニュアル


 一方で、ウクライナの右派の動きに懸念を表明しているのがロシアだ。セルゲイ・ラブロフ外相は「ウクライナを支配しようとしている過激派やナショナリストの影響をくい止めたい」と発言している。

▲ロシア外務省のTwitterに書かれたラブロフ外相の発言(2月25日)


クリミアの緊張

 ヤヌコビッチ氏の大統領解任後、「戦闘」が続いていた首都キエフが沈静化に向かったのとは逆に、緊張を増したのは南部のクリミア自治共和国だった。

 長い間ウクライナという場所がロシアとヨーロッパとを隔てながら結ぶ地であった一方で、クリミア半島は各国の力がせめぎ合う場所だった。内陸国だったロシアは、冬季に凍結しない港(不凍港)を求めて、南へ出口を求めて南下政策を続け、オスマン・トルコとの12回に渡る衝突を繰り返した。第6次露土戦争(ロシア=トルコ戦争)で勝利した後、ロシアは1783年にクリミア半島とともに念願の不凍港を手に入れた。

 1853年に始まったクリミア戦争では、この地を舞台にしてロシアと、イギリス・フランス・トルコが戦う大戦争が行われた。この戦争の結果、ロシアは黒海における艦隊保有権を失うなどし、ロシアの南下政策は挫折に終わった。

 クリミア半島のほとんどの領域を占めている現在のクリミア自治共和国は、1954年にソ連のひとつの共和国であったロシア共和国から同じくソ連の共和国であったウクライナ共和国に編入替えが行われた土地である。クリミアでは主としてロシア語が使われており、住民の半数以上がロシア人だが、ウクライナ人やクリミア・タタール人もいる。

 1992年にウクライナからの独立運動を繰り広げたが、当初支援を行っていたロシアが支援をやめるとともに運動は弱まり、ウクライナ内の自治共和国に落ち着いた。ロシアからの影響力は強く、現在もロシア黒海艦隊がクリミアに基地を置いている。

 2月26日、ロシアへの帰属を問う住民投票を求めるデモが起こり、少数民族であるタタール人と対立した。

 2月28日には記章を外した「国籍不明」の武装集団が二つの空港を掌握した。ひとつがクリミア自治共和国の首都シンフェローポリの国際空港であり、もうひとつは軍用空港のベルベク空港だ。アヴァコフ内務大臣は、この空港占領はロシア軍によるものと述べ、「軍事介入」だと非難した。「今起こっていることは、国際協定や規範に違反する軍事介入だ。これは、主権国家の領土における暴力的挑発だ」とアヴァコフ内務大臣は主張している。

 しかし、ロシア黒海艦隊は空港封鎖に関与していないと表明している。空港をパトロールする武装勢力は所属を示す記章をつけておらず、ロシア軍かどうかは分からない。

▲クリミアの空港を支配する武装勢力


 また、クリミアではロシア黒海艦隊の装甲車が走行しているが、ロシア外相は、これをロシアとウクライナのあいだの協定に完全に従って行動していると主張した。

▲ロシア外務省のTweet(2月15日)


 ロシア政府は、ウクライナへの資金提供を検討するよう指示するとともに、クリミアへの人道支援の検討も指示した。

▲ロシア外務省のTweet(2月24日)


ヤヌコビッチ元大統領の行方

 22日に大統領職を解任され、同日にヘリコプターでキエフを脱出したヤヌコビッチ氏は、出身地である東部の炭坑の街ドネツクに向い、22日にテレビのインタビューで「私は合法的に選出された大統領だ」と話していたが、その後消息が分からなくなっていた。放棄されたキエフの大統領公邸の池から、異常な金遣いを示す会計文書が見つかったという。

 24日には、ヤヌコビッチ氏に対し、キエフの暴動で大量殺戮を行ったとして逮捕状が出された。2月18日から20日のデモ隊と治安部隊では75名以上の死亡が伝えられている。また、治安部隊には「武器を携えて動く者は撃て」という指令を出していたという。

 ヤヌコビッチ氏が再び姿を見せたのは、ロシア南部のロストフ州だった。28日、6日ぶりに公の場に現れたヤヌコビッチ氏は、ウクライナの国旗をバックにしてスーツ姿で記者会見を行った。

 「私自身や私の家族の生命が直接的に脅かされていたため、ウクライナを離れなければならなかった」と言うヤヌコビッチ氏は、自身をウクライナの唯一の合法的な大統領であると主張した。

 「ご存知のとおり、ウクライナで権力を握っているのは、ウクライナ人のまったくの少数派にすぎないナショナリスト・ファシスト的な人々だ。この状況を脱するための唯一の方法は、2月21日にフランス・ドイツ・ポーランド外相およびロシア代表の参加のもとで行われたウクライナ大統領と野党との合意書の規定を遂行することだ」。

 2月21日に締結された合意書とは、大統領選挙の前倒しや、挙国一致政府の発足を約束したものだった。結局、ヤヌコビッチ氏が大統領を解任され、大統領選挙が5月に行われることが決められ、新内閣が発足したため、2月21日の合意は意味のないものになってしまった。

 また、キエフでのデモ隊と治安部隊との衝突で多数の死傷者が出たことについて、ヤヌコビッチ氏は、「デモ隊を支援した西側諸国の無責任な策略の結果」と糾弾した。また、「ロシアは、ウクライナを見捨てず、この隣国の混乱と恐怖を避けるために可能なあらゆる手段を講じるべきだ」とロシアの介入を率直に求めた。(取材・文・翻訳:ゆさこうこ、文責:岩上安身)

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