六本木交差点から約500メートル、東京のド真ん中に米軍基地がある。
港区六本木7丁目の、公称「赤坂プレスセンター」。基地撤去運動参加者は、「麻布米軍ヘリ基地」と呼ぶ。グーグルマップでは、「在日米陸軍 六本木ヘリポート」と表示される。
この米軍基地の撤去を求める集会が、2024年4月18日、隣接する都立青山公園(南地区)で開催された。主催は、麻布米軍ヘリ基地撤去実行委員会(以下、実行委)。
この基地には、隣接して国立新美術館、日本学術会議、政策研究大学院大学、都立青山公園などがあり、周辺に住宅やオフィスが密集する。
基地は、約2万7000平方メートルの敷地内に、約1万平方メートルのヘリポートと、米軍準機関紙「星条旗新聞」極東支社、宿舎、ガソリンスタンド、倉庫などがある。実行委によれば、第500軍事情報旅団をはじめ、陸海空3軍の諜報機関(主に科学技術関連情報収集・工作)の事務所も置かれているという。
同基地には、横田・厚木・横須賀の在日米軍司令部から、米軍の将校や諜報機関員などを乗せた軍用ヘリが、毎日何度も飛来し、車で、「日米合同委員会」が開かれる南麻布のニュー山王ホテルや、赤坂の米国大使館等へ向かう。トランプ前大統領ら要人も、来日時に使用している。
IWJでは、この基地の問題について、これまで何度も報じてきた。
基地のある土地は、旧陸軍駐屯地を1945年米軍が接収した。1951年のサンフランシスコ平和条約による日本独立後、都内の米軍接収地が返還される中で、同ヘリ基地は全面返還がなされなかった。
一部返還された部分(旧陸軍歩兵第三連隊兵舎、現在の国立新美術館・政策研究大学院大学の場所)に、1962年に移転した、東京大学の生産技術研究所と物性研究所の職員組合が、1967年に撤去運動を実施。その後の運動につながるとされる。
港区と港区議会も、騒音や事故の不安があるとして、毎年、早期撤去を国と都に要請している。
- 港区の米軍基地(pdf)(港区)
1968年、ヘリポートにかかる都道(麻布トンネル)工事のために、都が代替地を米軍に貸したが、米軍は工事後もその返却を拒んだ。
2023年2月に、やっと、隣接する別の土地が返却され、新しい公園スペースが整備された。ただし、青山公園奥の急坂の上、袋小路状の位置にあり、目の前がヘリポートで、米軍の要請もあって、午後4時半以降の立ち入りは禁止されている。
- 返還地の公園 園児のそばでごう音も 赤プレ・占領の歴史/5(毎日新聞、2023/10/19)
また、集会会場の青山公園(南地区)自体、昼間は子供達が遊ぶ普通の公園だが、集会場所付近からも、フェンス越しに基地が丸見えである。
集会では実行委が、「日米合同委員会で1999年に『日本の航空法を守る』、つまり市街地では一番高い建物から300メートル以上上を飛ばすと合意しながら、都心で米軍機の低空飛行が続く」と、米軍と日本政府を追及した。
さらに、「米軍による日本の占領状態が続く事実が、この基地から見える」「来週木曜に、また日米合同委員会がある。お昼頃ここに来れば、日本政府に突き付ける新要求を持つ米軍将校が、ヘリから降りるのが見える」等と訴えた。
その後、各団体が連帯報告を行う中を、米軍のヘリが複数回、会場の上を低空で通り、離着陸を繰り返した。
その凄まじい爆音は、マイクの発言を遮り、音だけでも恐怖感を生む、戦場を想起させるものだった。
集会後は、ヘリ基地の正門側を回り、政策研究大学院大学や国立新美術館、六本木交差点を通るデモが行われた。
詳しくは、全編動画を御覧いただきたい。